ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

感動を育むには 毎日合っても、初めての出会いの気持

2008-08-30 04:56:26 | 犬たち
皆さんもご存知の名人とも言われる著名な落語家がこんな話をしていました。
古典落語でみなさんご存知の題目の噺をするとき、その題目は彼にとって何百回も演じたものであり、それを聞くお客も噺のスジはおろか一語一句を空で言えるほど知っていることを承知の上で演じるそうです。
そんな噺をする場合のコツは、何百回も演じたにもかかわらず、初めての客に向かって初めて新ネタを披露するようなドキドキした気持ちで演じることだそうです。
そしてより重要なのはお客の落語への接し方です。
聞くお客にも上手下手があり、下手な客は「な~んだ、また同じか」とガッカリして聞き、上手な客はその噺に始めて接するような新鮮な気持ちで聞き、心の底から笑うことだそうです。
聞き方の上手下手で、落語の深さが全く違ってくるようです。

年を重ね、経験を積んで、分別が出来分るようになる年代は、感情を表に表さないことを学ぶ年代になるともいえます。世渡りには手の内を見せては不利になる場合が多いのです。
感情を押さえ、表情に出さないことが当たり前のように出来るようになると、使われなくなった感情や感動のセンサーが錆付いて機能しなくなる場合があります。これはとても恐ろしいことなのです。
感動することは生命を謳歌することです。仕事や世渡りが上手になっても、人生を謳歌する感性が弱くなれば、なんのための人生でしょう。

私は美術大学を出たのですが、その当時はそれなりに豊かな感動のセンサーを持っていましたが、その後上京し、すれっからしの東京砂漠でドタバタし冷や汗ばかりの日々を過ごし、見事に感情を抑えて世渡り出来るようになりました。
そして50歳から絵を描き始めたのですが、その時感動のセンサーのあまりにもひどい現状に愕然としました。感動の衰えは如実に絵に出ていたからです。絵は感動を表現するメディアですから、砂漠のような無味な絵しか描けませんでした。
それから15年絵を描き続けているのですが、それは絵の上達であると同時に感動のセンサーを復活させる訓練でもありました。

落語の聞き方にも上手下手があり、上手な聞き方は初めて聞くように接することだと前記しましたが、その話の中に感動を育むヒントがありそうです。
私は毎日1万歩歩いています。それも全く同じ道を歩いています。しかし毎回毎回その道を初めて歩く気持ちで歩くように努めています。
すると季節の移り変わり、自然の変化、人の営みの面白かが毎回毎回発見できるような気がします。

感動はまだ見ぬ世界や名所だけにあるのではなく、当たり前の日常の中にこそ潜んでいル野ではないでしょうか。もしそれでも退屈な風景しか映らないというならば、それは風景のせいではなく、私たちのほうが退屈な感性になってしまったのかも知れません。



「朝バナナ・ダイエット」で、念願の数値が下がった!

2008-08-25 14:46:59 | 犬たち
開始当初(5月1日)の体重は76キロでしたが、「朝バナナ・ダイエット」で現在は6キロ減の70キロの大台を切りました。
最終目標を69キロに設定していたのでゴールはすぐ目の前ですが、この調子ならこのまま続けて67キロぐらいにまで行こうかな~と思っています。

ダイエットによる効果は体重以上に、念願の数値も劇的に下げました。
私はいたって健康なのですが、持病まではいかないものの問題点といえばは高血圧です。
血圧が高いのはいわば体質のようなもので、40歳以降の誕生日検診では必ず指摘され、たばこも止め、4年前から薬を常用しているのですが、いっこうに血圧が下がりません。そのためいろいろのことを試行錯誤していましたが、その中で体重が減れば血圧が下がることを発見し、いろいろなダイエット方法にトライしましたがどれも三日坊主。今度もどうせ流行モノなどダメだと思いながらも「朝バナナ・ダイエット」を実施したところ、そんなに苦痛もなく成果をあげることができました。
実施前の血圧は145-90前後と堂々の高血圧症なのですが、最近では何度計っても120-70以下と、正常な数値を示しています。
この数値は私にとっては夢のような数値で、それは体重減少によるものなのか、1万歩を習慣化したための体質の変化によるものなのか、バナナに含まれるカリウムなどの摂取も影響しているのかわかりませんが・・・。

