ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

私は霊峰・白山の元で生まれ、育ちました

2010-03-29 17:00:25 | 犬たち

上の絵はHP「水のある風景」の中の「朝の光の中の白山」です。
私の生まれ育った故郷の風景をイメージして描いたもので、中央の白く輝くたおやかな山は霊峰・白山で、手前の川はその峰々の水を集めて流れる手取川を描いたものです。

私は昭和18年、北陸・石川県の白山を仰ぎ見る田園地帯のド真ん中で生まれ育ちました。
物心がついた頃は、日本は敗戦の赤貧状態で、私たちも冬ともなると寒さしのぎで下着を何枚も重ね着して丸々となり、青い鼻水をたらし、いつも空き腹を抱える子供でした。
家族構成は祖父母・両親・兄弟4人の8人家族の次男坊で、両親が公務員として務めているものの兼業農家でもありました。
この地では同窓生のほとんどは稲作農家の息子・娘たちで、私も農作業を手伝わされましたが、それは苦痛そのものでした。
稲穂からかぶれが生じ、たまらなく痒くなる体質ということもありましたが、次男坊の私は、いずれこの地域を離れ別の世界にいかなければならないという運命を感じていたこともありました。
そのようにこの地に閉塞感を感じていた私ですが、そんな心を解き放つ象徴として白山がありました。
白山の向こうに私の新しい世界が待っているような気がしたからです。
その根拠といえばおこがましいのですが、カール・ブッセの詩を口ずさんで夢見る少年時代の私なのでした。

            山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう
      ああ、われ人ととめゆきて、涙さしぐみかえりきぬ
       山のあなたになお遠く、幸い住むと人のいう

私の故郷の現在の街の名前は「白山市」です。
生まれた時の住所は石川県石川郡山島村でしたが、合併により松任町になりました。その後松任町が松任市になり、平成の大合併で白山を含む町村などを合併し、白山市となりました。
つまり仰ぎ見る光り輝く白山の頂上に降った雨が、手取川を流れ日本海に注ぐまでの広大な地域が「白山市」となったわけです。
この合併が経済的に損か得かはさておき、なんとしてもこの地を「白山」という名称にし、わが地に誇りと共通のアイデンティテイを持とうとした住民の気持が<私にはとてもよくわかるのです。

白山を仰ぎ見る故郷を離れて半世紀も経てば、私は浦島太郎になりました。
建造物が変わり、道路が変わり、見知らぬ人だけになりました。
しかし、白山の雄姿だけは昔そのままに輝いて、温かく私を迎えてくれました。


あなたはどちらを選びます? 高負担/高福祉と低負担/低福祉

2010-03-25 09:32:34 | 犬たち
あなたならどちらの社会を選びますか? A・高負担/高福祉社会 B・低負担/低福祉社会

負担とは税金の負担のことで、負担と福祉は車の両輪のように深く連動しています。
世界の先進国での福祉と負担の特色を見れば、アメリカと日本はどちらかといえばB・低福祉/低負担の国で、所得における税負担は40%強となっています。
その反対にヨーロッバ諸国、特にスウエーデンやフランスはA・高福祉/高負担社会で、所得における税負担は70%近く、消費税は20%と大変な重税なのですが、「ゆりかごから墓場まで」と、手厚い福祉に守られているのです。

これまでの自民党政権は、B・低福祉/低負担路線を政治指針とし、特に小泉内閣の政治姿勢は顕著にその姿勢を表していました。
しかし民主党は「子ども手当」「高速道無料化」など高福祉の華やかな政策を掲げて政権交代をしたのですが、その根底にはヨーロッパ型の高福祉国家を目指していることは明白でした。
しかし、高福祉を華やかに打ち出したものの、対応した高負担の対応は脆弱で、切り札である消費税はノータッチとし、その分をムダの洗い直しからの財源確保を目指しました。
それが事業仕分けと、いわゆる埋蔵金の発掘でしたが、結果として財源確保には遠く及ばなく、これから始まる第二次の事業仕分けでも期待できないようです。
その上不況により大幅な税の落ち込みが重なり、かつてない膨大な国債(借金)を発行せざるを得ないという最悪のシナリオになってしまいました。
そのため国債の累積額が1000兆円近くにもなりましたが、この大問題は別の機会でゆっくりお話したいと思います。

これからの日本は急速に少子高齢化となります。それは負担する人口が減り、福祉の恩恵を受ける人口が増大することであり、それだけでも高負担化をせざるをえない状況になってきました。
民主党の掲げる高福祉を推進すれば、ますますの高負担は避けられないのが現状です。具体的に言えば、大幅な消費税のアップは避けて通れなくなりました。
民主党さん、おいしそうな話ばかり語らないで、消費税の高額アップなどの厳しい話をする段階に来ていますよ!!

