ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

終の棲家は、人生の道のりの中で、安住の地としてたどり着いたところ

2014-02-23 17:38:33 | 犬たち

私は海の見える小高い丘の上に住んで15年経ち、この住まいを終の棲家と思っていますが、この地を選ぶまでの心の変遷をお話ししようと思います。

高齢であれば静かな田舎こそが終の棲家として最適だと決めつけるのは大きな間違いで、にぎやかで活気ある都会生活が性に合っている高齢者も多く、その選択は人それぞれの人生観が大きく影響しているような気がします。
知り合いの老夫婦は、郊外の大きな屋敷を売り払い、都心の超高層マンションを終の棲家としたのですが、その住み心地はとてもよく、終の棲家として勇気ある決断をしたと、しみじみおっしゃっていました。
人生の長い道のりの中で、その地を安住の地と心から思えることこそ、終の棲家としての条件ではないでしょうか。


私は見渡す限り田んぼの中の、農家に生まれ育ちました。
この地は極めて保守的で、次男坊の私は成人すれば家を出ることが前提となって育てられたこともあり、私の子供時代の目標はこのタコツボのような場所からいかに上手に脱出するかにありました。
どうせ出ていくなら、この保守的で後ろ向きな場所からは180度真反対な生き方をしようと、当時としては珍しい職業である広告のデザイナーやアートディレクターになることを思い描きました。
そのために何とか美術大学に入学し、何とか東京の最大手の広告代理店に入社でき、何とか広告のアートディレクターとしての華やかな?仕事に従事することが出来ました。

とはいうものの、世の中などまるで知らない田舎者が、東京の大企業に入り、認知されていくことはとても大変なことで、まず方言が強くてしゃべることが不自由で、それ以上に仕事のスピードについていけませんでした。
そのうえ田舎者の感性なと都会のセンスと大きく遅れているような気がし、コンプレックスの塊となりました。
入社当初のその時期は、人生の中で最も辛い思いをした時期だったかもしれません。

だからその当時 東京人(そっくり)になりきることが、これから生きていくための必須条件であるとかたくなに信じました。
東京に住居を構えたのは当然として、東京人の言葉をマネし、東京人の生活習慣やセンスを身に着けることに躍起になりました。

しかし多少仕事を覚えてきたある時、私の職業であるアートディレクターたちの、輝くカリスマたちを綴った年鑑を調べているときに、あることに気づきました。
私の尊敬する有名アートディレクターたちの多くは、地方から上京してきた地方出身者であることに気づいたのです。
そのような目で職場を見渡せば、輝かしく活躍する先輩たちは、地方出身者で占められていることを発見したのです。
それに比べ東京生まれで東京育ちの人は、どことなくひ弱で、地方出身者の気迫に押されて傍流に甘んじていることにも気づきました。
地方出身というハンデがあるからこそ、まさに必死で働き、そして認められていったのではないでしょうか。

「な~んだ。日本の最先端である東京の発展は、地方出身者で支えられていたんだ!」

その頃は日本は高度経済成長期に入り、東京に人材が集中した時だったからかもしれませんが、この発見は私に大きな自信と人生観の変化をもたらし、コンプレックスなど捨てて、開き直って生きる決断をしました。
 

その頃東京の小さなマンションを売り払い、ワンランク上の住まいに移り住もうという計画が現実的になってきました。
そのときこそ誰のマネでもない、私流の生き方を確立するチャンスが到来した時でした。

その判断材料として、まず東京人になり切る必要はないのですから、心身ともに東京から脱出すること。
そして故郷の田舎のような風景には決して戻りたくないこと。
つまり都会でも田舎でもなく、これまで住んだことのない新しいところ。 しかも東京への通勤圏でありながら自然回帰を実現するところ。

そして具体的なイメージとして浮かび上がったのは、「海の近くに住みたい!」ということでした。
私にとっての「海」は、憧れであり、安らぎであり、そして陽気な雰囲気があったからであり、そんなイメージをもとに不動産物件を探し回り、「逗子の物件」を探し当て、その地に住まうことに決めたのです。

今、私の部屋の窓から相模湾が一望でき、裕福な気分に浸っています。
日々の散歩は海を見ながらの散歩で、上の絵のような富士山を見る日々を送っています。

そして私のこれからはますます深く「海」とかかわり、「海」と親交を深めていき、「海と一体」になっていくような気がするのです。 


佐村河内守氏のゴーストライター・聴覚障害ウソ発覚事件に、もう一人の脇役がいた

2014-02-11 17:05:01 | 犬たち

少し前まで「現代のベートーベン」と評された、佐村河内守(さむらごうちまもる)氏のゴーストライターの出現と、聴覚障害などのウソ疑惑などの一連の事件について、深読みしてみたいと思います。
なんせ私流の深読みですから、間違っていればご容赦ください。

