ノー天気画家の本音生活 

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チャリティーソング「花は咲く」の中の私とは、誰なのでしょう?

2013-09-10 18:02:02 | 犬たち

今回のブログでは東関東大震災の復興支援のテーマソング、「花は咲く」の歌詞についてを考えてみようと思います。
この歌はNHKで度々放送されており、西田敏行さん、荒川静香さん、秋吉久美子さん、野村克也さん等が花を持ちながらリレー形式で歌ったあの歌のことで、みなさんご存じのことと思います。

この歌は復興支援のテーマソングとしての社会的インパクトだけではなく、歌そのものに私たち日本人の心に染み入る力を持っており、その理由のひとつは歌詞にあると思っています。
これまで心を打つ多くの歌がありますが、その共通要因として、歌詞に(意図され計算された)意味のあいまいさや不明瞭さがあり、それが歌に不思議な魅力を与え、共感とともに汎用性を作り上げており、「花は咲く」もその例外ではないようです。
たとえば「花は咲く」の歌詞の冒頭を取り上げると

    真っ白な雪道に 春風薫る  
       私は懐かしい あの町を思い出す

その中での「あの町」とはどの町なのでしょう。
そして「私」とは誰なのでしょう?

みなさんは「あの町」とはどの町かお分かりですね。
そうです!あの町とは津波で大きな被害を受けてしまったのですが、震災以前の豊かな自然と人の営みが調和した東北・太平洋沿岸の美しい町を指しているのです。
3月11日といえば、東京では桜のつぼみが膨らむ時期ですが、東北では春の息吹があるものの、雪に覆われていた時期で、上の絵のような深い残雪に春の光が当たる頃なのかもしれません。

それではこの歌のキーとなる「私」とは誰なのでしょう?
あの町の情景を知っていることを前提とすれば、「私」が被災者ではないかと考えられますが、この歌の達観したおおらかさに違和感を感じます。
私は何度もこの歌を聴いていて、ハッと気づいたのです。 あの町を知っている「私」とは誰かを発見したのです。

「私」とは、被災で亡くなった方なのではないでしょうか。
この歌は亡くなった方からのメッセージとすれば、詞のすべてに辻褄が合うとともに、強い説得力を持つ歌になるからです。

この歌を作詞した岩井俊二さんは、このように語っています。
作詞で苦戦する中、被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。
「僕らが聞ける話というのは、生き残った人たちの話で、死んでいった人たちの体験は聞くことが出来ない・・・」と。
この言葉が後押しになり、力まずに自分の想像力に身を任せることにしました。・・・と

それでは「亡くなった方からのメッセージ」を念頭に置いて、作詞を改めてお読みください。

   花は咲く

   真っ白な雪道に 春風薫る
   私は懐かしい あの町を思い出す
   叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
   いまはただ懐かしい あの人を思い出す
     誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている
     誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

   夜空の向こうの 朝の気配に
   私は懐かしい あの日々を思い出す
   傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして
   今はただ いとおしい あの人を思い出す
     誰かの想いが見える 誰かと結ばれている
     誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために


この作詞のポイントは、過去=震災での悲しみや懐かしさよりも、未来=花咲く新しい世界に重きを置いて書かれていることにあります。
それは作詞家の個人としての思い入れというより、震災という困難に絶望するより、それを乗り越えて希望の光を探し出すことしか道が残されていないということだと思います。

ガレキと化した被災地も、コンクリートの間から健やかに花が咲くように、絶望の淵から希望が見え、再建のつち音が聞こえてくるのです。
震災で亡くなった多くの人と入れ替わって、この地から子供が誕生し、その子らがこの地を素晴らしい土地に造り替えていくのです。

そして100年経ち、この歌が作られた目的も、そして震災そのものも忘れられても、その時の子供たちは、「赤とんぼ」や「ふるさと」と同じように、「花は咲く」を大切な日本人の心の歌として、歌い継いでいくような気がするのです。
その時は、「あの町」の意味も「私」という意味もわからなくても。 

 


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1 コメント

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イーハトーブ (サステナブル)
2021-07-30 01:33:05
島根県の出雲安来の工学博士が鎮魂の文を高天原に奏上してからだいぶなるが、なくしたものは本当に戻らない。しかし前をむいて歩きわすれないことだ。
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