ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

サモアのホームステイから学んだ「シンプルライフ」のすばらしさ

2014-03-29 03:08:55 | 犬たち

35年前、究極の「シンプルライフ」を体験し、その強烈な印象は私の人生に少なからずの影響をもたらしました。
その体験とは、南太平洋の小さな島・サモアへのひとり旅と、そこでの7日間のホームステイでした。

サモア共和国は、ハワイのずっと下の南太平洋に浮かぶ島国で、島根県ほどの大きさに17万人ほどが住んでいる国です。
赤道に近いその島は、1年を通して常夏で、圧倒する太陽の元、陸地は熱帯の木々や花が茂るジャングル、海は圧倒するサンゴ礁と、まさにパラダイスを形にしたような島でした。
この国の産業といっても、農業と沿岸漁業ぐらいで、それも自給自足が大前提で、文明の利器から遠く離れ、テレビがない、冷蔵庫がない、ガスや下水は当然のこととして水道もない、そしておまけに電気そのものがない・・・といったまさに島全体がシンプルライフそのものの島でした。

この国の気質を象徴するものとして、サモア刑務所が面白い。
刑務所は月金制で、土日は休日ということで、囚人は金曜日に釈放され、土日は自宅で、月曜日に刑務所に入所することとなるわけです。
月~金の囚人の労働といっても、国の命題は電気の普及のため、まず電柱を建てることにあるのですが、労働意欲は低いのか効率が悪いのか、1週間で電柱1本のペースとのことで、つまり信じられないほどのんびりしているのです。
それだけではなく、ここには一般人はもちろんのこと囚人に至るまで、辛さや暗さが微塵もなく、底抜けに陽気な国民気質なのです。

上の黄ばんだ写真は、ホームステイ先でのご家族との記念写真です。
ホームステイ先は、島での唯一の町である首都アピアから遠く離れた、海辺のサラムム村という村のマタイ(酋長)の家でした。
マタイは隣の島に所要があるとのことで、この写真には写っていませんが、右端が私ですが、その後の婦人はマタイの奥さん、それとそのご子息夫婦と、5人の子供たちです。
しかし家族はそれだけでなく、何匹かの犬と猫、何十匹のニワトリと豚も家族の一員ですが、柵などないため、そこらをうろついており、どの家の家畜か?その判別も適当ということになるそうです。

後ろの建物は2階建てですが、それはマタイの特権で、ほとんどの家は平屋です。
その写真をよく見ると、家の反対側の風景が見えるように、家には壁がなく、床と言っても砂の上にムシロを敷いただけなのです。
壁がないということは、寝ながら満天の星空が見えることでもあり、慣れればとても気持ちが良いのです。

食事は1日2回、若奥様を中心にみんなで作るのですが、主食は近くの畑のタロイモやパンの実、果物は野生のパパイヤなどなどがふんだんにあり、目の前のサンゴ礁に潜れば魚やエビが簡単に採れ、それと椰子の実からのココナッツミルクが重要な味付けとなるなど、自給自足そのものの料理となり、素材を生かした薄味はなかなか美味でした。
有り余る食材から、食べきれない料理を作り、まずお客である私が料理に手を付けることがルールであるらしく、その次は突然現れた見知らぬ人、その次は年配者の家族から子供へと食事に手を付ける。
そうこうするうちに、犬・猫・豚・ニワトリが集まってきて、人間の食べ残した料理を競い合って食べ、最後に小鳥やジャングルから出てきたリスや狸?などが食べ、その後は何一つない清潔な風景に戻るのです。

そういえば掃除もしないのに村はとてもきれいなのは、ビニールなどの人工物や無駄なものがないことと、ゴミがないというより、ゴミという概念がないことをしみじみ知ったのです。

ホームステイ初日は戸惑い、2日目からはこの生活になじみはじめ、3.4.5.6日と楽しさや居心地の良さが増えるのと同時に、別れることの辛さが増し、そして別れの日、私以上に家族の人達が泣きながら別れを惜しんでくれました。

サモアの生活は機械文明としての尺度でみれば極めて貧しいのですが、心の充足度の尺度で見れば、最高に豊かだったのです。
シンプルライフとは質素で素直なライフスタイルのことですが、単に質素なだけでなく、それによる「心の充足」こそが大切なことを、この旅で深く知ったのです。

 このブログのタイトルは「ノー天気画家・・・」となっていますが、私にとってのノー天気精神の起源は、サモアの旅にあったような気がします。 

 

 

 


