ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

性格なんて、変えようと思えば簡単に変えられる

2011-05-28 10:59:45 | 犬たち

 

これまでの絵画教室のひとつであった東京の大森教室を閉講としました。

その代わりに新たに辻堂教室を新設し、これまでの横須賀教室とあわせて2教室となったのですが、大森教室がなくなったことがどういうわけか「へばりついていた悪霊」がようやくとれたみたいに、やたらうれしいのです。

                

なぜそんなにうれしいのでしょうか?

その原因は別に教室には不満などなかったのですが、都会に出るのが苦痛だったのです。

大森は東京のはずれ、都会というにはおこがましいかもしれませんが、私にとっては都会そのもので、都会独特のにおいや、交通手段としての電車も苦痛だったかもしれません。

上の絵は東京墨田区の向島の風景ですが、ほとんど都会の街並みなど描いたことがない私ですが、描いてもわざと濁った色で汚してしまいたくなる私なのです。

 

田舎生まれで田舎育ちの私の青年時代は、東京に住むのが夢でした。

地元の大学を卒業したのですが、東京の広告代理店に就職することが出来、都心の職場で時代の最先端の情報産業に身を置き、馬車馬のように働いてきました。

当初は都会生活に馴染むのが大変でしたが、そのうちに身も心も東京人に染まっていく自分を感じ、出張などで数日東京を離れ、帰りの飛行機から東京の無数の明りが見えると、「この地が私の唯一の安住の場所!」と、熱いものがこみあげるほどのアイデンティテイとして感動したこともありました。

 

つまり私は都会好きから都会嫌いに、価値観と言いますか性格が大きく変わってしまったのです。

 

私は経験から培った持論があります。

DNAは変わらないけど、「性格」は変えようという強い意志さえあれば、簡単に変えることができる。

 

退職後は画家をはじめましたが、ビジネスマン時代の後半の20年間は小さな広告代理店の経営をし、それなりに情熱をもって働きました。

その経営者と画家の職業は、共通するところがないほど違っており、魚屋がバレリーナになったほどの違いでした。

戸惑いながらも画家の仕事に没頭しているうちに、それ以前に形成された価値観が仕事の弊害になることを随所に感じ、極端に言えばビジネスマン根性では絵が描けぬことがわかってきたのです。

ビジネスマン的性格といえば組織の合意や協調から考えるのですが、独創性やオリジナリティを第一とする画家的性格に変える必要があったのです。

仕事は人格を作ると言われますが、画家になることにより性格だけでなく価値観から人生観、生き方そのものまですべて変わってしまったようです。

 

それが良かったか悪かったか?

自分の目的とする時代時代を生き抜く最適な人格に変貌するわけですから、当然良いに決まっています!!

それだけでなく人生は一回きりなのにひとつの人生で2度違う人生体験が出来るということもあり、それだけ大きな喜びを実感できることにもなるのです。

 

「性格」は変えようという強い意志さえあれば、簡単に変わることができると言いましたが、強い意思を持つことに加えもうひとつ重要なことがあります。

それは過去や思い出・伝統などを引きずらないことです。こだわらないことです。

過去を否定するのではなく、これまでの経験を活かそうとかの過去はもう過ぎ去ったこととして一時忘れて、新人の心で未来に向かってまい進する姿勢こそ、新しい自分づくりのカギかもしれません。

 

 

 


田舎で生まれ、都会で輝いて老いるために

2011-05-22 13:18:53 | 犬たち

 

田舎で生まれ、都会で老いる人たちへ

 

都会の中高年の男性の孤独化が、社会問題となっています。

特に田舎で生まれ育ち、都会に出て必死に働き、定年退職してもそのまま都会で老後を迎える人こそ、深刻な「孤独」というダメージの危険性をはらんでいます。

まさに私がその状況にピタリと該当するのです。

 

私は昭和18年・石川県の田舎生まれで、22歳の時就職のため上京したのですが、その当時の就業者の約20%は農水業従事者でした。

その後の日本の急速な経済成長は都市型産業の発展によるものであり、多くの若者が故郷を離れ、都市を働く場として生活拠点を移しました。その結果として2005年の第一次産業従事者は5%を切るまでになったのです。

つまり田舎で生まれ、都会で働き・老いていく私たちは、日本の激動の時代の大きな流れに乗せられていたのかもしれません。

 

都会に出た私たちは必死に働きました。

そして疲れ果てて定年退職を迎え、何もしない日々を過ごすうちに、これまで培ってきた社会との絆がプツリプツリと切れていくことを実感すると同時に、これから終の棲家となるこの地には何の絆もないことに気づきました

