ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

水彩画上達のコツ 写真合成による新しい世界の創出

2013-09-28 05:42:30 | 犬たち

絵の素となるいい写真が、なかなか撮れないのですが?

上達するに従い、絵の素となる写真の良し悪しは、絵の出来栄えに大きく左右するというより、決定づけることとなります。
それではいい写真を撮るには、カメラを持ってあちこち出かければ、いい風景との出会いがあり、何とかなるとお思いでしょうが、そんなに簡単ではありません。
特に私は名所とか景勝地などの誰もがテーマとする風景などよりも、ごく当たり前の風景の中から、キラリと光る情景を描きたいと思い、本当にあちこち歩き回って膨大な写真を撮りました。
しかしそんな写真から、ほとんど絵を描くことができませんでした。
なぜなら日常の何気ない風景の写真には、絵を描くことを決定づける何かが不足しているからのようで、描くことを躊躇してしまうのです。
その理由は、絵は感動を描くわけですから、その燃えるような動機づけが不足していることにあるようでした。

しかし、うまい方法を発見しました!
それは写真の合成です。

上の絵は、古い土塀のある道を和服の女性が歩いている絵で、日本的情感が表現できたのではないかと思っています。
しかしこの絵のベースとなった写真は、土塀と道だけの無人の写真でした。
その元の写真を絵にすると、ちょっと物足りないと言いますか、寂しすぎる絵になり、私は描くことをためらったに違いありません。
しかしそこに日傘をさした女性を挿入すると、俄然絵が生き生きとしてきます。
そのように写真の合成は、絵にドラマを作り、感動ある臨場感を醸し出すのです。 

実を言えば、挿入する人物案として A案・日傘の女性だけでなく、B案・数人の観光客の一団、C案・通学途中の黄色い帽子の小学生 と3つの案を検討し、さんざん悩んだ末に日傘の女性(女好きなのか?)にしたのですが、挿入する人物を変えるだけでも全く違うドラマを創りだすのが何とも面白く、それほど写真の合成は絵に鮮烈な感動を呼び起こす魔法の方法なのです。  

ここをクリックして事例をご覧ください

それでは、写真の合成の仕方をお話します。

ベースとなる写真の上に、挿入する写真をハサミで切り抜き、貼り付ける方法はお勧めしません。
なぜなら貼り付けた部分は二重と厚くなり、トレースに支障をきたすからです。

私が行っているのは、アプリである「フォトショップ(ADOBE PHOTOSHOP ELEMENTS ⒒)」をダウンロードし活用することです。
その中の機能のひとつである写真の合成を使用すれば、簡単にしかも自由に写真の合成を行うことができます。
具体的な方法は、「フォトショップ 写真の合成」の言葉検索をしてご覧ください。

合成した写真から絵を描く場合、ベースとなる風景と挿入したものとの力関係(絵の主役はどちらかを決定する)をしっかり決めてから描くことがポイントとなります。
私の経験から言えば、挿入した絵をサブにすることが成功の確率が高いように思います。


日本国債を5年10年でなく、50年を視野に考えたら

2013-09-20 01:55:02 | 犬たち

日本の「国債」が1000兆円を超えたということで、これを日本の財政危機という声が上がる一方で、より高度な経済成長のための有効な戦略という声もあります。

この問題を考える上で、まず国債の発行を是認する経済学者や政治家からの意見をまとめてみました。

国債を「日本の借金」と、マスコミは国民の抱える借金のように報じていますが、それを正確にいえば「日本政府の借金」であり、国民の借金ではありません。
それどころか、日本政府の1000兆円もの借金の貸し手側の大部分は、日本国民であることです。
具体的には債務者の5%ほどが海外からの投資で、残りは日本国内で調達し、その多くは銀行や生保などの金融機関で、それは国民の預けたお金を運用するわけですから、結果として国の借金の貸し手は日本国民となるわけです。
ギリシャの財政破たんは、債権者の多くは外国からの投資であったために、破たんが促進されたとも言われていますが、その逆となるわけです。

銀行業とは金貸し業のことですから、お金を貸して商売が成り立っているのですが、最近では貸し手が少なく、お金がダブついているのです。
そのためリスクのない国債の購入は、願ってもない金貸しのチャンスであり、国債の発行は銀行に活力を与えている側面もあるのです。
そのように日本国債の金利が極めて低い(1%以下ですが、ギリシャは信用不安のため18%)のが何よりの証拠で、日本国債の圧倒的信頼性の高さが金利にあらわれているのです。

そしてもうひとつ重要なポイントがあります。
日本国債は「円建て」であることであり、それは政府のコントロール下にあるということを意味します。
たとえばいざとなったら、日本政府と日本銀行は大量の「円」を発行し、国債を買い戻すことにより、借金を減額するという奥の手があるのです。
そうなればその額により深刻なインフレにはなるのですが・・・。

