ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

人とネットとの、正しい付き合い方

2013-11-28 00:20:20 | 犬たち

最近のスマホはすごいですね。
スマホは携帯電話から進化してきたのですが、ご先祖のことなどすっかり忘れて最先鋭の情報端末そのものとなっており、そこにアプリのひとつとして電話機能も付いているという位置づけになってしまったようです。
インターネットや写真機能、各種ゲームは当たり前、音声応答機能と進化してきたのですが、これからも止まるところをしらず進化し続けていきます。

たとえば最新スマホのアプリを見てみると・・・

   曲を聴かせると、その歌の題名を教えてくれます。鼻歌でもOKです。
   写真の中のハングル文字を日本語訳してくれるため、韓国旅行も困りません。
   買い物のレシートを見せると家計簿を作ってくれるので、手抜き主婦にうってつけ。
   しゃべりたくないとき、代わりにおしゃべりしてくれます。
   スマホが金属探知機に早変わりして、宝探しの強力なアイテムとなってくれます。
   虫や花にスマホをかざすと、その名前を教えてくれます。
   スマホを床に置き腕立て伏せをすると、1.2.3とカウントしてくれます。・・・などなど

そしてスマホの進化の先が「ウエアブル端末」という機能で、腕時計型やめがね型など、身に着けるコンピュータという方向に進むのだそうです。
そうなると単に両手が使えて便利になるという枠を超えて、「この次は〇〇に取り掛かりなさい!」とか、「◇◇をするのを忘れています!」とか、コンピュータが人間に指示するようになるのだそうです。
そしてその先の人間とコンピュータとの関係は、利口なものがリーダーになるとしたら、コンピュータのほうに人より分があり、考えたくもない時代がやってくる恐れがあります。


そのようにネット社会が進展し、今や9600万人がネットを利用する時代になりました。
しかしこの圧倒的な利便性を持つネットですが、使い方を誤ると深刻な問題を引き起こします。

その顕著な例は、スマホを中心とした「ネット依存症」が、中学生や高校生などの若者に急増していることです。

その典型的なパターンとして、高校生のA君はクラスのリーダー格の明るいスポーツマンでしたが、ある時からネットゲームにのめり込みました。
それからは学校の遅刻や欠席が多くなって成績は急落し、とうとう登校拒否となり、自室に閉じこもり後昼夜逆転で食事はおろか風呂にも入らず、家庭内暴力をふるう引きこもりになってしまったそうです。
そしてついにネット通販からの買い過ぎでの金銭的問題が深刻化し、それを契機にA君はネット依存を断ち切る決心をし、まさに地獄から這い上がる思いでようやく現状回復ができたとのことです。

A君の場合は極端としても、ネット大好きの人には誰にでも依存症の危機が潜んでいるのです。
そしてネット機能の進化は人間生活にドンドン入り込むことでもあり、それはよりネット依存症の危険が迫ってくるとでもあるのです。
そのようにネットが抜き差しならぬ麻薬中毒とならないためには・・・

ネットの進化がどれだけ進もうと、ネットは人間が使う道具にしか過ぎません。
各人の生き方に適合した「正しく健康的な付き合い方」を確立し、それを守ることこそ大切なのです。

                      ◇

私のネット利用といえば、パソコンとケイタイとになりますが、2つの活用方法はまったく別のものとして使い分けています。

パソコンからはこのブログやメール、ホームページ・動画の作成、そして絵を描くための写真のストックと編集にも活用しており、これは画家としての作業の一部となっています。
それだけでなく情報収集や美しい映像に見とれたり、動画を楽しんだりして、私の知的生活・感性生活を形作る重要なアイテムとなっており、在宅の多くの時間パソコンと向き合っていることになります。

それに比較してケイタイは、外出時にはケイタイを携帯することを忘れることが多いなど、最小限の使用に止まるなどの小さな存在となっています。

つまり在宅時はパソコンと向き合うのですが、外出時はネットから離れて心を開放する時間とし、2つを使い分けることにより、精神的なバランスを取っているような気がします。
それが悠悠自適をより快適に過ごすための「私流・ネットとの健康的な付き合い方」かもしれません。


未来志向の老人になりたい

2013-11-18 19:32:28 | 犬たち

私は70才になりましたが、今もって高齢者とか老人と呼ばれることに抵抗感があります。

大辞泉で老人について調べてみると、老人福祉法での施設対象者は65才以上となっており、そうなれば70才は立派な老人ということになります。

また、老人は生産関係のネットワークから退き、生産手段を後世代に譲り渡した世代というものも見つけましたが、画家という職業は生産手段とは遠いかもしれません。

そしてあるアンケートによると、老人と自己認識するのは、肉体的に衰えの実感をする時という意見が断トツでしたが、私の体力はまだまだ健在です。

いずれにしろ思春期の少女が大人と子供の狭間で神経質になるように、私も大人と老人との狭間でかなりナイーブになっているのですが、そんな心情とは真反対の、無神経で老人の心を逆撫でするような言葉を見つけました。
それは「後期高齢者」という言葉です。