ところで冒頭の質問での私の答えは、B・低負担/低福祉 です。
税収を上げるには国際競争力に勝つ景気浮揚こそ最優先事項ではないでしょうか。
それにはこれからの発展を志向する若くて活気ある日本とする必要があります。そんな強い日本を作るには、B・低負担/低福祉 こそ前提となるのではないでしょうか。

ちょっと高度なテクニック、グラデーションとマスキング

2010-03-20 08:56:09 | 犬たち

現在取り組んでいる「水のある風景」シリーズでの最大の眼目は、絵を通して情感を表現することです。
そのためには微妙な表現が必要となるため、これまでの水彩画の描き方にプラスして、ちょっとだけ高度な2つのテクニックを取り入れて描いています。
上の絵はその特色がよく表れた絵なので、その絵を素にご説明します。
駐車場の水に浸かった部分の、左から右に自然な形で色が濃くなっていくのがおわかりだと思います。それが「グラデーション」のテクニックです。
駐車場への車の進行表示の白い矢印は、白い絵の具で描いたのではありません。色を塗らず画用紙の白地そのままなのです。それが「マスキング」のテクニックです。
実は少女もその方法で描いているのです。

グラデーションの描き方
画用紙を15度程度の傾斜のある面に置き、薄い部分を上濃い部分を下にして、薄く溶いた絵の具を太い筆にたっぷりつけ、左官が壁を塗るとき左右にコテを走らせるように、上の薄い部分から水平に塗っていきます。
水は下に溜まりますから、徐々に下を塗るに従って段階的に濃い色を塗っていけば、グラデーシヨンが描けます。
ポイントは1回で成功させようとせず、乾いたら同じことを繰り返し、徐々にイメージする濃さに近づけていくことにあります。

マスキング画法での描き方
マスキング画法とは、ゴム状の水溶液であるマスキング液を事前に塗り、上から水彩画で彩色し、色が乾いてから手でこすればゴム状のマスキングが取れ、白く形が残ることとなる画法です。
上の絵では車の進行表示をマスキングし、その上からグラデーションを塗り重ね、マスキングを取れば、白く進行表示の形が浮き出てきます。
少女の描き方もマスキングしたのですが、その上から通常の彩色をしました。
マスキング画法は一見簡単そうですが、これまで失敗の連続でした。
失敗の原因は、どろどろの液体のため正確に塗るのが難しいことと、剥がすときに画用紙をいためてしまうことでした。
そのためいろいろなマスキング液を購入し実験したのですが、うまくいかずあきらめかけていたとき、「シュリンクマスキングインク」という商品で試したところ、イメージに近いマスキングができるまでになりました。

ここで質問です。
再び「水のある風景」を開け、上から8番目の「横浜は山下公園風景」までのすべての絵で、2つのテクニックの1つ、もしくは2つとも使っています。
何処にどのように使っているか、おわかりですか?

これまでの経験から「なんとか出来るテクニック」と、「当たり前の出来るテクニック」とは月とスッポン、大違いであることを知っています。
何度も何度も、繰り返し繰り返し絵を描くことにより「当たり前のように出来るテクニック」が、ようやく身につくようになれると思っています。


トヨタのリコール、朝青龍の引退、ともに民族的ヒステリーか?

2010-03-14 09:12:12 | 犬たち
トヨタのリコール問題と、朝青龍の引退問題は、まったく違う事件ですが、その背後に共通したものがあるように思います。
それは民族的ヒステリーです。トヨタ問題はアメリカ人の、朝青竜問題は日本人の集団ヒステリーが、問題を深刻化したようです。

