ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

悠悠自適の神髄は、眠りたかったら眠り、腹が減ったら食べること

2013-03-27 11:04:40 | 犬たち

高齢者の不眠症やうつ病が社会問題化されていますが、それらの原因のひとつは現役を退きタイアした後も、現役時代の価値観をそのまま引きずっているからのようです。
 

そのひとつが時間への意識で、学生時代やビジネスマン時代は1日のほとんどの時間が細かく定められ、スケジュール化されている中で生きてきました。
特にビジネスマン時代は、時間を守らないことは厳に慎むべきことと体に叩き込まれ、現役から退いて10年経つ今も私は、その習性が抜け切れていないことを感じる時もあります。
しかしその意識が、第二の人生を豊かに生きるための大きな障害となっているかもしれないのです。
 

定年退職後の生活意識を端的に表した言葉として、「悠悠自適」という言葉がありますが、「悠悠」とはのんびりと落ち着いた様をいい、「自適」とは自分の思うままに楽しむことをいいます。
思うがままに楽しむ・・・その実現は簡単なようで、実はけっこう難しいのですが、私は試行錯誤を通して以下のことに到達し、実施しています。
そのポイントは、ルールや時間割などの決め事は、最小限・最低限にし、その反対に自己の中から生ずる感情や気分を大切にし、その感情や気分を最大限取り入れた生活行動にすることです。


具体例には、私は2つの時間的な決め事をしており、逆からいえば2つしか決め事をつくっていません。

決め事1 : 午後9時前には寝ないこと
決め事2 : お酒は午後6時20分以降に飲むこと
 

決め事1の理由は、私には早寝早起きの体質があり、取決めをしないと9時就寝が、8時になり、7時になるようにドンドン早くなり、終いには正午に就寝となる恐れがあるからです。
だから眠気に耐えながら、1年365日の中で90%の確率で9時~9時10分の間にパタンキューとなるわけです。

決め事2は、酒好きの私はつい飲みすぎるため、飲む量を時間の短縮で調整しているのですが、、この時間を厳守することは自分を誉めてあげたいほどしっかり守っています。
 

たとえば私の睡眠時間の実情をお話します。
私の睡眠時間は6時間で充分、というより体が勝手に6時間しか眠らせてくれません。
だから9時に就寝しても、朝7時に妻が起きてくるのですが、その間の時間は10時間ですから、10-6=4、つまり6時間は眠り4時間は起きていることになるわけです。
その起きている時間帯は一律ではなく、ずっと連続して眠れば早朝3時に起きるのですが、そんな日もあれば、深夜1時に起き、4時~6時まで再度就寝する日もあり、多様なパターンで睡眠と覚醒をしています。
つまり、眠くなったら寝て、眠くなければ起きているというように、体に素直に生きています。
 

その10時間の起きている時間は何ものにも邪魔されない完全なる自由時間なので、深夜ひとり自室にこもって心の赴くままにすごしますが、実はこのブログや絵の大半はこの時間に描いているのです。
それほどこの時間は私にとって貴重な時間で、私には「眠れない」という意識はなく、「起きていられる」という喜びが優先されるため、不眠症に悩むという概念はありません。
そして万一睡眠時間が足りなくなっても、1日は24時間ありますから、眠りたかったらいつでもどこでも眠ればいいのですから何の心配もありません。 

悠悠自適の神髄は、自分に正直になることです。
眠りたかったら眠り、腹が減ったら食べ、歩きたかったら歩き、そして絵を描きたかったら描く・・・。
体が自然の一部になったような気分になる時こそ、悠悠自適の言葉が似合うのです。

 

 


70歳でのメッセージ、幸せな人生とは、多くの感動に出会える人生です

2013-03-19 19:48:15 | 犬たち

私はこの3月で満70歳の古希を迎えました。
_
古希とは「人生七十古来稀(まれ)なり」と、70歳を迎えるのはまれな時代ではお祝いも必要かもしれませんが、この時代はまれでも何でもないので、何もしないでおこうと言い張ったのですが、わが妻は息子を呼んで食事会をしようというので、いつものように妻には逆らわないことにしました。
_
人生を10年ごとに区切ると、60代の10年はこれまでの人生の中で最高の10年でした。
感情を「喜怒哀楽」の4文字で表すとしたら、若い時ほど「怒」と「哀」の比率が高く、10代、20代、30代と徐々に減っていき、60代は「怒」と「哀」はほとんどないく、「喜び」と「楽しさ」が大きな比重を占めた10年だったかもしれません。
その理由は、健康で病気とは無縁であったことと、楽天的で嫌なことは忘れることが上手になったこともありますが、なんといっても60歳から絵を描くことに夢中になったことにあります。
振り返れば、絵は充実した人生を過ごすための神通力を持っていることを、改めて再認識した10年でした。