この言葉は75歳以上の高齢者を対象とした医療制度「後期高齢者医療制度」に登場する言葉ですが、問題とするのはその制度の中身もさることながら、「後期高齢者」という言葉なのです。
何がひどいかと言えば、国民の命と健康を守る立場にある厚生省が、ゴミの分別のように、人間を年齢で区分けしようとする冷たさが言葉の中にあるからです。
そしてもっと重要なことは、後期高齢者という意味は、その次に来るものは「死」という道しかない、夢も希望もない残酷さがその言葉に含まれており、差別用語まではいかないものの、それに近い言葉だと私は思っています。
だからこの言葉は、多くの老人たちの心を傷つけてしまったのです。

人は何歳になっても、夢と希望があるからこそ、生き生きとした人生が送れるのです。
たとえ余命いくばくもない老人であろうとも、明日に夢を託せるからこそ、豊かな人生が待っているのです。

仕事の先輩が癌となり、長い病院生活から本人の強い希望で自宅療養とということになり、頃合いだと思いご自宅に見舞いに行ったのは青葉の茂る頃でした。
そして彼を見た瞬間、骨と皮だけのあまりの変貌ぶりに、死期が間近に迫っていることを否応なく思い知らされました。
その彼はこのようなことを言いました。

「60年近くなんとなく桜を見てきたのだが、桜の花がこんなに美しいなんて、病気になったからこそ初めて発見したんだよ・・・」
             「その桜も花が散り、緑の葉が茂り、・・・次の花が咲くのを、まるで自分の分身のように見守っていきたいのだよナ~・・・」

彼はそれからほどなくして他界しましたが、桜に夢を託したからこそ、素晴らしい終末を迎えることが出来たと思いました。

夢はあるのではなく、作っていくものであり、それを生きがいづくりというのです。
悠悠自適の世界は聞こえがいいのですが、実際には時間だけがたっぷりあるだけで、過去もドンドン遠ざかり、何もない、誰もいない殺伐とした世界なのです。
そんな世界を充実した世界にするには、自ら考え、自らが行動を起こし、自らが作り上げていく以外はないのです。

私の仕事は、絵を描くことを通して、もし誰か共感するのであれば、生きがいづくりの一助になれればこの上ない喜びだと思っています。

                  

これまで「後期高齢者」という言葉を徹底的に否定してきましたが、その代替を提示する責任を感じ、以下の名称を提案することにします。
それは後期ではなく、「中期高齢者」という言葉を提案します。

つまり75才でも85才でも100才でも中期高齢者であり、後期は永遠に来ないため、気分だけでもゆったりした余生を残しながら、老人こそ夢と希望に満ちた未来を指向しているのです。
そのように人生後半は、“気分”がとても大切なのです。


水彩画上達のコツ 正確な色を作るために

2013-11-11 08:31:06 | 犬たち

どうしたら描きたい色を、正確につくることが出来るのでしょうか?

プリンターのインク交換をしたことがあると思いますが、インクは 黄・赤・青の3色(3原色という)と、黒の合計4色からなっており、その4色で完璧に色を再現しているのです。
つまりプリントは、この4色の混合により印刷されており、その中でも黒いインクは文字等のプリントの他、写真等では補完的役割で、ほとんどの彩色の再現は 黄・赤・青の3原色の混合によって成しえているのです。
だから、茶色もウグイス色も黄土色も灰色も、すべて黄・赤・青3色が混色しており、色の違いはその配分の違いだけなのです。

上達のコツ.1
無数の色はたった3原色の混色の配分によりできており、とても単純なのです。
だから色作りに苦手意識を持たないことが、最大のコツなのです。

それでは水彩絵具は、なぜ4色ではなく、12色や24色などのセットになっているのでしょう?
たとえば24色は、3原色と黒の4色以外の20色は、3原色の2色もしくは3色を混ぜ合わせた混合色といいますか中間色なのです。
その理由は初心者には混色して色を作るのが難しいため、よく使用する分野の中間色を増やしてあるのです。
しかし現実の世の中は無限の色が溢れており、24色ではとても足りないため、レベルアップを目指すには、パレットの上で混色して望みの色を作ることが大前提となるのです。

上達のコツ.2
鮮やかな色、濁った色、淡い色、暗い色、どんな色でも平等に美しいと思い、的確に使いこなすことです。

美しい絵を描きたいと原色しか使わない人がいますが、原色を多用した絵は下品で、美しさとは程遠い絵になる恐れがあります。
それよりも現実の世界の色をよくみれば、鮮やかな色、濁った色、淡い色、暗い色などの多様な色のハーモニーに満ち溢れており、それらの現実の色を正確に取り込もうとするところに、具象絵画の本質があるのではないでしようか。

上達のコツ.3
トレースの素となる写真と同じ色を作る。
正確な線画と正確な色彩で絵を描き、写真そっくりな絵を描けることは、飛躍するための重要な能力を身に着けたことになります。

