ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

「好き」であることこそ、絵画上達の勝利の方程式なのです

2010-07-29 17:15:57 | 犬たち

私にとって絵を描くことは仕事ですが、それよりも何よりも「大好き」だから描いているのです。
もっと言えば、描いている途中で飽きてしまったり、イヤになってしまったら、すぐに絵を描くことを止めることにしています。

「好き=楽しい」から描くことは、単に楽しい時間を過ごせるだけでなく、上達のための非常に重要な要因なのです。
絵が「好き」になるには「それなりに上手に描ける。だから好きになる。そして描けば描くほど上達する。だから大好きになる」と言うことで、好きになる→上達する→より好きになる→より上達する・・・と、その2つのスパイラルの深化こそが絵画上達の勝利の方程式なのです。

従来の絵の描き方では、絵画初心者のほとんどの方はうまく描けません。
その原因はデッサンにあり、最初からデッサンの壁を越えることができないからです。それではその壁を越えるまで行かないまでも、ある程度のレベルまでデッサン力を身に付けるだけでも、相当の努力と的確な指導が必要となります。
そのため従来の絵の描き方では、絵画初心者のほとんどの人は、「好き」という気分には程遠く、多くの方は挫折し、放棄してしまうのです。

しかし「トレース水彩画」では最初から「自分でもびっくり!」の上手な絵が描けます。
その理由は、トレース水彩画は写真をトレースして描きますから、初心者の方でも最初の一枚からほぼ完璧なデッサンが描け、デッサンの壁を乗り越えることが出来るからです。
それは最初の一枚から「好き」である楽しさを味わえ、エスカレーターに乗るように絵画上達の方程式に参入することができるのです。

 「才能」とは何でしょうか?
「才能」とは知性・感性などいろいろな複合的要素から構成されているようですが、その中でのモチベーションの領域、つまりその分野に関しての「大好き」という能力が、きわめて重要な役割を果たしているような気がします。
どんな人でもいろいろな「大好き」を持っているのですが、その中にまだまだ「才能の芽」が眠っているような気がします。
あなたも例外ではありません。

 

 


愛犬モモタロウへのバカ親奮闘記

2010-07-25 10:50:46 | 犬たち
わが息子は20年前に独立してしまい、それ以来犬が家族の一員となり、現在のわが家の家族構成は、私と妻それに愛犬モモタロウ(上の絵)の仲良し?3人家族としてひとつ屋根の下で生活しています。
そのモモタロウもすでに12歳。大型犬としては平均寿命となる年で、あちこち体にガタがきており、ちょっと目が悪くなってお医者さんに診てもらったところ、目薬を1日4回6時間おきに点眼するということで、午前9時、午後3時、9時の3回は妻が担当し、真夜中の午前3時は私の担当となり、今日も午前3時にしっかり起き、熟睡しているモモタロウの目をこじ開け、なんとか点眼する・・・そんな日々を送っています。

退職以降・年1回の夫婦での海外旅行を行い、それを私のHPで発表(プロヴァンスやトスカーナなどの紀行スケッチシリーズがそうです)してきましたが、数年前から旅行を止めることになりました。その最大の理由はモモタロウをひとりにできないことにあります。
海外旅行といっても日数は10日ぐらいなのですが、その期間モモタロウをケアの行き届いた施設に預けるのですが、挫折知らずのモモタロウには、ひとりっきりになるのは相当なストレスだったのでしょう、留守中にも食事はほとんどとらず、帰国後は体調を崩して病院通いとなるのが毎回なのです。
それを私と妻は深刻に受け取り、私たちが楽しい思いをするのはいいけれど、そのために家族の一員が辛い思いをすることは許さることではないという結論になり、それ以降の海外旅行は中止することとしました。
だから海外の絵は描けなくなったのですが、私の絵は心を素直に描くことを旨としていますから、それが正しい判断だと思っています。

そんな甘~い環境の中で育ったモモタロウは、わがままな性格になるのは当たり前で、その傍若無人を多少なりとも直そうかとドックスクールにも通わせたこともありますが、先生は私に「モモタロウ君のしつけがとても悪いのですが、その原因は飼い主であるあなたの過剰な甘やかしにあるのですよ!」と指摘されました。
そのとき私の押さえていた反逆精神が噴出しました。
まず第一に甘やかしのどこが悪いのだ!あの傍若無人こそモモタロウのかけがえのない魅力であり、個性ではないのか!
もっと言えば、「しつけ」とは人間の都合のいいように犬を隷属化することであり、私の考えでは、人間も犬も昆虫までものすべての生きとし生きるもは平等ではないか!・・・と心の中で叫びました。
そんな自分勝手な屁理屈な理由でスクールを中退し、それ以降モモタロウのバカ殿生活に拍車がかかったのです。

