ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

水彩画上達のコツ 従来の水彩画とトレース水彩画の違いについて

2014-05-28 14:58:58 | 犬たち

風景画は現地で描くのが基本ではないでしょうか?

ムラカミ様からこんなメールをいただきました。

       “ 風景画は現地で描くのが基本ではないでしょうか。
         風とか、においとか、刻々変わる光とかをを五感で感じながら制作することを
         セザンヌや印象派の画家から学びました。
         私の姿勢は古いのでしょうか ”


今回はその質問をもとに、トレース水彩画について考えていこうと思います。

まず「風景画の基本」とありましたが、絵の世界こそ全くの自由な世界・何をやってもいい世界で、そもそも正しい絵の描き方という概念そのものが存在しない世界だと思います。
もし絵に基本や規範があるとすれば、ダヴッンチも、モネも、セザンヌも、ピカソも、(その当時の)規範を破り、邪道を歩んだ人物であり、だからこそ歴史に残る新しい世界を開拓できたのだと思います。

だから現地におもむき、風やにおい、光を五感に感じながら絵を描くのもひとつの方法ですし、トレース水彩画のように写真をトレースして描くのもひとつの方法で、どちらが正しいなんてないのです。

とはいうものの、どちらがより上手な絵が描けるでしょうか?
上手な絵が描きたい!と強く思うなら、トレース水彩画のほうが一歩も二歩も優れています。


優れている点.1 初心者でも完璧なデッサンがカンタンに描けるからです

絵を描く上での最大の難所は、デッサンが難しいことは衆目の一致するところですが、トレース水彩画は写真をトレースするわけですから、初心者の方でも、正確なデッサンを描くことが出来ます。
それ以外でも上手に描くためのたくさんの技法がありますが、ここでは省略します。
 

優れている点.2 圧倒的なカメラの普及で、より質の高い絵の素材が見つけられるからです

従来の絵では、絵を描くための場所の確保が限られていることから、描く風景も限定されてきました。
それに比較し、トレース水彩画は写真を素に描くわけですが、カメラの進化と普及はものすごく、フィルムからデジタルに変わり、カメラだけでなく、ケイタイやスマホなどでもカメラ機能が付いたことで、日々の生活の中に深く写真が取り入れられました。
風景画は絵のテーマこそ出来栄えを大きく左右する画法ですから、圧倒的なカメラの普及で、それだけトレース水彩画は有利な画法となりました。
 

優れている点.3 絵は感動を描くメディアですから、その感動を具現化するには、1枚の写真を前にすれば、イメージ化しやすいからです

現地におもむき、五感に感じながら絵を描くのは、臨場感=感動を絵にインプットするためのようですが、感動しながら絵を描けば、感動的な絵が描けるとは限りません。
むしろ感動的な絵を描くには、(写真を前にして)ひたすら「考える」ことがポイントで、具体的にはその風景から何を感動し、その感動を生かすためにどのようにしたいかを冷静に分析し、イメージを再構築することにあります。
私は1枚の写真と、その時の(感動した)印象をもとに、どのような絵にするか、じっくり時間をかけながらあれこれ考えイメージを創り上げていく、その設計の行程は実際の絵を描く行程以上に重要な作業だと確信しています。

たとえば上の屋根の絵も、しっかり写真を素に設計したのですが、ここをクリックしてご覧ください。
 

優れている点.4 トレース水彩画は、プロが隠し続けてきた画法だからです。

このトレース水彩画は私が開発した画法です。
と、思っていたのですが、開発後にわかったことですが、表現のプロの人たちが同様な画法を以前から取り入れて、仕事に生かしていることを知りました。
だからプロは上手だったのです。
プロとは、画家だけでなく、マンガ家・イラストレーターたちですが、私とプロたちとは考え方に大きな違いがありました。
それは私が洗いざらいその画法をオープンにしたのに対し、プロたちは頑なに描き方を隠し続けてきたことにあり、現在も隠し続けています。

逆から言えば、トレース水彩画はプロも隠しておきたいほどの革新的な画法なのです。

 


