ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

高齢化を上手に生きるためのコツは、「気力」の引き出し方にあるようです

2014-04-16 02:49:54 | 犬たち

高齢化を上手に生きるためのコツは、自己の能力にあった体力、脳力、そして気力の3つのバランスを上手にとることではないかと思っています。

私は現在71才ですが、ここ2.3年体力の衰えを、はっきり自覚するようになってきました。
3キロの散歩は毎日の日課ですが、10年来同じコースであるため、的確に体力を把握することができ、健康のバロメーターとなっています。
そのコースは主に海岸の平坦な道ですが、散歩の最後は高さ30メートルの階段を登らなければならず、60代前半はその階段を一気に登っていたのですが、数年前から息切れが激しくなっての途中での一休みとなり、70才の大台を超えると二休みとなってしまいました。

しかし一方で、私は50才から絵を描き始めたのですが、ますます絵の持つ深遠の世界にのめり込んで、今でもドキドキするような楽しさを味わっています。
このブログも10年近く前から始めたのですが、内容はともかく閲覧者の数も右肩上がりで伸び、その手ごたえに、より面白いものを書こうと意気込んでいます。
つまり絵を描くことも文章を書くことも年齢的なハンデは少ないのですが、少しずつですがそのモチベーションが変化しており、それは「気力」の変化によるもので、今回はそのことをテーマにこのブログで考えていこうと思っています。

最近の脳科学によれば、脳の能力は経験や知識の累積が前提となり、(病気以外は)加齢が理由で脳力が低下することがなく、むしろ年とともにますます脳力が向上していくと言われています。

それなら脳力の領域である絵や文章は、止まるところを知らず向上することとなるはずですが、事実はそんなに簡単ではなく、もうひとつの重要なファクターである「気力」が大きく左右するのです。


プロゴルファーもある年齢を超えると、シニアプロに所属してその中で戦うこととなりますが、加齢とともに成績が落ちるその原因は、ドライバーの飛距離などの体力よりも、パット力の差にあるとのことです。
バットには高い集中力が必要ですが、その集中力というのは「気力」そのものであり、歳とともに衰えていくのです。


もうひとつの話は、プロ野球の野村克也さんの話ですが、プロの選手として三冠王や9回のホームラン王などと華々しく活躍し、その後監督としても南海・ヤクルト・阪神、そして楽天を最後に監督を引退した時は74才でした。
引退を勧告された野村監督は「オレはまだできる(怒)!」と球団側に訴えましたが、聞き入られませんでした。
彼の選手時代は体力を、監督時代は脳力をいかんなく発揮したのですが、加齢とともに激しい闘争心という「気力」が薄らいできたことを球団オーナーは見抜いたのではないでしょうか。

しかしその後の野村さんは野球解説者の道を歩みはじめ、考える野球を提唱しただけあって、その達観した視点はバツグンの魅力に富んでいました。
彼はまさに「気力の変化」を上手に生かして、選手・監督・解説者と、それぞれの年代にあったライフステージを、理想的な形で歩んでいるのではないでしょうか。
 

加齢とともに劣ろえていく 「体力」。
年齢に関係なく、経験の積み重ねでレベルアップする 「脳力」。
お調子者で気分屋の 「気力」。
その「気力」をおだてれば、「気力」が「体力」と「脳力」を上手に使って、元気な老人が出来上がるのです。


私の絵への取り組みは、定年退職後の画家への道を歩み出した60代前半と、70才を超えた今とは、「気力」の視点からは大きく違っています。

60代前半は、何としてでも社会に認められたい、評価されたいという強い思いがあり、がむしゃらに絵に取組みました。
絵を描くことで収入を得たいという気持ちも強く、事実数多くの注文絵画を描き、出版化を行い、それなりの収入もありました。
しかしそんな絵の取り組みに疲れているときに、またもや出版化の話があり、数年前には小躍りする話ですが、私はお断りすることにしました。
60代前半のようなことを繰り返す「気力」がすでに消え失せていたからです。

・・・そして今の絵を描く気力=動機は「楽しいから描く」その一点にあります。

それは楽しくなかったら描かないことであることを意味しており、認められることや金銭を得ることなどどうでもいいこととなるのです。
それからは絵を描くのに何のマイナス要因もなくなり、無性に絵を描くことが楽しくなりました。
どうですか、お調子者の「気力」を上手に使ったでしょ。

 


言葉は生きている、だから多種多様な言葉があっていいのでは・・・

2014-04-06 03:41:39 | 犬たち

「あの店のカキフライ定食は、普通においしい。」

この文章の中の「普通」とは、おいしさの表現なのですが、中高年と若者ではその意味がまるで違います。
中高年はこの文章では普通という言葉は使わないのですが、あえて「普通」とは、ありふれた並みの美味しさという意味になります。
しかし若者の「普通」には、飾りや誇張のない、本当のという意味が込められており、とてもおいしいという意味になります。

そんな若者言葉から若者の理解度を測る面白い問題集が、インターネット上にあったので紹介します。あなたもチャレンジして、自己の若者度を調べてはいかがでしょうか?

