ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

東日本大震災は、1000年ではなく100年に1度の「まさか!」だった

2011-12-26 06:01:30 | 犬たち

 

2011年を総括すると、何といっても東日本大震災に尽きるようです

マグネチュード9.0の地震とその後に来た巨大津波により、死者と被害者を合わせて19千人を越える犠牲者が出、原発の放射能漏れは社会に深刻なダメージをあたえました。

もっと被害を小さくできなかったのか、そのキーワードは「まさか!」という言葉に集約されているようです。

 

私は神奈川県逗子の自宅で震災に遭遇しましたが、震源地から600キロも離れているにもかかわらず、これまで体験したことのない揺れが襲って地域全体が停電となり、そのため自家用車に篭り、自動車用小型テレビを固唾を呑んでみる観ることとなりました。

その中で自衛隊のヘリコプターからの津波が、家や田畑を悪魔の影のように飲み込んでいく映像と、10メートル以上の津波であることを知らされたとき、私はそのすごさに「まさか!」と叫ぶしかありませんでした。

 

以降の東日本大震災は「まさか!」の連続でした。

街を走る自動車のフトントガラスから見る建物の間から突然水が溢れ出し、あっという間に津波に車が飲み込まれて九死に一生を得た人は「まさか、こんなに巨大な津波が来るとは思いもよりませんでした」と言うコメントが印象的でした。

わが家は大丈夫という高台の自宅や、避難所にいる人までも、「まさか!」の津波にやられ、多くの方が犠牲になりました。

安全の上にも安全に作られた福島第一原発は、「まさか!」の巨大津波によるメルトダウンと水素爆発により、大量の放射能の外部流出事故となり、その後の社会に甚大なダメージをもたらしました。

 

ここでいう「まさか!」とは「想定外の巨大津波」のことを意味しているのですが、それではどの大きさまでを想定していたのでしょう。

被害地の三陸地方一帯の歴史を紐解けば、過去に幾度もの巨大津波に襲われてきたのですが、その巨大地震を分析すれば、100年に1度の間隔で5メートル内の津波が襲い、1000年に1度の間隔で10メートル以上の津波が襲ったとのことです。

東日本大震災の甚大な被害の原因は、行政も東京電力も1000年に1度の津波ではなく、100年に1度の津波にしか対応していなかったからなのです。

その理由は1000年の対応は100年より圧倒的な経費がかかるからであり、それが「まさか!」の甚大な被害をもたらした主たる原因となったのです。

 

2011年の日本の総括の後に、私の今年を総括するにはちょっと気が引けますが、今年は無事安泰、ぬるま湯に浸かっているような1年でした。

考えてみれば、それは今年だけでなく、私の60(現在は68)は実に安泰な年代であり、喜怒哀楽の怒と哀がぬけて、喜と楽の日々だったかもしれません。

しかしこれまではラッキーだっただけで、これからの人生・特に私のようなノー天気の人間にこそ「まさか!」の悪魔が突然訪れるのです。

その「まさか!」は深刻な病気かもしれないし、不運な事故かもしれません。

今回のような自然災害かもしれないし、もしかして振込詐欺に騙されるかもしれません。

2012年以降もこのままずっと喜と楽だけのぬるま湯生活を続けるには、1000年級の「まさか!」対策をしっかり講じることも必要かもしれません。

 

 

 


橋下市長は新しい日本を開く風雲児になるかもしれない

2011-12-21 02:35:11 | 犬たち

 

大阪市の橋下新市長が、なぜこれほどまでに注目されているのでしょう?