日本から美しい原風景が消えていく、それは農業の衰退に起因していました

2014-05-20 09:51:56 | 犬たち

前回のブログでお約束した通り、2泊3日で1400キロのドライブ旅行をしてきましたが、思い返せばハンドルを握る時間があまりにも長すぎて、老人には多少過酷な旅でした。
特に2日目は、対向車とのすれ違いもままならない曲がりくねった山道を、300キロもブッ飛ばしたのですが、さすがに心底疲れてしまいました。
旅から帰ると、わが息子から「もっと自分の年齢を自覚して、せめて3日を1日伸ばして4日にするなどの、心のゆとりが必要!」とやんわりお説教され、実に深く反省したのです。
でも、たぶん、いつものように、間違いなく、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうでしょうネ。

上の絵は、旅行の目的地のひとつである京都府美山のかやぶきの里の風景を、旅から帰って印象が薄れないうちにと思って、急いで絵にしたものです。
美山はタイムスリップしたようなかやぶきの家々が点在しており、まさに「心のふるさとの風景」がしっかり残っており、私はこの風景を惜しむような気持で描きました。

あと10年もすれば、このような美しい風景も日本から消えてしまうでしょう。
人は消え、集落は消滅し、家は廃屋となり、田畑は荒れ放題になる・・・。
日本の原風景が消失することは日本文化の消失そのものであり、それはひとえに農業の衰退に起因しているのです。


話がかわって、私の故郷は石川県で、お国自慢は「加賀百万石」と誰もが口をそろえるように、その石高の多さが自慢(他に自慢することがなかったかも?)でした。
石高とはお米の生産量のことですから、その当時はお米は日本の主要産業そのものだったわけで、石高が藩の豊かさであるだけでなく、権威そのものだったのです。
となれば都会から遠く離れた山間の耕作地と、都会に隣接した耕作地で同じ生産量となれば、経済的価値は同じとなるわけです。
つまり江戸時代までは日本のあり方は稲作農業を中心としており、平地・山間地、近地・遠地にかかわらず、それぞれの地域がそれぞれの出来栄えを競い合い、日本という国を形作ってきたのでした。

しかし近代に入り、都市を起点とした多様な産業が芽生え、戦後は地方出身の若者たちは田畑を捨て、都会へ都会へと移動し、私もそのひとりでした。

つまり日本は地域分散型国家から、都市集中型国家」に大きく変貌したのです。

近代になって日本農業は激しく衰退しました。 目を覆うばかりの数字があり、1960年と現在とを見比べてください。

日本のGDP(国民総生産)に占める農業生産額は、9.0%から1.0%に下がりました。
食料自給率は、79%から41%に下がりました。
農業就業人口においても、1196万人から、252万人と激減しました。
その内訳をみると、65才以上の高齢農業者の比率は、1割から6割に上昇しました。つまり若者の地域離れが一挙にすすんだことを意味しています。
その最大の理由は農業による収入の低さで、平均1ヶ月あたり15万8千円程度(せいぜいパート収入程度)で、若い人が真剣に取り組むにはあまりにも少な過ぎる額なのです。

農業の衰退により打撃を受けたのは、限界集落の増加でした。
限界集落とは、若者の都会への流出などにより、人口の50%以上が65才以上の高齢者となり、共同生活の維持が困難になっている集落をいいます。
日本の市町村には6万以上の集落があるのですが、その中で8千が限界集落の状態にあり、その中でもここ数年で3千近くが消滅・もしくは消滅の恐れがあり、その数も加速度的に増加しているのです。

実はこの美山にも10年前に訪れたことがありました。
京都からちょっと山に入れば深山となり、曲がりくねった細い山道を数時間も走らなければ美山にたどり着けないのですが、その途上にかやぶき屋根の小さくて美しい集落が数多くありました。
10年たって同じ道を辿ってみると、美しい集落のいくつかは限界集落を超えて消滅集落となっていました。
人が離れて久しく、荒れ放題となったかやぶき屋根の家は、哀れと悲しみがそこにあり、それは時代の変化だけでかたずけられない無念さを感じたのです。
農家が消えるということは、単に家がなくなるということではなく、長い間培われてきた伝統や文化、もっといえば日本人としての心のよりどころまで消えてしまうということなのです。 

私は今のうちにこの美しい美山の風景を絵に収めなければならないという義務感を感じながら上の絵を描き、これからも描き続けていくつもりです。

 


新緑の風をうけて、オープンカーでドライブしよう

2014-05-07 02:38:01 | 犬たち

上の絵は、私の愛車「レクサスSC430」で、SCとはスポーツクーペ、430とは排気量4300ccのことで、コンバーチブル(ボタンひとつで屋根付きにもオープンカーにも代われる)が特色となっています。
この車を買った理由は、オープンカーに乗ってみたかったからです。 

