ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

「写真の合成」で描く絵は無限に広がる!

2009-02-22 17:08:05 | 犬たち

上の絵は近々発売の出版「懐かしい大人の切り紙」内の島崎藤村の「惜別の唄」をイメージして描いた絵です。
写真をもとに描いたわけですが、絵のような一枚の写真があったわけではありません。4枚の写真を合成したコラージュを素にして描いたものです。
といっても分かりにくいので、この作品の完成までの経緯をたどりながらご説明します。

「惜別の唄」は男女の別れをの詩ですが、それを読んで最初に思いついたのは演歌の「別れの一本杉」の歌でした。しかし一本杉やお地蔵様を描いても、抽象的で別れの心情が表現できるとは思えず、第一私の感性ではありません。
私の感性とは直接的に表現することで、そのほうが素直に訴求できるのではないかと思い、別れの情景とはまさに人と人とが別れるとき、そのひとつとして電車が去っていく情景こそその心象風景にふさわしいと思いました。
とはいえ都会の駅よりもひなびた田舎の駅のほうが絵として面白いと思い、そのイメージを具現化することにしました。
となればたしかローカル線の無人駅を写した記憶があり、膨大な写真ストックからその写真を探し出す作業から始めました。

写真①  田舎の無人駅の写真が見つかりました。しかし背景は人工的過ぎるようです。
写真②  田舎駅の背景にふさわしい山並みの風景を合成することにしました。
写真③  やはり電車がなければ、ということで1両編成の古い電車も合成しました。
写真④  そして最後は(悩んだ末に)見送る人も合成することにしました。

これらの4枚の写真からのコラージュをコピーし、通常のトレース画法で描いたのが上の絵です。
実を言いますと「懐かしい大人の切り紙」の中の13枚の絵のほとんどが、何らかの写真の合成で描いているのです。
それほど魅力的な絵を描くには写真の合成が威力を発揮するのです

「初心者のためのトレース水彩画教室」もまさにカリキュラムのテーマが「写真の合成」に入り、その第1回は「さりげなく小道具を入れる」です。
最初はカンタンな写真の合成ですが、だんだん面白くなります。ご期待ください。

この「写真の合成」での描き方では、写真を集めること、コラージュすること、トレースして絵を描くこと・・・などありますが、それ以上に大切なことは描く前に完成された絵をしっかりイメージできることにあります。
しっかりイメージできれば、どんな絵でも描けるかもしれません。

写真を合成して絵を描く・・・、こんな絵の教室、世界中探したってここしかないですよ~!!

 

 

 


「軽・明・賢」は60代でももてるキーワード

2009-02-16 02:11:17 | 犬たち
私は65歳の男性ですが、今回は「もてる60代」まではいかないまでも「好かれる60代、嫌われない60代」について考えていきたいと思います。

亭主関白という言葉は死語となった今の時代、男性の権威など遠い昔の夢のようななかで、リタイヤした中高年がどうしたらいじめられなく生きていけるかという生き方の指針にもなると思います。

その答から言えば「重・暗・愚」ではなく「軽・明・賢」の生き方にあるようです。

その具体例を最近の総理大臣に当てはめて考えてみると前総理の福田康夫さんは「賢」ではあったかもしれませんが「重・暗」でした。明治の気骨のような「重・暗」は今の時代まったく通用しない化石のような存在ではないかと思います。
次期総理の確率の高い人として民主党の小沢一郎さんがいますが、彼は「重・暗」のイメージが一般的ですが、もしそれが定着すれば短命に終わるのではないかと思います。
私は何度も素の小沢さんとお会いしたことがありますが、実際の小沢さんはとてもやんちゃでかわいい、夢いっぱいの少年そのものなのです。その素の「軽・明」が出れば歴史に残る総理・首相となることが出来るのではないかと思っています。

