Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

愛煙家の肩身は狭く

2005-02-16 22:51:20 | Life
 この事件の関連で、「少年の実名が云々」の議論が相変わらずされているみたいですが、無差別殺人を行ったサイコ野郎が更正するとはとても思えないし、別に更正せずに一生豚箱暮らしでも一向にかまいませんので、別にいいんじゃないかなあと思っているkermountです、こんばんは。

 さて、近頃は本当に、喫煙者に対して厳しい世の中になりました。私は吸わないので、肺ガンにかかる確率が少しでも減ってくれることに喜んでいるところですが、吸う人間からすると腹立たしいことこの上ないのでしょうね。・・・もしくは諦めているか。

 そんななか、さらに厳しい世界の流れが、愛煙家を襲っているようです。

 紫煙の酒場、世界から消える たばこ規制、枠組み条約28日発効

 結構元の記事が長いので記事を要約しますと、世界各国でバーやカフェも含めて禁煙になると言うことです。例えば日本では、居酒屋の所々で、スナックの一角で、ファミレスの中心で、ネットカフェの至る所で紫煙がくぐもっています。それが全部禁煙席になると言うのですから、にわかに信じがたい話であります。
 本来、喫茶店やバーはくつろぐところですが、食後の一服に安らぎを見いだす喫煙者にとっては、全く心休まらない場所になるというところでしょうか。

 しかしながら、現在人口の7割を締める非喫煙者にとってみれば、煙草の煙がある環境がすなわち”安らげない環境である”と言えなくもありません。よって、多くの人にとっては喜ばしい変化といえるでしょうね。

 それにしても、

 北欧ノルウェーでは、(中略)たばこ一箱(二十本入り)は、六十二クローネ(約千二百円)まで値上げされた。

という下りは驚きました。単純に日本の3倍以上ですよ?
ま、それよりも、

しかし、経済的に余裕のあるノルウェー国民への効果は薄かった。

という点の方がさらに驚きましたが。

 世の中の流れがこうであるにも関わらず、相変わらず私の職場では紫煙が耐えることがありません。「建物内禁煙」になりましたし、煙草の自販機も撤去されてしまったのですが、彼らには全く関係ないようです。
 それでも、みんなが愛煙家ならかまわないのですが、実際はそうではありませんから。

 道を清掃したときに、最も良く見つかるのは実測的にも経験的にも「煙草の吸い殻がトップ」のこの国で、煙草の規制が成功したとしたら。もしかすると、とんでもなく大きな成果が得られるのではないか?と思ってしまいます。

とんでもない裁判官

2005-02-16 02:11:12 | Thinkings
 といってもフィクションの中での話ですよ?

 ひょんな事から禁固と懲役の違いについて調べていますと、変なページが引っかかったんです。

白陰&ある逸話

老子の弟子で裁判官がいた。
そこで、泥棒の裁判が為され、奇妙な結審をした。
泥棒に6ヶ月の禁固刑を、盗まれた被害者に1年の禁固刑を申し渡した。
被害者は驚いて、裁判官に抗議した。
「わたしは、お金を盗まれた方の被害者ですよ、それがなぜ禁固刑なのですか?」
裁判官は言った。
「たしかに、泥棒はお前の金を盗んだから罰を与えた。だがお前はその泥棒に盗もうと思わせた責任がある。そそのかし罪だ。
盗むより、そそのかす方がもっと罪が重い。
世間一般は多くを持っていない人たちだ。何でも、あまり多くを持つことが、そういう人たちに罪を犯させる。お前は多くを持ち過ぎたのだ」


 むちゃくちゃです。
 じゃ、なんですか?道を歩いていていきなり殴られたとして、障害で訴えたら、「殴られるような顔をしていた。そそのかしだ。」ですか?

 どうもこの話を書いている人間は金持ちが嫌いみたいです。

 私も金持ちではありませんが、このそそのかしに関してはどうしても納得がいきません。
 この裁判官は、多く持っていることそれ自体が罪みたいなことを言っています。資本主義に対してのアンチテーゼを気取っているようですが、基本的に論理が破綻しています。富を持つにも色々過程がありますし、それが正当な手段を踏んで手に入れたものならば、そんなことを言われる筋合いは全くありません。
 また、そのような判決が許されるなら、陥れたいライバル社のトップ宅に空き巣にでも入ればいい。少なくとも半年は、トップ不在のまま会社経営をしなくてはいけなくなりますので、業績に相当なダメージを与えられるでしょう。
 また、個人的に恨みのある個人宅に強盗にはいるのも得策です。言い訳には「彼の家庭は幸せすぎた。故に私は彼の幸せを壊したくなった。」と言えばいいでしょう。

 そして、最後はこう締められています。

―借りる罪より、貸す罪の方が重い―

日本の不良債権処理を、この裁判官の態度で臨まなければならない。(新田論)


 ・・・。
 不良債権と、この裁判の話では全く関連が無いような気がしませんか?

 裁判では、被害者には全く落ち度がなかった。しかし、不良債権は十分に審査をせず、動向を見極めることができなかった銀行側にも、落ち度が十二分にあるのです。

 私には最初から最後まで的はずれに思えるこの”逸話”。どう思われましたか?