ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

いい男は、振り返らない

2013-12-31 19:57:47 | 犬たち


明けましておめでとうございます。

新年にあたり今年のモットーなどといった大げさなことを書くつもりはないのですが、日ごろから考えていたことをテーマにしたいと思います。 題して

  いい男は、振り返らない。

それは男に限らず、人の生き方、特に中高齢者の生き方についての話です。
ここでの「振り返らない」という意味は、後ろの過ぎ去った過去よりも、前の未来に心を置く生き方を提唱しており、具体的には明日への夢や希望、そして目標を持つことであり、その夢は夢で終わるのではなく、その実現のために計画を立て、実現するための具体的な行動を起こすことを言っています。

若者は未来に重きを置くのは当然としても、老人ともなればこの先の長さよりも、これまで生きてきた過去のほうがずっと長いため、これからの心のよりどころは、過去を振り返ることに価値があるという意見もあります。
しかし私はその考え方は間違っていると断言できます。
なぜなら私の知る限り、夢と希望を持って明日を見つめる老人のほうが、過去の栄光の思い出にすがる老人よりも圧倒的に輝いているからです。

だから年少者であろうが年配者であろうが、もっと言えば余命いくばくもない人であろうが、夢と希望を持つ未来志向こそが、活力ある生き方が実現できるのです。


ホームランの世界新記録を作った王選手はこんなことを言っていました。
ホームランを量産するその秘訣は何でしょうか? という質問に答え、「最も大切なことは、これまでの過去のホームランの栄光をすべて忘れること」にあるということ。
そして「次の試合・次の打席でいかに1本のホームランを打つか、ただそれだけにこだわり、すべてを集中すること」・・・つまり過去を捨て去り、すべてを次に賭けることこそ最大限の自己能力を発揮できたのです。

 

私は70才ですが、退職してからすでに10年も経ちましたが、退職後こそ心の持ち方ひとつで、その後の人生が大きく変わるということを思い知らされました。
その選択を象徴する言葉として、「卒業」と「出所」2つのキーワードがあります。

退職者に向けたはなむけのあいさつの常套句として「長く務めたこの会社を卒業して、新たな世界に・・・」と言いますが、その時の「卒業」という中に、これからもこれまでの経験や人脈を生かすという継続性の意味が込められています。
一方の「出所」は、過去に罪を犯し、その罰としての刑期を終え娑婆に出る状況を言っているのですが、「出所」の際には、過去との継続性は微塵もなく、ゼロからの出発という強い決意が感じられます。

結論から言えば、「卒業」よりも「出所」の心構えで再出発した人の方が、はるかに高い確率で第二の人生を充実しているようです。
それは過去を断ち切り、未来に人生を託したからでもあります。
もっと言えば、第二の人生を歩むうえで第一の人生で引きづってきた経験や人脈は手足まといとなって、生きがいづくりの進行を遅らせてしまうのです。
つまり過去を潔く捨て去ることこそ、未来が拓ける鍵となるのです。

ちなみに私の退職は明らかに「出所」のパターンをたどりました。
40年務めた会社で深く感謝の念を持っていますが、退職以降一度も会社を訪れたことはなく、偶然街で出会った以外は、仕事仲間の誰とも会っていません。
私にとっての第二の人生は画家になることでしたが、その「出所」の気持ちが、画家としてのロケットスタートとなれたと思っています。 


・・・というわけで、いい男だけでなく悪い男も、いい女だけでなく悪い女も、今年は後ろなど振り返らずに、そして過去のことでくよくよせずに、気持ちのおもむくままにドンドン前にすすみましょう!


悲しい時はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう・・・

2013-12-24 19:38:30 | 犬たち

私は落ち込んでいました。

その理由は、15年間連れ添った愛犬モモタロウが天に召されたからです。
モモタロウの長い闘病生活を通して別れの覚悟が出来ていたのですが、いざ亡くなると無性に寂しくそして深い悲しみが押し寄せてくるのです。

70年の人生を振り返れば、身を裂くような別れや、耐え難い悲しさを何度も経験してきましたが、それらの経験を通して、時間の経過が心を癒してくれることを実感してきました。
そんな心境を的確に表現しているものとして、まず浮かぶのは中島みゆきの代表作「時代」ですが、その詞の一部をご紹介します。

    今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
    もう二度と笑顔になれそうもないけど

       そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
       あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ

            だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう・・・

中島みゆき23才の時に作った歌なのですが、自分自分の作った歌なのに、最近になってその詞の意味の深さを知ったと語っているのを聞いて、さすが彼女は昔も今も天才だと思ったのです。
その中でも今の私の心に染み入るのは「だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」というセンテンスで、「そうだ!私もくよくよしないで、今日の風に吹かれよう!」と強く思っていたのです。

それではモモタロウを失った今、どんな風に吹かれればいいのでしょうか?
リビングのソファーに腰掛けながら外の景色を見ていて、突然ある考え(アイデア1)が浮かびました。
目の前に広がる鬱蒼と茂る木の枝を切ることを思い立ったのです。

