ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

毎日の食事の「塩分量」の見直しが必要です

2011-08-30 17:45:08 | 犬たち

 

上の絵は中国からの若い観光客を描いたものですが、中国人への「日本で食べた料理で最もおいしかったものは?」の質問に、答の多くは「ラーメン!!」と応えるそうです。

ラーメンは中華料理ですが、もはや日本が生んだ日本の創作料理そのもので、繊細かつふくよかな味に中国人も舌をまいたというわけです。

私も中国の本場で中華料理を何度も食したことがありますが、一言でいえば「大味」で、日本の中華料理の方が数段上と感じました。

 

そんな私も隠れキリシタンのごとくの隠れラーメン党と思っています。

なぜラーメンの前に「隠れ」が付くかと言いますと、多少高血圧気味で塩分控えめのため、妻から厳しくラーメンは禁止食品と言い渡されているのですが、その目を盗んでいろいろなラーメンを食べ歩いているからです。

そして先日「ラーメンの鬼」と言われ、ラーメン好きが神のごとく崇める店に、心踊りながらラーメンを食べに行ってきました。

行列のできる店前で並び、怖そうな料理人が威圧するのか満員なのに声ひとつたてない静かな店内で待つうちに、ようやく日本一といわれるラーメンが出てきました。

濃厚そうなスープを一口すすったところ、なんと「まずい!」のです。

そして二口すすって「しょっぱ~い()!!」となり、半分も食べないで店を出てしまいました。

日本一のラーメンといわれるものがこれほど違和感を感ずるのはどうしてなのか?

自分の味覚に問題あるのではないかと悩む中で、ハッと気づきました。

私は13食のうち2食以上は妻の手料理を食べるのですが、妻は極端な減塩食料理のため、すっかり薄塩味に慣れた私は、あのラーメンの塩分濃度は口に合わず、私には「しょっぱ~い()!!」となってしまったのです。

 

人間が生命を維持するための塩分の必要量は11.5gで充分とのことですが、日本人の平均摂取量は12g以上とのことで、その大幅な摂取オーバーは心臓病・脳溢血・各種ガンなどの三大疾病だけでなく、多くのダメージを身体に与えることとなります。

そして塩分量の多さの最右翼がラーメンなのです。

 

塩分過多の食品は、放射性汚染の食品より圧倒的に健康にダメージを与えている現実を、私達はもっと厳しい目で見るべきです。

 

あるTV番組にこんな特番がありました。

通常のラーメン一杯に含まれる食塩は56gとのことですが、3g以下の食塩でつくるラーメンコンテストがあり、名だたるカリスマ料理人が挑戦しました。

しかしほとんどのラーメンはとても食えたものではない味から、一味物足りないまでいろいろあったのですが、1店だけ減塩だからこそ出せる「抜群のおいしいラーメン」がありました。

当然ながらすべての審査員が絶賛して、メデタシメデタシと番組が終了となりましたが、もしこれが本当においしいのなら、塩分が少なくてもおいしいラーメンができることが証明されたのです。

このラーメンは前記の「ラーメンの鬼」のラーメンより、はるかに食べる人のことを考えた、価値のあるラーメンだと私には思えました。

 

食品の放射線汚染がTVで連日流されていますが、それが人体にどんな影響があるかはまったく放送されていません。

おそらく人体にはほとんど影響がない量だと推察されます。

それに比べて塩分の過剰摂取は、明らかに体を蝕んでいることは衆知の知るところです。

今一度すべての食品への「塩分量」の見直しと、減塩でもおいしい食品とするための「知恵と工夫」が必要なのではないでしょうか。

 


島田神助氏はなぜ芸能界を引退したのでしょうか?

2011-08-25 09:03:32 | 犬たち

島田神助氏はなぜ芸能界を引退したのでしょうか?

