ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

普天間問題の失敗は、「抑止力」の判断の甘さにあった

2010-05-24 16:48:54 | 犬たち
10年ほど前、ある企業の社長さんから直接聞いたウソのようなほんとの話です。
その日本企業は中国に進出してそれなりに成功を収め、順調に業務拡大をしていたのですが、その社長は何回目かの訪中をしている時に、突然中国政府からの緊急要請で、当時の国家主席・江沢民氏に面会してほしいとの打診がありました。
時を同じくして日本の経団連の幹部も訪中し、国家主席と会うことを切望していたのですが実現しなく、なんでまた政治色のまったくない無名の彼が指名されたのか驚きとともに大きな疑問を残したまま会合が実現し、その中で江沢民主席は突然こんな質問をしました。

「日本は中国に戦争をする可能性はありますか?」

その質問が彼が聞きたかった会談の主旨のようでした。
その社長は江沢民主席のあまりにも予想外の質問に戸惑いながらも、戦争の可能性は100%ありえなく、先の戦争でひどい思いをしてきた日本国民には戦争はコリゴリ、国民は絶対戦争を許すはずがないといった回答をしたそうです。
私はその話を聞いてしみじみ感じたのは、庶民レベルでは戦争などは遠い世界の話と思っていても、国家を動かす権力者はたえず戦争の可能性や、軍事力のパワーバランス=抑止力を意識している立場にいなければならないことを知ったのです。

鳩山首相は「普天間問題」でこれだけ迷走したのは、戦争への抑止力を甘く見ていたことにあるようです。
しかし迷走の過程の中で、総理は日本の安全保障について知れば知るほど、日米安保の傘の下のポジションを確保することでしか日本の平和を担保できなく、それを維持するためには自民党政権が長い時間をかけて構築してきた元の案に戻らざるを得ないことを悟ったのです。

抑止力での戦略上での失敗事例として、フィリピンがあります。
反米感情の強いフィリピンでは、米軍基地撤去への国民運動により、アメリカ軍の基地を国外に撤去させました。
ところがそれに併せるかのように中国軍の基地が目と鼻の先に進出し、フィリピンを威嚇することとなりました。
それは軍事的パワーバランスが崩れたことを意味し、国の安全安心がおびやかされるばかりでなく、国際的な信用にまで影響が出、国力の低下が顕在化したそうです。

だれもが戦争や兵器のない平和な世界を望んでいます。
しかし理想は理想として、世界の主要国が核を保有し、国家財政の多くを軍事費に費やしている世界の現状では、軍事力のパワーバランスの中でしか平和がないということです。
いいかえれば、パワーバランスが崩れるか否かは国の存亡にかかっているといわざるを得ないということになるのです。
私がなぜこのようなブログを書くかといえば、間抜けなわが国の総理の迷走のために、日本の抑止力そのものが否定されることを恐れたからです。
たとえば「普天間問題」のTVニュースの中で沖縄の女性が「私たちは平和を望んでいるのだから、米軍は沖縄から出ていってほしい!」と叫ぶ姿を見たからです。その考え方は一見正しいように見えるようですが、とても危険な方向を示唆していると言いたかったのです。

日本には過剰な軍備は必要ありませんが、国力に合わせたバランスのとれた軍備を整えてこそ、安心と安全が保たれ、ひいては自由と民主主義の中での社会の発展があるのではないでしょうか。

私はおびえながら生きたくはないのです。



スカイツリーのある街は、落語の暖かさに満ちていました

2010-05-20 11:36:16 | 犬たち

わがHPでのシリーズ企画「ようこそ、スカイツリーのある街へ。」の制作作業は、とりあえずの終盤を迎えています。
しかしこの企画を開始した当初、まさにスカイツリーのある街を歩き回りましたが、ゴミゴミしていて殺風景で何の魅力も感じなく「エッ!ここを描くの~」という心細い心境になりました。

ここでいう「スカイツリーのある街」とは(私が勝手に決めたのですが)墨田区を指し、より具体的に言えば、巨大なスカイツリーを見上げる街を言い、向島、東向島、押上、業平、吾妻橋、京島、東駒形あたりが該当します。
この地は40年以上も東京(および近郊)に住んできた私も、この仕事ではじめて足を踏み入れた場所であるように、この地にスカイツリーが建てられなければ、世間的に言っても地味で目立たず、無視されていた街というのは言い過ぎでしょうか。

