Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

島崎藤村の故郷に見る越県合併

2005-02-12 18:42:16 | Weblog
 島崎藤村と言えば、明治から昭和にかけて活躍した文豪です。
 では島崎藤村と越県合併が関係あるのか。

 このページに、
 
 明治5年、長野県西筑摩郡馬籠村(現・木曽郡山口村神坂馬籠)に生まれる。

とあります。長野県山口村と言えば、平成の大合併において岐阜県中津川市との越県合併が決まっている渦中の村であります。
 そのため、こういう馬鹿馬鹿しい話が出てきているのです。

 島崎藤村は何県出身?生地・長野の村は岐阜に越県合併 読売新聞

同村出身でこれまで辞書などで長野県生まれと表記されてきた島崎藤村(1872―1943年)の出生地をどう表記するか。出版社や地元の人たちに、戸惑いの声も出ている。

 なんで出身地の表記でこんな風に問題になるのかと言いますと、記事にはこう書いてありました。

(藤村は)「信州人」という認識が定着している。

と言うことらしいです。つまり、”島崎藤村=長野県人という認識が一般常識としてあるから改変は苦慮せざるを得ない”と言うことらしいですね。

 この問題に、出版各社が苦しむ中、非常に明確且つ正しい意見を述べている人がいました。

藤村の孫の妻で、馬籠宿で土産物店を営む島崎黎子さん(68)は「藤村が信州を描いたのは確かだが、作品が変わるわけでもなく、馬籠も変わらない。(藤村が反対運動の象徴となった)昭和の合併のころとは、時代が違う。岐阜になるからといって、どうこう言う時代ではない」と話す。

 山口村教育委員長の小川洋一さん(71)は「藤村の古里が馬籠であることに変わりはない。信州の藤村でも岐阜の藤村でもなく、今や作品が外国語にも訳されている『世界の藤村』ですから」と話す。


 藤村が評価されているのは作品であって、出身地ではない。そして、その出身地でさえ何も変わらない。当然の事実です。彼らの意見は誠に的を得ています。

 私は彼らの言う一般常識、”藤村は信州人”という事を知りませんでしたので、本当にそれが一般的なことなのか分かりませんが、別に長野県だろうと岐阜県だろうと、”藤村は古里、馬籠を愛していた”という事実は変わらないのです。

 偉い人にはそれがわからんのですよ。