高齢化を上手に生きるためのコツは、自己の能力にあった体力、脳力、そして気力の3つのバランスを上手にとることではないかと思っています。
私は現在71才ですが、ここ2.3年体力の衰えを、はっきり自覚するようになってきました。
3キロの散歩は毎日の日課ですが、10年来同じコースであるため、的確に体力を把握することができ、健康のバロメーターとなっています。
そのコースは主に海岸の平坦な道ですが、散歩の最後は高さ30メートルの階段を登らなければならず、60代前半はその階段を一気に登っていたのですが、数年前から息切れが激しくなっての途中での一休みとなり、70才の大台を超えると二休みとなってしまいました。
しかし一方で、私は50才から絵を描き始めたのですが、ますます絵の持つ深遠の世界にのめり込んで、今でもドキドキするような楽しさを味わっています。
このブログも10年近く前から始めたのですが、内容はともかく閲覧者の数も右肩上がりで伸び、その手ごたえに、より面白いものを書こうと意気込んでいます。
つまり絵を描くことも文章を書くことも年齢的なハンデは少ないのですが、少しずつですがそのモチベーションが変化しており、それは「気力」の変化によるもので、今回はそのことをテーマにこのブログで考えていこうと思っています。
最近の脳科学によれば、脳の能力は経験や知識の累積が前提となり、(病気以外は)加齢が理由で脳力が低下することがなく、むしろ年とともにますます脳力が向上していくと言われています。
それなら脳力の領域である絵や文章は、止まるところを知らず向上することとなるはずですが、事実はそんなに簡単ではなく、もうひとつの重要なファクターである「気力」が大きく左右するのです。
プロゴルファーもある年齢を超えると、シニアプロに所属してその中で戦うこととなりますが、加齢とともに成績が落ちるその原因は、ドライバーの飛距離などの体力よりも、パット力の差にあるとのことです。
バットには高い集中力が必要ですが、その集中力というのは「気力」そのものであり、歳とともに衰えていくのです。
もうひとつの話は、プロ野球の野村克也さんの話ですが、プロの選手として三冠王や9回のホームラン王などと華々しく活躍し、その後監督としても南海・ヤクルト・阪神、そして楽天を最後に監督を引退した時は74才でした。
引退を勧告された野村監督は「オレはまだできる(怒)!」と球団側に訴えましたが、聞き入られませんでした。
彼の選手時代は体力を、監督時代は脳力をいかんなく発揮したのですが、加齢とともに激しい闘争心という「気力」が薄らいできたことを球団オーナーは見抜いたのではないでしょうか。
しかしその後の野村さんは野球解説者の道を歩みはじめ、考える野球を提唱しただけあって、その達観した視点はバツグンの魅力に富んでいました。
彼はまさに「気力の変化」を上手に生かして、選手・監督・解説者と、それぞれの年代にあったライフステージを、理想的な形で歩んでいるのではないでしょうか。
加齢とともに劣ろえていく 「体力」。
年齢に関係なく、経験の積み重ねでレベルアップする 「脳力」。
お調子者で気分屋の 「気力」。
その「気力」をおだてれば、「気力」が「体力」と「脳力」を上手に使って、元気な老人が出来上がるのです。
私の絵への取り組みは、定年退職後の画家への道を歩み出した60代前半と、70才を超えた今とは、「気力」の視点からは大きく違っています。
60代前半は、何としてでも社会に認められたい、評価されたいという強い思いがあり、がむしゃらに絵に取組みました。
絵を描くことで収入を得たいという気持ちも強く、事実数多くの注文絵画を描き、出版化を行い、それなりの収入もありました。
しかしそんな絵の取り組みに疲れているときに、またもや出版化の話があり、数年前には小躍りする話ですが、私はお断りすることにしました。
60代前半のようなことを繰り返す「気力」がすでに消え失せていたからです。
・・・そして今の絵を描く気力=動機は「楽しいから描く」その一点にあります。
それは楽しくなかったら描かないことであることを意味しており、認められることや金銭を得ることなどどうでもいいこととなるのです。
それからは絵を描くのに何のマイナス要因もなくなり、無性に絵を描くことが楽しくなりました。
どうですか、お調子者の「気力」を上手に使ったでしょ。