私はこれまで出会いの場所をことごとく絵のテーマとしてきましたが、ただひとつ苦手としているところがあります。それは日本の住宅地、特に造成された新しい住宅地です。
日本の住宅は、ヨーロッパ風を土台にアメリカンスタイルなど世界の住宅様式をつまみ食いした国籍不明の住宅が多く、それが街の統一感など無視して勝手気ままに建てたため、街の風景としてとても魅力的とはほど遠く、絵になる風景ではありませんでした。
しかしスカイツリーのある街を描くことになり、この街を何回も訪れ歩き回るうちに、この街はそれらの住宅地と違い、この街独自の深い味わいを感じられるようになって来ました。

スカイツリーのある街の路地から路地へと歩くうちに、落語の世界が重なってきました。
落語といえば、熊さん・八っあんや長屋の大家さんなどが登場し生活はとても貧しいのですが、みんな明るく陽気でユーモアに溢れ、そして人情と助け合いの精神が溢れていました。
その江戸で生まれた庶民の心意気が、落語という形をとった文化として伝えられてきたのでしょう。
狭い路地が掃き清められ、手入れされた草花が茂り、子供たちは子供らしく、老人は老人としての役割を持ち、人情という絆で繋がっていました。・・・そんな今の時代に忘れ去れたもの、そんな「心」がしっかり残っているように感じました。
前記の日本の住宅地が絵のテーマになりにくいのは、外観だけではなく、住人から発する人と人との繋がりが稀薄なことも一因かもしれませんね。

もう一度「ようこそ、スカイツリーのある街へ。」をご覧ください。
これまで12枚の「スカイツリーのある街」の絵を描きましたが、前半は(下の3枚が最初で、次は最初からの順番)スカイツリーを主役に描いていましたが、後半は街の佇まいを主役として描き、脇役として屋根の上にチョコッとスカイツリーが見えるという絵に代わっていったことが私の心境の変化を表しているような気がします。

絵は「心」を表現すると言いたいのですが、それはキザでしょうか?

 

 


コペルニクス的「空の描き方」を開発しました

2010-05-02 10:59:52 | 犬たち
上の絵は「下町にはスカイツリーが似合う」シリーズの5作目「吾妻橋から見えるスカイツリー」ですが、このシリーズを開始してからの悪戦苦闘の中、ようやくこの作品あたりから描き方の手がかりがつかめてきました。
その最大の課題は「空の描き方」だったのです。

スカイツリーをテーマに描くということは、「空の描き方」で勝負しなければならないことをしみじみ感じました。
まずスカイツリーは634メートルと周りの建造物を圧する高さで、ツリーの全貌を描こうとすれば、必然的に電信柱のように細長いツリー以外の大部分は空を描くことになるわけです。
また周辺の環境となると金属やコンクリートばかりで自然物が少なく、絵に情感を持たせるには、大きなスペースを占める空の表現で情感を持たせるしかないのです。
その上水彩画の特色として、広い面積を単一の色彩で塗るのが難しく、特に私はそんな空を描くのが苦手で、HP「下町にはスカイツリーが似合う」シリーズの1.2作は従来の描き方で空を描いたのです。
というわけで、これまでの次元を超えた「空の描き方」を描けなければ、このシリーズを満足な作品に仕上げることが出来ないことを悟りました。

これからは新機軸の空の描き方に没頭することになるのですが、ある時コペルニクスの卵のようなアイデアが思い浮かび、3作目「浅草寺境内から見るスカイツリー」以降その描き方でトライし、5作目「吾妻橋から見えるスカイツリー」でようやくイメージに近い描き方で描けるようになりました。
まずこの技法は水彩画そのものの範疇の描き方ですが、水彩画の苦手とする完璧なグラデーションが描け、すみずみまできっちりムラなく塗れ、それでいて自由自在に水彩画の筆のタッチも生かすことが出来るのです。
この描き方は当分“企業秘密”ということになりますが、相当水彩画などの絵の描き方に精通したプロの方も、私の開発した新画法の描き方を発見することが出来ないと自負しています。

この制作のため何回か現地に行きましたが、休日でないのにもかかわらず驚くほど多くの見学者が工事現場を中心に広く取り囲んでいました。
彼らは首が痛くなるほど高く空を見上げ、黙々とカメラのシャッターを切っていました。この人の波は完成までの2年間、ますます増加し、ヒートアップしていくでしょう。
彼らの求めるものは、限界の見える停滞した社会の中で、“つつぬけるモノ”をスカイツリーに託しているように私には見えました。