ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

ときめきのある人生には、ときめきのないものは捨て去ることにあります。

2015-04-21 18:12:27 | 犬たち

米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に、かたずけコンサルタントとして活躍する近藤麻理恵さんが、作家の村上春樹さんとともに選ばれました。

こんまり(近藤麻理恵さんの通称)は物に感謝しながら片づける方法を開発し、それを出版化したものが日本で67万部のベストセラーとなっただけでなく、米国をはじめ世界で300万部以上の売り上げとなり、世界から高く注目されているからです。
それは単に整理整頓のノウハウに止まらず、物を擬人化して感謝を込めて捨てる、そんな日本的な思想が、世界から強い関心を持たれたからです。

こんまりは外見はとてもかわいい女性ですが、彼女の片付けへの情熱は驚くべきで、そこから生み出される発想には、生き方へのヒントがちりばめられていました。

そのかたずけへのポイントとなるのは、何を捨て、何を残したらいいか?にあるようです。

私にとってこんまりのその発想は、単に物の整理整頓に止まらず、いや!それ以上に心や生き方への整理整頓、もっと言えば人生をどのように充実して生きるかということを示唆するものとしてとらえました。

私は72歳となりましたが、高齢者といわれるこの年代では、長い人生経験からの思い出や教訓がたっぷりあります。
しかし部屋に物があふれれば足の踏み場もなくなるように、心の中に過去がいっぱいで身動きがとれないとすれば、新しい人生の感動を取り入れる余地がなくなる恐れもあります。
もっと言えば、これまでの膨大な思い出や経験という記憶の多くを思い切って捨て去る(忘れてしまう)ことにより、これからの人生からの新たな感動と、幸せが得られるのではないでしょうか。
心の整理整頓、それは何を忘れ去り、何を心のよりどころとして残したらいいか?にあるようです。

そのことについてこんまりはこのように言っています。

ときめきのある物を残し、ときめきのない物は感謝の気持ちとしっしょに整理する(捨て去る)。
それを私流に解釈すれば、心の整理にはときめきのある記憶を大切に暖め、ときめきのない記憶は潔く忘れてしまうことになります。

私は40年近く広告代理店で働き、退職とともに画家の道を歩み、すでに12年となります。
広告の仕事から画家への転身は、2つの職業は似て非なるもの・・・、それは魚屋がバレリーナになるようなもので、大いに戸惑いました。
そして画家としての資質を身に着けたいがために、広告業で培った資質、慣習や価値観、思考方法までをも惜しげもなく捨て去りました(捨て去るしか道がありませんでした)。
まさに過去の広告業時代に培われたもののほとんどすべが、ときめきのないものに映ったからです。

たとえば、退職後には元の会社に一度も行ったことがないのは当然として、広告業で出会ったほとんどの人との縁を切ったといいますか、出会いや誘いにも断り続け、それから12年すっかり私の体から広告業の色も消え、臭いすらなりました。

私にとっての広告業とは、出来の悪い私を世間並に育んでくれただけでなく、あらゆる部分に多大な恩恵を与えてくれたもので、深い感謝の気持ちと、いい思い出ばかりを持っています。
しかしそれは過ぎ去ったものでしかなく、私の未来には存在しえないものなのです。

ときめかない「物」を捨てることもさることながら、ときめかない「心」を上手に捨てる方が、劇的に人生が変わるのではないでしょうか。

ときめきとは感動を意味します。
ときめきのあるものに囲まれて、感動に満ちた人生を歩みたいものです。
それには(残念ながら)ときめきのないものは、捨て去るしかないのです。

 


地元の風景をテーマとした個展が開催されました。

2015-04-07 15:58:48 | 犬たち

展覧会は終了しました

地元の風景をテーマとした個展が開催されました。

その展覧会の詳細はここをクリックしてご覧ください。                           

 この展覧会の出店のために押入れを引っ掻き回していると、出るわ出るわすっかり忘れてしまった絵画初期段階の作品が、山のように出てきました。
それらの見ていると、この町に来てすでに40年近く、人生の半分以上はこの町に住みつづけている、その長さを改めて感じました。
そしてこれから先も住み続け、終の棲家としてこの町で一生を終えることになるでしょう。
そのことを通して穏やかではありますが、この町への強い愛情を再認識したのです。

そしてもうひとつ感じたことは、同じ地元をテーマにした初期の作品と今の作品に、大きな違いのあることを改めて感じました。
初期の作品は具体的な風景をそっくり正確に描くことに終始している、いわば具象画を目指しているのに対し、今の作品は風景を描くことはいっしょですが、その風景を通して自己の心象を表現しようとしていることにあります。

それを前期と後期に分けるとすれば、その描き方そのものは前期と後期もそんなに変わらないのですが、大きく変わったことは、撮った写真から描く絵を決めるまでが同じとすると、前期はすぐ画用紙を広げて制作に取りかかったのですが、後期はそれから制作に取りかかるまで時間がとても重要になりました。
いわば構想を練るといいますか、妄想するといいますか、創意工夫といいますか、その時間がとても長くなり、絵を描くことは、思考することになったのです。
そして思考の時こそ、絵を描く中で最も楽しい時間となったのです。

   この絵で何を表現しようとしているのか?
   観る人を感動させるには、どのような工夫があるのだろうか?
    自分とはいったい何だろうか?・・・と思考は広がるのです。

そして頭の中で、隅々まで絵が描きあがった段階で、初めて画用紙を広げることになるのです。

それでは素晴らしい絵になるかと言いますと、ちょっとは成功するものの、ほとんどが失望にかわります。
具体的には前期の作品より確実に魅力的な絵になったものの、わたしの漠然とイメージする絵は、はるか先にありるのですが、「はるか先」という発見こそ大進歩だと思っています。
その原因は表現テクニックもあれば、構想の甘さもあれば、妄想が空回りしたのか、創意工夫が未熟なのか、今はすべてが発展途上にあるのです。

はっきりしていることは、思考力こそ次の飛躍の鍵を握っていることです。
この展覧会をひとつの節目として、より思考力のパワーアップを図り、「はるか先」に近づくための次の表現へと飛躍していこうと思っています。