ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

人は知らず知らずのうちに、最良の人生を選択している

2012-12-31 20:46:18 | 犬たち

あけましておめでとうございます。

正月早々ちょっと堅苦しい話ではと思いながらも、私の座右の銘ともいえるこの言葉を紹介します。

人は知らず知らずのうちに、最良の人生を選択している

これは放送作家の小山薫堂さんの言葉ですが、私は行き詰まったり自信を失いかけたりするときにこの言葉を口ずさむと、天才バカボンの鉢巻きお父さんが「これでいいのだ!」と叫ぶ、そんな気持ちになり、やたら元気が出るのです。

その言葉の意味することを上の絵のような樹木に例えれば、大地にすっくと根を張り、太陽の光をいっぱいに浴び、絵のモデルにまでになれるそんな恵まれた木などは、ごくまれな木ではないでしょうか。
たとえば雑木に押しやられて肩身の狭い木、嵐で幹が折れて傷ついた木、開発によりコンクリートの谷間に立つ木・・いろんなハンデを背負いながら、それぞれの木は必死に太陽の光を求めて枝葉を伸ばし、それぞれがそれぞれの状況の中で最高の生き方をしているのです。
私たち人間にも、人それぞれが多様な悩みや苦しみを抱えながら生きているのですが、その誰もが様々な条件の中で、よりよい人生を模索しているのではないでしょうか。

今、私たちの存在は過去と未来の狭間にいるわけですが、過去をふりかえれば、過去とは過ぎ去ったものであり、過去の事実を変えることはできません。
しかし過去の事実は変えられないのですが、「過去の評価」は変えることができるのです。
そしてそこに最良の人生を選択できるチャンスがあるのです。

たとえば過去に同じ失敗をした2人の若者、AさんとBさんがいるとします。
Aさんはその失敗は自己の無能さと評価し、消え入るように萎縮してしまいました。
Bさんはあの失敗は自己の飛躍への試練と評価し、その弱点を強化することに勤めました。

Aさんは悪いほうに悪いほうに考えるマイナス思考で、Bさんは良いほうに良いほうに考えるプラス思考の傾向があります。
未来は過去の流れの中にあるわけですが、「過去の評価」をポジティブシンキング=プラス思考でとらえることは、その失敗をプラスに置き換えて生かすことになるわけで、AさんよりBさんのほうが大きく未来が拓けるということになります。
つまり明るく前向きに考えること、そこに最良の人生を歩む道が拓けるのではないでしょうか。

笑う門には福来たる

 


情報は“知る”ことよりも“発見する”ことに価値がある

2012-12-22 15:56:40 | 犬たち

年の瀬となり、今年の出版ベストセラー・トップ10が発表されましたが、1位が阿川佐和子さんの「聞く力」で、その1冊だけがかろうじて100万部を突破しするという、近年にない衆院選の民主党以下の惨憺たる結果になりました。
それだけでなくベスト10の残り9冊のうち6冊はダイエットの本と、文学とか小説とか日本の知性とか言われる作家などの影すら見えない結果になりました。

私の予測ではそれは別に驚くことではなく、この兆候は出版界に止まらず新聞社・書店と、活字媒体は長期低迷と言いますか転落の道を歩んでおり、今年はその一里塚ではないかと思っています。

どうしてそんな予測に自信があるかと言いますと、実は私は(紙に印刷された)活字とは無縁の生活を10年前から実践しており、それの生活は実に素晴らしいと実感しているからです。

私のビジネスマン時代は軽い活字中毒でした。
情報産業の中に身を置いていたため、豊富な知識は商売道具だったこともあり、往復2時間の通勤電車を読書タイムとするなど、新聞を隅々まで読み、たえず身近に本がなければ不安になる毎日でした。
しかし定年退職して画家を目指すとともに、気が付けば活字とは無縁の生活に変わっていました。
その最大の理由は、絵を描くことは自己の内を見つめる作業であり、絵の面白さに没頭することにより、外の世間の情報である新聞や本はほとんど関心がなくなり、私の心から遠くに去っていたからです。
そしてもうひとつの理由は、これまでの画家の作品発表は展覧会と相場が決まっていたのですが、私の作品発表はインターネットと決めていたため、苦手なパソコンと長時間向き合っているうちに、インターネットから情報をえることになじんできたからです。
それ以来新聞の購読を中止し、本や雑誌もまったく買わない、そして読まない生活になり、現在に続いています。
そしてある時蔵書をすべて処分する決断をし、我が家から活字媒体がすっかりなくなlり、ちょっと寂しいものの実にすっきりした気分になりました。

 