スポーツクーペといえばド派手な車が多い中、この車はちょっと地味といいますか大人の雰囲気のデザインであり、そのデザインも気に入っています。
ついでに言えば、運転しているサングラスの男は私自身を描いたつもりなのですが、かっこ良過ぎの誇大表示ではないかと文句が出そうですが、現実から自由に逃避できるところが絵のすばらしさでもあるのです。

私の運転免許の取得は50才と遅く、取得の次の日は会社へは仮病を使って休みをとり、当てもなく西に向かって家を出発したのですが、右折するのが怖くて直進または左折で進み、額にビッショリ汗して着いたところは伊豆半島の突端の下田でした。
さてそこからどのようにして帰ればいいのか、途方に暮れた記憶があります。

それ以来ドライブのとりことなりました。
私のドライブは目的地に行くためというより、ドライブそのものが好きで、自分の中にある孤独好きや巣ごもり好きと、子供のような好奇心がそのまま実現してくれたのがドライブで、ドライブは自分の性分に合っていると思っています。
具体的には、メカにも運転技術にも、車種などにもまったく興味がなく、名所旧蹟にも興味がなく、ひたすら素晴らしい風景との出会いのまさにその一点に見せられたのです。

そのうちに出会う情景や感動を何とか残したい、表現したいという強い動機が生まれ、それがきっかけで絵を描くこととなり、結果として画家としての道を歩むこととなったのです。
それだけでなく私の提唱する「トレース水彩画」は、写真を素に描く画法ですが、使用する写真の多くはドライブで出会った風景だったのです。
だから私にとってのドライブは、絵を描く行程の一部であり、車は絵の道具のひとつになったのです。

振り返ってみると、私と車との出会いは、人生観を変えてしまうほどの衝撃的な出会いだったのです。

ドライブの行先は必然的に絵の素材が多そうな都会よりも自然豊かな地方となり、本州の先の青森から四国まで素晴らしい風景を求めてひたすらドライブを楽しみました。
故郷は石川県の金沢ですが、10回近い帰郷はすべてドライブ、伊豆半島一周や富士山一周は数十回となるなど、我が家から半径100キロの神奈川・東京・千葉・山梨の道はずいぶん走り込みました。
それ以上に日々の散歩(散歩でも車でいくのだ)はもちろんのこと、買い物のアッシー君を引き受けるなど、ハンドルを握らない日はないというまでに、ドライブするたびに何がしかの新しい感動を発見できるような、なくてはならない生活必需アイテムとなりました。

何台目かの車の乗継の後、レクサスSCと出会いました。
そしてオープンカーにすることにより、より深い情景との出会い、より強い感動を知ることとなったのです。

たとえば新緑の中を走るとすれば、これまでの車では、エアコンの効いた室内でガラス越しにその情景を見ることとなりますが、オープンカーともなると、新緑の空気や音・匂いまでも共有し、一体感を味わうことが出来るのです。
もっと言えば情景を視覚だけではなく、五感で味わうことが大きな違いかもしれなく、その感動が、絵の中に臨場感や高揚感として反映させうることがわかったのです。

とはいえオープンカーは何時でも快適とはいかないのです。
まずエアコンは効きませんから、外の気温は13度から25度が限界領域で、冬の寒さは服を着込めば何とかなるのですが、夏の暑さには弱く、夏は冬より不向きなのです。
車が走れば風に当たるとお思いでしょうが、前方からの風はほとんどなく、むしろ後方からの微風という状態ですが、騒音・特にトンネル内の騒音は大きなストレスとなります。

そしてオープンにした最大の障害は、人から見られる・注目されるということです。
それは好意的な視線よりも、羨望や侮蔑的、生意気だとか成り上がりだとかの冷たい視線が多く、そんなことを無視することこそオープンカーの上手な乗り方かもしれません。


・・・というわけで、オープンカーの乗り方の秘訣は、
自然や世間の風を受けながら、ひたすらやせ我慢することにあるようです。

 

大型連休が終われば、そろそろ悠々自適組の出番となります。
5月の風をうけて 琵琶湖→京都・美山→丹後半島・伊根→竹野海岸 とオープンカーの2泊3日の旅を、妻と一緒に楽しんで来ようと思っています。
そのおみやげとして、旅先で出会った風景を描きますので、ぜひご期待ください。