      新格言*天は人の上に犬を作らず、人の下に犬を作らず

第2の人生には“4つの楽しみ”が必要です

2010-07-19 16:10:06 | 犬たち
現役を退いた第2の人生のキーワードは“楽しむ”ことだと思います。
第1の人生は、子供や家族のため、会社のため、社会のための責任という重い荷物を背負って歩む人生でしたが、第2の人生はそんな苦難から開放されて、人生を謳歌するそんな楽しさのステージこそ似合うのでは、と思っています。

とはいえ、“楽しむ”といっても、いろいろな種類の異なる“楽しみ”を持ち、状況に合わせて使い分けることにより、より豊かで充実した人生を謳歌できるのではないでしょうか。
それは趣味の領域にとどまらず、生きがいの複眼的生き方というところでしょうか。
その区分として、縦糸を独りvs複数人、そして横糸を屋内vs屋外として、それらを組み合わせると“4つの楽しみ”領域の区分となります。

    A 独りで屋内での楽しみ  読書 音楽鑑賞 手芸など
    B 独りで屋外での楽しみ  散歩 野鳥観察など
    C 複数人で室内の楽しみ  友人との談笑 マージャンなど
    D 複数人で屋外の楽しみ  ゴルフ 球技スポーツなど

第2の人生といってもその時期は長く、春夏秋冬、晴天雨天、初老期・中老期・後老期といろいろな状況が想定されるのですが、その中でひたすら“楽しむ”ことを追求するには、A・B・C・D・4つの楽しみをすべて持ち、上手に使いこなすことこそ“人生の達人”といえるのではないでしょうか。
ぜひあなたも自分の“楽しみ”を区分けに当ててみてください。

たとえば私の趣味や楽しみを、その区分けに当ててみれば、
A 独りで屋内での楽しみは、何といっても絵を描くことで、毎日絵筆を握らない日はないほど充実しています。
B 独りで屋外での楽しみは、絵の素材探しも兼ねた散歩や小旅行はマメにおこなっています。独り目的のないドライブも、このジャンルに入るかもしれません。
C 複数人で室内の楽しみは、カルチャーセンターでの2つの絵画教室の講師をしていますが、それが該当します。
D 複数人で屋外の楽しみは、う~ん、全くないのです。
過去にはゴルフやヨットが該当しますが、今はこのジャンルでの楽しみがないのです。
私は日頃からブログ等でえらそうなことを言っていますが、実のところ絵描きバカで、絵を描くこと以外はほとんど引きこもり状態の初老のおじ(い)さんなのです。

そのため D 複数人で屋外の楽しみを充実させようとは思っているのですが、ハイキングなどは疲れるし、ゴルフなどは負けるのが悔しいし、ダンスなどは間違いが起こる危険があるし・・・といって今年も何もしなかったし、これからもしないであろう私なのです。

絵が飛躍的に上達する話・Ⅱ 失敗を分析する

2010-07-14 15:44:54 | 犬たち
私の6月4日「絵が飛躍的に上達する とっておきの話」について、何人かから共通の質問があり、その質問に答える形で「絵が飛躍的に上達する話・Ⅱ 失敗を分析する」としてお話しします。

前回のポイントは、絵を描く前に「これから描く絵を頭の中にしっかり描くこと」で、それは絵の完成という「目標を設定」することと書きました。
今回は「目標」と、描き終えた絵との「差異」について考えてみたいと思います。
まず「目標を設定」することにより、現実に描かれた絵との「差異=失敗」のギャップをしっかり認識できることとなります。
そしてそれを分析できるからこそ次の絵に活かしていくことができ、それが飛躍的上達への足がかりであるということをお話したいのです。