天才的な突破力を持つ彼は、八方ふさがりの日本の政治に風穴を開け、次への新しい社会を構築できるのではと期待されているからです。

 

その風雲児はどん底の大阪だからこそ、誕生できたと思います。

私たちの学生時代は大阪が日本経済の中心地でしたが、いまや大阪は生活保護者日本一の都市になり下がってしまいました。

市の財政においても危機的状況にあり、たとえば公務員数を横浜市と比較すると、人口当たり2倍となっており、行政の肥大化・ムダの塊になってしまっていたのです。

その原因として、大阪市の歴代の市長がタレント出身といういわば政治の素人がおこなっていたため、それを補佐する官僚の権限が必然的に大きくなり、大阪は役人天国化してしまうという最悪のシナリオを歩んできたのです。

 

橋下市長は聖域となっていた公務員数の削減なども含む徹底した経費削減を図り、役人のなすべき役割を明確化しました。

府と市の二重行政を廃止し、「大阪都構想」をぶち上げ、返す刀で「中央集権行政から、地方分権行政へ」と霞ヶ関に殴りこみをかけました。

構想の大胆さもさることながら、そのスピードにおいてもこれまでに例がなく、秀逸なのはケンカの巧みさでした。

執念を燃やす政策には、その障害となる強固な既存体制を「敵」としてそれと戦い、打ち負かすというパフォーマンスをおこなうことにより、世間的な関心と同意を得る、その才能は抜群でした。

 

英国のウインストン・チャーチル首相の「民主主義は最悪の政治形態だが、これまで試されたどの政治形態よりましだ。」という名言がありますが、今の日本の政治は民主主義の最悪の部分だけに終始しているような気がします。

この数年の日本は与野党が拮抗したねじれ国会のため、まさに足の引っ張り合いの泥仕合の様相を呈しており、何も決まらないそんな行き詰まりの状況になってしまっているのです。

ある自民党幹部は「われわれは野党ですから、たとえばTPPも民主党が賛成ならわれわれは反対、民主党が反対ならわれわれは賛成の立場です」と言っていたのですが、自民党さんには議会を混乱させるだけで、日本国へのビジョンなどないことがわかりました。

そんな状況では民主党とか自民党とかの既存政党そのものがこれからの時代の要請に応えられない、時代遅れの集団だと確信したのです。

 

政治の世界に「革命児」とか「ヒーロー」が現れることは、ある種の危険を感じるのですが、どんぐり同士がワイワイガヤガヤ足を引っ張り合って時間ばかりが過ぎるのはもっと危険なのかもしれません。 

今の日本は、新しい時代を切り開く風雲児を求めているのです。


なぜ中国が嫌われるのか?

2011-12-14 09:22:17 | 犬たち

 

中国について「嫌い!」と言う日本人が増加しているようです。

 

昨年の尖閣諸島付近での中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突事件で、日中の関係が険悪になり、それを契機に日本人の中国嫌いが一気に急増したようです。

そんな中国嫌いは日本だけではなく、台湾や韓国、ロシア、チベット、インド、ベトナムなどの周辺諸国の中国とのいざこざがマスコミを賑わしており、中国が急速に経済的発展をとげるに従って、世界の多くの国の中国嫌いが顕在化しつつあるようです。

その根底に中国人の気質そのものに、他国から嫌われる要素があると言われており、その中国人気質について、拓殖大学客員教授・黄文雄氏が「中国が嫌われる7つの理由」というタイトルで究明しており、以下その内容を要約して紹介します。

 

①自己中心

国名の「中国」は「天下(世界のこと)の中心」という意味であり、中国は長い歴史を通じて一貫して自分たちが世界の中心・文化の中心であるという強い思い込みがあり、それが中国国民のゆるぎないプライドそのものだったのです。

だから古来より「自分たち以外は一段下の人間でしかない」という意識で、近隣国を蔑視してきたのです。

 

②ご都合主義

中国は多くの国際的な問題を起こしてきたが、それは双方が結んだ契約を自己の都合に合わせて原則(建前)と本音を使い分け、自分の都合のいいように勝手に変更する、ご都合主義がその原因のようです。

 

③独善

中国人には強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、自己の敵は死後も容赦しないようです。

そのひとつとして日本の総理の靖国神社参拝にとどまらず、歴史教科書、南京事件の評価、憲法改正論議・・とどまるところを知らずしつこく、友好関係を阻害してまでも干渉してくるのです。

 

④責任転嫁

たとえば文化大革命の責任はすべて4人組のせいにされ、毛沢東の過ちに触れることは決してないことや、その後の社会の混乱を西欧の資本主義の汚染と決め付けるなど、責任転嫁と独善意識が中華思想の真骨頂となっています。

 

⑤人間不信

中国人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していないのです。

 

