ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

わが家とリスとの愛と憎しみの日々

2012-11-30 13:01:59 | 犬たち

わが家は湘南の海が見える小高い丘の上にあります。
家のまわりは傾斜地となっているためいろいろな木々が茂り、豊かな自然に囲まれた立地となっています。
そのため季節に合わせてのいろいろな野鳥が来、動物といえばたぬきが住み着いており、最近ではちょくちょくアライグマも見かけるようになりました。

しかし何といっても圧倒的に多い動物は「タイワンリス」で、リスの住む森にわが家が入り込んでいると言ったほうが正しいのかもしれません。
リスはターザンのように木々を飛び渡ったり、バルコニーで日向ぼっこしたりは日常的で、2階の自室で絵を描いているとき、気配を感じ窓の外を見ると、一匹のリスがガラス越しに私の描く絵をジッと食い入るように観ているときもありました。 

しかしわが家にとってのリスはかわいいのですが迷惑者でもあり、特にわが妻にとっては積年の恨みが積もり積もった天敵となってしまったのです。
妻は畑仕事が大好きで、庭の片隅の小さな畑でいろいろな野菜作りをし、実のなる木を育てているのですが、その多くは人間様が食す前に(まさにその寸前で)リスが食べてしまうことにありました。
きゅうり・トマト、さつまいも、木の実として柿・みかん・ゆずなど収穫間近で食い散らかしてしまい、妻の怒りは当然といえば当然のことでした。

そして今年の秋も、妻が干し柿が大好物なのを知っている田舎の姉から、立派な柿がたくさん送られてきました。
さっそく皮をむいた柿を洗濯干しで吊るして干し柿を作るのですが、リス対策として笑ってしまうほど厳重に網で囲い、キラキラ光るおどしを過剰にぶら下げて数日間ベランダで干すことになりました。
しかし予想に反してといいますか予想通りといいますか、今年も出来上がり寸前で見事にリスにやられてしまいました。
網が食い破られ、そしてことごとく食べられてしまっていました。
すっかり頭にきた妻は「リス捕獲器」を買ってきて設置したのですが、次の日あっけないほど簡単に一匹のリスが捕獲されました。
金網の中でパニック状態のリスを前にして、妻と私は 

    妻 「捕まえたのは私だから、殺すのはあなた。水の中に漬けるだけでいいんだからあなたやって!」
    私 「そんなかわいそうなこと出来るわけないよ。それにしてもリスって本当にか~わいいね~。」
    妻 「・・(あきれ顔)・・」
    私 「私からの提案なんだけど、ペットとしてこのリスを飼うことにしようよ。 ボクが全部世話をするから。」
    妻 「何バカ言ってるの。それだけ言うのなら殺すのは中止して、二度と寄り付かないようにしてやるゾ~!」

妻はフライパンと棒を持ってきて、リスのそばで鼓膜が破れるほどの音でガンガンフライパンを叩いて、腰を抜かさんばかりになっている(と思われる)リスを開放しました。
その時妻は、無念を晴らした忠臣蔵のように、晴れ晴れした心境になっていたようです。 

そして次の日、なんということか、あのリスがまたやって来ているではありませんか。
あのリスにはしっぽの傷に特徴があり、間違いなくきのう捕まえたあのリスですが、ベランダのテーブルの上でこちらを見ながらなにかしゃべっています。
耳を澄まして聞くと、リスはこんなことを言いました。 

    リス 「きのうのペットの話、俺のほうは前向きに考えているのだが・・・」 

 

※というわけでこの話はおしまいにしますが、ほとんどが事実で、一部フィクションとなっています。


私流 歳をとるほどに幸せになる方法

2012-11-23 10:10:28 | 犬たち

人間のさまざまな感情を「喜怒哀楽」という言葉が表しているのですが、その中の「喜と楽」を幸せな感情とすれば、「怒と哀」は不幸せな感情となります。
我が人生を当てはめれば、人生前半は「怒と哀」が主で「喜と楽」は従を占める、あまり幸せとはいえない人生でしたが、人生後半・特に第2の人生あたりからは逆転して「喜と楽」が主役で、「怒と哀」は小さな存在になり、幸せな人生を歩んでいると実感するようになりました。
私はもうすぐ70歳ですから、平均余命は15年とのことで、85歳まではますます幸せな人生街道を歩み、ある朝目覚めるとポッコリ死んでいたという生き方をしたいものです。 

しかし人生の前半は不運なことばかり、後半はいいことばかりが重なったわけではなく、人生観といいますか、心の持ちようが変わったことが「怒と哀」から「喜と楽」へと大きく舵を切ったのだと思っています。 

