35年前、究極の「シンプルライフ」を体験し、その強烈な印象は私の人生に少なからずの影響をもたらしました。
その体験とは、南太平洋の小さな島・サモアへのひとり旅と、そこでの7日間のホームステイでした。
サモア共和国は、ハワイのずっと下の南太平洋に浮かぶ島国で、島根県ほどの大きさに17万人ほどが住んでいる国です。
赤道に近いその島は、1年を通して常夏で、圧倒する太陽の元、陸地は熱帯の木々や花が茂るジャングル、海は圧倒するサンゴ礁と、まさにパラダイスを形にしたような島でした。
この国の産業といっても、農業と沿岸漁業ぐらいで、それも自給自足が大前提で、文明の利器から遠く離れ、テレビがない、冷蔵庫がない、ガスや下水は当然のこととして水道もない、そしておまけに電気そのものがない・・・といったまさに島全体がシンプルライフそのものの島でした。
この国の気質を象徴するものとして、サモア刑務所が面白い。
刑務所は月金制で、土日は休日ということで、囚人は金曜日に釈放され、土日は自宅で、月曜日に刑務所に入所することとなるわけです。
月~金の囚人の労働といっても、国の命題は電気の普及のため、まず電柱を建てることにあるのですが、労働意欲は低いのか効率が悪いのか、1週間で電柱1本のペースとのことで、つまり信じられないほどのんびりしているのです。
それだけではなく、ここには一般人はもちろんのこと囚人に至るまで、辛さや暗さが微塵もなく、底抜けに陽気な国民気質なのです。
上の黄ばんだ写真は、ホームステイ先でのご家族との記念写真です。
ホームステイ先は、島での唯一の町である首都アピアから遠く離れた、海辺のサラムム村という村のマタイ(酋長)の家でした。
マタイは隣の島に所要があるとのことで、この写真には写っていませんが、右端が私ですが、その後の婦人はマタイの奥さん、それとそのご子息夫婦と、5人の子供たちです。
しかし家族はそれだけでなく、何匹かの犬と猫、何十匹のニワトリと豚も家族の一員ですが、柵などないため、そこらをうろついており、どの家の家畜か?その判別も適当ということになるそうです。
後ろの建物は2階建てですが、それはマタイの特権で、ほとんどの家は平屋です。
その写真をよく見ると、家の反対側の風景が見えるように、家には壁がなく、床と言っても砂の上にムシロを敷いただけなのです。
壁がないということは、寝ながら満天の星空が見えることでもあり、慣れればとても気持ちが良いのです。
食事は1日2回、若奥様を中心にみんなで作るのですが、主食は近くの畑のタロイモやパンの実、果物は野生のパパイヤなどなどがふんだんにあり、目の前のサンゴ礁に潜れば魚やエビが簡単に採れ、それと椰子の実からのココナッツミルクが重要な味付けとなるなど、自給自足そのものの料理となり、素材を生かした薄味はなかなか美味でした。
有り余る食材から、食べきれない料理を作り、まずお客である私が料理に手を付けることがルールであるらしく、その次は突然現れた見知らぬ人、その次は年配者の家族から子供へと食事に手を付ける。
そうこうするうちに、犬・猫・豚・ニワトリが集まってきて、人間の食べ残した料理を競い合って食べ、最後に小鳥やジャングルから出てきたリスや狸?などが食べ、その後は何一つない清潔な風景に戻るのです。
そういえば掃除もしないのに村はとてもきれいなのは、ビニールなどの人工物や無駄なものがないことと、ゴミがないというより、ゴミという概念がないことをしみじみ知ったのです。
ホームステイ初日は戸惑い、2日目からはこの生活になじみはじめ、3.4.5.6日と楽しさや居心地の良さが増えるのと同時に、別れることの辛さが増し、そして別れの日、私以上に家族の人達が泣きながら別れを惜しんでくれました。
サモアの生活は機械文明としての尺度でみれば極めて貧しいのですが、心の充足度の尺度で見れば、最高に豊かだったのです。
シンプルライフとは質素で素直なライフスタイルのことですが、単に質素なだけでなく、それによる「心の充足」こそが大切なことを、この旅で深く知ったのです。
このブログのタイトルは「ノー天気画家・・・」となっていますが、私にとってのノー天気精神の起源は、サモアの旅にあったような気がします。