ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

「安全は安心である」ことを信じる勇気を持とう

2011-07-26 07:38:59 | 犬たち

放射線について過剰反応していないでしょうか? 

過剰反応は時として冷静さを欠き、事実を歪め、新たな不幸・たとえば風評被害の基となる恐れがあるため、今回のブログではあえて「よく知れば、放射線なんて怖くない!」をテーマとすることにしました。

 放射線が人体に影響を与える数値は、1年間に100ミリデシベル以上からといわれており、もしその量を浴びた場合、0.5%の人に何らかの影響が出るとのことです。

この数字について後ほど詳しく検証してみたいと思います。

広島・長崎に原爆が落ち、甚大な被害があったことは皆様ご存知の通りです。

 

それは広島・長崎は福島原発の比ではない放射線に見舞われたことを意味しますが、その当時は放射線の危険性などの科学的知識はありませんから、その後月日も経たず原爆投下地の焼け野原にバラックが建ち、それと呼応するように家が集合しそれが街を形作っていき・・・あれから60年経った今、広島市・長崎市ともガンの発生率が特に高いとは言えず、広島市の人口は117万人・長崎市は44万人と見事な健康都市へと成長したのです。

友人のS君は広島市の原爆投下地から10キロほどの地で生まれ、2歳のとき原爆に遭遇したのですが、高校までその地で過ごしました。

いってみればS君は福島原発10キロ圏内の避難地域よりも放射線の高い過酷の中で、しかもまったくの無防備で青春時代を過ごしたわけで、特に幼児と児童の数年間は大量の放射線を浴びたことになりますが、60歳の後半になった今も元気過ぎるほど元気なのです。

 

前記した年間100ミリシーベルトが人体への影響基準としており、政府の発表はそれより低く20ミリシーベルト以下として発表していますが、ここで公式発表のからくりを考えてみたいと思います。

もし万が一健康な人だけでなく、老若男女、老人や子供、病人からすぐ訴えるクレーマーまでの一人でも公式発表数字以下で発病したら、重大なミスとして責任を問われるため、発表する数字は安全の上にも安全に、絶対責任が及ばない数字、言ってみればお役所仕事の出した数字なのです。
だからS君に言わせれば「冗談でしょ!」と言うほど数字が厳しいことは、皆さんもおわかりのことと思います。

 

放射線の問題の中で「安全安心」という言葉がしばしば使われています。

「安全」という意味は科学的に裏づけられた客観的な意味があります。

「安心」は気持の問題という主観的な意味となります。

しかし政府や科学者が「安全」といっても、多くの方、特に小さな子供を抱える母親は「安心」ではないと叫び、極端な例として政府や科学者は何かを隠している、ウソをついているとまで言う人もいるのです。

 

その人たちは自分は被害者だと思っているようですが、実は風評被害の加害者なのです。

 

福島第一原発は社会に2つの大きな傷跡を残しました。

ひとつは放射線漏れという直接的な傷で、もうひとつの傷は風評被害という傷です。

後者の傷は「安心」できないという心の傷で、人が人を信用できないというとても悲しい傷なのです。

 

私がこのブログで言いたいのは、放射能なんか怖くないということではありません。

放射線を頭から怖がらないで、放射能としっかり立ち向かうことこそ克服する唯一の道であり、具体的には「安全は安心である」ことを信じる勇気を持とう、と言いたかったのです。

 


思考能力には加齢とともに衰えることはなく、訓練によりどんどん向上する

2011-07-18 11:31:45 | 犬たち

 

広告代理店を定年退職して画家の道を歩んで8年、広告の仕事などすっかり忘れ、もっと言えば二度と広告の仕事などには戻らないと決めていたのですが、事の弾みで広告の仕事をせざるを得ないことになり、それがなんと「あれッ、もしかしたらボクちゃん広告の才能が上達したかも・・・」と自分再発見の心境になっているのです(一人笑い)。

 

広告の仕事と画家の仕事とは全く違い、魚屋がバレリーナになるほどの違いなのです。

何が最も違うかといえば、広告はスポンサー・広告代理店・プロダクション、媒体と組織の中での多くの人々との共同作業なのに対し、画家の仕事は最初から最後まで一人だけの個人作業であることです。

私の外見は無神経の塊のように見えますが、内面はけっこうデリケートで、多様な人との接触する組織の中で作業には相当のストレスを感じ、45歳を過ぎたあたりからストレスが原因で病気にもなったこともあります。

 終盤は人間関係のわずらわしさから、広告のからの脱出をひたすら希う日々でもありました。

だから退職後すぐに画家の道に入ったのですが、そこはまさに天国で、誰にも煩わされず自由で気ままを謳歌する日々でした。

 

そんな私ですが、ある会社のパーティに出席することとなり、そこの社長さんとの話の中で「御社の広告表現に問題があるのでは・・・」と差し出がましいことをつい言ってしまいました。

社長さんは懐が深い方で「それではぜひ提案をして欲しい」ということになり、私は無い知恵を搾り出してある企画を手紙にしたのが事のはじまりでした。

広告などやらないと決めていた私ですが、あれよあれよという間に社長さんに乗せられて、その会社の宣伝部のプロジェクトに加わることとになってしまいました。

 

質問① 広告業は10年の空白があるわけで、能力的な遅れがありましたか?