ビジネスマン時代と、活字から遠く離れた今と、情報入手の大きな違いは、“知る”ことから“発見する”ことの違いにあります。

外・つまり新聞や本の知識から情報を入手することから、内なる自分を見つめて、その中から湧き上がる疑問や欲望・感動を見つめなおし、そして考え、その考えの中から発見する、その発見こそ貴重な情報とすることにしたのです。



世間では新聞・雑誌・書籍などの不振は、インターネットにシェアを奪われているからといわれています。
確かにインターネットいつでもどこでも開くことができ、そのほとんどは無料であることが大きな強みです。
それ以上に新聞や書籍はその分野の権威者のメッセージであるため、私たちはありがたく読むだけの“知る”という一方通行ですが、インターネットは検索しなければならず、検索しても玉石混交の情報を見極め、そして選び、自分なりに脚色する、そんな工程を踏まえることにより、それは自分の考え方が踏襲された、まさに“発見する”ことに近づくのです。
だからその発見はたとえ稚拙な発見であっても、世間的には常識となった発見であっても、身となり骨となる発見であり、生きている実感をしみじみ感じられるそんな生き方への知恵になるものと思っています。

 

わたしの“発見する”その成果のひとつがこのブログです。
これは最終的には誰の意見でも考え方でもなく、私が考えそして発見したことを素直に綴っているつもりです。
それはとても楽しい発見だからこそ、ブログを書くのがとても楽しいともいえるのです。

 


ポピュラリズムが日本の国を危うくしている

2012-12-10 12:29:19 | 犬たち

ポピュラリズムが日本の政治を危うくしています。
ポピュラリズムとは政治を大衆化することであり、人気とか支持率が重要な判断基準であり、理性的でなく感情的にしてしまうことであり、長期的ではなく場当たり的な視点で判断してしまうことにあります。

そのポピュラリズムの具体的な事例として、あれだけ政党が乱立しいろいろな政策を掲げていますが、日本の存亡にかかわる最重要政治課題をどの党も真正面から取り上げていないことがあります。
その課題とは膨大な赤字による財政破たんへの取り組み、つまり財政再建です。
しかしこの課題の解決には国民に厳しい負担を強いることになり、そんな耳障りで不愉快なことを国民は聞きたくないからです。
そしてそれ以上に選挙の得票にならないどころか、支持率が下がり党の人気が落ちることになるからです。

日本の国債発行などでの借金の総計は1000兆円にも膨らんでいます。
特に最近の国家予算の半分は借金に頼るというように、その借金の額は加速度的に増大しているのです。
国家予算の半分を借金で賄う国など世界を見渡しても日本だけで、日本国内はほとんど無関心なのですが、世界からその危機がささやかれているのです。

借金である国債残高の推移を見ていると、平成に年号が変わってからの増大は著しく、それは国民の政治不信と関係していると私は思っています。
つまり政権を持つ施政者は国民からの求心力を得んがために、借金をしてまで国民のニーズを実現させようとした、その結果が膨大な国債発行=借金となったのです。
つまりポピュラリズムの病魔が政治判断までゆがめてしまったのです。

もっと心配なのは、今回の選挙で政権獲得が確実視されている自民党は、デフレ克服のために大幅な国債を発行すると公約していますが、それは国がお札を大量に印刷しそれを市場にばら撒こうということで課題解決を図ろうということであり、次期政権までが崩壊の道を歩むのか怒りの境地になる私なのです。

ギリシャは財政破たんしもだえ苦しんでいるのはご存知の通りですが、そのギリシャの崩壊前は誰もが「まさか!国家の借金だから大丈夫に違いない」と思っていたのだそうですが、その「まさか!」になってしまったのです。
日本はGDP世界3位の経済大国で、現状では崩壊の危機は低いのですが、少子化が示すように日本は緩やかに小さな国になりつつあり、下降線をたどっているのです。
借金の額は同じでも国が小さくなれば負担が増大しますから、そんなある日あの「まさか!」が日本に訪れる恐れが充分あるのです。
その時の国民は平成を生きてきた先人たち(私たちのこと)の負の遺産を残したことを心から恨むでしょう。

誰もが増税はいやだと思っています。誰もが原発がなくなればいいと思っています。誰もが福祉や年金、手当などがもっと充実すればいいと思っています。
しかしそれらの要望に答えていたら、支出が増え→借金が増え→崩壊が加速していくのです。
世界の歴史をたどれば、ポビュラリズムの病魔は多くの国を崩壊しましたが、今度の選挙は「大人の日本」として再生するためのまたとないチャンスかもしれません。

私たちは伝統や文化を、未来の子供たちに伝承していくことも大切だけど、

借金を伝承しないことのほうが、はるかに大切です。