ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

NHK「こころ旅」の火野さんから、下り坂人生の生き方を教えられました

2012-07-30 17:24:15 | 犬たち

NHK・BSの番組「にっぽん縦断こころ旅」は、私の大好きな番組で欠かさず観てきました。 

俳優・火野正平さんが読者から寄せられた「こころの風景」を、自転車(時には電車やバスなども利用しますが)に乗って尋ねるという番組なのですが、千葉から被災地を通っての北海道を走る春編も先週終り、秋冬編として和歌山から沖縄までのこころ旅が、9月から開始されるのですが、首を長くして待つことにしています。
この番組の魅力は、何といっても日本の風景、特に緑豊かな自然と人間の営みの調和の美しさにあり、絵のテーマになりそうな風景が次から次と登場することにあります。
そしてもうひとつは火野さんの人間的魅力に引き付けられたのです。
彼はすでに60歳過ぎ、初老の自転車の旅ですから、地獄の坂道をゼイゼイと登るのですが、その分下り坂は天国の気分で、彼は思わず「人生、下り坂最高~!」叫ぶのです。
この言葉はまさに自転車での下り坂の爽快な気分を表現したのでしょうが、よく考えてみるとその言葉は火野さんの人生に対する意志をも表現しているように思いました。 

私は「人生、下り坂最高~!」という言葉から、その逆の言葉として「坂の上の雲」という言葉を連想しました。
「坂の上の雲」は封建の世から必死の思いで近代国家を目指した志士たちを描いた司馬遼太郎さんの時代小説の題名です。
その言葉は必死に坂を登る志士たちの先に見えるのは、峠の上に浮かぶ白い雲だけで、山の向こうの自分たちが思い描く将来が見えない、近代国家としての成り立ちの頃の、国としても人としてもまさに青春の言葉に私には映りました。 

火野さんは若かりし頃大変なプレーボーイで鳴らしたと聞いています。
そんな波乱万丈の人生を歩んだ火野さんも、還暦を過ぎ人生の盛りを過ぎたわけで、それは汗して坂道を登る時を過ぎ、峠を越えて下り坂を進む年齢になったことを意味します。
下り坂は眼下に広がる景色を楽しみながら、もっといえばこれから先の自分の行く末も見渡せる中で、その下り坂=これからの人生を「人生最高の時!」として謳歌しようじゃないかというメッセージではないでしょうか。 

番組ではなんども大震災の被害地に出会い、建物の基礎のコンクリートだけが残った道を延々と進むのですが、彼は決して同情や哀れみの言葉を口にしませんでした。
タレントや役者は本能的に出会う人や視聴者に、相手の気持を汲んでサービスしようとする気持があるはずですが、火野さんはそのサービス精神を捨ててまでも、もっと言えば役者マインドを捨ててまでも自己の気持に正直になろうとする、それが下り坂人生の生き方に映りました。
だから火野さんは何も言わなく、何の表情も表さない分、私たち視聴者は「絆」とか「勇気」とかの手あかのついた言葉を連発するどんなレポーターよりも、強く被災地の生の情景をそのまま感じることができました。 

そうだ!「人生、下り坂最高~!」の生き方は、徹底的に自分に正直になることがその第一歩なんだ。

 

 

 


散歩の極意は、道草にあり

2012-07-20 11:01:18 | 犬たち

私は散歩が大好きです。
散歩には健康維持のための効果があるだけでなく、自分の住んでいる地域など身近な世間への見聞でもあり、特に私は絵のモチーフ探しとして、たえず小型カメラをポケットに入れ、チャンスを狙う散歩となります。

 物心ついたときから街や野を散歩するのが大好きな私でしたが、20数年前からゴールデンリトリーバーの「スキッパー」とその後の「モモタロウ」が家族の一員となったことから、愛犬との散歩が日課となり、それらを通して三度の食事のように私のDNAの中に散歩が深く刷り込まれてしまいました。
そのモモタロウも階段の上り下りが不可能なほどの高齢になり、それはとりもなおさずモモタロウとの散歩が出来なくなったわけですが、それにもめげず孤独の散歩を毎日続けています。
しかしモノは考えようで、孤独の散歩だからこそより自由になり、これまで味わえなかった新しい散歩の楽しみを発見したような気がする今日この頃です。 

散歩といっても山歩き・海歩き・街歩きなどいろいろな散歩コースがあり、車や交通機関も使っての一日がかりの遠足のような散歩まであり、季節や気分に応じて今日はどのコースを回るかと考えるのも楽しみのひとつです。
そんな中で猛暑のこの季節は散歩に不向きのようですが、この季節だからこそのとっておきの散歩があるのです。 