ということで、日本経済の活性化と福祉などの充実には、国債の発行は必要不可欠であり、東日本大震災の緊急支援にも有効に働きました。

                    ●●

それに対して、私の意見は以下の通りです。

上記の主旨の背景にあるのは、強い日本経済と日本の国力が大量の国債発行の前提となっていることです。しかし・・・

大量の国債発行でも5年や10年では、日本経済はびくともしないでしょう。
しかし、50年の長期な視野に置くと、大きな問題が生じてきます。
それは少子化が加速し日本が急速に縮小化しつつあり、その時になって国債の重さが大きな足かせとなってくる恐れがあることです。

歴史を紐解くと栄枯盛衰は時代の流れの常であり、長期的視点で見れば、強い日本と安定している日本経済がいつまでも続くかその保証がない、というより高い確率で凋落の道を歩む恐れがあることです。
たとえば人口問題ひとつをとっても、内閣府が予測する日本の50年後の人口は8600万人で現在の70%まで減少し、それだけ国力が弱体化するのです。
そして国が縮小するからといって、借金まで縮小はしないわけで、借金とは元気な時はおとなしくしていても、苦しくなると途端に牙をむいて襲いかかるものなのです。

私も高齢者と言われる今、同輩は文化や技術をいかに後世に伝承するかを論じますが、私はそんな伝承よりも、「負の遺産」をいかに伝承しないかのほうがよほど重要なのではないかと思っています。
戦後の焼け野原から出発した私たちにとっては、今の社会は考えられないほど素晴らしい豊かさを謳歌していますが、実はそれは多大な借金でつくられた繁栄だったのです。
もしも50年先に日本が財務破たんの危機に瀕した時、その苦境に苦しめらる人たちは、50年前(つまり今のことです) の無責任な国債の乱発での豊かさの謳歌を恨むに違いありません。

だからこの繁栄の時代だからこそ、後世のために借金を減らすのは無理しても、せめてこれ以上の借金を増やさない、そんな自覚こそ必要なのではないでしょうか。


チャリティーソング「花は咲く」の中の私とは、誰なのでしょう?

2013-09-10 18:02:02 | 犬たち

今回のブログでは東関東大震災の復興支援のテーマソング、「花は咲く」の歌詞についてを考えてみようと思います。
この歌はNHKで度々放送されており、西田敏行さん、荒川静香さん、秋吉久美子さん、野村克也さん等が花を持ちながらリレー形式で歌ったあの歌のことで、みなさんご存じのことと思います。

この歌は復興支援のテーマソングとしての社会的インパクトだけではなく、歌そのものに私たち日本人の心に染み入る力を持っており、その理由のひとつは歌詞にあると思っています。
これまで心を打つ多くの歌がありますが、その共通要因として、歌詞に(意図され計算された)意味のあいまいさや不明瞭さがあり、それが歌に不思議な魅力を与え、共感とともに汎用性を作り上げており、「花は咲く」もその例外ではないようです。
たとえば「花は咲く」の歌詞の冒頭を取り上げると

    真っ白な雪道に 春風薫る  
       私は懐かしい あの町を思い出す

その中での「あの町」とはどの町なのでしょう。
そして「私」とは誰なのでしょう?

みなさんは「あの町」とはどの町かお分かりですね。
そうです!あの町とは津波で大きな被害を受けてしまったのですが、震災以前の豊かな自然と人の営みが調和した東北・太平洋沿岸の美しい町を指しているのです。
3月11日といえば、東京では桜のつぼみが膨らむ時期ですが、東北では春の息吹があるものの、雪に覆われていた時期で、上の絵のような深い残雪に春の光が当たる頃なのかもしれません。

それではこの歌のキーとなる「私」とは誰なのでしょう?
あの町の情景を知っていることを前提とすれば、「私」が被災者ではないかと考えられますが、この歌の達観したおおらかさに違和感を感じます。
私は何度もこの歌を聴いていて、ハッと気づいたのです。 あの町を知っている「私」とは誰かを発見したのです。

「私」とは、被災で亡くなった方なのではないでしょうか。
この歌は亡くなった方からのメッセージとすれば、詞のすべてに辻褄が合うとともに、強い説得力を持つ歌になるからです。

この歌を作詞した岩井俊二さんは、このように語っています。
作詞で苦戦する中、被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。
「僕らが聞ける話というのは、生き残った人たちの話で、死んでいった人たちの体験は聞くことが出来ない・・・」と。
この言葉が後押しになり、力まずに自分の想像力に身を任せることにしました。・・・と

それでは「亡くなった方からのメッセージ」を念頭に置いて、作詞を改めてお読みください。

   花は咲く

   真っ白な雪道に 春風薫る
   私は懐かしい あの町を思い出す
   叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
   いまはただ懐かしい あの人を思い出す
     誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている
     誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

   夜空の向こうの 朝の気配に
   私は懐かしい あの日々を思い出す
   傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして
   今はただ いとおしい あの人を思い出す
     誰かの想いが見える 誰かと結ばれている
     誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう

        花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
        花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために


この作詞のポイントは、過去=震災での悲しみや懐かしさよりも、未来=花咲く新しい世界に重きを置いて書かれていることにあります。
それは作詞家の個人としての思い入れというより、震災という困難に絶望するより、それを乗り越えて希望の光を探し出すことしか道が残されていないということだと思います。

