ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

NHK連続ドラマ「カーネーション」から、才能について考えました

2012-02-24 11:54:14 | 犬たち

 

NHK連続ドラマ「カーネーション」を観ることが日課になっている私ですが、このドラマは世界的ファッションデザイナーとなったコシノ3姉妹を育てた母親の一生をテーマにしたフィクションドラマです。

このドラマの面白いところは、可能な限り忠実に再現していることで、主役の小篠綾子はドラマでは小原糸子となり、長女のコシノヒロコは優子、次女のジュンコは直子、末っ子のミチコは聡子と名前こそ違うのですが、故郷の岸和田や、戦前・戦後の時代背景、ファッションの変遷なども忠実に描かれており、私はドラマを見ながらドラマとして楽しむことよりも、実際のコシノ3姉妹がなぜあれほどまでに飛躍できたのか?その原点となるものを探り続けることに興味を持ちました。

 

その中で母・糸子は子育てなどにはほとんど興味や関心すらなく、その分洋服作りの仕事に全エネルギーを集中させるのですが、3人の子供たちはそんな母を絶対的に尊敬しており、三人三様の視点で母の行動を理解しようとすることが才能を開花させるヒントとなり、ひいては世界的デザイナーとして飛び立つきっかけとなったことでした。

しかし1人のデザイナーが世界から評価を受けることすら大変なのに、どうして3人すべての姉妹が世界的デザイナーとして飛び立つことができたのでしょうか?

私は母のすざましい生き方を通して、ある重要なメッセージを子供たちに発信し、そのメッセージを具現化することに大きな喜びがあることを知ったからこそ、世界に羽ばたくことが出来たと確信したのです。

 

母が送ったそのメッセージとは、服をつくる中に無限の面白さがあるということでした。

 

コシノ一家の話のついでに小生の子供時代の話をするのはちょっと気が引けますが、私の子供時代もそれを連想させる経験をしてきたような気がします。

生まれ育った故郷のわが家は両親と4人の兄弟の6人家族でしたが、父も母も地域の小学校の先生で、長女と長男も教職につき小学校の校長先生までした教育一家でした。

しかし私の番から突然変異なのか私は美術大学から広告会社、そして画家となり、末っ子の三男も美術大学から演劇の道に進み、脚本家で演劇の演出家といったクリエイティブな仕事をすることになりました。

それには私と弟は色濃く母の影響を受けているからのような気がします。

 

母は元来文章を書くことが好きで、教職のかたわらたえず文章を書いており、その当時はいろいろな懸賞論文のコンテスト全盛のときであり、母は次から次と懸賞論文に応募し、コンテスト荒らしのように受賞を重ねてきました。

そのためか母はいつもノートを持参しており、忙しい仕事のちょっとした合間や、夜なべしてそのノートに書いてはちびた消しゴムで消し・・・とその情景を鮮明に記憶しています。

私の母への記憶は北陸の暗い天気のような苦難の人生の中で、ノートに向かって文章を書いているときだけ、サンサンと降り注ぐ太陽のような明るさに満ちている印象でした。

それを通して子供心に「創ることのすばらしさ」の思いが、クリエイテーブな職業へと私と弟を導いたのかもしれません。

その後母は出版への強い願望を持ち、何冊かの自費出版をし、最晩年になってもその意欲は衰えませんでした。

 

才能とは何でしょう?

それはいろいろな要因の複合により生じるものですが、その中でも最も重要な要素、それは面白さを発見する能力であり、それにより情熱が生まれ、モチベーションが高くなり、熱中する能力が生まれるのではないでしょうか。

面白いから情熱を傾ける、情熱を傾けるから上達する、上達するから才能が開花する、才能が開花するから面白い・・・そのスパイラルが才能を育んでいくのではないでしょうか。

そしてまた、情熱があるからこそいろいろな障害に立ち向かい、困難を乗り越える力が生まれるのではないでしょうか。

 

私たちは年を重ね人生の経験者となるわけですが、これまで培ってきた人生の面白さや情熱をより多くの人に伝えることも大切な役割と思い、わが母のようにこのブログを書いています。

 


家電メーカーの空前の経営不振を契機に、日本の空洞化が加速する

2012-02-19 09:56:09 | 犬たち

 

 

世界をリードしてきた日本の総合家電メーカー各社の業績不振は深刻で、パナソニックは7800億円、シャープは2900億円、ソニーは2200億円と史上空前の赤字決算となる見通しです。