 

島田神助氏のあの引退会見の内容が事実であり、暴力団との付き合いの発言にウソがないのであれば、なにも引退までする必要はなかったのです。

法律に抵触しているわけではなく、謹慎もしくはそれ以下で済む程度の小さな過去の不祥事で終わったのです。

しかし神助氏はあえて自ら引退という重い決断をしたわけで、その理由についてマスコミではいろいろな憶測が入り乱れていますが、私も以下の推理をしてみました。

大前提となるのは、神助氏自身が近い将来芸能界から引退したい!と思っていたということです。

その矢先に暴力団とのメール問題が発覚し、それを願ってもない「チャンス到来!」とばかりその一点を理由に、強引に引退会見に踏み切った・・・というのが私の推理というより確信です。

 

人生の生き方には2つのタイプがあるようです。

ひとつは野球の野村前監督のモットーは「生涯一捕手」というように、人生をひとつの価値観で貫き通すことを美学とするタイプです。

もうひとつは人生の価値意識が年齢や経験とともに進化し、時には過去とはまったく違う道を歩むこともあり、それぞれの年代の中で多段式ロケットが発射するように生きぬくことを美学とするタイプです。

神助氏は典型的な後者のタイプで、芸能界へのデビューは漫才師でしたが、その後抜群の話術で司会者や役者と芸の巾を広げ、後半は番組自体の企画からプロデュース、若手芸人の育成をし、多くのタレントを誕生させました。

このタイプの人は落ちぶれていくことを極端に嫌い、次へと変身する傾向があり、神助氏も50代ともなれば、体力の衰えに伴う能力の息切れを自覚し始め、このままズルズルと老醜をさらすよりスバッと別の道に進化していく=つまり「芸能界の引退」を考えはじめたのではないかと思うのです。

 

神助氏の人生を語るのに小生を例に出すには恐縮なのですが、現在神助氏は55歳ですが、その頃の私は小さな広告代理店の経営の仕事をしており、次への変身を決意した年でもありました。

40歳の時社から任命された経営の仕事は、多岐にわたりかつ多忙を極め、新米の経営者の頃はその責任感が充実感ともなっていたのですが、55歳にもなり仕事にも慣れてくると、この仕事からの脱出を願望するようになり、そうして60歳の定年を機にこれまでのキャリアとなんの関連性もない「画家」の道を歩んだのですが、それは多段式ロケットの発射の時でもありました。

 

人を笑わし続け、新しいムーブメントを創り続けてきた神助氏は、もうその苦痛から開放されて、自分の思い描く次の新しい世界への、多段式ロケットのひとつに点火させたのです。

 

人生50年なら「その道一筋」でも充実した人生を送れますが、

人生85年を生きぬくには、「多段式ロケット型人生」こそ

最後の最後まで充実した生き方が出来る方法ではないでしょうか。

 

 

 


絵は「感性」がすべてで、「知識」は阻害要因そのものです

2011-08-20 09:22:04 | 犬たち

 

世界の名画が5点ありますが、イメージできる絵が何点ありますか? 

   1、 レオナルドダヴィンチ 「モナリザ」

   2、 ミレー        「落穂拾い」

   3、 モネ         「睡蓮」

   4、 ゴッホ        「ひまわり」

   5、 ムンク        「叫び」

 

これは某TV局の番組の中で、上記の名画5点をフランス人と日本人双方に見せて、作者は誰か?という質問と回答がその内容でした。

その結果、日本人のほとんどの回答者は画家の名前を知っており、題名までも全問正解した人もいました。

一方フランス人の方は、さすがに「モナリザ」は知っているものの、他の多くの作品の認知度は低く、「どこかで見たことがあるかもしれない・・・」という程度で、圧倒的な日本人の勝利となりました。

TVの筋書きではフランス人の芸術的素養の高さをクイズを通して証明したかったらしいのですが、結果は逆となったわけで、「こんなはずでは」と慌てふためいて番組は終わりました。

それではフランス人は日本人と比較して、ほんとうに芸術的素養が低いのでしょうか?