この一連のドラマ(事件)の主役は、当然ながら佐村河内氏そのもので、それを支えた脇役(本人は共犯者と言っている)は作曲した新垣隆氏ととなることは衆目の一致するところです。
しかしもう一人、フリーディレクターのA氏が重要な脇役として、現代のベートーベン像を創り上げたのではないかと思っています。

フリーディレクターとは、どこにも所属せず、いろいろな番組企画をTV局に持ち込み、1本いくらとして制作して稼ぐ仕事です。
私の現役時代そのようなフリーディレクターと何度かお会いしたし、プレゼンテーションを受けた記憶がありますが、どことなく胡散臭さを払しょくできませんでした。
そこでのA氏は「自分は佐村河内守と強いパイプを持っており、彼がTV番組に登場化する許諾をえている」として、天下のNHKへの売り込みをかけ、そしてそれに成功したのです。

そこで実現したのが昨年3月のでNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家」、それは大きな話題を呼びました。
その内容は、被爆2世で聴覚を失った作曲家・佐村河内氏が、東日本大震災で両親を失った宮城県の少女と対話して心を通わせるというドキュメンタリーで、“心の奥に深い悲しみを持った人間同士”の魂の交流が感動を誘うというものでした。

失礼を顧みず言えば、民放には「本当かいな?」といった多少まゆつばものの番組はあるものの、天下のNHK、特にそのドキュメンタリーにはウソやインチキがあるはずがないと視聴者(国民)は信じており、すべて真実のこととしての信頼性があるのは衆目の一致するところです。
だからこの番組を契機に「現代のベートーベン像」が完全に出来上がり、彼は時代のヒーローとなったのです。
そしてこのスペシャル番組の高評価から、ニュース等にも再三登場し、NHKからの出版化も行い、A氏のビジネスが多岐に膨らんでいき、彼のNHKへの売り込みは大成功となったのです。

それではA氏は制作前だけでなく、長い番組制作の行程の中で、佐村河内氏のウソを見破ることが出来なかったのでしょうか。
他の雑誌取材でこんな話もありました。
ようやく取材が終わり、スタッフは佐村河内氏をお送りするためタクシーを呼んだのですが、ほどなくして到着の合図としてタクシーが警笛を鳴らしたのですが、すかさず佐村河内氏が「タクシーが来たようなので、失礼いたします」と言って帰ったそうです。
残された雑誌社の面々は「もしや耳が聞こえているのでは・・・」との疑念を持ち、その企画の掲載を中止としたとのことです。

それではA氏に対して長い期間にわたり、佐村河内氏はそんなボロを出さなかったのでしょうか。
A氏にとって佐村河内氏は飯の種ですから、そのような疑念を持たなかったかもしれませんし、見て見ぬふりをしたかもしれません。
もしかして作曲した新垣隆氏のように、最初からウソを承知した上で作業をしたのかもしれません。

それではNHKはなぜこのような怪しげな企画を了承したのでしょう。
それはこの企画には「心を熱くするいい素材」があったからです。
逆から言えば、この平々凡々・ぬるま湯のこの時代、ドキュメンタリーの素材として、心を熱くするいい話などほとんどなく、困り果てている中で、毒まんじゅうかもしれないと思いつつ、この企画にくらいついてしまったのです。


素人がダマされた場合、ダマした人が悪く、騙された人は被害者となります。
しかしマスコミがダマされた場合、ダマした人も悪いのですが、それ以上にダマされたマスコミが悪いのです。
なぜならマネーロンダリングするごとく、ウソの情報でも本当の情報のごとく転換する力がマスコミにはあるからです。
 

付け加えてもう一つ、作曲した新垣隆氏の話をします。

彼は作曲家としてだけでなく、先を読む力も強かであると見受けました。
まず発表の時期が抜群であることです。
彼の言うフィギャーの高橋選手に迷惑がかからないためのこの時期と口では言っていますが、実はそうではなく、高橋選手が演技する最高の舞台で、佐村河内ではなく新垣隆の曲として発表したい、
そのことを計算に入れるには発表の時期はこの時しかなかったのです。
そしてもっとそのタイミングが早ければ、高橋選手は他の曲に変更する恐れがあったかもしれないからです。 

そしてもうひとつ、彼の言葉の中で「私も共犯者です。」という言葉があり、その一言でほとんどの人は彼に同情の念を持ち、音楽家としてちょっとひ弱な彼を応援する気持ちになりました。
「私は被害者です」という言い方もあったのですが、そうなれば多くの人は「700万円ももらったくせに」と思うでしょう。