これまでの絵画教室のひとつであった東京の大森教室を閉講としました。
その代わりに新たに辻堂教室を新設し、これまでの横須賀教室とあわせて2教室となったのですが、大森教室がなくなったことがどういうわけか「へばりついていた悪霊」がようやくとれたみたいに、やたらうれしいのです。
なぜそんなにうれしいのでしょうか?
その原因は別に教室には不満などなかったのですが、都会に出るのが苦痛だったのです。
大森は東京のはずれ、都会というにはおこがましいかもしれませんが、私にとっては都会そのもので、都会独特のにおいや、交通手段としての電車も苦痛だったかもしれません。
上の絵は東京墨田区の向島の風景ですが、ほとんど都会の街並みなど描いたことがない私ですが、描いてもわざと濁った色で汚してしまいたくなる私なのです。
田舎生まれで田舎育ちの私の青年時代は、東京に住むのが夢でした。
地元の大学を卒業したのですが、東京の広告代理店に就職することが出来、都心の職場で時代の最先端の情報産業に身を置き、馬車馬のように働いてきました。
当初は都会生活に馴染むのが大変でしたが、そのうちに身も心も東京人に染まっていく自分を感じ、出張などで数日東京を離れ、帰りの飛行機から東京の無数の明りが見えると、「この地が私の唯一の安住の場所!」と、熱いものがこみあげるほどのアイデンティテイとして感動したこともありました。
つまり私は都会好きから都会嫌いに、価値観と言いますか性格が大きく変わってしまったのです。
私は経験から培った持論があります。
DNAは変わらないけど、「性格」は変えようという強い意志さえあれば、簡単に変えることができる。
退職後は画家をはじめましたが、ビジネスマン時代の後半の20年間は小さな広告代理店の経営をし、それなりに情熱をもって働きました。
その経営者と画家の職業は、共通するところがないほど違っており、魚屋がバレリーナになったほどの違いでした。
戸惑いながらも画家の仕事に没頭しているうちに、それ以前に形成された価値観が仕事の弊害になることを随所に感じ、極端に言えばビジネスマン根性では絵が描けぬことがわかってきたのです。
ビジネスマン的性格といえば組織の合意や協調から考えるのですが、独創性やオリジナリティを第一とする画家的性格に変える必要があったのです。
仕事は人格を作ると言われますが、画家になることにより性格だけでなく価値観から人生観、生き方そのものまですべて変わってしまったようです。
それが良かったか悪かったか?
自分の目的とする時代時代を生き抜く最適な人格に変貌するわけですから、当然良いに決まっています!!
それだけでなく人生は一回きりなのにひとつの人生で2度違う人生体験が出来るということもあり、それだけ大きな喜びを実感できることにもなるのです。
「性格」は変えようという強い意志さえあれば、簡単に変わることができると言いましたが、強い意思を持つことに加えもうひとつ重要なことがあります。
それは過去や思い出・伝統などを引きずらないことです。こだわらないことです。
過去を否定するのではなく、これまでの経験を活かそうとかの過去はもう過ぎ去ったこととして一時忘れて、新人の心で未来に向かってまい進する姿勢こそ、新しい自分づくりのカギかもしれません。