ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

出版「水彩画革命」が発売されました

2010-01-27 10:09:18 | 犬たち

私の8冊目の出版「水彩画革命」が発売されました。これまでもっとも力を入れた気迫充分の本になったと思っています。たかが絵を描くのに「革命」とは大げさと思うかも知れませんが、その理由といいますか心意気をお話します。
私は長く絵画教室の講師をしていますが、その体験から絵をたしなんでいる方には、3つの悩みがあるようです。  

     悩み1  デッサンが上手に描けない
     悩み2  いつも彩色で失敗する
     悩み3  そもそも何を描いていいかわからない

もしこの3つの悩みがほとんど練習などせずにクリアできたとしたら、革命的に上手な絵が描けることになり、革命的に絵を描くのが楽しくなります。
出版「水彩画革命」では、まさにこの3つの悩みを革命的に解決した画法なのです。

 悩み1  デッサンが上手に描けない
解決策=初心者の方がデッサンが上手に描けないのは当然なのです。プロが気の遠くなるような修練の積み重ねで、ようやく身に付けられるものだからです。
出版「水彩画革命」では、初心者の方も正確なデッサンを描くことが出来ます。

悩み2  いつも彩色で失敗する
解決策=失敗のほとんどは絵全体のハーモニーを無視して彩色してしまうことにあります。
そのため最初の一色がポイントとなります。その1色により全体がイメージでき、それ以降全体を見渡しながら色を塗り重ねていけばいいのです。

悩み3  そもそも何を描いていいかわからない
解決策=実は初心者の方で、この悩みがとても多いのです。
従来の水彩画では、初心者の方は花とか静物とかのやさしい絵から始めることになっていますが、出版「水彩画革命」の描き方では、人物でも、花でも、風景でも、難しさに大差はありません。
だから、描きたい絵から描くことがポイントです。
具体的には、感動するもの、美しいものがあれば、すかさず写真に収め、撮った写真の中から1枚選べば、それがあなたの描きたい絵となるのです。

とりあえず、本屋さんで立ち読みすることをお薦めします。

◎タイトル  水彩画革命 トレース水彩画で描く湘南・鎌倉の12ヶ月
◎著作    森田健二郎
◎発売元   東京地図出版
◎価格    1470円
◎販売    全国の書店  インターネットでの購入


絵を描くことは「孤独の素晴らしさを楽しむ」こと

2010-01-22 16:34:53 | 犬たち
絵を描くことは「孤独を楽しむ」ことだと、しみじみ感じています。
定年退職を境にサラリーマンから画家に職業変えしたのですが、その転職当初は何から何まで戸惑いの連続でしたが、一番の戸惑いは「集団作業」と「一人作業」の違いでした。
企業は組織で成り立つわけで、いろいろな人々のチームワークの中で、40年近くどっぷり漬かってきた私には、頑固な集団型人間そのものになっていました。
それとは逆に、絵を描くことは最初から最後まで全くの一人、孤立無援が前提となる作業なのです。
画家の成り立て当初は単独作業に戸惑い、孤独感に苛まされましたが、そのうちに「絵を描くこと」の醍醐味は「孤独を楽しむ」ことであると断言できるまでになりました。

私は毎日のように絵を描いていますが、誰に命令されたわけではなく、ましてやノルマがあるわけでもなく、自分が描くことが素直に好きだから描いているのです。
何を描くか?という絵のテーマを決めるのも、自分の心のうちから湧き上がってくるものを描くことにしています。
絵の良し悪しの基準、いわゆる努力目標は、自分の思ったような自分らしい絵が描けたか否かにあります。他人の評価や社会的基準などはほとんど無視することにしています。
つまり絵を描くことで最も大切なのは、描く自分の「心」にあるのです。
描くための動機も、何を描くかを決めるのも、目標基準も、すべて描き手の「心」にあるのです。
つまり孤独な私の中には2人の私がいます。それは「絵を描く私」と「心を持つ私」です。
その2人の私がコミュニケーションし、確かめ合うことが「自分を見つめなおす」ことであり「絵を描くこと」であり「孤独を楽しむこと」でもあるのです。