初心者にとっての「目標の設定」とは、頭の中で完成した絵をイメージするのは大変なので、トレース水彩画は写真を素に描きますから、その写真を絵の目標にする、つまり「写真そっくりに描く」ことにトライすることにしたほうが現実的でしょう。
とはいえ、「写真そっくりに描く」ことは大変で、現実的には相当目標とほど遠い絵になることが想定できます。
でもガッカリしないでください。失敗は「目標」との「差異」ですから、その「差異」こそ次への飛躍のための財産だからです。
どうして?何が原因で?失敗(=目標との差異)したのかを冷静にそして具体的に分析し、次の絵にその分析で得たノウハウを生かしていくことこそが重要なのです。
このような絵の描き方で、描く枚数が増えるにしたがって、ただ漫然と描く絵とは成長には天地の開きが出てきます。
具体的には大きく2つの変化が生じます。

ひとつは確実に「目標との差異」が小さくなります。ということは描く毎にしっかり上達していくことになります。
絵の描き方の問題点や欠点を把握でき、その対応策を検討した上で描くのですから、確実に進歩するのです。

もうひとつの変化は、「目標の設定」自体を変える必要があることに気づくのです。
つまり「写真そっくりに描く」ことは、必ずしも魅力的な絵になりにくいことや、もっとカンタンに描けるための「目標の設定の変更」を発見するのです。
たとえば上のワンちゃんの絵は、写真に忠実に描いたように見えますが、実はそのように見せるためにずいぶんデフォルメしているのです。
初心者の方も枚数を重ねて中級ともなれば、素となる写真の都合のいい部分を利用し、都合の悪い部分を省略し、よりカンタンに描ける「目標の設定」を発見しいくのです。

その「目標の設定」について、「絵が飛躍的に上達する話・Ⅲ」として、別の機会に詳しく説明することにします。

     格言:絵の上手な人は、絵を簡単に描く術を知っているのです。

どんな年になっても、絵を描く適齢期はこれからです。

2010-07-07 14:57:03 | 犬たち
ちょっと前までの医学の常識では、人間の脳も肉体と同様に加齢とともに衰えていくと言われていました。
年とともに脳細胞が1個また1個と消滅していき、60代ともなると20代の半分に、90代ではほとんどなくなると言う話に妙にリアリティを感じていました。
しかし最近の脳科学の進歩で、その説は全くのデタラメで、脳は年齢に関係なく経験や訓練により、留まるところを知らず発達していくことが証明されました。
つまり20代をピークに肉体は下降線をたどるものの、脳の能力は努力次第でドンドン発達していくということになるわけです。
第二の人生での生きがいとして趣味探しをするのなら、この先ますます衰えていく肉体を基点に考えるよりも、無限の可能性を秘めた脳をフル活用することから発想するほうが充実した人生をおくれるのではないでしょうか。
脳の活用を具体的に言えば囲碁将棋、小説や俳句に短歌など考えられますが、なんといっても絵を描くことなどがその典型といえるのではないでしょうか。
私は絵を描き始めたのが50歳で、プロの画家となったのは60歳。そして現在は67歳ですが、確かに絵を描くうえでの年齢的なハンデを感じたことがありませんでした。

しかしひとつだけ脳の進化に疑問を感じてることがありました。
それは「感動」です。
絵は「感動」を表現するメディアですが、その感動する能力が、年とともに衰えているのではないか、とずっと疑問に思っていました。
そして結論から言えば、感動する能力は年とともに衰えるものではなく、年とともに感動の内容が変化していることに気づきました。

子供の絵には素晴らしい絵が多いのは、なぜでしょう?
絵は感動を表現するメデイアですから、子供の絵は表現テクニックは稚拙でも、喜怒哀楽などの感動するパワーが強く、それが絵に素直に表現されているからだと思います。
しかし青春時代のあの「恋する心」などは、年とともに愚鈍になり、この年ともなると、遥か遠い昔のことのようになってしまいます。
そのように若いときの喜怒哀楽などの感動は表層的で直裁的なのですが、年を重ねることにより形而上的で内面化し、激しくゆり動く感動から、ゆったりとそして深い感動へと変化していくように思います。
たとえば今の私は絵を通して若いときに存在しなかった新しい「感動」を、捜し求め、そして掘り起こしているような気がします。
わかりやすくいえば「見えないものが見えてくる」ということになります。

    それは日本人としての原点を発見したような感動です。
    それは自然と一体になれることができたような感動です。
    それは私流の宗教観を捜し出したような感動です。

私の絵の道はほんの入り口に来たに過ぎず、これからが絵を描くもっとも面白い世界に入りつつあるような気がしています。