悠々自適生活の時間割り

2014-03-18 02:25:59 | 犬たち

停年退職して10年たち、悠々自適の生活もすっかり身に着いたようなので、このブログで私流の悠々自適生活の時間の使い方をご紹介しようと思います。

世間では3連休だの、ここを休めば9連休だのと、些細なことで騒いでいますが、悠々自適生活ともなれば毎日が連休の連続で、1年365連休かもしれません。
1日のスケジュールにしても24時間すべてが自由裁量時間で、忙しかったビジネスマン時代は、絶えず時間に追われていたことが嘘のようです。

つまり悠々自適生活の特色は、圧倒的な自由時間の多さにあります。
しかし気の向くまま自由にといいますか、無計画に時間を使えば、生活がだらけてしまいます。
かといってビジネスマン時代のように、忙しさを求めてスケジュールを入れると、何のために悠々自適生活をしているのか、その良さを生かすことができません。
そのため私は一日を(たった)2つの時間の決め事だけとし、それを守っています。

時間の決め事1 午後6時20分までは、決して飲酒しないこと

元来酒好きというより、アルコール依存症の恐れがある私は、だらだら無節操に飲酒することだけは避けなければなく、その方法として、飲酒時間の制限として、午後6時20分~寝るまでとしました。
たとえば付き合いでのお昼の乾杯!の時だけ、ビールを一口含むこともありますが、それ以外は決して禁酒時間を破ったことはなく、自分の意思の強さを誉めてあげたいくらいです。
結果として、酒の量もしっかり節度あるものになり、それだけでなく最初の一杯の酒の美味しさが、五臓六腑に沁みわたる美酒効果も生まれました。

時間の決め事2 午後9時までは、起きていること

周りから笑われるほど早寝早起きの私は、定年退職後の就寝時間ともなるとドンドン早さが加速し、まだ明るいうちから寝てしまい、その分世間の大人が床に入る時間に朝を迎えるということになってしまいました。
これでは世の中と遊離してしまうと思い、就寝時間を午後9時00分と設定し、それまでなんとか寝ないことを守ることにしました。
しかし現実は酒酔いもあってか、8時半ごろからは睡魔との戦いで、9時前には前後不覚となる日が多く、なかなか時間厳守とならないのが現状です。
その逆に9時を過ぎても起きていた、または眠れないことは皆無で、毎年今年こそ大晦日は起きていたいと思うものの、9時を過ぎれば撃沈となるわけですが、総じて健康的な時間割りを守っていると自負しています。

この2つの時間の設定は、悠々自適生活のクオリティの根幹をなしていると思っています。
そしてその最大の効果は、夜の時間の使い方にあり、そのことについて、もう少し詳しく説明します。

朝、妻が起きてくる時間は7時ごろなので、その時間までを夜とすれば、私の夜は午後9時から翌朝7時までの10時間となることになります。
私は長く眠る体質ではなく、実際の睡眠時間は6時間で充分なので、そうなれば10-6=4で、4時間は夜中に起きていることになるわけです。
その睡眠のパターンは2つあり、パターンAは1度寝型で、午後9時に眠り、午前3時に起き、3時~7時まで起きているパターン。
パターンBは2度寝型で、午後9時に眠り、一旦午前1時に起き、1時~5時まで起きて、午前5時に眠り、7時に起きるといったことになるパターンです。
パターンAとBは、3対7でBのほうが多いのですが、いずれにしても深夜に覚ましている時間が4時間あることに変わりなく、この4時間は私の悠々自適生活にとってとても、最も楽しくそして重要な時間となりました。

深夜の4時間、ポンコツ頭脳も寝起き直後で元気ハツラツ、さて何をするか!
何といっても無い知恵を絞る、またとないチャンスの時が来たのです。

それでは何事にも集中できる深夜のこの時間、どんなことをするのか?具体的には以下のことをしています。

実は絵を描く時間のほとんどは、この深夜の時間に描いており、上の鹿の絵も、その時に描いたので、明暗の絶妙なバランスは、深夜作業だからこそ集中して描けたのではないかと思っています。
ほとんどのブログもこの時間に書いており、このブログも現在は午前2時22分、あと10分もあれば更新できそうです。
手紙や作業計画、趣味の日曜大工の設計図も、この時間に書いています。
その他の多くの時間は、パソコンに向かって情報の森を彷徨ったり、なんとなく思考したりしている時間となります。