どんなに深く愛する人がいる人も、どんなにたくさんの友人を持つ人も、どんなに忙しい人も、人は孤独から逃げることは出来ません。
孤独を忘れたり、孤独を紛らわすことは出来ても、孤独というのは事実には変りません。
ここではっきりいえることがあります。
生きることに孤独が付きまとうとすれば、孤独を疫病神のように嫌い、逃げ惑うことは、懸命な判断ではないかもしれません。事実を否定するのは悲しいことだからです。
いっそのこと、孤独であることを認め、孤独を楽しむのは如何でしょうか?

私は絵を描くことによって「孤独を楽しむ」ことの素晴らしさを感じ始めています。


小沢一郎さんはニコニコおじさん

2010-01-16 17:14:47 | 犬たち
私は小沢一郎さんと何度かお会いしたことがあります。
小沢さんが新進党の党首時代のときで、私は小さな広告代理店の経営をしており、そのクライアントが新進党だったからです。
お会いするといっても、その多くは選挙用のポスターやTVCMの撮影のときで、現場でない私は、撮影の合間の時間を退屈させないように、小沢さんとの世間話をしろ!というもっとも辛い仕事を何回もさせられました。
もしあなたが小沢さんと3時間ほど世間話をしろ!と言われたら、どうします?
まさか政治の話などはできませんから、私は(冷や汗をかきながら)どうでもいい世間話をすることになるわけですが、小沢さんはたえずニコニコして、時には声を出して笑っていました。
また打ち合わせの席上に、何の前触れもなく顔を出し、みんなをびっくりさせようとした、茶目っ気たっぷりの出会いもありました。
その当時から小沢さんは、豪腕だとか、闇の帝王だとか、ぶち壊し屋とか言われていましたが、私の体験した小沢一郎さんは、偉ぶらなくて真面目で素直、いつもニコニコ笑っている陽気なおじさんでした。
失礼を省みず言えば、ガキ大将がそのまま大人になった「かわいさ」にも溢れた人で、私には世間の言う小沢さんとは遠く離れたイメージに映りました。

しかし「ちょっと違うぞ!」と思った2つの記憶があります。

ひとつは、広告会社のサービスとして簡単な市場調査をするのですが、通常のクライアントはそのデータをさっと見てお終いとなりますが、小沢さんは長い時間食い入るように見て、数字の裏側にある生活者の心の内を読み取ろうとする、その真剣さに圧倒された記憶があります。

もうひとつは、当時の小沢さんの側近の先生(現在は誰もが知る自民党の幹部)と食事をした際、小沢さんを敵に回すほど怖いことはない!としみじみ語っていました。
話を要約すると、彼はケンカで頭角を現したのですが、負けるケンカは決してしない。けんかをするときは勝つときだけだ!としきりに言っていました。
私はその先生はうかつにケンカし、よほどひどい負け方をしたのだと察しました。

小沢一郎さんは圧倒的な手腕を持つ政治家であることは誰もが認めているわけですが、私にはそのマスコミ情報と「ニコニコおじさん」の記憶とが、どうしても重ならないのです。

所得税と法人税を地方税にすべき、という提案

2010-01-11 06:14:39 | 犬たち
先進国の中で、日本ほど中央集権制の強い国はないと思います。
それは江戸時代に徳川幕府が長期政権を維持するために、幕府の権限を巨大化して、地方の藩の力を弱体化させた、その力関係がそのまま現代まで踏襲されてきたからだと思います。

民主国家とは民が主となる国家ですから、「政治」とは私たち生活者の幸せを守ることに尽きるわけです。
それには大きな視点、たとえば国家レベルでの世界や長期的での対策が必要ですが、それ以上により小さな視点、たとえば地域レベルでのきめ細かな対策こそ必要なのです。
国民の幸せを守るには、国家と地域のバランスにありますが、日本では国家のほうが地域より重すぎていることにあります。