その原因は円高やタイの洪水被害、テレビ事業の不振、それに韓国企業の進出などマイナス要因が積み重なったこともありますが、それ以上にこれからの企業としての本質的な対応の遅れが露呈したことにあるのです。

その本質的問題点とは、生産から販売まで日本国内だけで対応することにこだわり、グローバル化に遅れをとったことにあるのです。

具体的には、テレビ事業の責任者は「売れれば売れるほど赤字が膨らむ」と言うように、価格競争が激化して国内対応の限界を示しているのです。

 

オバマ大統領は経済界との会食会で、隣り合わせにいたアップル社のステーブ・ジョブスCEOにある相談をしました。

その時アップル社はスマートフォンの爆発的な売上で、世界のトップ企業に躍り出ていました。

オバマ大統領「ジョブズ君、アメリカの雇用問題解決の一助として、スマートフォンを国内で生産する方法はないか配慮してくれないかな?」

ジョブズ  「その可能性はゼロです」(即座にキッパリ!と)

 

一般的なメーカーの業務の流れは、企画開発→部品生産→組み立て→販売 となっていますが、アップルは以下のような対応を徹底していました。

企画開発 頭脳は企業としての命であるため、アップル社は世界の頭脳を集結して他社の追従をゆるさないスーパーハイレベルの商品開発をおこなう。

部品生産→組み立て クオリテイが高く安価な部品を世界から調達し、人件費の低い国で生産することにより、高品質・低コスト体制を実現する。

スマートフォンは中国を生産拠点として生産されました。

販売 世界各国の現場の実情を踏まえて、最も販売力のある企業に販売を委託する。日本ではソフトバンクが行ったことはご存知のことと思います。つまり

 

これからのものづくりの勝利の方程式は、まずグローバル化が大前提であること。

その上で最高の頭脳で企画し、最低のコストでつくり、最良の笑顔で世界で販売することなのです。

 

だからジョブス氏は、商品開発だけでなく金儲けも天才的だったのです。

 

中国をはじめアジアの発展途上国は国際分業としてのまさに「世界の工場」となり、それにより急速な発展を遂げています。

それは月収2~3万円程度の人件費で、勤勉で忍耐強く、与えられた仕事を的確に果たせる豊富な労働力があるからです。

だからアメリカや日本などの先進国は、生産拠点を海外に移すしか生き延びる道がなく、事実、家電メーカーの国内工場の閉鎖もしくは縮小が加速しており、今後は家電のみならず大手メーカーの多くは生産拠点を海外に移転するのは避けて通れないものとなっているのです。

それは経済の空洞化そのものであり、深刻な雇用問題が加速するのが必然となりますが、その流れを止めることができません。

なぜなら雇用事情などを意識して経営の方針が鈍れば、敗北(倒産)の危機となり、それこそ雇用どころではなくなるからです。

オバマ大統領の要請を即座に断ったジョブズ氏のような強かな経営者こそ次代を拓いていけるのかもしれません。

 

この大きな変化は日本の大きな危機ですが、ピンチは絶好のチャンスでもあると私は思っています。

 


この日本、社会と政治をとにかくほめよう!

2012-02-13 16:28:07 | 犬たち

 

子育ては「叱るよりほめる」ことが、今や社会常識となっています。

「ダメじゃないの!」と叱ったり、「買ってあげませんよ!」と脅したりすることは、こどもからの反発を招くなど不信感を増大させたり、能力を萎縮させる恐れもあります。

それに比較してほめることは、自信をつけさせ、能力を引き出し、信頼関係を造成することはすでに証明されています。

それは子育てだけでなく、企業での社員教育にも当てはまり、たとえば100名以上の死者を出したJR福知山線の脱線事故は、罰としてのことごとく人格を否定する社員教育も事故の一因と言われています。

また、ある大手のレストランチェーンでは、社員を叱るこれまでの方針を変更し、徹底的にほめる社員教育に切り替えたところ、店内に笑顔が溢れ、売上が6割アップしたとのことです。

 

とはいえほめることは結構難しく、欠点はすぐ見つけられるのに対し、ほめるとなるとその材料が見つけにくいのです。

しかし欠点の裏に利点が隠れており、たとえば「空気が読めない」という欠点は、「明確な自己主張を持っている」となり、「仕事が遅い」は「慎重でミスが少ない」と、メリットとデメリットは表と裏の関係にあり、そこを探し出してほめる賢さが必要となってくるのです。