その変化の最大の原因は、私の場合は絵を描くすばらしさを発見したことにあります。 

私の現役時代の仕事は広告業で、この業界はたえず激しい競争の中にありました。
ライバル広告会社とたえず競争の中にあり、広告という業態そのものが戦うことが前提となった仕事ですから、戦いによる激しいストレスの中で、体が丈夫なことがとりえの私も、ストレスが原因で病気にもなりました。
その競争意識のまま、企業戦士のまま絵を描き始め、その成果として個展や出版化、そしてイベント等も開催して、それなりに画家としての順調なスタートを切ったのですが、しだいに「絵を描くこと=戦うこと」の2つを結びつけることに違和感を感じ始めてきました。
そして「絵を描くこと=心を開放する喜び」の発見により、目からウロコが落ちたように、絵を描くことが実に心地よく、本来の自分を取り戻したような気持になりました。。 

絵を描くことで喜びを味わえる。
我が人生はそれだけで充分なのではないかと思い始めたのです。 

絵で高い評価を受ける、金儲けが出来る、有名になる・・・そんなことは絵を描く喜びに比較したら、取るに足らないことのように思えてきたのです。

プロゴルファーの石川遼氏の目標は、マスターで優勝することだそうです。
世界のゴルファーの頂点であるマスターズは、優勝はおろか参加することも大変なのですが、彼はその壮大な目標があるからこそ、技術的にも精神的にも成長していくのですが、その目標を達成しないうちは彼は不幸なのです。
しかしゴルフ大好きのおじさんゴルファーが、「俺はゴルフは心の底から大~い好き!。スコアなんか関係な~い!」とゴルフを深く楽しんでいたら、彼はとても幸せなのです。

そのように私の人生の目標は絵を描くことですから、いとも簡単に目的を達成できるわけで、いとも簡単に幸福になれるのです。 
もちろん失敗する絵もあるのですが、絵を描くことですでに目標が達成しているわけですから、失敗をあまり重く受け止めず、新しい発見の糸口を掴んむチャンスぐらいに思うようにしています。
その反対に上達や発見もし、時にはよい評価も受けるときがありますが、それは予期せぬ大きな喜びとしてとらえることにしています。 

人生のすべての年代に目標を設定することが大切だと思います。
若いときの目標は高いほどよく、その目標に向かい試練と挫折を繰り返して成長をしていくわけで、その時期は目標と現実の差が大きく、「怒と哀」に満ちているのが自然なのです。
しかし人生の後半の目標は身近で手の届くところに目標を設定することにより、目標=現実となり、「喜と楽」を堪能し、生きる幸せを実感できるのです。

 


動画シリーズ「いっしょに描こう!実践編」を始めました

2012-11-15 04:02:55 | 犬たち

従来の水彩画の描き方とトレース水彩画の描き方の違いを例えれば、二本足で走るのと自転車で走るのとの違いのようなものです。
初めて自転車に乗るには多少練習がいりますが、テクテク走るよりも自転車の方が明らかに早く、その上長く走れるのは衆目の一致するところです。
つまりトレース水彩画は明らかにレベルアップした描き方なのです。
一部でトレース水彩画はルール違反ではないかと言う声もありますが、芸術の世界はどんな制約もない自由こそが最も尊重すべきことであり、トレース水彩画は絵画の中の時代に即した技術革新ととらえるのが、正しい位置づけではないでしょうか。 

上の絵は「動画で納得!トレース水彩画」の新シリーズ「いっしょに描こう!実践編」の第一弾として、のかんぞうの花の絵の描き方を動画にしたもので、クリックしてぜひ動画もお楽しみいただければ幸いです。
このシリーズの趣旨は単に動画を見せるのではなく、動画を素に実際の絵を描くことにトライしていただくのがその目的で、そのための同寸大の写真も用意しました。
上記の自転車の話の中で、初めて自転車に乗るには多少練習がいると書きましたが、まさに始めて自転車に乗る=初めてトレース水彩画を描く それが目的ですから、ここでの絵のテーマはとても簡単に描ける課題ばかりを用意しました。 

それでは初心者の方にトレース水彩画を上手に描くコツについてお話します。 

従来の水彩画とトレース水彩画の大きな違いは、制作工程での力の配分にあります。
制作は線画と彩色の2つの行程からなっていますが、従来の水彩画では彩色は主で線画は鉛筆で軽く輪郭を描く、つまり従とするようにと美術学校で習いましたし、それが世間の常識のようです。
しかしトレース水彩画ではその逆で、線画が主で彩色は従となるように描くことが上手に描くポイントなのです。
つまりトレース水彩画の最大の特色は写真をトレースすることにより、完璧なデッサンが線画に表われるわけですから、その有利さをフルに発揮するためには力強い線画が絵の魅力となるのです。
となれば、その線の魅力を生かすには軽い彩色こそ美しいバランスが生まれ、逆に強い線画と強い彩色や弱い線画と弱い彩色ではバランスを壊してしまうのです。 

