ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

辛い多動性障害を乗り越えて、愉快な多動性老人に変身

2014-10-29 03:40:58 | 犬たち

わが妻は私を「多動性老人」とからかうだけあって、私はたえずせわしなく動き回っており、そのせわしなさが自分のリズムに合って、実に居心地がいい日々を過ごしています。

私の少年時代は典型的な「多動性障害者」で、絶望的な日々を過ごしました。
多動性障害(通称ADHD)とは、特に年少期に顕著に表れるもので、◎不注意 ◎多動性 ◎衝動性 を持つ発達障害で、日常生活や学習に支障をきたす状態をいいます。

   ◎不注意とは、集中力が続かず、気が散りやすく、忘れっぽい症状です。
   ◎多動性とは、じっとしていることが苦手で、落ち着きのない症状です。
   ◎衝動性とは、思いつきをろくに考えないで、衝動的に実行する症状です。

私の少年時代はまさに多動性障害者の見本のようなもので、日常生活でも失敗の連続ばかりでなく、学校でも問題児として叱責される毎日でした。
勉強に集中できないため、先生の話もよくわからず、当然ながら成績も悪く、落ちこぼれそのものでした。
そのくせ、自我とプライドが高い性格でもあるため、そのギャップが劣等感として表れ、絶望的な日々を過ごした子供時代でした。

多動性障害の症状は小学生をを頂点として和らいでいきましたが、その性癖は消失したわけではなく、性格となって根づいていったような気がします。
特にビジネスマンとなってからは、多動性障害特有の忘却とか勘違いや独りよがりは、仕事に多大な被害を及ぼすこととなるわけで、何度も痛手を負いながら、その痛さからマイナス面は徐々に修正されていきました。
そして中年以降、多動性障害としてのデメリットが薄れ、その裏に隠れていたメリットが顕在化してきたと思っています。

すべての性格は、良いところと悪いところが両刃の剣のようにあります。
多動性障害も性格の一部とすれば、障害や症状という欠点のもう一方の片刃には、とんでもない利点や能力が隠されていることを発見したのは30歳も過ぎたころでした。

その最大のメリットは、(手前味噌になりますが)柔軟にそして多様に思考する能力が高く、特にアイデア力に優れていることにあったようです。
仕事仲間から「機関銃のようにアイデアを出す!」とまで言われ、1日1企画と言われるほど企画を量産した時期もありました。
じっくり考えるのが苦手の反面、パッパッパッと異質なものを連射法的に思い浮かべることが出来ました。
アイデアとは異質なものの組み合わせですから、だから次から次へとアイデアが湧き出てくるのです。

そしてもうひとつのメリットは、すべてが早いということです。
人はせっかちで落ち着きがないと言いますが、それは遅過ぎる人のやっかみだと思っています。
私には誰にも平等に与えられた時間を有効に使うことこそ、素晴らしい人生だと確信しているからです。

起きるのが早い、食事が早い、絵を描くのも早い、寝るのも早いのです。
それだけでなく、決断も早く、失敗と認めることも早く、立ち直りも早い・・・と、なんでも早い、そんな「多動性老人」なのです。

 


高齢者ほど「未来志向」になりましょう

2014-10-12 09:56:38 | 犬たち

高齢になればなるほど「未来志向」を目指すのではないかと思っています。

人は過去と未来の狭間で生きているのですが、人それぞれかもしれないけれど、人生の後半に差し掛かった人ほど、二度と戻らぬ過去よりも、自分の意思が反映できる未来にこそ情熱を傾けるのではないでしょうか。
それは充実した人生を生ききる・・・たとえば石原裕次郎の歌「わが人生に悔いなし」の歌詞のような、かっこいいと言いますか充実した人生にしたいからです。

    ♪ 鏡に映るわが顔に グラスをあげて乾杯を
        たった一つの星をたよりに はるばる遠くへ来たもんだ
           長かろうと短かろうと わが人生に悔いはない ♪
 

先日久しぶりに東京の銀座に行ってきました。
84歳にもなる私の恩師(日本を代表するアートディレクターです)が個展を開催したためですが、2年前の展覧会では失礼ながら作品に甘さが目立ち、80歳も過ぎれば質が落ちるのも仕方ないのだな~と思っていました。
そして今回もその落ち込みを見ることになると覚悟して行ったのですが、会場に入った瞬間、アッと声を上げてしまいました。
往年の魅力を取り戻し、否、それに以上に彼の素直な心意気がそのまま表現されており、深く感動しました。

その彼は 「森ちゃん(私の事)、もう2年待ってほしい!」と、驚くべきことを言うのです。

その話を要約すると、今回の展覧会は決して満足していなく、イメージする作品からすれば過渡期の作品と位置づけており、何とか2年後に完成品をお見せしたいということでした。
それに加えもっと驚かされることを言いました。
自分の作品は日本での評価は低く、それに反し世界からの評価が高いため、次はニューヨークでの個展を計画しており、グローバルの中で自分の作品を評価されたい。
それは夢物語ではなく、本気で実現することを計画しており、彼の強かさからすれば実現すると確信したのです。

つまり現在は84歳で、次期の展覧会は86歳、NY展は88歳以降となるわけで、ますます「未来志向」の度を加速しているのです。
この展覧会での私の大きな収穫は、現在は71歳ですから健康に留意すれば、これから15年や20年は絵を描く楽しみを満喫できる確信を得たことでした。

                  

未来志向とは明確な目標を持ち、その実現のための意思を言います。

それでは高齢者にとって何を未来志向のテーマにしたらいいのでしょうか?
その答えは自分の中の「夢中」を発見することにあるようです。

私は絵を描くことに夢中になったのは、停年退職を間近にした頃でした。
美術学校を出たものの、絵を描くことにはほとんど興味がありませんでした。
しかしガキの頃から「発明発見」に強い関心があり、アイディアが浮かぶと夢中になり、寝食を忘れて没頭するそんな子供時代でした。
その発明発見といっても 、科学技術の粋などの高度なものではなく、町の発明屋さん的なレベルでしたが。

そんな私も50歳も過ぎて何かの拍子で絵を描く機会があり、その時絵の中に無限の発明発見の世界があることがわかり、それから絵を描く世界の中での発明発見に没頭したのです。
つまり絵は白い画用紙の上に、線を引き色を塗るといった単純な作業ですが、その中に知恵と工夫、発明と発見、理性と感性を発揮できる バカ面白い世界だったのです。

そしてその成果として「トレース水彩画」を開発し、現在も開発が進行しているのです。

どんな人でも必ず「夢中になる」ものを持っています。
もしかしたら子供時代の記憶をたどれば、「あなたの中の夢中」を発見できるかもしれません。