⑥土匪国家

日本での外国人犯罪の半数以上が中国人によるように、中国人の根底に倫理観そのものを否定する意識があり、犯罪行為を正当化する動きさえあるのです。

 

⑦危険な「友好」

日中間でいろいろな「友好」関係が結ばれましたが、それらは中国側のその時の都合にあわせてのものであり、日本は中国の朝令暮改の変更に付いていくしかないそんな「友好」なのです。

 

黄教授の中国観は痛烈ですが、それらを要約してみると・・・

 

他国や他民族への根拠のない優越感を持っていることと、

なにごとも自己中心的であることが、どうも嫌われる原因のようです。

 

最新の日本の輸出入の第1位はアメリカを抜いて中国となり、双方は強い関係を構築してきましたが、今後の日本と中国との関係はより高く濃密な相互依存となることは確実となっています。

世界潮流の大局観としても、これまでの50年はアメリカを軸として世界がまわってきたとするならば、これからの20年はアメリカと中国の2極化の中で世界は展開し、その後は中国が基軸として世界がまわると予測するのは、多くの有識者の一致するところであります。

 

敗戦後の日本の驚異的な復興は、最強国のアメリカに寄り添ってきたからに他ならず、これからの日本は次代の最強国・中国と(たとえ中国との付き合いが大変でも)、いかに上手に付き合っていくかにかかっているといっても過言ではないようです。

 

 


絵の才能とは何か?

2011-12-06 09:59:01 | 犬たち

 

絵を描く才能とは何でしようか?

 以下は私の持論なのですが・・・

絵の才能は2つの要素からなり、ひとつは熱中する才能、もうひとつはイメージする才能であり、その2つが相まって「絵を描く才能」が開花するのです。

 

熱中する才能 とは、どの分野の才能にも共通するのですが、努力や情熱・忍耐や鍛錬と熱中は同一の意味となりますが、特に絵を描くことの本質は楽しむことが前提ですから、“好きこそものの上手なれ”のことわざの如く、絵を描くことが楽しくて面白くて夢中になれる、そんな能力をいいます。

私は美術大学を出たものの、絵を描くことはそんなに好きではなかったのですが、50歳を過ぎてから何かの弾みで絵を描くことになり、そのときになってはじめて絵の面白さを発見、たちまち熱中するようになり、それ以来今日に至っているのです。

絵に熱中するポイントは、それなりに上手に描けること。そして描けば描くほど上達することであり、それにはトレース水彩画は最適な画法だと実感しました。

 

イメージする才能 とは、描きたい絵やこれから描く絵の完成予想を、事前にイメージする能力であり、トレース水彩画では目の前に写真がありますが、写真は単に絵の素材しか過ぎず、あくまでも自分が表現したい(表現できる)世界をイメージの中で作り上げる能力のことを言います。

それを建築にたとえると、設計段階がイメージする才能に該当します。

設計図を基に施工して建築物が完成するわけですが、建築物の良し悪しを決定づけるのは、施工の能力・たとえば大工さんの「匠の技」に注目されがちですが、それよりも設計の良し悪しが魅力的な建築か否かを決定的するのです。

絵においても同様であり、イメージすることは目標を明確に設定することで、その目標に向かって描き進めることが絵の技術向上の最短コースなのです。

 


とはいうものの現実にはそんなにカンタンにイメージ通りには描けません。

しかしイメージして描いた絵と、イメージなどなく描いた絵とは、上達に天地の開きをもたらします。

イメージして描いた絵は、「どうして失敗したのだろう?」と、イメージと現実の差違が比較検討でき、それが問題解決の糸口となるからであり、イメージしない絵は比較のしようがなく、よって同じ失敗を繰り返すのです。

つまりイメージして何枚も描くうちに、ギャップが徐々に小さくなり、ほぼイメージ通りの絵が描けるようになれば、次のステップとしてイメージの世界の高度化を目指すことになります。  

 

おわかりのように、絵の才能とは、①熱中する才能=努力する才能 ②イメージする才能=目標を持つ才能 と、どの分野でも共通するごく当たり前の積み重ねこそが、魅力的な絵を描く才能なのです。