「軽・明」の代表格として現総理の麻生太郎さんと元総理の小泉潤一郎さんがいますが、決定的な相違は「賢」か「愚」かにあるようです。
小泉さんは「賢者」でした。国民のニーズをたえず考え、難しい政治の課題を単純明快なコピーに置き換える天才でした。
たとえば構造改革を「地方で出来ることは地方に、民でできることを民に・・・」ですべてを言い尽くし、攻撃目標を野党ではなく「自民党をぶっつぶす!」としたのも、そして決してブレないことも国民に安心感を与えました。
一方の麻生さんははっきり言って「愚」というよりバカです。私でもわかるような言ってはいけないことをペラペラしゃべるバカが総理大臣にまでなったのですから、バカも総理になれる日本の民主制度そのものに欠陥があるような気がします。

これまで雲の上の日本の総理の話をしましたが、雲の下においても「軽・明・賢」が上手な生き方のようです。
たとえば「重・暗・愚」は、ガミガミ怒る人、グチグチ不満を言う人、寡黙でしゃべらない人がイメージされますが、そんな性格では確実に誰からも嫌われ、孤独な老後が余儀なされるようです。
なんといっても「軽・明・賢」が上手な生き方のようですが、それを私に当てはめてみれば確かに「軽・明」であることは間違いないのですが、「賢」であるか「愚」であるかは微妙なところといえます。



日本人の「愛国心」 アメリカ人の「愛国心」

2009-02-10 09:52:29 | 犬たち
日本とアメリカの「愛国心」の違いをしみじみ感じた話をします。

私はこれまで十数回アメリカに行っていますが、話は若かりし頃の東アメリカ周遊の旅で、フロリダ・オーランドのディズニーランドに2日間立ち寄ったときのことです。
1日目はディズニーランドを楽しみました。東京・浦安のディズニーランドと寸分違わないパビリオンを観て、なるほどこれもまさしくアメリカだ!と感心しました。
2日目は同じくディズニーランドが運営しているのですが、隣接するEPCOTセンターという巨大な施設を楽しみました。
これは世界の国々が1国1パビリオンとなっていて、全部のパビリオンを回れば世界一周ということになるわけです。もちろん日本のパビリオンもありましたが、規模といい出来のよさといい圧巻は当然ながらアメリカ館でした。
アメリカ館にはいろいろな展示があるのですが、メインは30分ほどの人形ショーでした。
その内容はコロンブスからジョージワシントン、リンカーンと精巧なロボット人形が登場しアメリカ建国のドラマの展開となっており、英語がダメな私も「建国の偉人たちの汗と涙を受け継いで、これからのアメリカはみんなで拓くんだ~!」という熱いメッセージが伝わりました。
会場が明るくなりぞろぞろ退席するのですが、そのとき異様な雰囲気に気づき振り返ったのですが、なんとアメリカ人(たぶん?)みんなが泣いているのです。老人だけでなく、若者、家族みんなが感動のあまり目を真っ赤にして泣いているのです。
その涙は「愛国心」の涙そのものでした。そして「愛国心」をこれほどまでに大切にしていることをひしひしと感じました。

もし日本人に対して日本の建国の歴史を上演するとしたら、たとえば大化の改新、仏教伝来、明治維新・・・・おそらく泣いてしまう日本人はひとりもいないでしょう。
それでは日本人は「愛国心」がないのでしょうか。私はそうではないと思っています。
日本はほぼ大和民族です。日本語が共通言語で、共通の文化で育まれてきました。島国がゆえに他国に征服され統治されたことはありませんでした。
たとえば日本人は親の懐の中にぬくぬくとしている子供のように思います。ずっと懐の暖かさを味わっていればそれが当たり前となってしまい、親のありがたささえも忘れてしまう、それが今の日本人ではないのでしょうか。
しかしその懐から離れなければならなくなったとき、そのとき痛烈に親のありがたさ=「愛国心」を感じるように、「愛国心」はあるのですが当たり前すぎて意識しないだけなのではないのでしょうか。