 

今回のテーマは「叱るよりほめる」ですが、子育てや仕事でのそれではなく、

この日本の社会や政治に対しても「叱るよりほめる」ことこそ大切ということです。

しかし現状は「ほめるより叱る」が加速しており、それは日本沈没につながる恐れがあるのです。

 

日本人は社会や政治に対しては「ほめるより叱る」ことが当たり前になっていますが、もし社会や政治に対しても「叱るよりほめる」ことができれば、子育て同様 社会も政治も力強く前進するのです。

しかし現状はたとえば政治においては、新しい首相が誕生すると、マスコミはその弱点や欠点を針小棒大に叫び、その不平不満が支持率低下を起こし、アッという間に首相交代となってしまい、「ほめるより叱る」連鎖で数年の間に6人もの首相が入れ替わってしまいました。

それは国内問題としての視点から見れば仕方ないで済ませる話かもしれませんが、今日本はかつてないグローバル化の嵐の中に立ち向かっており、そんな国際的視点に立てばそのことはとても深刻なのです。

グローバル化は経済に留まらず、社会体制も政治も厳しい嵐の中で競わなければならない状況にあり、いわばオールジャパンとしての力量が今ほど必要な時はないのですが、与野党が醜い足の引っ張り合いを行い、コロコロトップが変る国に不信感が生じるのは当然なのです。

この「ほめるより叱る」状況が続けば、もしかして世界3位の経済大国日本が、ギリシャのような破産国家に陥る恐れもあるのです。

 

その責任のひとつにマスコミの対応があります。

マスコミとその中で登場する評論家の役割は、前記したように欠点と利点とは表裏一体となっているわけですから、欠点ばかりを声高に叫ぶのではなく、専門化として欠点の裏に隠された利点を明示し、そこから生まれる次なる社会のあるべき姿も提示する責任があるのではないでしょうか。

 

叱ることは簡単でもほめることは難しい。しかし

この日本、この社会、この政治をとにかくほめる努力をしなければ、自分たちで自分たちの首を絞めることになるのです。

 


なぜヨーロッパばかりを描き続けるのか、そのヒントは文化の力なのです

2012-02-07 17:27:31 | 犬たち

 

 

24歳のとき撮影の仕事でグアムに行ったのが私の始めての海外旅行で、以降これまで30回以上の海外旅行をしてきました。

その半分以上はアメリカ合衆国で、残りの23は中国や東南アジアなどの近隣諸国、そして残った4回はイタリア・フランスなどのヨーロッパ旅行でした。

旅行地と目的の傾向としては、前半は仕事でのアメリカ、中盤はアメリカと近隣諸国への多目的旅行、そして後半は観光でのヨーロッパ諸国とはっきり区分けできるような気がします。

 

私は旅先で出会った風景を数多く、少なくとも100枚以上絵にしてきましたが、絵の対象となる地は、アメリカ合衆国は23枚、中国+韓国+東南アジア+南太平洋は0枚で、ほとんどすべて、つまり100枚以上がイタリアとフランスを中心にしたヨーロッパの風景を描いたことになります。

30回の海外旅行とすれば、4/30 (計算すると13%)しか行ってないのになぜそれほどまでにヨーロッパばかりを描いてきたのか、その理由をお話します。

絵を描くことに興味を持ち始めたのが50歳過ぎで、それ以前は絵には関心も興味もなく、そのためほとんどの旅行にはカメラを持参せず、数多くのすばらしい情景に出会ったにもかかわらず、記録する努力すらしなかったからです。

そしてもうひとつの理由は、ヨーロッパは他の地域を圧する魅力があったからです。

 

我が妻は結婚当初から舶来好きを自認しており、その傾向は年とともにイタリア趣味に集中し、イタリア関係のブランドを持ち、イタリアの食器や物品を購入し、イタリア料理が食卓を賑わし、そのうちに友人とイタリア旅行を繰り返し、とうとうイタリア語の語学研修として短期留学をするまでになりました。

だから夫婦2人での海外旅行となればイタリア旅行となり、私が最初にヨーロッパに足を踏み入れたのはイタリヤのベネチアでした。

その風景は衝撃的でした。

それは美しいだけでなく、長い歴史が育んだであろう「文化の力」に圧倒され、今から考えるとそれが絵を描きたいという行動に拍車をかけたような気がします。

 