具体的な色の作り方について、ここをクリックしてください。

絵画読本では、「Xの色を出すにはY色にZ色を混ぜる」などのノウハウが描いてありますが、そんな色の作り方はお勧めできません。
なぜなら色とは3原色の配分率ですから、同色を作るにも多様なアプローチがあり、色はもっと複雑だからです。
私のお勧めする上達方法は、絵を描くことからひとまず離れて、見本色に近い色をあえて自己流で作ってみる、何枚も何枚も作ってみる、たくさんの失敗とちょっとの成功を体験してみる。
そんな色作りの特訓という経験の多さが、最も早い上達方法のような気がします。
つまり色の作成能力向上は、知識よりも感性や経験であり、それを通じてコツを掴むしかないのです。

上達のコツ.4
色を作るための影の重要な働き者、それは「水」です

透明水彩では白い絵具は使いません(白い絵具は最後に微修正するときや、ハイライトを入れるときに使います)。
その代わりとなるものは「水」で、淡い色を作る時、明るい色を作る時、それはおもいきりたっぷりの水で薄めることで作れるのです。
それだけでなく、全体を通して同じ色でも濃い色を薄く延ばして塗るのではなく、水で溶いて厚くたっぷり塗るのが上手な色の作り方で、完成したときの絵の出来栄えを大きく左右するのです。
それほど「水」は透明水彩の“味”を作るのです。

                                    

上の絵をご覧ください。
ほとんど緑一色で描いた絵ですが、その緑の色の変化が遠近感を作り、植物の種類を表現し、光感を表現しているのです。
色作りが上達すれば、絵を描くことの醍醐味が倍増するのです。


だから、介護は楽しいのです。

2013-11-03 10:00:08 | 犬たち

我が家は、私と妻と愛犬モモタロウの3人暮らしですが、私と妻は70才ですが、かたくなに老人と思われるのを嫌い、まさにノー天気に青春を謳歌しています。
それに比べモモタロウ(上の絵は3才の時です)は15才3ヶ月の「超」のつく高齢犬となりました。
ゴールデンリトリバーという大型犬種の平均寿命は9才とのことで、モモタロウロウはこれほどの長寿も珍しいと言われるまでになり、あれよあれよといううちに私たちをごぼう抜きして、今は私たちよりずっと先、人生の終末期を歩んでいるということになるわけです。

そして終末期の現象として、2年前から介護の状態となりました。

13才の時突然モモタロウに病魔が襲い、その病気を機に短い距離なら出来損ないのロボットのように歩けるのですが、階段の上下や、自力で立ち上がることも出来なくなったため、そこからモモタロウの介護生活が始まりました。
取っ手のついた救命胴衣のような服を着用し、立ち上がる時に人間がその取っ手を持ち上げることにより、初めて日常生活が可能となったものの、屋外の散歩はできず、居間とバリアフリーのバルコニーだけが、モモタロウの生活領域となりました。
抱っこして階段を上り下りすれば外の散歩ができるじゃないかとお思いでしょうが、痩せたとはいえ30キロの大型犬ではそれは無理というものでした。

介護開始から2年あまり、モモタロウの衰えは日を追って重くなり、3か月前より「寝たきり」となりました。
つまり歩くことはおろか立つこともできず、居間のど真ん中にベッドを作り、その上でまさに寝たきりとなったのです。
目はほとんど見えず、耳もほとんど聞こえず、においにも弱くなり、体重も半分以下に痩せ細り、先生の診断では痴呆症も進行しているとのことで、まさに終末期の状態になったことは明白になりました。
しかし変わらないものもあり、それは何ともかわいいところ(親バカ丸出し)と、旺盛な食欲です。

そのため私達は分担して、食事から下の世話、傷や病気の手当、床ずれの防止などの介護を24時間体制でおこなうことにしました。
たとえば深夜は私の担当で、ほとんどの夜は数回起こされるのですが、その理由は寂しいことにあるようで、私も眠いので添い寝することにしています。

そして、ある日事件が起こりました。
その日は夜中に珍しく泣くことなく静かに眠り、朝になっても眠り続け、7時・8時・9時と眠り続け、肩をゆすっても、鼻を指でふさいでも眠り続けました。
私たちは永遠の眠りの前兆である昏睡状態に入ったと思い込み、妻は泣きじゃくり、私も覚悟を決めて身辺整理を始めました。
そしてその時、突然モモタロウは大あくびをして「あ~よく寝た!腹がへったぞ~!」と騒ぎ始めたのです。
私たちは嬉しさとカッコ悪さの入り混じった気持ちで喜び合いましたが、それは別れの悲しさの分割払でもありました。

そのように介護は大変だとお思いでしょうが、実はそうではないのです。
何より私たちはモモタロウを愛しており、介護とはスキンシップでのコミュニケーションそのものなので、介護という形でモモタロウと接しているのです。

私たちとモモタロウのそんなドタバタ生活は、いつまで続くかわからないのですが、とても貴重な時間なのです。

だから介護といえども、それはとても楽しいのです。