わが家のすぐ近くが鎌倉で、鎌倉は三方を山に囲まれ一方を相模湾に面した地形ですが、家を出て北に向かって歩を進め、トンネルをぬけると鎌倉の海岸に出ます。
その海岸線の一番奥までの折り返しの散歩が夏ならではのとっておきの散歩コースです。
家から海岸までが600m、鎌倉の海岸の端から端までが1400m、往復ですから合計4kmのほどよい距離の散歩となりますが、そのコースの特徴は海岸線では裸足になってくるぶしまで海水に浸りながら、波打ち際を歩くことにあります。
どんなに暑い日でも足元が冷たければ不思議と体は暑くなく、その上寄せては返す砂地の触感がたまらなく、まさに極上の散歩気分となります。
古都・鎌倉の海を歩くのですから、気分が悪いはずがなく、おまけにいろいろな出会いがまた楽しいのです。
上の波打ち際の3人の女性の絵も鎌倉の海岸を散歩しているときに出合った風景で、さっそく写真に収めてそれを素に描いたものです。
そのようにこの散歩コースから10枚以上の絵を描くことが出来ました。 

中高年者の散歩の極意は、道草にあり。
好奇心と行動力で、ひとつの散歩でひとつの発見をしよう。 

発見といっても、なかなか咲かなかった花が咲いたとか、出合ったワンちゃんの名前が面白いとか、派手だと思っていたシャツを似合うと言われたとか・・・ほんの小さな発見でいいのです。
発見のための道草には、知らない人でも挨拶し、話しかける積極性がとても大切です。
体力に余裕があれば、足を踏み入れたことのない未知の世界に、足を踏み入れる心意気を持ちましょう。
必ず予想だにしないA級の発見があるはずです。

歳を重ねれば知らず知らずのうちに感動のセンサーが退化します。
しかし感動は生きることを謳歌することそのものですから、身近な散歩から始めて錆びついてしまった感動のセンサーを磨き上げませんか。

 

 


日本人は印象派の絵画がなぜ好きなのでしょう?

2012-07-11 12:07:39 | 犬たち

日本人はなぜ印象派の絵画が好きなのでしょう? 

印象派の画家の展覧会となると、押すな押すなの連日満員となり、絵画などに関心のうすい人でもゴッホやルノアールなどの絵は知っているように、印象派の絵は深く日本に浸透しています。
私も美術学校時代からずっと印象派の絵が好きで、印象派を代表する絵画を一堂に収蔵した美術館といえば何といってもパリのオルセー美術館ですが、60歳になりやっと念願かなってオルセー美術館を訪れることができました。
そこでの体験は強烈で、一枚一枚の絵の中に吸い込まれるような感動を覚え、作品のすばらしさもさることながら、それを生み出したヨーロッバ文化の大きさに圧倒されました。 

印象派は19世紀後半から20世紀初頭に起こった芸術の一大運動で、それは人間復興の社会運動のよび水となった活動でした。
印象派以前の絵画といえば実物を正確に描く写実絵画で、その多くは貴族や富豪などの肖像画で、依頼者の求めにより写実的につまりそっくりにそして重厚に描かれた絵がほとんどで、暗くて威厳的・ちょっと近寄りがたい絵がほとんどでした。
その写実主義の絵画の世界を大きく脅かしたのが、カメラの発明と普及でした。
カメラは正確にそして簡単・安価に対象を撮ることができますから、たちまち肖像画家たちの職業を脅かすこととなったのです。 

それを契機として肖像画とは異質の、まったく新しい価値観を持った絵の流派が生まれてきました。
アトリエで人物を描くことから、大自然の光り輝く風景を描くことが主体となりました。
形を正確に描く写実よりも、色や光感を表現することに力点を置く絵となり、むしろ形を意図してデフォルメしていきました。
絵は貴族や富豪などの一部のものから、社会や大衆に受け入れられる明るくポジティブなものに変りました。
これらの芸術運動を先導したのは、マネ・モネ・ドガ・シスレーであり、その後半の中心となったのは、セザンヌ・コーギャン・ゴッホなどでした。
その後印象派の流れは抽象化の道を歩み、難解になった分大衆の心から離れていきました。
つまり形を重視した写実画から、光感に重きを置いた印象派が誕生したのですが、それは抽象画の長い道のりの巻頭を位置付ける役割となったのです。 

つまり印象派の絵の最大の特色は光を表現することにありますが、それではどのようにして光り輝く表現ができたのでしょう。

そのひとつは南フランスなどの強い太陽の下の風景をテーマとして選びました。
それともうひとつは表現テクニックにありました。
ゴッホやモネの絵に近づいてみると、細かい色鮮やかな線や点の集合体であることがわかります。
それはたとえば緑と赤を混ぜれば沈んだグレーとなりますが、緑と赤の原色をそのまま細かく並べてキャンバスの上に置いて、離れて観るとそれはやはりグレーですが、そのグレーは魔法のように光り輝いて見えるのです。
そのように無数の色合いの調和により、光が溢れる絵となっているのです。 

それでは日本人がなぜ印象派の絵が好きなのでしょう?