 

答えはNO! 結論から言えば、10年前より能力的に成長していることを実感しました。

自画自賛で恐縮ですが、10年前より大きな視点、広くて深い視点で物事を捉えられ、その先を読む力や完成時のイメージ力などの思考能力が格段に上達したと思っています。

 

質問② なぜ能力が向上したのでしょうか?

 

この10年間毎日のように絵に取り組んできましたが、絵を描く作業の大半が思考する作業なのです。

実際に絵筆を持って描くのはフィニッシュの段階で、その前に徹底的に考えることが必須なのです。

だから絵を描くことを通して、日々の思考訓練の積み重ねこそが能力向上につながったのではと思っています。

 

最新の脳科学では下記の事実が立証されています。

 

体力は加齢とともに低下しますが、思考能力には加齢とともに衰えることはなく、訓練によりどんどん向上するのです。

 

だから思考能力に関しては「年だから」という言い訳は出来ません。

むしろ経験が豊かである中高年は、思考能力では他の年代よりも高いレベルで社会に貢献できるわけですから、ドンドン社会進出していきましょう。

 

 


日本人の世界に誇る力、それは「高い精神性」

2011-07-13 07:33:52 | 犬たち

 

Aさんは東南アジアの大都市で、父が経営する洋品店で働いているのですが、洋品店といっても販売品のほとんどは日本製とのことで、父は後継者となる息子への厳しい教育の一環として、Aさんに大金を持たせ、日本に商品の買い付けに行かせたのです。それも一人きりで。

Aさんは海外旅行がはじめての上に大金を持つその責任の重さで大緊張し、それが災いしたのか な・なんと!虎の子の財布を紛失してしまったのです。

あまりのショックで頭が真っ白になっているとき、日本の警察から連絡があり、中身がそのままの財布が戻ってきたのです。

宿泊しているホテルの近くの路上で、日本の方が財布を拾って、そのまま中身も見ずに近くの交番に届けたということです。

 

もし自国(東南アジアの某国)で財布を紛失すれば、拾ったものは自分のモノで、ましてや大金ですから100%戻るハズがありません。

しかし日本では、拾ったものは返すのが当たり前で、(おそらく「落とした財布が戻ってくる」確率が世界最高ランクの国かもしれません)当然の行為をしたに過ぎなかったのです。

そのとき初めて、Aさんはこれまで知りえなかった日本人の凄さをまざまざと知ったのです。

 

日本人は高い技術力があるだけでなく、高い倫理観を持っており、そこが世界から信頼される力の根源であると。

 

たとえば、終戦の焼け野原で日本中が飢えに苦しみながらも、子供たちへの充分な教育を受けさせてきたことが、高い知性と、高い倫理観を育んだのです。

 

たとえば、日本は治安がいいと言われていますが、それは警察力もさることながら、不正を決して許さないという高い道徳心があります。

 

たとえば、企業や地域、集団の一員としての連帯意識が高く、仲間のために個を犠牲にしてまで貢献しようという自己犠牲の精神があります。

 

たとえば、東日本大震災での被災者への支援、ボランティアであったり義援金であったり、オールジャパンとしての助け合いの精神に、世界は目を見張りました。

 

日本人の世界に誇る力、それは「高い精神性」にあるのです。

 

とはいえ、グローバル化の影響もあるのでしょうか、若者を中心に「高い精神性」が薄れつつあるのも事実です。

過去と比較すれば「落とした財布が戻ってくる」確率はかなり低下しているかもしれません。

とすれば、誰がそれを是正するのでしょうか?

日本の貴重な財産である「高い精神性」をしっかり若者たちに伝える責任は、そのことの大切さをよく知っている私たち中高年にもあると思ってすます。


あなたは原発に対して、トラウマになっていませんか?

2011-07-05 10:18:12 | 犬たち

 

原子力発電に関して久々の朗報がありました。

トルコ共和国は原子力発電を設置するにあたり、その発注先を各国の競合を押さえて、日本に決定しました。

この決定は福島原発事故後のことです。

その理由は日本の技術の抜きん出た高さに加え、今回の事故の教訓を充分活かすであろうことを考慮しての決定とのことです。

日本のマスコミは脱原発というスタンスに立っているため、ドイツやイタリアの脱原発の報道ばかりで、このニュースがほとんど報道されていないのですが、世界は原発推進国もしっかり存在していることも知って欲しいのです。

 

これからの日本のエネルギー政策の中で、原発の位置づけ明確化されていませんが、仮に最も厳しい「脱原発の方向」と決定されたとしても、短期間での原発ゼロになるのは難しく、たぶん10年後も原発は作動し続けているものと思われます。