 

絵の鑑賞でいつも私が心がけていることをお話します。

まずすべての雑念を払って、真っ白な心で絵に向かいます。

そして絵の向こう側にいる画家と鑑賞する私は、11で真剣勝負の対話を始めます。

画家は絵を通して私にテレパシーを発信し、私はそれを全身で受け止める・・・そのうちに私の体の隅々から静かな感動に満たされてきます。

すばらしい映画を観た後のように、すばらしいコンサートでの感動したように・・・。

 

ここで言うすべての雑念の中に知識や情報があり、画家の知名度、肩書き、世間的評価や販売価格などがそのひとつです。

 

絵を鑑賞するには感性がすべてで、知識感性を阻害する雑念そのものなのです。

 

暗記型教育で育った日本人は、芸術においても芸術関連の知識には強いものの、芸術の本質である感性を汲み取る能力が必ずしも強くないようです。

 

芸術関連の知識で日本に敗北したフランスですが、芸術の本質である感性ではフランスは日本の比ではありません。

前記の質問でも、フランス人にとっては「誰が描いたのか?」は芸術の本質から遠く、ほとんど関心などないのです。

明治以来日本の多くの画家がフランスを憧れてきた理由は、芸術の本質にあるようです。

なぜそれほどまでに画家たちがフランスに惹かれるか、それを確かめたくて私も何度かフランスへ旅しました。

そこでわかったことは、フランスは圧倒的な芸術的環境に恵まれていることでした。

上の絵はフランスの田舎の風景なのですが、どこを切り取ってもカッコよく、そして美しいのです。

フランスは芸術家にとても寛容で、彼らを暖かく育成しようという気風があり、私にはフランス人的個人主義は芸術的精神そのものに映りました。

 

あなたも一度すべての雑念を払って、真っ白な心で絵を鑑賞してみてはいかがですか。


愛犬モモタロウと、わが夫婦の「溺愛騒動記」

2011-08-12 04:57:50 | 犬たち

 

モモタロウ(上の絵です)の犬種はイングリッシュゴールデンといって、イギリス産の白っぽいゴールデンリトリーバーで、生まれ育ちがいいかげんな私より、遥かに由緒正しき犬なのです。

そのモモタロウも13歳となり、人間にたとえれば80歳を越えた後期高齢者とのことで、1年前に人間ドックならぬ犬ドック(英語で言えばdogdogかな?)で検査したところ、特に大きな病気はないものの、肝臓の機能が弱っていることと、太り過ぎとのことでした。

それ以降肝臓をサポートするドッグフードに変えただけでなく、食事の量も減らし、日々の暮らしも無理のないように気配りをしてきたつもりでいました。

 

あれから1年、再び定期健診を受けたところ、なんと31キロあった体重が減るどころか、36キロと5キロも増加していました。

私達夫婦は「ウソだ~!」叫んだものの、よ~く考えてみれば、「あれも思い当たる!」「これも原因だ!」と、その体重増加の全貌がわかってきました。

加齢とともに食べることに異常な情熱を燃やすモモタロウの要望に応えて、食事そのものは減量食なのですが、その上の豪華なトッピング、間食のおやつのおすそ分けと、副食のカロリー総量が相当なものであることにようやく気づいたのです。

 

そのモモタロウも若かりし頃、わがままの度が過ぎるという周りからの指摘で、ドッグスクールに行ったことがありました。

訓練士は犬と私達との関係をすばやく見抜き、「悪いのはワンちゃんではありません。すべて飼い主のあなたが悪いのです。」そして「飼い主を差し置いて一家のリーダーとなっているところを徹底的に直さなけりゃ!」と言われ、私はそのとき訓練所に来たことが間違いであったことに気づきました。

犬が一家のリーダーとなるのは、なぜいけないか!と。

モモタロウは元来リーダー志向が強く、私たちはそれをモモタロウの個性であり、魅力であると思っていたからです。

 

