久しぶりの早朝の海岸散歩を終えて、海の見えるファミリーレストランでトロピカル気分で朝食をとっているとき、突然隣のボックスの若者が立ち上がり、私の対面にドッカと腰を下ろし、「あの~、お話聞いてもらえませんか。」と語りかけてきたのです。
そしてその若者は次に驚くべき言葉を発しました。
「私は死のうと思い、青木ケ原(富士山麓の自殺の名所)をさまよったのですが、どうしても死にきれず、なんとなくこのレストランにたどり着き、一晩ここで自分はこれからどうしたらいいか考えていました。」
「・・・私はどうしたらいいのでしょうか?」
突然の状況に大いに戸惑ったのですが、元来好奇心の強さは人一倍の私は、そういえば次のブログのテーマ(このブログ)に最適かもしれないと思い直し、ルポライター気分で聞くことにしました。
その若者は20代後半、ドブネズミ色のTシャツは荒地を彷徨ったことを証明するように汚れ、一部は破れていました。
ゲーム以外に関心のなさそうなオタク族風のその顔には、狼狽し切羽詰まった表情がありありで、ウソでないことが見て取れました。
どうして自殺まで追い詰められたのかとの私の問いに、その若者はこれまでの経緯をポツリポツリと話し始めました。
その内容を要約すると、元来浪費癖が強く、欲しいものがあれば無計画に買ってしまう性癖が原因のようでした。
手持ちのお金での支払いは遠い昔の話で、給料を前借し、親はもとより同僚や友人から借金をし、複数のカードローンやサラリーマン金融からも限度いっぱい借りまくり、まさに綱渡りのような生活を続けていたとのことです。
そのため借金が雪だるまのように増え続け、とうとう暴力団関連の高利貸し(いわゆるヤミ金融)にまで手を伸ばしてしまいました。
そして暴力団からの取り立てが厳しさを増し、とうとう実力行使といいますか殴られ蹴られの袋叩きにあったのは先月のことです。
そしてその時「次の期限までに払えなかったら、お前をブッ殺すぞ!」と脅され、その支払期日の日に自殺を決行しようとしたのでした。
そしてその若者はもう一度 「・・・私はどうしたらいいのでしょうか?」 とすがるような目で私を見ました。
ここからが私からの提言です。
この自殺未遂騒動の2日間で、キミは重大な決断をしたのです。
それは「死」ではなく、「生きる」という選択を選んだのです。
それもこれまでの生き方ではなく、まったく別の生き方、そうです!「真っ当な生き方」をしようと決めたのです。
これまでの生き方のどこが問題だったのでしょうか?
それは欲しい物は手に入れたけど、その支払を後回しにしたことにあるのです。
つまりやるべき責任を先送りするのは、金銭感覚だけでなく、キミの生き方そのものだったのです。
真っ当な生き方とは、欲しいものは自分で稼いだ金で買うことであり、買うお金がなければ買わないこと、そんな当然のことを愚直に守ることにあるのです。
人が生きるということは、多くの問題や悩みと直面することとなりますが、キミは嫌なことや面倒なことに顔を背けて生きてきたのです。見て見ぬふりをしてきたのです。
真っ当な生き方とは、その問題や悩みから決して逃げたり後回しにしたりせず、全身の力で立ち向かおうとすることにあるのです。
しかしそんなに簡単に問題が解決したり悩みがなくなったりなどするわけがなく、その多くは失敗や挫折を繰り返すのですが、それこそが成長のための最も大切なことなのです。
その苦悩を通して、より深く物事を理解することになり、考える力を養い知恵と工夫が磨かれることになり、人のやさしさを知ることとなるのです。
だから真っ当な生き方は、愚直で要領が悪い生き方のように見えて、実は最も効果的で効率的な人間力アップの方法なのです。
それでは暴力団に追われている現実の中で、真っ当に対応するにはどうしたらいいでしょう?
まず暴力団は、非合法の利益追求集団ですから、キミを殺すような何の得にもならないバカなことは絶対にしません。
それより暴力による恐怖からキミを従順な暴力団の下っ端に仕立て上げ、一番危険な鉄砲玉として使うことが想定されます。
たとえばオレオレ詐欺の現金受け取り役などの仕事を、やらされることが目に見えています。
まずキミのすることは、このレストランを出て、その足で警察署に行き、そこですべてを正直に話すことです。
暴力団に対峙し、その芽を摘むのが警察署の仕事であり、暴力はもとより金貸しも法律違反の可能性が高いからです。
警察はそれだけでなく、多重債務者であるキミを救済し、社会復帰させるための公的機関を紹介するはずです。
そこを出発点として、第二の人生=真っ当な人生を歩むことこそ最善の方法なのです。
若者は納得したのか、目になみだを浮かべて何度も深くうなずいていました。
懐には500円程度の小銭しかなかったため、私は第二の人生の旅立ちの餞別として2千円を渡し、警察までの道順を教えました。
若者は何度も何度もお辞儀をして、そして去っていきました。