たとえばトヨタのリコール問題とその背景を考えてみます。
長い間、世界一豊かな国・アメリカを象徴するのが自動車でした。広い国土と豊かな資源、合理的で大量消費の生活、そんなアメリカ人の生活の中心にはクルマの存在が不可欠でした。
つまり自動車は機能としてだけではなく、アメリカ文化そのものであり誇りでした。
だからアメリカの自動車産業は他国を圧倒していたのですが、いつの間にか外国車が進出し、極東の国・日本のトヨタがあれよあれよという間に1位の座を占め、あろうことかトップを走るGMがその打撃を受けて倒産してしまいました。
たしかに性能といい燃費といい、トヨタはアメリカ車を明らかに越えていたことが、よけいアメリカ人には鬱積した不満として残りました。
そこで起きたのはリコール問題で、ここぞとばかりマスコミが騒ぎ立て、大衆がこれまでの不満を吐き出し、問題が深刻化したのです。
トヨタのリコール問題が起こった同時期に、フォード車のリコール問題が起きました。その規模はトヨタより大きいにもかかわらず、トヨタ事件に隠れてほとんどマスコミに取り上げられなかったのが、そのことを如実に物語っています。

一方の朝青竜問題は、日本人の民族的排他精神が背景にあったのではないでしょうか。
日本の国技である大相撲はスポーツではないのです。武士道の精神を取り入れた神事なのです。
だから朝青竜が優勝した時のガッツポーズが非難されたのは、スポーツでは感動的なシーンなのですが、武士道では許されないことらしいのです。
武士道といえば、日本が太平洋戦争に突入した時の軍人たちの精神的支柱となったもので、極めて国粋的でナショナリズムの強い思想です。そんな排他的で時代錯誤の思想である武士道精神の神事を、国技とすること自体問題があるのではないでしょうか。
国技である大相撲の頂点に外人力士である朝青龍が長く君臨してきたことは、多くの日本人には苦々しく、やるせない不満として残っていました。
そんな中、朝青龍は横綱としてあるまじき問題を起こし、世論の非難が過熱し引退にまで発展しましたが、もし朝青龍が日本生まれの日本人であったなら、はたして引退にまでなったでしょうか?

すべての戦争の引き金となったのは、民族的ヒステリーがその根底にあります。
それは冷静さを失うことであり、感情的になることであり、その結果として考えられない方向に走ってしまうことでもあります。
国際化が進展する中で異文化と接する機会が多くなりますが、冷静さと寛容、相違を理解する謙遜の精神が求められるのではないでしょうか。


新たな再出発として、HPの名称の変更と、新企画

2010-03-10 09:26:26 | 犬たち

発売中の出版「水彩画革命」は、これまでの集大成となる本となりました。
そのため、この本をつくり終えた直後は、すべての力を出し切った爽快感と言いますか、何にも残っていない心地いい虚無感を感じました。
発売から1ヶ月、確かにこの出版を契機に、画家としてのひとつの時代を卒業し、新たなステップアップした絵に挑戦する段階に入ったことをひしひしと感じています。
そのひとつとして、HPの名称の変更と、新しい企画も展開することにしました。

 まずHPのタイトルを「主張する犬・猫たち」から「森田健二郎のトレース水彩画」に変更しました。

 「主張する犬・猫たち」はHP開始以来の名称でしたが、画家の成り立て当初は、ペット専門の肖像画家を目指していたからです。ペットの絵の注文もそれなりに多かったこともありましたが、それ以外の絵がヘタだったこともありました。
新名称の「森田健二郎のトレース水彩画」としたのは、何といっても「トレース水彩画」という言葉は私が作った造語ですが、知名度も少しづつ上がり、ようやく一般名詞化されつつあるため、より頻繁に使う必要があると思ったからです。
それとともに私のライフワークは、トレース水彩画の更なるクオリティアップとその普及にあることであり、その基本コンセプトそのものを謳うこととしました。

 新しいシリーズ企画「水のある風景」をはじめました。 

出版を契機に、画家としてのひとつの時代を卒業し、新たな世界に挑戦すると言いましたが、これからの課題は、一口に言えば「心を描く」ことにあります。
絵ですから具体的な風景やモノを描くのですが、それらを通しての心象風景や情感をこれまでにも増してより強く意識して表現していきたいと思っています。
その最初のシリーズとして「水のある風景」で展開していきます。
私は子供時代から、何故かしら水のある風景と出会うと、ホッとするのです。まさに乾いた心を潤し、みずみずしい気分になるのです。癒されるのです。
水のある風景といっても、海や川から水溜り・コップの中の水までいろいろありますが、「水のある風景」=「癒しの風景」として表現していくつもりです。
これまでの水のある風景から厳選した作品に加え、新たにどんどん描き加えていくつもりです。
ぜひ一枚一枚の絵の中に込められた「心」を共感していただけましたら、こんな幸せはないと思っています。