外にも内にも絆がない孤独感は、田舎で生まれ、都会で老いるものに共通する孤独感だったかもしれません。

 

そんな状況の中で、私は絵を描くことでの第2の人生を歩む決心をしました。それも「趣味として絵を描く」のではなく、「プロの画家として絵を描く」こととして・・・

60歳から絵を描くのは「趣味」として捉えるのは一般的ですが、あえて「プロの画家」と宣言したのは、甘えや言い訳を排し、妥協を許さない厳しさと、夢に向かってまい進する強い気持の中でしか、次への人生が拓けないと思ったのです。

それからの私はいつ注文がくるかもわからない絵を、毎日毎日描き続けるうちに、大げさに言うならばこれまで味わったことのないような「生きる喜び」を、ふつふつと実感するようになりました。

それは「夢中」になっている自分の発見でした。

それにより「孤独」は苦痛ではなく、「夢中」を守ってくれる防波堤に変わっていました

 

私たちには多感な青春時代に故郷の田舎を離れ、戸惑いながらも都会生活に馴染むための辛くて厳しい経験を持っています。

その私たちが都会で輝いて老いるには、あのときの「夢に向かってまい進する志=夢中」こそがカギになると確信しました。

 

 


創造的生活を志向するなら、まず本を捨てること

2011-05-17 05:40:02 | 犬たち

 
私は久しく本を読んでいません。
定年退職前までは本の虫でしたが、第2の人生を画家として出発してすでに8年経つのですが、その間本を1冊も買ったことも読んだこともありません。本当です。
新聞の購読も止め、雑誌などもご無沙汰しており、ついでに言えば1本も映画を観ていません。
情報といえばTVの聞き流しと、インターネットということになり、以前と比較して桁違いの情報の少ない日々を送っています。

本を1冊も買ったことがないと言いましたが、その間私は8冊の著作をし、延べ14万部の本を世の中に送り出しました。
それだけではなくこのブログをたえず更新するように、絵を描くだけでなく文章も書き、現役時代と比較してはるかに知的で創造的な生活を送っているといえるのです。                                          

私は意識して本から離れたのではなく、画家としての生き方を最優先する日々を送っているうちに、気がつけば本のない生活になっていたのです。
その最大の理由は、画家はオリジナリティこそ生命線であるように、情報発信は一人称であり、世の中の常識や多数意見よりも、「私はこのような意見をもつ!」という自分発の主張こそ必須な職業だと思っています。
だから「本を読む」ひまがあったら「思考すること=自分の主張を発見すること」にエネルギーを費やし、それが創造的生活の基盤となっていると確信しています。
たとえばこのブログも誰の意見を参考にしたものでもなく、私が考えた私の意見です。
 

そしてもうひとつの理由は、私は過ぎ去ってしまった過去よりも、これから始まる未来に興味があるのですが、大半の本は過去のことをあれこれ書いているに過ぎず、私の求める未来に関しての情報の量も質も不満だからです。 
たとえば 明日・1年後・10年後 世の中どうなるか?ということを私はずっと考えているのですが、そんな茫漠とした課題に答える本など捜すだけでも大変なような気がします。
未来は過去の中にある!と言われますが、それは屁理屈以外の何者でもなく、
世間の情報などの助けに頼っていなくて、自分で考えることにしています。 

考え、そして発見する!

私は考えることが大好きです。時の過ぎるのも忘れて考えるときがあります。
イメージが次から次へと頭の中で展開し、そして新しい世界がおぼろげながら見え、その世界を覆っていた霧が晴れるように鮮明になってきた時、、そこは自分しか知りえない未知の世界がひろがっているのです。
それを発見した時には無上の喜びを感じる、そんな創造的生活を楽しんでいる私なのです。 


創造的生活を志向するなら、まず本を捨て、そして自分の思考を信じること。

 

  


原子力に替わるエネルギーは自給自足型

2011-05-07 16:24:11 | 犬たち

 

福島原発の放射能漏れ事故に端を発し、菅総理大臣が中部電力の浜岡原子力発電所の停止を要請しました。

現在の原子力発電は総発電量の30%ですが、10年後は40%を越すことを目標としたように、これまでのエネルギー戦略の中心に原子力を据えてまい進してきたのですが、その方向にはっきりNOが出たことを意味しています。

それはとりもなおさず原子力発電に取って代わる「新エネルギー戦略」を構築することですが、以下私なりの「新エネルギー戦略」を考えてみました。

 

「新エネルギー戦略」の基本は、自給自足型。

 