そして強い線画と軽い彩色にするもうひとつの理由があります。
線画は写真をトレースするだけですから初心者の方も簡単に描けるのに対し、彩色のほうがずっと難しいため、軽い彩色でごまかしてしまうというのが本音でもあるのです。 

それでは軽い彩色とはどんな彩色なのでしょう?
まずパレットの上にたっぷりと塗り色を作り、それにドバッと水を混ぜると淡い色水が出来ますが、それをたっぷり筆につけ、画用紙の上に厚く塗ることにあります。
それともうひとつ、些細なことを気にせず、四捨五入の精神で大雑把にそして大胆に塗ることです。
ただしはみ出し塗りや塗り残しはいけません。絵が稚拙になります。
最初の彩色がよく乾いてから、第2の色は最小限度でより濃い色で補完して、彩色が終了となります。 

絵は楽しいから描くという人が増えています
現実的に絵を描いて楽しさを感じるのは、やはり上手に描けた時です。
そして描けば描くほど上達することは無上の喜びを感じます。
そんな喜びを確実に味わえるのは、トレース水彩画の特権かもしれません。

 


中高年の夫婦が円満に余生を過ごすには、3つのポイントがあります

2012-11-05 09:04:38 | 犬たち

中高年の夫婦が円満に余生を過ごすといいますか、波風たたない生き方をするそのコツをご存知ですか?
中高年ともなれば子育ても終わり、仕事からも解放され、まさに悠々自適のゆったりとした二人だけの生活となるわけですが、そこにもコツというものがあるのです。 
以下どこかのお笑い番組で見た中高年夫婦が円満に余生を過ごすための3つのポイントを、自分なりに脚色してみました。

1.できるだけ目と目を合わせない

目と目を合わせるのは二人の間に喜怒哀楽がある時か、または何かを企くらんでいるときのようで、花と蝶の関係は遠い昔のことで、今は月とススキ、いってみれば波風の立たない風流な関係こそ大切なのです。
話は余談になりますが、熊と遭遇したときは死んだフリとか、一目散に逃げるのはいけません。
このときこそしっかり目と目を合わせ、にらみ合いながら後ずさりし距離を広げて行く、これが正しい熊との遭遇したときの逃げ方なのです。

 2.問い詰めない

私の友人に正義感の強い妻と真面目な夫の夫婦がいるのですが、夫の行動に不明朗な点があり、妻が警視庁の捜査一課の敏腕刑事のこどくきびしく問い詰めたところ、夫は本件とはまったく別の、過去の浮気の話までも自白してしまい、それ以降妻は問い詰めたことに、夫はしゃべったことに深く後悔しているとのことです。
人間年を重ねれば、たたけばホコリも出るもので、過去の知られたくないもの、忘れてしまいたいものには、そのままフタをしておくことが利口な生き方かもしれません。 

3.逃げ場を作る

夫が退職すると、これまで妻の一人天下の家に夫が居つくことになるわけですが、それが妻の大きな不満となります。
つまり同じ屋根の下に、名義上の主人と実質的な主人が同居するわけですから、当然のごとく権力闘争となり、敗者のほう(97%は夫が敗者)が逃げ場に逃げ込むというのが、生態学的な見地からも当然のようです。
その逃げ場とはたとえば図書館であったり、公民館の囲碁講座であったり、時には一杯飲み屋であったりといろいろですが、私の場合は自室にこもることにしています。
私の自室を妻に言わせれば「まるで潜水艦のコクピットのよう」ということで、自分の嗜好や行動に合わせてコツコツ改造し、寝室として、絵を描くアトリエとして、好きなTVやパソコンをいじるIT室として、そしてあれこれ空想する場所として、この中でほとんどの時間人生を楽しんでいます。


似たもの夫婦という言葉がありますが、わが夫婦は性格といい趣味や嗜好といい、まったく共通するものがないのですが、ひとつだけ共通するものがあるとしたら、お互いが“超”のつく“わがまま”だということです。
そんな「俺が!私が!」のわがまま夫婦も結婚して40年を越すわけで、いろいろな変遷を経てお互いが一定の距離感を持つことを覚えたような気がします。
言ってみればまさに 1.目と目をあわさない 2.問い詰めない 3.逃げ場を作る を実践してました。
たとえばそんなわが夫婦の約束事は、「楽しいことを最優先に」です。
第二の人生といってもいろいろな仕事や義務がありますが、そんな仕事を放り投げても、楽しいことを優先しようということで、それが友達みたいな楽しい夫婦像になったのではと思っています。