ガレキと化した被災地も、コンクリートの間から健やかに花が咲くように、絶望の淵から希望が見え、再建のつち音が聞こえてくるのです。
震災で亡くなった多くの人と入れ替わって、この地から子供が誕生し、その子らがこの地を素晴らしい土地に造り替えていくのです。

そして100年経ち、この歌が作られた目的も、そして震災そのものも忘れられても、その時の子供たちは、「赤とんぼ」や「ふるさと」と同じように、「花は咲く」を大切な日本人の心の歌として、歌い継いでいくような気がするのです。
その時は、「あの町」の意味も「私」という意味もわからなくても。 

 


水彩画上達のコツ 充実した人生のために

2013-09-03 02:26:03 | 犬たち

絵は、生きがいづくりには役不足ではないでしょうか?


絵で第2の人生が充実した事例を、2つご紹介します。

肖像画を描き続けているBさんの場合

Bさんは現役時代は大企業の営業職で腕を振るい、その社交的な性格のため定年退職後は町内会の役員をして、地域に貢献していたのですが、その後若手に道を譲るとのことで役職から身を引き、悠悠自適の身となりました。
悠悠自適とは何もしない日を送ることでもあり、毎日を無為に過ごしすことへの罪悪感がたまった矢先、たまたまお孫さんの写真を素に絵を描いたところ、周りから「似ている!」と誉められ、それではもう少しうまくなろうと、私の教室に入ることになりました。
しかしBさんの持ってきたお孫さんの絵は、はっきり言えばひどいものでした。

肖像画はまず似てる似てないで評価され、通常の絵では似せるためには相当な訓練が必要となります。
しかしトレース水彩画で描けば、そっくりとはいかないまでも似せて描くことはそんなに難しくありません。
たとえば目を描くとしても、写真をトレースするわけですから、目の位置、形、大きさを、いとも簡単にそして正確に画用紙に描き入れることが出来るのです。
そんなわけで、Bさんはメキメキ腕を上げていったのは当然のことでした。

その後のBさんは、目を見張るようなものすごい力を発揮しました。
家族や親せき、町内の友人・知人とその友達、通っているスポーツクラブのインストラクターとその友達、散歩で出会う人やペット・・・次から次へと(無料で)肖像画を引き受け、そして描き、喜ばれ、たちどころにBさんの友達の輪が広がっていったのです。
そしてある時、評判を聞きつけて「私も描いてほしいのですが・・・」と市長さんからも頼まれるまでになりました。
 

故郷の風景を描くことに挑戦するTさんの場合

Tさんは日本を代表する漁港の町に生まれ育ちましたが、最先端のIT関連の精密機器企業に就職し、企業戦士として東京のみならず海外で活躍しました。
そして定年退職後の終(つい)の棲家としてこの故郷に舞い戻ることになりました。

しかしその故郷の町は、あまりにも大きく変貌していました。
長い漁業不況のあおりから、町の人口は半分に減り、繁華街はシャッター通りとなり、老人ばかりの町には活気などなく、異邦人の自分がこの地で残りの人生を過ごすには絶望的な気持ちにすらなりました。

何か趣味を持ちたいと入った、私の絵画教室でのTさんは、順調に成長するのですが、その最大の理由は何事も納得するまで追及する真面目な姿勢にありました。
そのひとつとして、彼は風景画を描いていましたが、どんな風景を描くかに悩んでいたのですが、その理由は、絵は感動を表現するメディアですから、自分の描く風景がはたして自分の感動する風景であるかどうかということでした。

そしてある時、生まれ育ち、そしてこれからも住み続ける故郷の町を描いたらどうなるか、という突拍子もないことを思いつき、それが強固な意志に変わっていきました。
この町には何の魅力もない、何の美しさもないと決めつけていたのですが、本当にそうなのだろうか?
自分の目で見、自分の体で感じ、そして心から納得することから始めようと心に決めたのです。

それからの彼は、カメラ片手に町を歩き回る日々が続きました。
そして思いがけない美しい情景、心温まる風景、人のやさしさや逞しさが感じられる情景などを写真に撮り、その発見の数だけこの町を好きになっていく手ごたえを感じました。

トレース水彩画の第一歩は、写真に撮る、そしてその写真の中から1枚を選ぶことであります。
自分の撮った膨大な写真を前にして、底知れぬ愛着のようなものが心の底から湧き上がってくるのを感じているとのことです。
 


上の絵が 私の住む町を描いたシリーズ「湘南100描」の中の1枚で、鎌倉の路地裏の風景の絵ですが、この町にある思いやりの気持ちといいますか、おもてなしの気持ちが表現できたのではないかと思っています。
このシリーズでわかったことは、特定の地域を描き続ければ、その地域に深い愛着が生まれていくことをしみじみ実感したことです。
 

生きがいづくりの芽は身近なところにあるようです。
絵を描くことで、芽から大輪の花が咲くように、人生を大きく変えてしまうこともあるのです。