これまでのエネルギー戦略は、電力会社の巨大施設で生産された膨大な電気が、網の目のように無数の家庭や事業所に送られる一方通行型の方式でした。

それに対して「新エネルギー戦略」は、各家庭や事業所の小さな発電施設で電力を生産し、同時にそこで消費するいわば自給自足型が基本となり、それに加え、余った分を電力会社に売り、逆に不足した場合は電力会社から買うなど、電力会社と生活者の関係は、相互依存型の方式となります。

つまり日本中の無数の家庭や事業所が無数の発電と消費を自給自足で行うことが「新エネルギー戦略」の基本となるのです。

そしてそれを可能にするのはソーラー(太陽光)発電が最適となるのです。

 

ソーラー発電は一般住宅などの小規模対応が自在にでき、仕組みが単純なため機械的故障がほとんどなく、出力ピークが昼の需要ピークと重なるなどの長所を持っています。

そのほかCO2を全く出さない再生可能エネルギーであることも重要な魅力となります。

短所は何といっても電力量あたりのコストが他の発電方法に比較して23倍と高く、エネルギーの事業化には不向きですが、その分家庭対応に適合しているのです。

また天候や気温・昼夜により発電量に大きな差があり、電力会社との相互依存がなければ安定利用が不可能となるのです。

 

政府の方針としてソーラー発電を起点とした「新エネルギー政策」を実施するとすれば、政府は導入に対して思い切った補助金等により、大々的な普及活動を促進するはずであり、導入数が増大すればそれだけコストダウンも図られ、普及が加速できるのです。

一家に一台冷蔵庫があるように、一家に一台ソーラー発電が普及するようになれば、「新エネルギー戦略」の完成となり、圧倒的に強い日本が復活することになります。

またこの活動を通して日本独自の技術開発も期待でき、それは世界を市場とする巨大な産業となると想定されます。

 

これまでの話は私の意見のように書きましたが、実はソフトバンク社長・孫正義氏が私財10億円を投じて「自然エネルギー財団」を設立しましたが、それに関する氏の発言から類推して書いたものです。

とはいえ氏は新エネルギー戦略とか、自給自足とか、一家に一台ソーラー発電とか言っていなく、私が勝手に書いたものです。

私は孫正義氏ほど大胆にそして鋭く未来を切り開く天才はいないと深く尊敬しており、たぶん氏のイメージする方向に時代は動くと確信しています。


「モナリザ」も一歩間違えれば、薄ら笑いのおばはんを描いた絵で終わっていたかも

2011-05-01 15:59:16 | 犬たち

 

トレース水彩画技法の新企画「合成で新しい世界を」を開始しました。

 

トレース水彩画では素となる写真をトレースして絵を描くわけですが、これまでは写真は1枚でしたが、今回の技法は写真を複数枚合成することにより、この世に存在しない?新しい世界が表現できることとなるのです。

上の絵は人物の写真と、背景の街の写真を合成して描いたもので、トレース水彩画だからこそ出来る表現方法だと思っています。

 

話が変わって、世界の至宝「モナリザ」の絵をご存知ですね。

この私の拙い画法の説明のために世界の至宝「モナリザ」を引き合いに出すなんて、ダヴィンチさんに申し訳ないのですが、「モナリザ」は深緑の衣装を着た女性の半身の肖像画です。

その魅力はなんといってもかすかに微笑んでいる顔の表情にあるようで、その微笑が世界中の絵画ファンを引き付けている摩訶不思議な魅力となっているのです。

しかしこの絵をよく観察してみると、主役のモナリザもさることながら、背景となっている風景、山とか森の間を曲がりくねった道と橋がある不思議な風景ですが、それが絵の魅力を増幅させる重要な役割を担っています。

それではダウィンチさんがこの絵を描くとき、モナリザをそのような風景の場所に連れて行き、そこで正直に描いたのでしょうか?当然ながらそうではありません。

人物はアトリエで描かれ、背景となる風景はダヴィンチのイメージする想像上の風景を、キャンバス上で合成して描いたのは明らかです。

もし背景をアトリエの無機的な白い壁にしていたら、「モナリザ」はこれほどまでの高い評価を受けなかったでしょうし、下手をすれば、うすら笑いの中年のおばはんの絵という評価で終わったかもしれません。

つまり「モナリザ」の絵は、合成によって描いたからこそ摩訶不思議な魅力となり、歴史的な芸術作品となったのです。

 

新企画「合成で新しい世界を」は、具象的に描くものの、現実にありえない情景を描くのが得意な画法です。

私はこの機会に私のイメージの中の心象風景を描いていこうと思っています。

ぜひご期待ください。