私の「朝バナナ・ダイエット」は私流で、いわゆる「朝バナナ・ダイエット」だけでなく、「1日13000歩・歩行」の2つを組み合わせて1セットとなっています。
「朝バナナ・ダイエット」は昼食・夕食は通常食でいいのですが、朝食はバナナと水だけで済ます方法です。昼と夕は通常食といいましたが無茶食いは厳禁。元に戻すのに数日かかるため腹八分目で通すことが大切です。
「1日13000歩・歩行」は通常生活は3000歩として、1万歩は計画して毎日しっかり歩く習慣が必要です。
このコツは楽しみながら歩くこと。私の場合は、夏は暑いので早朝の鎌倉海岸の右端から左端をカメラ片手に往復するとても楽しい散歩でした。

「朝バナナ・ダイエット」で、体だけでなく、気分も若返りました。
突き出た腹がいくらか引っ込み、体が軽く感じられます。
風呂上りの鏡の前で、胸を広げ腹を引っ込めて、ちょっと精悍な顔で鏡に映る自分をにらみつけると、「おっ、若くなった!カッコイイ!」と一人薄ら笑いを浮かとべる65歳の私なのです。





ワーキングプアを避けるキーワードは「オリジナリティ」

2008-08-21 14:07:31 | 犬たち

格差社会の現象として「ワーキングプア」が社会問題となっているのはご存知のことと思います。
ワーキングプアをつくる多くの場合は、バブルの崩壊やリストラ以来企業は人件費の節減のため、正社員の雇用を縮小し、逆に非正社員である契約社員・派遣社員・パートタイマーなどに依存したため、その底辺の労働者がギリギリの生活維持さえ困難な収入、時として生活保護の水準以下の収入しか得られない働く貧困層をいいます。
その対象者はけっこう多く、年収200万円以下の労働者の割合は全就業人口の18%にもなろうとしています。

私がこの中で注目したのは、ワーキングプア層の仕事内容に共通性があることです。
その仕事の特色は、誰がやっても結果が同じくなる仕事だということです。いわゆる単純作業というものです。
雇用する企業の立場からすれば、結果が同じ仕事なら、人件費などの出費を抑えるのは当然のことといえば当然のことなのです。 その仕事の収入が不満なら、止めてもらって他の人に代われば済むことですから。

自然界は弱肉強食の戦いで成り立っているように、人間界では太古の昔から当然ながら格差の歴史でした。
となれば格差社会を非難しても何の解決にもなりません。それよりも格差社会の存在を認めた上で、その中で個々人がより上を目指す、具体的にはワーキングプアからステップアップするしか解決の道がないように思います。

そのキーワードは「オリジナリティ」にあるのではないでしょうか。

ここでもう一度ワーキングプアの特色と避け方を引き出してみると、
    誰がやっても結果が同じくなる仕事ですが、
    その逆は、他の誰でもない、その人でなければできない仕事です。

その人でなければ出来ない仕事のためのオリジナリティとは、抜きん出た得意分野を持つことだろうし、魅力的で独自のキャラクターもあるだろうし、ユニークな発想力でもあるかもしれません。
ワーキングプアは人余り現象から生じるのですが、一方でオリジナリティ溢れる人材が絶対的に不足しています。これからの時代、オリジナリティのある人材が企業や時代をリードしていくからです。

 話がカラリと変わって、上の絵は新企画「か~わいい肖像画」の猫のジャッカルちゃんの肖像画です。
ジャッカル:「毎日食っては寝る日々ですが、ワーキングプアの心配もなければオリジニリティも関係ありません。飼い猫ほど楽な就職先はないとしみじみ思っている今日この頃ですニャン」。

 


「自然を表現することで、心を表現する」ような絵が描きたい

2008-08-18 17:03:55 | 犬たち
お盆の喧騒を過ぎると、とたんに「もう秋もそこまで来ている・・・」というちょっとセンチな気分になってきませんか。
わが家は逗子と鎌倉の2大花火大会の絶好の見物地であると同時に、すぐ近くの逗子マリーナではお盆の3日間に野外コンサートが開催され、居ながらにして無料で音楽が聴けるわけで、そのうるささもハンパではなく、お盆を過ぎると秋風らしきものが吹きはじめ、忘れかけていた静かな生活に突然戻ることが出来るわけです。 ほっ!