別の視点からいえば、「政治」とは適正で公平な予算配分をおこない、その予算を実行することにあります。
予算は税金で対応しますが、その税金には国に収める国税と、県や市町村に収める地方税に別れていますが、税金の大半を占める所得税と法人税、それに消費税は国税となり、その他こまごまとしたのが地方税となります。
そのため国税の一部は、地方交付税やその他という形で地方に分配することになるわけですが、ここに中央集権国家としての問題があるわけです。
つまりお金の流れから中央が上、地方が下という図式が出来上がり、中央官僚や政治家にコネの強い地方は優遇され、たてつく地方は冷遇されることになるのです。
現に全国47都道府県の知事のうち29人が、国土交通省や総務省などの中央官僚出身者なのはなによりの証拠です。

もう一度言いますが、中央官僚や政治家との強いコネで、より多く予算や公共事業をもらうとすれば、それだけ中央官僚や政治家の顔色を伺い、彼らの言いなりにならざるをえないことになります。
そこから地方の自立や独自性が生まれるはずがありません。

私の提案ですが、所得税と法人税を国税から地方税に移管し、国家交付税として税収の一部を地方から国へ配布させることは如何でしょうか。
税金は私たち国民が払うわけですから、それくらいの要望を言ってもいいのではないでしょうか。

あなたは「自然と対峙する」派ですか?「社会と対峙する」派ですか?

2010-01-03 16:28:05 | 犬たち
わが家から東京まで電車で1時間・バス15分の距離なのですが、最近とみに東京に出ることが面倒になり、たまに東京に行っても、用事が終わると逃げるように帰宅するようになりました。
「面倒」と書きましたが、「居心地の悪さ」や「場違いな気持」と書いたほうが正しいかもしれません。
山や海などの自然が身近にないと落ち着かなくなったのは、私の本性が田舎者といいますか「自然と対峙する」ことに居心地のよさを見出す性分なのだと、しみじみ思っています。

心地よい居場所は「自然と対峙する」場所か「社会と対峙する」場所かに人により分かれるようです。

ビジネスマン時代の私の仕事場は、東京のど真ん中の銀座とその周辺で、その華やかな場所で40年近く働きました。
仕事も広告業でしたから、言ってみれば今をときめく情報産業というわけで、めまぐるしくいろいろな人と会い、まさに都会人そのものの40年で、明らかにこの年代は「社会と対峙する」ことで過ごしました。

私の半生をたどれば、生まれ育ったのは石川県の白山を見上げる片田舎で、町(旧松任町)までは4キロという見渡す限りの田んぼの中でした。いやおうなく「自然と対峙する」生活を送ったことになります。
田舎に住む若者の共通の強い願いは、こんな田舎に早くおさらばして、都会での生活をしたいということで、その筋書き通り東京での都会生活となった私ですが、リタイアして画家の道を歩んだときから、自然志向に変貌したようです。
絵を描くことは自己を正直に見つめる作業でもあります。
絵に没頭するうち「社会と対峙する」都会人という化けの皮はいとも簡単にはがれ、自己の本性である「自然と対峙する」本性が出てきたのでしょうね。

話が代わって、お付き合いしているIさん夫婦は70歳にもなりますが、最近郊外の一戸建てから都心の高層マンションに引っ越ししたとのことです。
2人は都心暮らしが気にいっており、年をとるほど静かな場所よりも賑やかなところでいろいろな人や事柄と出会うことのほうが断然楽しいのだ!と言っていました。

つまりIさん夫婦は「社会と対峙する」ことに居心地のよさを感じるのに対し、私は「自然と対峙する」ことで自分らしさを発揮することになるようです。

人はみなそれぞれの居心地のよい場所があるようです。