_
それでは絵を描くことの、どこにそんな神通力があるのでしょう。
その最大の神通力は、絵を描くことで「感動する能力」が鍛えられることにあります。
_
絵は感動を表現するメディアですから、いい絵を描くには、より強い感動がその原動力となります。
その具体的な事例として上の絵の下敷きに感動があったのですが、そのことについてお話をします。
この絵を描こうとしたそのベースとなったものは、私の学生時代に奈良に貧乏旅行をしたことがあるのですが、あの時の目に焼き付いていた風景を表現したものです。
あの当時は自分の生き方すべてにおいて自信がなく、劣等感にさいなまされ、消え入りそうな私でしたが、雲に突き出た塔を見たとき、心に吹っ切れるものを感じた、別の言い方をすれば、開き直るしかないことを発見した、あの感動を表現しようとしたものです。
だからこの絵では塔もさることながら、雲こそ重要な役割があるのです。
_
私も絵を描き始めた当初は、感動のセンサーがすっかり錆ついているのを発見したのですが、何枚も何枚も絵を描くうちに感動が呼び起こされ、眠っていた感動のセンサーが作動し始めた、そんな手ごたえを思い出しました。
感動のセンサーを活発にさせる=感動ある生活にするためには、感動を「形」に置き換えることの積み重ねが最も効果的な方法です。
具体的に言えば、「形」とは絵だけでなく、短歌や俳句、音楽などいわゆる芸術がそれにあたり、自己の感動を表現し、第三者もそれを享受できるようにすることを言います。

_
幸せとは何でしょうか?
それは多くの感動に出会える人生だと確信しています。
_
80歳までのこれからの10年、それはどのようになるか、そんなことはまったくわかりませんが、より多くの感動に出会える年齢を過ごしたいと思っています。


TPPの参加こそ、日本のより強い経済発展の礎となる

2013-03-11 10:56:59 | 犬たち

私はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に日本こそ参加すべきと、強く思っています。
TPPとは、アメリカを中心として太平洋を囲む国々が関税の撤廃などを行い、経済交流を活発化させることを目的とする協定のことですが、それにより日本は農業などが打撃を受けるとして強い反対もあるため、政府は除外品目を容認することを条件として、参加の表明にいたりました。
しかし私は例外品目のないTPPこそ、大きな力を発揮すると思っています。

               

日本が戦争での焼け跡の中から驚異的な発展を遂げ、GDP世界3位の経済大国となりましたが、その日本の強さの原因について考えてみたいと思います。
日本は極東の小さな島国でその上資源が少ないため、経済発展には不利のように見えますが、実は小さな島国で資源が少ない国であったからこそ、経済発展に有利に働いたのです。
それは良質で安価な資源を世界中から調達(輸入)し、それを素に日本人特有の知恵と工夫で製品化し、高い付加価値をつけて世界のすみずみまで販売(輸出)することこそ、日本の発展の強さの根源だったのです。
たとえば自動車を例にとると、良質の鉄鉱石や石油・ガスなどの原料やエネルギーを輸入し、発想力と技術力によりハイレベルの商品を作り、その商品力で世界市場に打って出る、その輸出入すべてにおいて何の制約もないことがいかに大切かお分かりのことと思います。

              

日本経済の生命線は経済の国際交流にあり、TPPの掲げる例外なき関税撤廃こそは、日本のより強い経済発展の礎となるのです。
TPPにより10のメリットと1のデメリットが出るとしたら、国益を考えればその答は明確です。
もし1のデメリットをなんとしても守ろうとすれば、10のメリットの多くを、もしかしてすべてを失うかもしれないのです。

               