だからこの時間は、私にとっては一日で一番(もしかして唯一)の、頭脳が汗して働く時間となったのです。


だからこそ2つの時間の決め事以外の時間(昼の時間)は、心のおもむくまま、まさにノー天気の時間を過ごす・・・これが私流悠々自適生活の時間割りです。


AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」が、わが故郷の少年時代につながっていたのです

2014-03-05 14:03:10 | 犬たち

私の趣味のひとつは、インターネットと遊ぶことです。

ご存じのように、インターネットとは膨大な情報ソースの中から、最適な情報を取り出すシステムですが、自分の希望する情報を的確に取り出せるか否かに、かなりの能力の差があるようで、IT音痴の私も長い時間インターネットと遊んでいるうちに、徐々にその取り出し方が上達してきたような気がします。

その上達の方法として、わからないことや、疑問に思うこと、もっとよく知りたいことがあったら、すかさず調べあげるなど、インターネットとマメに付きあい、生活の必需品として活用することこそ上達の方法のようです。
それともうひとつ、言葉検索だけでなく、画像検索や地図検索など多様な窓口を活用することです。
その中でも特に最近ではYoutubeの活用が非常に多くになりました。
たとえばパソコンに不具合が生じても、言葉検索してもパソコン関連用語がチンプンカンプンのため、Yyoutubeで調べれば、言葉などわからなくても、百聞は一見に如かず 画面を見ればその手順がすぐわかるからです。


そしてインターネット活用の象徴的な例として、今流行している歌が、私の60年前の生まれ故郷の中に原点があったことを発見したことで、その時はインターネットのすごさに身震いしましたので、ここにご紹介します。
その歌は今大ヒットの曲、 AKB48の「♪ 恋するフォーチュンクッキーの歌で、ご存じだと思いますが、もう一度聞きたい方は、ここをクリックして楽しんでください。
恥ずかしながら、私は1日1回はこのYoutubeを視聴して、なんとなく元気をもらっています。

私がまずインターネットを活用したのは、この歌のタイトルともなっている「フォーチュンクッキー」とはいったい何なんだろう? としいことで、その疑問から知識の旅が始まりました。
インターネットによれば、「フォーチュンクッキー」のフォーチュンとは幸運という意味で、フォーチュンクッキーとはアメリカの中華料理店で食後に出されるデザートの、おみくじの入ったクッキーであることがわかりました。
 

しかしインターネットの面白さはそこで終わらず、その情報を次から次と追い続けることにあり、それにより面白い情報の世界が深まっていくのです。


そこでフォーチュンクッキーを、さらに追い続けると・・・・・・・・・


アメリカ・サンフランシスコのゴールデンパーク内の日本庭園があり、観光名所として有名ですが、当時その設計にあたったのは庭師の荻原真氏で、彼は庭園内の茶屋で茶受け菓子として、アメリカ人の好みそうなお菓子を選びました。
そのお菓子は、日本のある地域の古くからある郷土菓子で、菓子の中におみくじがあるものだったのです。
そのお菓子は評判になり、それに目を付けたのは、日本料理ではなく中華料理店のオーナーで、自分の店の看板メニーに造り替えたのです。
菓子の名前をフォーチュンクッキーとし、おみくじはそのままで、中身を中華風菓子として売り出しました。
そのお菓子の評判は評判を呼び、サンフランシスコのみならずアメリカ・カナダの中華料理の定番メニューとなっていったのです。

そしてこのアメリカの不思議なお菓子を、AKB48の歌のタイトルとしたのは、プロデューサー兼作詞家の秋元康氏であり、なぜ、どのように思いついたのかはわかりませんが、実に鋭い着眼点だとは思いませんか。

そしてその元となる日本のある地域の郷土菓子とは、石川県金沢市近辺の郷土菓子で、新年の祝いに神社で配られる「辻占い煎餅」だったのです。

ここまで情報を追いかけた時、「知ってる!知ってる!それどころか味の記憶まである!」と私は思わず叫んでしまいました。

金沢近郊の田舎で生まれ育った私は、まさに子供時代にこのお菓子(たしか「つじうら=辻占と言っていたかも)を食べていたことを思い出しました。
上の絵は白山を仰ぎ見る我が故郷を描いたものですが、そのような田舎の正月は何もなく、こたつに入りながらつじうらを開けること正月の楽しい思い出となっていました。

それにしても子供時代に食べたあの「つじうら」が、アメリカに伝承され、地元の中華料理のお菓子として定着し、そして60年経った今、再び日本の若者の懐に戻ってきたのです。

 

そのようにインターネットは知的好奇心さえあれば、知識の輪が無限に広がり、アイディアのヒントがコンコンと湧き出てくる・・・

このブログ「ノー天気画家の本音生活」では、このようにインターネットで追いかけることで、ずいぶん面白い発見をし、ブログのテーマにもしてきました。
これからも新しい発見があれば、書いていくつもりです。