その理由は、原発に変わる代替エネルギーがないからです。

菅総理は20年代の早い時期に再生可能エネルギーを20%までに拡大したいと言っていますが、それは主として風力と太陽光を拡大することになるわけで、その達成はほとんど無謀で、その穴を原発でカバーせざるをえないのです。

だからどんなに原発が怖くても、どんなに原発に反対でも、少なくとも10年以上は付き合わざるを得ないのです。

 

私はこれからのエネルギー政策の方向は、再生可能エネルギーも含め、より多様なエネルギーを有機的に活用する方向にあり、その中での原発は重要な柱のひとつにすべきだと思っています。

福島第一原発は6基のうち3基がメルトダウンを起こしましたが、その原因は「想定外」の震災により、冷却システムが破壊されたことにあります。

私の知人で福島第一原発の設計にかかわった人の言によると、上から「100年に1回の事故は想定すべきではあるが、1000年に1回あるかないかの事故は考える必要はない!」と命令されたそうで、東日本大震災はその1000年に1度の災害であり、この事故の原因は「想定すべきところを想定外」にしたことにあるのです。

たとえば震源に近い女川原発や10kmしか離れていない福島第二は大事故にならなかったように、人間の知恵と謙虚さ、そして用意周到な用心深さで原発をとらえれば、原発は決して恐れるものではないことを、私たちは大きな犠牲とともに学んだのではないのでしょうか。

 

日本は原発に対して一億総トラウマになっています。

そんな感情的精神からは建設的なエネルギー政策の未来は描けません。

 

安全は多くの犠牲の積み重ねによって始めて確立していくのです。

たとえば空を飛ぶジャンボ機の重量は390トンの金属で出来た物体で、それが数百人の乗客を乗せて9000mの上空を常時飛んでいるのです。

私たちはそれが危険だなどと微塵も考えたこともなく、旅を楽しんでいるのですが、飛行機開発の歴史は事故との戦いの歴史で、その間多くの人が犠牲となり、それらを教訓としてより高い安全性が追求されてきたのです。

 

福島第一放射能漏れ事故は、原発の長い歴史の初期の段階で発生しました。

100年経ってこの事故を振り返るとき、この事故が安全への貴重な教訓となっていると、未来の人から言われるようにしなければなりません。


新シリーズ「写実の、その先。」を開始しました

2011-07-01 19:18:19 | 犬たち

 

新シリーズ「写実の、その先。」企画を開始します。

その中の「写実」とは写実画のことで、写実画とは主観を交えず対象物を正確に描くことを意味し、絵の上達のための基盤となる描き方です。

とは言うものの、それは厳しい訓練により高度なデッサン力を身につけてはじめて描けるように、初心者の方はなかなかその領域までは行かないのです。

しかしトレース水彩画は写真を素にトレースして描くため、描き方そのものがデッサンを飛び越えているため、初心者の方もそれなりの写実的な絵が描け、一定の練習を積めば、写真そっくり=つまり写実画を描くことができるのです。

写実画をしっかり描ける能力を持っている、それは絵を描く上での圧倒的な優位ポイントとなり、次へのレベルのスタート台に立てる特権が得られるのです。

たとえば世界的天才画家のピカソ。彼の十代の頃の絵は、あのノーマンロックウエルを凌ぐとも劣らない抜群の写実画を描いていたのです。

だから次へのリスタートで、大きく世界に羽ばたくことができたのです。

 

つまりトレース水彩画で描けば、はるかに簡単に写実画がマスターできるため、「その先。」の醍醐味を享受することができるのです。

 

私は40代半ば頃まで、ほとんど絵に関心がありませんでした。

その当時の職場が銀座のど真ん中にあり、そこは画廊のメッカとしても有名なところで、あるきっかけから昼休みに画廊めぐりをするのが日課となり、それを契機に「私も描いてみよう!」と日曜画家の道を歩み始めたのです。

あるきっかけから画廊めぐりを始めたといいましたが、それは散歩中に画廊のガラス越しに観た一枚の少女の絵だったのです。

たしか中国名の画家(名前は忘れました)が描いた、バレー着姿の少女が練習合間に一休みしている絵なのですが、その絵は写真のように、否、写真を越えた圧倒的リアリティと臨場感を感じる絵として描かれていました。

その絵に私が魅せられたというより、絵の中に描かれた女性に小さな恋をしてしまったようで、展覧会が終了するまで毎日のようにその絵のもとに通いました。

もしそれが絵ではなく写真だとしたら、それほどまでの衝撃を受けなかったと思います。

 

天才ピカソは「写実の、その先。」の「その先」は写実画から一転、抽象画の道に進んだわけですが、凡才の私はバレー着姿の少女の印象が強く、写実画にこだわり続けたいのです。

つまり写真のように写実的に描くものの、絵だからこそ表現できる不思議な魔力・・・「写実の、その先。」の「その先」とは、その不思議な魔力を描くことを追求したいのです。 

 

その魔力を別の言葉で言えば「情緒」や「感動」とも言え、「雰囲気」や「気分」とも言えるかもしれません。

「写実の、その先。」を通して、そんな情感の表現を追求していきたいのです。