オバマ氏の大統領就任演説を聞きながら、アメリカの歴史は浅く、それも多様な目的で来た人によって構成されている、たとえば豊かさを求めてきた人たち、一攫千金を夢見てきた人たち、国を追われてきた人たち、奴隷として連れてこられた人たちによって成り立っており、そのため多様な人種、多様な言語、多様な文化が共存している国であることをしみじみ感じました。
それだからこそすべての人が共有できるもの、ひとつとなれるもの、それが「愛国心」ではないのでしょうか。
サブプライム問題で失速したとはいえ、アメリカは経済においても政治や軍事においても、文化やスポーツにおいても世界の他の国を圧倒しています。
その自信と誇りは「愛国心」からくる絆に裏打ちされています。そのためにアメリカ人は何度もなんども「愛国心」を確認し絆を強くしているのではないでしょうか。

この日本で「愛国心」と言えば、右翼的で胡散臭いものとしてのレッテルが貼られます。しかしグローバル化が加速している中、日本人としてのアイデンティテイを真剣に考えるときがきているように思います。

人は自分を愛し、家族を愛し、国を愛することが出来なくて決して幸せになれない。

画家は絵を描く喜びと絵を描く情熱を持って描き続けること

2009-02-06 05:29:40 | 犬たち

出版「詩歌の情景(仮称)」のためのすべての絵を編集者に渡して、嵐のような制作作業が終了し、ほっとしています。
編集の方から絵に対してお褒めの言葉をいただき、私自身も(手前味噌で恐縮ですが)実力が向上したことに確かな手ごたえを感じました。
テクニックの上達もさることながら、絵に幅や広がりが出るようになったことや、情感がより豊かに表現できるようになったからです。

私が始めて本の著作を行ったのが2004年、それから3年間でたて続けに計6冊の著作をすることができました。その背景には絵の世界に空前ともいえる塗り絵ブームが押し寄せ、私の著作だけで合計12万部も発売することができました。
しかしそのブームもアッという間に終わり、書店からは塗り絵や絵画技法書のコーナーが大幅に縮小されました。その結果私の最後の2冊は相当数の売れ残りが生じることになりました。
そのときの正直な感想として、私にはもう二度と出版や著作のチャンスが来ないだろうと思いました。
画家は絵を発表することが必須条件ですが、それまでの私は出版という形で発表していたのですが、その期待が絶望的になったとき深い絶望感に陥りました。もう絵など描いても意味がないとも思いました。
しかしここが勝負のときでした。ポジティブシンキングな私はそんな弱気な考え方を振り払うことにしました。

画家は絵を描く喜びと絵を描く情熱を持って描き続けることが第一ではないだろうか。
もしその絵が評価され、絵を描くことで収入があってもそれは副次的なこと、おまけでしかない。
逆に評価がされず、チャンスのひとつやふたつが消えたことなどは些細なことで、絵を描き続ける喜びは何事にも変えがたいのではないか、と強く自分に言い聞かせました。

最後の出版から今回の出版まで1年10ヶ月の時間が流れたことになります。その間ずっと地道に絵を描き続けてきました。
絵の発表の場といえばインターネット「主張する犬・猫たち」で、その1年10ヶ月の間に「トスカーナ旅情」「湘南100描」「初心者のためのトレース水彩画教室」「牛のイラスト」・・・と次々企画を建て描き続けてきました。絵筆を持たない日はありませんでした。
描き続けることは一見退屈な繰り返しに見えますが、私にとってそれは発見の連続でした。ドキドキワクワクする日々でした。
今回の作業出版著作で実感したのは、描き続けたことで得たものがすんなり体の一部になっている、当たり前のように身についていることでした。
そして、もしあの時絵を描くことを止めていたなら、また趣味を楽しむような気持ちで描いていたら、このようなチャンスは決してこなかったと思います。

画家は絵を描く喜びと絵を描く情熱を持って描き続けることではないでしょうか。これからも・・・。