「文化の力」を実感したお話をします。

私はかやぶき屋根の民家の風景を描きたくて、東北から九州までかやぶき屋根の民家を探す旅をしましたが、その多くの地域では本当は瓦の屋根にしたいのですが、貧しいがゆえのかやぶき屋根に映りました。

しかし、京都府の美山地区のかやぶき屋根の民家は、それとはまったく違っていました。

その民家はかやぶき屋根を持つことに誇りを感じ、かやぶき屋根と風景が調和するように手入れをしている様が見てとれました。

だから伝統を守ってきたその風景にはしっかりと「文化の力」を感じ、私は数多くの美山地区のかやぶきのある風景を描くこととなりました。

つまり住民が自分たちの地域に誇りを感じ、守ろうとする気迫が「文化の力」であり、そこに旅人たちは引き付けられるのです。

 

 

上の絵はイタリアのとある街の風景を描いたものですが、壁はうす汚れ、煙突がのぞき、街全体が中古品のようですが、私にはこの町に「文化の力」を感じました。

ここに住む人々の街への熱い愛情と強い誇り、そして長い歴史を守ろうとする責任感をしみじみと感じました。

 

私にとっての旅の醍醐味、それは絵のテーマでもある「文化の力」であり、それはとても美しく、そして絵に残したい衝動にかられるのです。

 


カメラのレンズと人間の目はこうも違う

2012-02-01 05:30:32 | 犬たち

 

 

上のやたら長いタイトル「カンタンに描ける絵を追求していたら、カッコイイ絵が描けちゃった」は、これまでのシリーズ企画「突然、絵がうまくなる。」の名称を書き換えたものです。

 

なぜそのように変更したのかをお話します。

今年から最新のトレース水彩画の描き方の企画をHP上で開始したのですが、その企画の最大の目玉は「絵を塗る面積を小さくすれば、上手に描ける」ということで、白地の多い絵を描いてきました。

それがなんと「先生、今回のシリーズはカッコいいですね~!」とか「外見と違って、おしゃれな絵も描けるんですね~」とか、いろいろな方からお褒めの声をいただき、これまでの人生で褒められたことがあまりない私は、AKB48から抜け出してきたようなお嬢さんがしゃべった「カッコイイ!」という美しい響きの言葉を、そのままタイトルにする衝動を抑え切れなかったのです。

 

今回の企画のコンセプトは進化したトレース水彩画ということで、いろいろな課題に正面から取り組んできました。

そのひとつはトレース水彩画は写真を素に描きますが、カメラのレンズと人の目に違いがあり、そしてその違いの克服に取り組んだ結論が「絵を塗る面積を小さくする」ことでした。

 

カメラのレンズと人間の目との違いを具体的に説明します。

あなたが都会の駅前、たとえば東京は渋谷のハチ公の銅像前で10年来の友人と待ち合わせをするとします。

約束の時間になっても来ないのでだんだん不安が増してきた頃、遠くからこちらに向かって走ってくる友人のあの見覚えのある顔を発見したとします。

その瞬間を写真に撮れば、ビルや看板、電柱と無数の配線、自動車や人ごみがごっちゃになった中に豆粒のような友人の顔が映っていることになり、平凡でつまらない1枚の写真で終わってしまいます。

しかしその瞬間のあなたの目の網膜に焼きついたのは、超拡大された友人の顔であり、ビルや看板、電柱と無数の配線、自動車や人ごみなどは意識外となって消えてしまっているはずです。

カメラのレンズは見えるものを機械的に映像化しますが、人間の目は大きく意識や感情に左右されて映る・・・愛してしまったら「あばたもエクボ」に映ってしまうのです。

そして絵は感動を表現するメディアですから、絵はあくまでも熱い心が通った人間の目線であることがお分かりいただけたと思います。

 

それでは先ほどの情景をトレース水彩画では、どのように描けばいいのでしょう?

まず超望遠カメラで友人の顔に焦点をあてて撮影するか、写真がすでにあるのなら、拡大トリミングをします。

その写真を素に友人の顔をしっかり描き、ビルや看板、電柱と無数の配線、自動車や人ごみなどはほとんど描かない、つまり白地にしてしまうのがこの情景を表現するベストな方法と思い、その発想をもとに「絵を塗る面積を小さくする=主役を引き立たせる」こととしたのです。

 

というわけでこの「カンタンに描ける絵を追求していたら、カッコイイ絵が描けちゃった」シリーズを苦戦しながら展開していきますが、ぜひ時々はご覧いただければ幸いです。