ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

体は下り坂でも、脳は♪ルンルン上り坂!

2008-05-29 09:57:14 | 犬たち
脳科学者の茂木健一郎さんによると、人間の脳は年齢に関係なく、使えば使うほど進化し成長するとのことです。

運動神経や体力を要するスポーツは20歳代でピークを迎え、後は下り坂になるのですが、人間年を重ねると弱気になり、知性や感性などの脳がつかさどる能力も人生の盛りを過ぎれば下り坂になると錯覚している方が多いようです。私もそう思っていました。
脳は年齢に関係なく使えば使うほど進化し成長するという説に、「そういえば!」と思い当たるものがあります。
私が絵を描き始めたのが50歳、本格的に画家として出発したのは60歳の遅咲きの出発でした。
「絵が上手なのは若い時からの才能でしょ!」とよく言われますが、美術大学は卒業したものの、専門は畑違いのデザイン科で絵を描くのは苦手で、興味すらありませんでした。
だから50歳で絵を描き始めたときは当然ながら初心者なので下手でしたが、それ以降真面目に絵を描き続け、60歳以降は猛烈に絵に取り組みました。その甲斐あってか自分でいうのも何ですが、伸び盛りの少年のようにすくすくと成長し、現在も発展途上にあると思っています。
だから実感として、感性や知性は年齢に関係ないんだ!としみじみと感じています。

私の絵は脳で描きます。
絵の能力は腕が覚えた器用さが勝負という人もいます。器用さは脳の働きよりも運動神経のほうが近いかもしれません。確かにそのテクニックだけで人を魅了する画家がいますが、私はとても不器用なので、器用さでは勝負できず、思考と感覚に頼った描き方にこだわっています。
絵は脳のすべての機能を総動員して描きます。感性は当然として知性や理性もフルに活用します。一般的に画家は感性は訓練されているものの、理性が苦手のようですが、私はコンセプトの構築や、プランニング力を積極的に取り入れた絵の描き方をしています。それは理性そのものであり、絵を描くための重要な能力だと思います。

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オレ、パンダ、
日本のオジサン、オバサン、人生これからヨ。
オジサンの隠れた才能が花開き、オバサンの未開の天性が評価されるのは、脳をフル回転させれば実現可能カモ。
脳の使い方の手始めに、いいもの教えます。その名は「トレース水彩画」
あれはよく出来た画法だネ~。考案した奴の顔を見てみたら、ナント、オレそっくり。マイッタマイッタ。






絵の描き方をちょっと変えました

2008-05-25 06:12:57 | 犬たち


「初心者のためのトレース水彩画教室」シリーズの中で、特に「スケッチ偏1~9」で絵の描き方を少し変えてみました。
さて問題です。どこを変えたのでしょう。以下の3つの中から1つを選んでください。

    ① 時間をかけて、極力ていねいに描くことにしました
   ② 前に描いた絵と、次に描く絵のインターバルを長くとるようにしました
   ③ 般若心経を唱えながら描くことにしました

 実は描き方を変えてから明らかにアクセス数が増加しました。「最近の絵は魅力的です!」というお便りもいただきました。私もこれまでより一皮むけた絵が描けるような気がしています。その原因は描き方を変えたことがおおいに関係していると思っています。
というわけでその答は②です。前に描いた絵と、次に描く絵のインターバルを長くとるといっても、描きたいのに描くのをガマンすることです。描く枚数が減るわけですから、それだけ大切な気持ちで心を込めて描くからでしょう。

私にとって絵を描くことは、仕事であり、趣味であり、暇つぶしであり・・・今の人生そのもの、要するに描くのが楽しくてしょうがないのです。
だから次から次と描かない日などなく絵を描いてきましたが、それ行けドンドンで枚数を描けば満足ということに、何か疑問を感じていました。私もそれなりに成長しているのです。

