わが妻は私を「多動性老人」とからかうだけあって、私はたえずせわしなく動き回っており、そのせわしなさが自分のリズムに合って、実に居心地がいい日々を過ごしています。
私の少年時代は典型的な「多動性障害者」で、絶望的な日々を過ごしました。
多動性障害(通称ADHD)とは、特に年少期に顕著に表れるもので、◎不注意 ◎多動性 ◎衝動性 を持つ発達障害で、日常生活や学習に支障をきたす状態をいいます。
◎不注意とは、集中力が続かず、気が散りやすく、忘れっぽい症状です。
◎多動性とは、じっとしていることが苦手で、落ち着きのない症状です。
◎衝動性とは、思いつきをろくに考えないで、衝動的に実行する症状です。
私の少年時代はまさに多動性障害者の見本のようなもので、日常生活でも失敗の連続ばかりでなく、学校でも問題児として叱責される毎日でした。
勉強に集中できないため、先生の話もよくわからず、当然ながら成績も悪く、落ちこぼれそのものでした。
そのくせ、自我とプライドが高い性格でもあるため、そのギャップが劣等感として表れ、絶望的な日々を過ごした子供時代でした。
多動性障害の症状は小学生をを頂点として和らいでいきましたが、その性癖は消失したわけではなく、性格となって根づいていったような気がします。
特にビジネスマンとなってからは、多動性障害特有の忘却とか勘違いや独りよがりは、仕事に多大な被害を及ぼすこととなるわけで、何度も痛手を負いながら、その痛さからマイナス面は徐々に修正されていきました。
そして中年以降、多動性障害としてのデメリットが薄れ、その裏に隠れていたメリットが顕在化してきたと思っています。
すべての性格は、良いところと悪いところが両刃の剣のようにあります。
多動性障害も性格の一部とすれば、障害や症状という欠点のもう一方の片刃には、とんでもない利点や能力が隠されていることを発見したのは30歳も過ぎたころでした。
その最大のメリットは、(手前味噌になりますが)柔軟にそして多様に思考する能力が高く、特にアイデア力に優れていることにあったようです。
仕事仲間から「機関銃のようにアイデアを出す!」とまで言われ、1日1企画と言われるほど企画を量産した時期もありました。
じっくり考えるのが苦手の反面、パッパッパッと異質なものを連射法的に思い浮かべることが出来ました。
アイデアとは異質なものの組み合わせですから、だから次から次へとアイデアが湧き出てくるのです。
そしてもうひとつのメリットは、すべてが早いということです。
人はせっかちで落ち着きがないと言いますが、それは遅過ぎる人のやっかみだと思っています。
私には誰にも平等に与えられた時間を有効に使うことこそ、素晴らしい人生だと確信しているからです。
起きるのが早い、食事が早い、絵を描くのも早い、寝るのも早いのです。
それだけでなく、決断も早く、失敗と認めることも早く、立ち直りも早い・・・と、なんでも早い、そんな「多動性老人」なのです。