1月に東京地図出版より全国の書店で発売される出版(題名は未定です)も大詰めに来ており、6ヶ月の間に100点もの絵を描き、膨大な量の文章も書き、頂上まで9合目を必死に登っている状態です。
今回は文章でも苦労しました。
文章といってもこれまで7冊の出版で、それなりに文章を書いてきたのですが、その文章は絵の描き方といった解説文なので、なんとかごまかして書くことが出来ましたが、今回は成り行き上解説文だけでなく、60ページ以上のエッセーを書くことになったのです。
小学校以来、国語と作文の出来の悪いことが自慢の私が、60ページ以上のエッセーを書くのですゾ。
私にとっての文章はビジネスマン時代には企画書とか報告書とかで、書くことは書きましたが、形式が決まっていて文章と言えるものではありませんでした。
数年前、息子に勧められてブログ(このブログのことです)を面白半分にはじめたのですが、最初は絵にちょっとしたコメントをつける程度でしたが、だんだん文章量が多くなってきました。その理由は、文章を書く面白さを発見したからです。
この年になって初めて、文章を書くことの素晴らしさを知ったのです。
ブログは日記と言われていますが、日記とはおこった事実を報告することですが、私のブログはオピニオン(意見・主張)を書くことにしています。
意見のほうが報告よりはるかに難しいし、思考力も文章化も大変なのですが、そのほうが頭脳が鍛えられると思ったからです。
そしてブログを書くことが、文章力の訓練の開始となったような気がします。
事実いろいろな方からブログの文章について褒められることもあり、私自身もそれなりの手ごたえを感じていました。
でもこれは顔見知りのお世辞での話であり、日本全国の本屋さんに並び、お金を払って読んでいただけるだけの価値のある文章が書けたかいいますと・・・・・実は書けたのです(キッパリ)。
私の自己能力についての認識は、2つの選択しかありません。
ひとつは劣等感。
もうひとつは開き直り。(優越感と言いたいところですが)
何においても能力全開でがんばったら、後は開き直るしかないでしょう。
だから私はすい星のようにあらわれた遅咲きの名文家なのです。
今回は文章でも苦労しました。
文章といってもこれまで7冊の出版で、それなりに文章を書いてきたのですが、その文章は絵の描き方といった解説文なので、なんとかごまかして書くことが出来ましたが、今回は成り行き上解説文だけでなく、60ページ以上のエッセーを書くことになったのです。
小学校以来、国語と作文の出来の悪いことが自慢の私が、60ページ以上のエッセーを書くのですゾ。
私にとっての文章はビジネスマン時代には企画書とか報告書とかで、書くことは書きましたが、形式が決まっていて文章と言えるものではありませんでした。
数年前、息子に勧められてブログ(このブログのことです)を面白半分にはじめたのですが、最初は絵にちょっとしたコメントをつける程度でしたが、だんだん文章量が多くなってきました。その理由は、文章を書く面白さを発見したからです。
この年になって初めて、文章を書くことの素晴らしさを知ったのです。
ブログは日記と言われていますが、日記とはおこった事実を報告することですが、私のブログはオピニオン(意見・主張)を書くことにしています。
意見のほうが報告よりはるかに難しいし、思考力も文章化も大変なのですが、そのほうが頭脳が鍛えられると思ったからです。
そしてブログを書くことが、文章力の訓練の開始となったような気がします。
事実いろいろな方からブログの文章について褒められることもあり、私自身もそれなりの手ごたえを感じていました。
でもこれは顔見知りのお世辞での話であり、日本全国の本屋さんに並び、お金を払って読んでいただけるだけの価値のある文章が書けたかいいますと・・・・・実は書けたのです(キッパリ)。
私の自己能力についての認識は、2つの選択しかありません。
ひとつは劣等感。
もうひとつは開き直り。(優越感と言いたいところですが)
何においても能力全開でがんばったら、後は開き直るしかないでしょう。
だから私はすい星のようにあらわれた遅咲きの名文家なのです。