日本画家の最高峰が一堂に立って競い合う展覧会「院展」を観てきたのですが、2つの点で驚かされました。
ひとつは、「え~!これが~!」と驚くほど作品のレベルが落ちていました。昔と比較すれば、気迫からして差が出てしまいました。
もうひとつは、その反対に「なんだ!これは!」というほど、作品が大きくなったことです。このバカでかい絵がかけられる場は、公共施設等は予算の大幅縮小なのでその可能性は低く、それではと普通の住宅にかけられれば、絵の全体像を観るには、家の外に出て見るしかない大きさなのです。
「院展」は、伝統にしがみ付いているうちに、時代潮流の変化、社会動向の変化、人の志向の変化に大きく取り残されて、そのうち忘れられるのではと思うのは私だけでしょうか。
私は展覧会での絵の発表は一切しないことにしています。
なぜなら、展覧会で発表することが画家としての常道であり、私は常道だけは歩まないと決めており、たえず異端の道を歩きたいからです。
画家は作品を発表することは必須条件ですが、私はインターネット一本で発表することにしています。そこに通常の展覧会よりはるかに多くの可能性を感じるからです。しかし現実は出版化がなされたため、実際はインターネット+出版物が私の作品発表の場となりましたが・・・。
インターネットでの発表となれば、大きな絵を描く必要はなく、むしろ小さく描くほうが線画とのバランスがよく、A4サイズに収まる大きさがピッタリするようです。
インターネットでの展覧会の特徴は、24時間オープンで、世界中の人が自由に観ることが出来ます。新しい絵の更新も自由で、絵に言葉を添えたり、企画化することも出来ます。
コメントなどの相互の更新も可能で、これからいろいろの可能性が広がっていく世界なのです。
たとえば、上の絵は来年の干支であるトラの絵を描いたものです。
年賀状に描くイラストの参考としてこれらの絵を利用したり、もしくはそっくりそのまま年賀状のイラストとして転用することも出来ます。
このサイトへのアクセス数は、年末になるに従いものすごく多く、それだけ多くの方がこの絵を楽しんでいることになるわけです。
私はインターネットの絵を通して、自由に人が交流し、生活の中で身近に楽しめるそんな絵の世界を築いていきたいのです。
ひとつは、「え~!これが~!」と驚くほど作品のレベルが落ちていました。昔と比較すれば、気迫からして差が出てしまいました。
もうひとつは、その反対に「なんだ!これは!」というほど、作品が大きくなったことです。このバカでかい絵がかけられる場は、公共施設等は予算の大幅縮小なのでその可能性は低く、それではと普通の住宅にかけられれば、絵の全体像を観るには、家の外に出て見るしかない大きさなのです。
「院展」は、伝統にしがみ付いているうちに、時代潮流の変化、社会動向の変化、人の志向の変化に大きく取り残されて、そのうち忘れられるのではと思うのは私だけでしょうか。
私は展覧会での絵の発表は一切しないことにしています。
なぜなら、展覧会で発表することが画家としての常道であり、私は常道だけは歩まないと決めており、たえず異端の道を歩きたいからです。
画家は作品を発表することは必須条件ですが、私はインターネット一本で発表することにしています。そこに通常の展覧会よりはるかに多くの可能性を感じるからです。しかし現実は出版化がなされたため、実際はインターネット+出版物が私の作品発表の場となりましたが・・・。
インターネットでの発表となれば、大きな絵を描く必要はなく、むしろ小さく描くほうが線画とのバランスがよく、A4サイズに収まる大きさがピッタリするようです。
インターネットでの展覧会の特徴は、24時間オープンで、世界中の人が自由に観ることが出来ます。新しい絵の更新も自由で、絵に言葉を添えたり、企画化することも出来ます。
コメントなどの相互の更新も可能で、これからいろいろの可能性が広がっていく世界なのです。
たとえば、上の絵は来年の干支であるトラの絵を描いたものです。
年賀状に描くイラストの参考としてこれらの絵を利用したり、もしくはそっくりそのまま年賀状のイラストとして転用することも出来ます。
このサイトへのアクセス数は、年末になるに従いものすごく多く、それだけ多くの方がこの絵を楽しんでいることになるわけです。
私はインターネットの絵を通して、自由に人が交流し、生活の中で身近に楽しめるそんな絵の世界を築いていきたいのです。