それ以来より明確にモモタロウはリーダーで、私達2人はモモタロウの下となることが我が家の合意事項となったのです。

散歩においてもモタタロウが自己の体調を見きわめてコースを決め、私は随行者として歩くように、すべてはモモタロウが家長としての秩序正しい平和な家庭が築かれてきたのです。

だから「モモタロウ」が「何か食べたい!」と言えば、リーダーの期待に応えることにそれほど疑問も感じなかったのです。

 

とはいうものの減量は至上命令ですから、これからの食事制限をどのようにするかを2人で考えました。

豪華なトッピングは中身をカロリーの少ない野菜やこんにゃくで工夫することにしました。

おやつのおすそ分けに関しては、我が家の人も犬もおやつや間食そのものを、全面的に中止することにしました。

 

「犬が一家のリーダーとなるのは、なぜいけないか!」と書きましたが、その考えそのものが犬の個性を殺してまで、人間が絶対的支配階級としての位置にいなければならないということに反対なのです。

私はこの地球上で生きるすべての生物は平等だと思っています。ライオンも、犬も、ねずみも、イワシも、ゴキブリも、そして人間もすべて自然の摂理の前では平等なのではないでしょうか。

格言(私がつくったのですが)として

 

天は人の上に犬をつくらず、人の下に犬をつくらず

 


「超カワイイ~!」を追求しています

2011-08-02 09:14:23 | 犬たち

上のようなイラストを描くことに夢中になっています。

 

絵とイラストの違い?これまで私が描いてきたのは絵に該当し、何の制約もなく自分のイメージするものを描くことに対し、イラストは発注主からの依頼が前提であり、その目的なり指示に沿って描くことにあります。

絵は鑑賞するのは原画であることに対し、イラストは印刷や映像として加工されることも違いのひとつといえます。

私の広告代理店時代は多くのイラストレーターにイラストを発注してきましたが、考えてみればイラストの受注側になったことがなく、この年になって初めてイラストを描くことになりました。

そしていざ描いてみると、それが超楽しく病み付きになるほど面白いのです。

 

これらのイラストの発注元・いわゆるクライアントは全国に多くの店舗を持つ某企業ですが、その会社なり店舗をより身近に・より親しみやすく感じてもらえることが目的で、キャラクターを創ることになりました。

これまですでに1回目のプレゼンテーションを行い、その結果うさぎをキャラクターとすることと、その名前を「カルちゃん」にすることが決定しました。

そして今回は「カルちゃん」のキャラクターをいくつか創り、その中から1つのキャラクターを選定する段階に入ります。

その後はその決定されたキャラクターのいろいろなポーズのデザインと、広告等への使用展開となりますが、その全行程を私のHP「カルちゃん」をつくる で発表していくことにしました。

ぜひ時々進行具合をチェックしてみてください。

 

それでは冒頭に言ったように、なぜイラストを描くのがそんなに楽しいのでしょうか?

このキャラクター化の作業は、クライアントのマーケティング戦略の一環にあり、マーケティング戦略で極めて重要なポイントはターゲット(顧客)の設定にあります。

結論から言えば、この作業のターゲットは女性、広く若い女性~若くない女性までに親近感を持たれることにあります。要するに

 

超カワイイ~!に、初老のおじさんが挑戦しま~す。

 

これまでの絵を描く独りよがりの満足と違い、このキャラクター作りには女性たちから受け入れられなければならないという明確な目的があり、そのことが創造意欲をかきたてるのです。

極端に女性との接点の少ない生活を送っている私は、女性の気持などよくわかるはずもなく、TVなどで「超カワイイ~!」と奇声を上げる女性を観るにつけ、どこがそんなにかわいいのかさっぱりわからないのですが、“よし!このチャンスに「超カワイイ~!」を徹底的に解明し、「女性の心がわかる初老のおじさん」になろう”と、ますます創造意欲に火がつくのです。 

・・・と言いながらもう一度作品を振り返って見ると、ちょっと男っぽいのが多く、まだまだカワイイ~まで行っていないことを感じる私なのです。