ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

銀座は私の人生を大きく変えた街です

2012-06-17 17:46:19 | 犬たち

たまには東京に行かないと時代遅れのジジイになると妻から言われたので、それもそうだと重い腰を上げて久しぶりに東京に行ってきました。
定年退職から10年経つのですが、年を重ねるごとに東京が遠くなり、どうせ行くのなら20年間過ごした銀座を訪れてみることにしました。

 私は広告代理店の電通に就職したのですが、40歳を越えて電通の子会社の役員となり、銀座のど真ん中の事務所に移り、定年退職までの20年をその銀座で過ごしました。
私にとっての銀座はとてもすばらしく、ここで過ごしたことはその後の人生を大きく変えたほど、私にとって大切な街となりました。 

銀座は日本を代表する繁華街であり、それも大人を対象とした高級感が特色の街であることは皆さんもご存知の通りです。
事務所は銀座のど真ん中と書きましたが、その周辺は名高い高級店の中にあり、松屋・松坂屋・阪急などのデパートは数分の距離の中にありました。
たとえば食事は高額だとお思いでしょうが、無数にある食事どころはおいしいのは当たり前で、個性がありそしてリーズナブルな価格でなければ銀座では生き残ることが出来ないため、昼食をどの店で食べようかと考えるのも楽しみのひとつになるように、イメージ的には敷居の高い銀座ですが、実態はとても親しみ易いのが銀座なのです。 

そして銀座は日本を代表する画廊のメッカであることも大きな特色のひとつなのです。
銀座に来た当時は、美術などにはまるで関心がなかった私でしたが、時間つぶしに近くの美術画廊をのぞき、そのうちに引きつかれるように画廊に入るようになり、しだいに絵画鑑賞の魅力に取り付かれていきました。
画廊の方とも顔見知りになり、絵画の価値のポイントなどを教わりました。
個展などで出会う画家と話をするうちに、創作者の立場から絵と向き合うことの魅力を知ることとなりました。
銀座にはあまりにも画廊が多いため、画廊を東西南北の4つに分け、毎日の昼休みはそのひとつを回り、一週間で銀座の画廊を制覇することが習慣となるまでになり、絵画を観る目が肥えただけでなく、もしかしたら私も描けるのではないかという自信のようなものが沸々と芽生えてきました。
絵に無関心な私が、50歳から絵を描き始め、定年退職から画家の道を歩んだのも、銀座という街が大きく影響したのでした。 

JR新橋駅から地下街を出てちょっと歩くと、昔とちっとも変らない銀座がそこにあり、懐かしさで胸がいっぱいになりました。
もちろん部分的には新旧交代で新しい店が増えましたが、10年という時の長さを考えれば、銀座は昔そのままの格調と威厳、そして時代の最先端の魅力を保っていました。
しかし大きく変ったことがあります。
それはずいぶん多くの画廊がなくなって、見知らぬ店になってしまったことです。
存続する画廊も昔の精気がなくなり、展示されている絵もレベルダウンが否めないようなそんな時代から取り残された気がしました。
当時お世話になった画廊経営の方からの年賀状で、画廊ビジルスも冬の時代を迎えたと書かれており、その年賀状も途絶えてしまいましたが、その言葉を思い出し、「やはりそうだったのか!」と実感したのでした。 

人間は環境で育てられる動物だと言いますが、銀座に20年も過ごせたことがしみじみ幸せだったと実感した、「小さな旅」でしたでした。

 

 


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