 絵は感動を表現するメディアです。
アイデアがよくても、デッサンがしっかりしいても、構図がすばらしくても、バランスのとれた色合いでも、そこに感動がなければその絵は無価値な絵です。
逆に、技術が劣っていても、決して上手でなくても感動する絵がたくさんあります。
すぐには描かず、描きたいのをガマンしている中で、絵の素となる写真を前にして頭の中で絵が完成するわけですが、その絵を修正し、壊し、また描きなおすことを繰り返します。その繰り返しの中で感動のエキスが抽出され、発酵するのではないかと思います。
かっこよくいえば、絵に魂を入れることになるのかもしれません。
上の絵は同じ写真から2枚描きました。クリックすれば最近の絵、もうひとつは半年前の絵です。感動という視点で見比べていただければ幸いです。

 


私たちは国際価格の8倍のご飯を食べています。が、しかし

2008-05-20 11:37:40 | 犬たち
資本主義社会の大原則は、市場原理・競争原理により、よりよい商品・より安い商品が買われ、消費者のニーズに対応できない商品や割高の商品が市場から消えていく・・・自然淘汰こそ、活性化した豊かな社会が形成される仕組みをいいます。
その戦いに生き残るためには血のにじむような努力が必要であり、それが日本が世界に誇るヒット商品や定番商品を生んだのだのも事実です。
私はすべての商品がグローバル市場の中で、政府等の介入がなく正々堂々と競い合うことこそ健全な経済活動だと思っています。

しかし市場原理に程遠い生活必需品があります。それが「お米」です。
日本の「お米」は国際市場の価格の8倍です。海外から米を輸入するとしたら8倍の関税がかけられることになります。つまり世界は日本の1/8の価格でお米を作っていたのです。そのためたいへんな操作をすることでようやくお米の自給率100%が確保されているのです。その分国民が負担をかぶることになるわけですが、それほど日本の農業は国際化に立ち遅れているのです。
驚くべきテータがあります。日本の農業人口は全就業人口の2%までになりました。私の少年時代の昭和20年代の農業人口はたしか40%を維持していたはずですが。
もっと驚くデータがあります。その2%の農業人口の内訳をみれば、65歳以上の方は59%に達するそうです。

グローバル化と食生活の変化の中で、日本の農業は完全に立ち遅れました。
はっきりいえば日本の農業はもはや修正の段階ではなく、新たに立て直すほどの認識でなければ、グローバル市場の中で戦うことは困難なようです。

とはいえ、これからの時代は日本農業に味方する風が吹いています。ちょっと思いつくまま羅列してみれば

  ・食料自給率の低さへの不安からの自給率向上への国民的期待や要望
  ・安全・安心としての国産食料品への信頼
  ・地産地消 産直販売 特産品などの地域文化・伝統への再認識
  ・おいしさや品質向上へのあくなきこだわり
  ・日本の原風景としての里山の美しさ(上の絵)

これからの農業は経営や戦略としての視点が必要なようです。大規模化も必要かもしれませんし、付加価値性の高い商品の開発も必要かもしれません・・・・

そして、もうひとつ気をつけることは、“お上にすがれば何とかなる”と思うことで、それが同じ墓穴を掘ることとなることです。





現代版「悪い奴ほどよく眠る」話

2008-05-17 13:26:33 | 犬たち
日本経済に急速に暗雲が立ち込めています。その原因は原材料の高騰によるもので、企業業績をも悪化させています。そのツケは最終的には物価高という形で私たち生活者が負担することになるわけですが、ガソリンをはじめ日々の買い物での値上げ現象はすでに出始めています。
その原因は何処にあるのでしょうか?
元凶はエネルギー、その中でも石油価格の高騰にあります。今や石油は製造業・運輸業・農業・サービス業までのあらゆる産業のベースとなっているため、石油の値上げはすべての産業に多大な連鎖反応を及ぼすわけです。
石油高騰の原因のひとつとして、産油国が供給を出し惜しみをし、市場に出回る石油の絶対量を少なくすることによる値上がりとの疑惑が考えられますが、どうもそうではなさそうで、通常量の石油を提供していると言っています。