私の半生を振り返れば、驚くほど地球が小さくなりなった半生でもありました。
たとえば食品を例にとると、私にとっての最初の外国製品は、小学校の給食の進駐軍から支給されたあのまずい脱脂粉乳だったかもしれません。
しかし今の日本の食事の自給率は4割(エネルギー換算で)と言われており、たとえば卵やお肉は国内産としても、その餌のほとんどすべては海外依存となっています。
たとえば中国とは好感度は低いのですが、それとは別に日本企業の2万社が中国に進出しており、輸出入の第1位も中国とのことで、双方とも経済的には切っても切れない関係にあるのです。
そのように地球が小さくなる勢いはとどまるところを知らず、それは国と国との境をなくしつつあり、関税の壁もそれだけ意味がなくなるというより、邪魔でしかない時代になってきたのです。
たとえ日本がTPPに不参加することになっても、近い将来津波が強固な堤防をひとたまりもなく崩壊したように、関税の壁がなくなることは目に見えていると私はおもっているのです。

               

私は農家出身で、子供時代は兼業農家でした。
友達には農家の人も多く、同窓会ともなるとTPPの深刻さをいやというほど聞かされました。
そしてそこで感じたことは、多くの農業従事者の意識に共通することは、これまでの農業ではTPPがあろうがなかろうが、農業は 衰退の一途をたどることを予感していることです。
TPPへの反対はマスコミで騒がれていますが、それはTPPそのものへの反対もさることながら、これまでの長く虐げられてきた農業従事者のやり場のない怒りを感じるのです。
 


愛犬モモタロウの介護から学ぶ、人生晩年の生き方

2013-03-03 17:25:08 | 犬たち

我が家は「介護」の問題に直面しています。
我が家といっても夫婦と愛犬の3人家族で、妻と私はおかげさまで元気ハツラツですから、介護の当事者は愛犬モモタロウとなります。
上の絵は元気ハツラツ時代のモモタロウの絵ですが、この犬種はイングリッシュ・ゴールデンという大型犬で、この種の平均寿命は10歳と言われていますが、3月時点でのモモタロウは14歳7か月ですから、人間でいえば90歳を超えて100歳近くのけっこうな長寿犬となるのです。
              
2年前モモタロウは「突発性前庭疾患」という平衡感覚を失う病気で突然倒れ、その後2ヶ月ほどでほぼ完治したのですが、それを境に歩行が不安定になり、階段の上り下りができなくなりました。
そのため野外での散歩が無理となり、生活の行動範囲は居間とバリアフリーで続くバルコニーに絞られました。
立ち上がるのに助力が必要となり、背中に取手のついた救命胴衣のようなものを常時着用し、立ち上がる時は、私たちが取手を引っ張り上げるそんな介護の日々が続いてきました。
しかし最近とみに体力の衰退も著しくなり、四足で立つのもおぼつかなく、一度ベタッと座り込んだら自力での立ち上がりは不可能となり、日常生活を維持するには私たちの介護が必須となりました。
                                                                  
それではモモタロウ自身は、体力の衰えによりその不甲斐なさに落ち込んでいるでしょうか?
答えはNO! まったく落ち込むどころか、ますます元気でわがまま、食べることに異常な執念を燃やす日々なのです。
モモタロウは最晩年を迎える中、「生きる」ことへの情熱がますます燃え盛ってきたのです。
              
私はこの3月に70歳になり、妻も同年ですが、私たちのこれからの人生をモモタロウが先行しているわけですから、私たちの晩年の生き方の参考のためにも、モモタロウを直視しようと話し合ったのいました。
しかしモモタロウの雲ひとつない青空のようなポジティブの生き方に、ちょっとしたショックと、大きな教訓を受けました。
モモタロウはは犬ですが考え方を持っているわけではなく、独創性があるわけでもなく、動物としての本能がそのようにさせたのだと思います。
そして動物としての本能こそ、充分人間にも当てはまると思ったのです。
              
体力の衰えた老人が、自分自身の不甲斐なさを嘆くのは、体力のあった過去と比較するからです。
もし過去を忘れ、過去の存在自体をなくしてしまったら、その老人にとって 今が不幸ではないのです。
そして 今を生きていることを実感することができたなら、それはとても幸せなことかもしれません。

過去は過ぎ去ったものであり、幻想でしかないのです。
過去を忘れ、今をしっかり実感して生きる=それが晩年を生きる知恵かもしれません。

我が家にとっての「介護」は、長時間の外出はできないし、ときどき夜中に起こされるけど、モモタロウとの貴重なコミュニケーションですから、楽しく介護の日々を送っています。