ヨーロッパが最も華やかなとき、新しい絵画活動という意識改革が起こりました。そのインパクトは日本だけでなく、世界に広がったのです。
印象派が去ってからすでに100年も経つのですが、印象派に見せられて多くの画家たち、もっと言えば学校教育までもがその影響を受けました。
私もその一人として、たとえば上の絵は特に光感を意識して描いたものです。

日本人が印象派の絵が好きなのは、明るく・わかりやすく、そして楽しく・・・芸術を身近な存在にしたことにあります。
たとえば、スケッチブックを持って自然の中で写生する、それは印象派の真髄そのものなのです。

 トレース水彩画では印象派の一歩先を行っています(・・・と、大見得をきるのですが)。
「スケッチブックを持って自然の中で写生する」のは時代遅れで、これからは「カメラを持って自然の中で写真を撮り、そしてそれをアトリエで描く」・・・それがこれからの絵画のトレンドで、トレース水彩画の真髄だと私は確信しています。

 


豊かな人生を謳歌するには、忘却力が大きな力を発揮します

2012-07-03 14:04:28 | 犬たち

昭和を代表する俳優・森繁久彌さんは96歳で亡くなられたのですが、その最晩年のTVインタビューで、聞き取れないようなたどたどしい声で以下のようなことを語りました。 

      人生後半において人間が幸せになる最も大切なことは、「忘れる」ことです。
      忘れることで死も、あやまちも悔いも憎しみもなくなってしまうのです・・・。 

私はこの言葉に、これからの自分の生き方のヒントを得たような気がしました。 
このブログの左の自己紹介欄に「悩まない・悔いない・恨まないが私のモットーです」と謳っていますが、これは10年前のプログ開始時からの変らない言葉で、人生の指針と思っています。
この主旨は人間誰しも悩みや悔いや恨みがあるのですが、それを心の奥にしまい込むのではなく、潔く忘れてしまおう!という生き方の知恵を言っているのです。
悩みや悔いや恨みは成長のための重要な糧であるのですが、それは若かりし頃に通用する話です。
人生も後半ともなると、悩み・悔い・恨みの暗さよりも、楽しさ・面白さ・爽やかさなどの明るさこそ大切で、生きる喜びを底抜けに謳歌する年代になったのではないでしょうか。
 
暗さを追いやり、明るさを引き出す知恵が「忘却力」なのです。
忘却力を具体的に言えば、イヤなことを積極的に忘れてしまう能力であり、
人生の後半戦を豊かに謳歌するには、その忘却力が大きな力となるのです。 

それではどのようにしたら忘却力が向上するのでしょう。

ゴルフ界のスーパースター・タイガーウッズは忘却力の天才でもありました。
世界の強豪がそろうトーナメントにおいて痛恨のミスを犯すこともあり、その瞬間には彼は他の選手以上に激しく動揺するのはTVで何回も観たことがあります。
しかし次のホールに向かうための10歩で、犯したミスを完璧に忘れてしまい、一点の曇りのない心身に立ち直ることができるのです。
タイガーウッズはゴルフ技術だけでなく、並外れた忘却力を持っていたのです。 

手前味噌で恐縮ですが私も忘却力があるほうだと思います。
その証拠にこれまで「ノー天気」とか「ポジティブシンキングの塊」とか「バカボン」とかのお褒めの言葉を頂いてきました。
その私からの忘却力向上のためのヒントをお話します。
まず悩みや悔いや恨みはすべて過去の中に存在しているため、過ぎ去った過去の関心領域を極力小さくし、その分現在と未来への関心を強めることにあります。
つまり過去の実績や経験、前例や社会常識、思い出や伝統などを無視することがとても大切なのです。
そしてもうひとつ、悩みの多いネガティブな人=忘却力のない人に共通するのは、誰かに助けを求めたいとする甘えの構造があることで、
自立心と自分の心は自分で創るという強い意志を持つことこそ大切なのです。

あなたも忘却力を身に付け、軽く爽やかに、そして面白おかしく人生を謳歌しませんか!