となれば、その原因は2つに絞られます。
ひとつは中国やインドなどの巨大国が急速な経済発展を遂げ、それにともない大量のエネルギーが必要となり、結果として石油価格が高騰するという図式です。
これはま~仕方のないことか、とも思いますが、もうひとつの理由が不愉快なのです。

もうひとつの理由とは、中東やロシアなどの主要産油国は、石油高騰により巨万の富が転がり込むことになりますが、その巨万の富を石油商品の購入につぎ込んでおり→石油価格がますます高騰し→より巨万の富が入り→その富を石油商品購入に取り組む→・→・→・という彼らにとって笑いが止まらない循環の方程式が出来上がっているのです。
石油商品とは、ずいぶん昔、小豆相場などの商品相場にバクチを打つ映画がありましたが、石油商品とは世界的商品相場の石油商品ということで、買えば値上がりするのが当然の理なのですが、そんな世界があったのですね。
中東やロシアなどの主要産油国といっても、国全体が豊かになっているのではなく、これらの国は民主国家ではなく王国や独裁者の国、それとグローバルな石油メジャーのごくごく一握りの人たちが巨万の富を握り、そのため日本だけではなく、世界の人々が物価高騰に苦しんでいることになっているのです。

彼らへの攻撃方法のひとつがいわゆる世界的「世論の形成」ですが、私が不思議でならないのは、どうでもいいことやあることないことを騒ぎ立てるマスコミは、このことにほとんど触れていないことです。触ってはいけない何かがあるような気がします。
現代版「悪い奴ほどよく眠る」とはこのこと。世界が苦しみ、ほんのごく一部の人間が巨万の富を得ているのはもうゆるされません。



具体的に動けば、具体的な発見がある

2008-05-14 08:59:03 | 犬たち


マニュアル嫌いの私は、格言や名言などにあまり関心はないのですが、たまたま出合った下の言葉に「これだ~!」とガッテンしたのでご紹介します。
これは「にんげんだもの」で有名な書道家・相田みつをさんの作品の中にあった言葉ですが、相田さんは女子高の先生をしていて、若者に向けて書いた作品がほとんどですが、第二の人生を歩む生きかたのヒントとして心に響くものもありました。

     アノネ 
   がんばらなくてもいいから
   具体的に動くことだね

私の半生を振り返れば、人並みにいろいろな経験をしてきました。たくさんの人とも出会いました。数多くの失敗や挫折の繰り返しだったけど、(少ないのですが)うまくいったこともありました。
この年になるとこれまでの人生経験はその人の財産といえば財産であるわけですが、人生の後半は波風立たない無難な生きかたを望むにはこれまでの経験が大いに役立ちます。
しかし、人生後半こそ新鮮でダイナミックな生きかたを望むのなら、過去の経験にこだわらずあえて少年のような素直な気持ちになり、日々の体験から得た新たな発見や感受性を大切にすることこそ必要な気がします。
考えてみれば、人生経験といってもたかが数十年というほんの一瞬の、それも砂漠の一粒の砂のような小さな生物の経験でしかないのだから・・・。

私は「画家」ですが、画家を別の言葉で言えば「感動発見業」といえます。自分が感動したことを絵という誰もが共有できる視角メディアに置き換え、より多くの人とその感動の和を広げていくという商売です。
とはいえ、感動などそんなに簡単に見つかるはずもなく、部屋の中であれこれ考えていても発見できません。その上、私の絵の状況では絵の素となる写真が慢性的に不足しています。
カメラをポケットに入れて外を出歩くことから「感動発見業」の商売が始まります。

外を歩くと経験や常識を超えたいろいろな感動と出会うことがあります。
上の絵は「里山⑩」の絵ですが、事実は小説より奇なりと言いますが、好奇心いっぱいでカメラを持ってキョロキョロ探し回ったからこそ描くことができた絵でした。