意味がわかった個数が 0~1個:化石 2~3個:おじさんorおばさん 4~5個:普通の人 6~7個:若い人 8~9個:今を生きる人 10個:危険なほど流行好き ということになります。

  NO.1 「Bダッシュ」           とにかく急ぐこと。スーパーマリオのBボタンからきています。
  NO.2 「ベッケンバウアー」  別件があるという意味で、元サツカー選手の名前ではありません。
  NO.3 「ズッ友」               これからもずっと友達でいようねと、プリクラから流行ったとのこと。
  NO.4 「カミッテル」           神がかって素晴らしい様子を表すギャル語とのこと。
  NO.5 「しょんどい」          正直にしんどいという意味。
  NO.6 「つらたん」            辛いと○○たんのたんが組み合わさって、辛いを意味しています。
  NO.7 「ウーロン茶」         お茶のこではなく、うざい・ロン毛・茶髪のことです。
  NO.8 「アラシック」          嵐とShik(病気)で、病気になるほど「嵐ファン」であること。
  NO.9 「ディスる」             軽蔑し、攻撃する事で、ヒップホッパーの言葉から流行る。
  NO.10 「てへペろ☆(・) 」 うっかりした時に、てへと笑って舌を出すしぐさ。

ということで、私の回答は0点で、堂々と「化石」に分類されることになりました。
元来若者言葉の多くは、社会や体制への反発しての「隠語」的意味を持っており、同世代には頻繁に使うものの、社会や体制サイドから意味不明になることを意図して作られているのです。
だから素直な私は負け惜しみでも何でもなく、時代遅れとして反省の気持ちなど微塵もなく、もっと言えば、堂々と時代遅れの頑固爺で歩むんだ!と開き直りの気持ちさえ生まれてきたのです。

 
 

言葉といえば、私の青春時代は、「標準語で話す」という言葉の壁に、強いコンプレックスを持っていました。
テレビの普及は、日本全国を標準語化するために多大な貢献をしたのですが、私は日本の片田舎で昭和18年に生まれ、昭和40年に東京に上京するまでいたのですから、ガキの時代はテレビなどない土着の古い因襲の中で育ったことになります。
それは強い方言文化の中にどっぷり浸かった日々でもありました。

東京に上京すると言いましたが、田舎からいきなり世界的広告代理店の第一線で働くことになったのですが、方言は業務に大きな支障となると思い込み、しゃべることすらできませんでした。
その後必死の努力で、言葉は何とか標準語らしきものをしゃべることが出来るようになったのですが、アクセントはなかなか直すことが出来ず、今でも注意されることが多いのです。
たとえば「椅子」の発音は、イスのスは下げるのが正しいのですが、スを上げてしまうのが50年近くたった今でも直らないのです。

そのように私の青年時代は「標準語」という絶対用語として信じ込んでいるものを、ひたすら追いかける日々でもありました。
しかしある時、標準語もどんどん変化していく・・・標準語の言葉の数が増えると同時に、使わなくなった死語も出てくることに気づいたのです。
つまり言葉は時代や文化とともに変遷し、進化(退化)していくことに気づいたのです。 

言葉は生きているのです。
生きているわけですから、いろいろな人がいれば、いろいろな言葉があっていいのです。
だから多様な言葉が多様な文化として、百花繚乱=大きなうねりが、新しくて強い時代を拓いていくのではないでしょうか。

私の友人は元コピーライターで、言葉を職業にしてきただけあって、日本語の乱れを嘆くことが常で、いつも言い争いになるのですが、私の言い分は、人には多様な価値観があり、それを素に多様な言葉が行き交うことこそ、活力ある社会を作っていくと思っており、その考え方がますます強固になっているような気がします。
すべての人にいきわたる言葉もあれば、ごく限られた人にしか通じない言葉もあり、末永く残る言葉もあれば、流行とともに短命に終わる言葉もある・・・それこそ健全な社会そのもので、それでいいのではないかと思っています。