上の写真は長髪の木村拓哉がスキンヘッドになったように、右の餅木の枝をことごとく切った後の風景を写したものです。
我が家は海の見える高台にあり、リビングにバリアフリーでバルコニーが広がっているのですが、これまでは右の木の枝がバルコニーを覆い、森の中のバルコニーという雰囲気でした。
しかし木の枝を切ることにより、視界が大きく広がり、太平洋を広く見渡すことが出来るようになりました。

そうしてリビングのソファーに腰掛けながら海の情景を見ていて、突然ある考え(アイデア2)が浮かびました。
この解放感あふれる景色に似合うソファーを、買い替えることを思い立ったのです。

いろいろ探し回った挙句、北欧的家具のそろっているIKEAに、明るいブルーのソファーセットを発見し、それを購入しました。
そうしてブルーのソファーに腰掛けながら外の景色を見ていて、突然ある考え(アイデア3)が浮かびました。
そうだカーテンも変え、部屋のレイアウトも変えなくちゃ・・・と果てしなくイメージの世界が広がっていくのです。

私にとっての今日の風に吹かれるとは、木の枝を切ろうという衝動から出発したのですが、結果から見れば3人家族が2人家族になる、その生活環境の変化を先取りしたものになったようです。

そのようにくよくよしないで、今日の風に吹かれているうちに、
時間の流れと変化の流れの中で、「深い悲しみ」が「忘れえぬ思い出」に静かに変わりつつあることを実感していったのです。


流行語大賞「倍返し」に思うこと

2013-12-15 11:40:51 | 犬たち

今年の流行語大賞にもなった「倍返し」という言葉について考えてみたいと思います。

この言葉はご存じのように、TBS系TVドラマ「半沢直樹」の中で、「やられたらやり返す、倍返し!」という強烈な言葉が反響を呼んだものです。
そしてその倍返しの実現とは、幹部の面前で悪徳非道な上司を土下座させることで、それにより積年の恨みを成就し、ハッピーエンドで番組は終わるのです。
主役を演じる堺雅人の魅力もさることながら、この鬱積して不明朗な社会だからこそ、「倍返し」という言葉に含まれる達成感や爽快感が、圧倒的な高視聴率を生み、流行語大賞の引き金となったのではないでしょうか。

私はそのドラマの表ではなく、裏に焦点を当ててみたいのです。

つまり半沢直樹の反対の上司の立場に立てば、頭を床にこすりつけて土下座させられることで、誇りやメンツが丸つぶれとなったわけで、それはやられたらやり返す倍返しの炎が燃えあがり、執念の報復がスタートした時だったのです。
つまり半沢直樹の倍返しは完了し、その逆に上司の半沢直樹への倍返しが始まったのです。


人間が最も避けなければならないのは、「戦争」ですが、近代社会になっても数多くの戦争が勃発しています。
それほど人間が忌み嫌う戦争が、なぜ起こるのでしょう?
それらの戦争の引き金となる共通の特色があり、それは「倍返し」の発想なのです。

戦争の下地となるのは、最初は小さな怒りやささいな恨みから始まります。
それは未解決の領土問題であったり、宗教上の慣習の違いであったり、利害にズレが生じた経済問題であったりですが、その小さな怒りや恨みが出発となり、やられたらやり返すといった「倍返し」の現象によりその溝がどんどん広がり、その増幅されたた憎しみや怒りの力が戦争に発展するのです。

そんな戦争を回避する方法は、倍返しという悪の連鎖を断ち切ることにあります。
それも深刻化する前の初期の段階に消化することそ大切なのです。
つまりやられたらやり返すのではなく、やられてもやり返さないこと、それが戦争を回避する最大の手段であり、平和を維持する最良の方法なのです。

歴史を変えた英雄として、古くはインド建国の父・ガンジーの無抵抗主義、新しくは南アフリカのネルソン・マンデラのアパルトヘイト撤廃も、まさにやられてもやり返さない憎しみや怒りの悪の連鎖を断ち切ることから出発したのです。
だから国際社会から高く評価されるのです。

日本と中国の関係悪化の発端は、尖閣諸島を日本が国有化したことから端を発したのですが、それ以降双方の不信感は増大し深刻化しており、それはまさに「倍返し」の連鎖が起こっているのです。
日本の年末行事で、漢字一文字でその年を表すのですが、今年は「輪」という言葉でした。
中国でも同様な行事があり、その時の言葉は「怒」という言葉であり、それは尖閣諸島の問題含まれているとのことで、中国国民の怒りは日本以上かもしれません。

それを解決する方法はただひとつ、日本が率先してやられてもやり返さない、憎しみや怒りの悪の連鎖を断ち切ることにあります。
それにより日本と中国の関係悪化は改善され、双方に大きなメリットが生まれるのです。
それだけでなく日本は国際社会から大きな評価と信頼が得られるのです。

やられてもやり返さないこと、それは真の勇者・真の平和主義者の歩むべき道だからです。