静かな生活が性に合う年代になってきたようです。
私のビジネスマン時代は、“社会や人”と向き合った喧騒の毎日でしたが、この年にもなると、“自然”と向き合っている静寂な時こそ自分にピッタリな気がします。

それにしても“社会や人”とは疎遠になりました。
人との接触は、比べようもなく少なくなり、時として人に合うことが面倒になってきました。情報や流行に興味が薄らいできました。本を読まず、新聞を購読しなくなったのがその表れかもしれません。東京や横浜などの都会には、よほどの用件がなければ行かなくなりました。

それに比較して“自然”にとても関心が高くなってきました。
季節の移り変わりや自然の変化に敏感になりました。毎日同じコースを歩くがゆえに、季節の移り変わりを体一杯体感しています。必ずポケットにカメラを入れ、素晴らしい情景は見逃さない習慣を身につけました。

最近私が求める絵の方向に「俳句」の視点があるのでは、と思うようになってきました。
「俳句」は17文字という極めて短い言葉であるがゆえに、誰でも創れて誰にでも共感でき、それに加えて季節感を必ず入れるというところがすごいのです。
日本人の日々の営みは、深く自然や季節の移ろいの機微とともにあったのですね。
私も「自然を表現することで、心を表現する」ような絵が描きたい気分になてきているのです。

ずいぶん昔のことなのですが、俳人の故・中村汀女さんにインタビューした際、たまたまその時は土砂降りの雨の日だったのですが、「こんな天気では俳句も創りにくいですね~」と言ったところ、中村さんは諭すように「どんな季節でも、どんな場所でも俳句の世界になるんですよ」と言って、とっておきの俳句を紹介してくれました。

    雨ふれば 雨に出て行く 草萌る  汀女

う~ん。自然と一体となって生きるところに俳句があり、して絵があるのかもしれません。



赤塚不二夫さんからの明日への遺言  「これでいいのだ!」

2008-08-14 10:49:27 | 犬たち
漫画家の赤塚不二夫さんが72歳の生涯を終えました。
赤塚さんは“ギャグ漫画の王様”といわれ、「天才バカボン」「おそ松くん」など数々のヒット作を連発し、ニャロメ・レレレのおじさん、「シェー」などのキャラクターや流行語も数多く生み出しました。

私は働き盛りの時の赤塚さんに何回かお会いしましたが、その中でも最初の出会いを今でも鮮明に記憶しています。
原稿の依頼を電話したところ、夜でしたらお会いできますとのことで、夜の8時ごろ事務所にお伺いしましたが、事務所は異様な熱気に包まれていました、
数十名のスタッフたちは、誰一人休むことなく必死に作業に集中しており、その熱気とは対照的に赤塚さんと数名の背広組は明るく酒を酌み交わしていました。
私も何はともあれ「ま~一杯!」と酒を酌み交わす中で、ようやく事務所内の全貌がわかってきました。
背広組は出版社の編集者で、数名いるということは数誌の締め切りが今夜で、出来上がるであろう原稿を酒を飲みながら待っており、スタッフはそのために必死に原稿を仕上げているのでした。一方の赤塚さんは背広組との会話を介して、次のネタを模索している三者三様の風景でした。
そのようなギリギリのテンション状態は連日連夜のことで、それは赤塚さんもスタッフも背広組もみんな慣れっこというより、楽しんでいる風でもありました。

赤塚さんとの出会いを重ねるうちに、とてもといいますか、異常なほど優しくてシャイな方だと知りました。決して怒ったり人を傷つけることはなく、温和そのものの人であることを知りました。
昼夜を問わず酒を飲み、飲まないときは酒に氷を入れているときだけ、という側近の方の話でした。
そのような彼の創作の根底をなすもの、そして彼の生き方の哲学がなんとなくわかるようになってきました。それは流行語にもなった一言「これでいいのだ!」にすべてを言い表しているのではないかと思うようになりました。

「これでいいのだ!」はすべての行為の後に付けるとよくわかります。たとえば
    失敗しても、これでいいのだ!。
    無為に過ごしても、これでいいのだ!。
    人を傷つけられても、裏切られてもこれでいいのだ!。となるわけです。
それはすべての出来事、すべての存在するものを肯定することであり、積極的に認めることでもあります。そこに圧倒する優しさがあると思いませんか。
そうして明日に向かって、何のわだかまりもなく、何の暗さもなく、前向きに踏み出すことを意味しています。
それはポジティブ・シンキングに生きることそのもののように思えました。

このブログのタイトルは当初より「ノー天気画家の生活日記」で、プロフィールは「悩まない・悔いない・恨まないが私の生き方のモットー」となっていますが、まさにそれは「これでいいのだ!」と同じことを意味していると思います。

わが半生を振り返れば「これでいいのだ!」と思い、私があの世に行くとき「これでいいのだ!」と思うのでしょうね。