ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

長~く人生を楽しむには、絵を描き続けること

2008-06-28 10:13:40 | 犬たち

私の現役時代は広告代理店で働いていましたが、第二の人生は画家を仕事としました。
この転職は2つの職業の共通点を見出すことすらできないほどの全く違う職業、いってみれば「魚屋」が「バレリーナ」に転職したようなものでした。
どうして画家の道を選んだのか。
それは絵に自信があったから(全然なかった!)というより、どうせなら「毎日が日曜日!」と卑屈に笑うより「画家をやってます!」というのがカッコいいと思ったのが本音です。
だからかもしれませんが画家として成功しようなどといった悲壮な決意などなく、軽~いノリで出発したのですが、せめてこれだけは守ろうと「画家の条件」を決めました。

私の決めた「画家の条件」  喜びと意欲を持って春夏秋冬絵を描き続けること

画家なって5年たった今、大真面目に「画家の条件」を守ってきました、というより、ますます絵を描くことが楽しくなっていました。
大学を卒業してからの第一の仕事の目的は、なんといっても「収入を得る」ことでしたが、第二の人生の仕事の目的は「絵を描き続けること」それはとりもなおさず「生きることを楽しむこと」でした。
絵を描き続けるうちに、絵の依頼や、作品の購入、何冊かの絵に関する出版の著作・・・その他もろもろの仕事が発生し、それなりの収入になりました。しかし私はこれらは予想外の「おまけ」として区分けしているつもりです。
「おまけ」はありがたいのですが、それは副産物だと思っています。

飽きっぽい性格の私が、どうして毎日描き続けられるのでしょうか?
それは楽しいからです。絵は入口は狭いのですが、描けば描くほど深くて大きい世界が広がり、自分が取り組むべき課題が山のようにあることを発見するからです。
別の言い方をすれば、絵を描くことは自己発見そのものです。絵を通して自分自身が進化し、心が開拓される喜びが実感できるのです。

    1日楽しむには、温泉に行くこと
    1週間間楽しむには、海外旅行に行くこと
         5年、10年、20年楽しむには、絵を描き続けること

絵を描き続ける楽しさに比べ、「おまけ」の楽しみなど一時のこと、小さい小さい。  

上のワカサギの絵はすべて100円ショップ「ダイソー」でそろえた画材で描きました。
100円の画用紙に100円の絵の具、100円の筆で描いた絵ですが、その絵が意外といいのです。もしかしたら普段の高い画材で描いた絵よりいい絵が描けたかもしれません。
弘法筆を選ばず とは言いますが、絵では何がおこるか分からない。だからとてもスリリングで面白いのです。
詳細は「100円ショップでそろえた画材でここまで描ける」参照
 

 

 


人物画を描くと突然絵が上達する、その理由

2008-06-25 05:14:26 | 犬たち


トレース水彩画にチャレンジしている絵画初心者の中で、突然上達する共通のきっかけがあります。それは肖像画を描いたときなのです。それも自分の家族、子や孫・家族同然のペットなどとても身近な人を描いたときです。
「ワ~ッ!似てる~!!」ということになり、本人も隠されていた自分の才能に涙目になり、描かれた人だけでなく家族や親戚縁者、交友関係の方もびっくりすることとなり、その自信が絵を描くための飛躍となるのです。

なぜ初心者でも似た絵が描けるのか、その秘密をお教えします。
従来の描き方では、肖像画は最も高度なデッサン力が要求され、似てるように描けるまでになるのは大変です。それなりの才能と相当な訓練でも限られた人しか描けません。しかしトレース水彩画で描けば、学校以来絵など描いたこともない正真正銘の初心者の方も、ソックリに描くのは無理としても、似ているように描くのは難しくない、というより簡単なのです。
トレース水彩画は写真をそのままなぞることが大きな特色です。
目の形、鼻の大きさ、顔の輪郭・・・そのまま写真通りになぞるわけですから、真面目にそしてていねいになぞれば、似るのは当たり前 (もし似ないとしたら、私はその真相を解明したい!) なのです。実に簡単なのです。
じゃ~・描き手の能力じゃないんだ!とお思いでしょうが、そうではありません。トレース水彩画で描こうと決めた、時代を先取りした選択能力が素晴らしいのです!(ちょっと手前味噌過ぎるような・・・)

というわけで、あなたもお子さんやお孫さんなどの身近な方の肖像画にチャレンジしませんか。

上の絵はわがHP「初心者からはじめるトレース水彩画教室・実践偏17」です。
この描き方をよくご覧ください。プロの高度なテクニックなど全くなく、どなたでも描ける普通の描き方で描いています。

 絵のテーマは身近なご家族がいいでしょう。
新たに写真を撮ってもいいのですがこれまでの写真から選ぶのが賢明かもしれません。ただしストロボを使った写真は避けてください。印画紙の場合は近くのコンビニで拡大カラーコピーすれば準備万端です。

初心者でも上手に描けるコツは、人物を描くのではない!人物の写っている写真を描くのだ!と思うこと。
絵の対象となる人などすっかり忘れて、写真をそっくり模写する気持ちで描くほうが結果として似た絵が描け、魅力的な絵が描けるのです。
絵を描くときはアレコレ複雑に考えない。シンプル イズ ベストが上達のコツなのです。

 出来上がった絵は勇気を持ってみんなに見せることが成長の最大のポイントです。
額に入れて居間や玄関などの目立つところに飾ってください。本人に差し上げてもいいでしょう。お世辞も含めて誉めてくれるはずです。
その証拠に新たな絵のオーダーが来るはずです。そのオーダーには必ず答えることにしてください。

・・・・そのようにして絵の虜になっていくのです。

 

 


トレース水彩画で花を描く 3つのポイント

2008-06-21 10:08:53 | 犬たち


私が始めて「花」を描いたのは、私の初の著作出版「トレース水彩画入門」という絵画技法書内に、花の描き方も入れることになったからです。
それまで花など描いたことがなく、「ふん!花なんぞカンタン・カンタン」とばかりに取り組みましたが、なんと失敗、失敗、また失敗・・・花を物理的に描くのは簡単なのですが、本に載せるだけのレベルまでは遠く及びませんでした。
なぜ魅力的な花の絵が描けないのか?悩みに悩んでようやくその原因がわかってきました。
いろいろな花と対峙する中で、無数の花はそれぞれが際立って個性的であり、かつ圧倒的に美しいというごく当たり前のことを発見したのです。
花の魅力は美しさにあります。だから花の美しさを絵で表現することになりますが、どんなに必死に描いても、実際の花のほうが絵ごときよりはるかに美しく、それを超える絵など描けるわけがないことを発見したのです。
その発見から花を師匠として、美しさを教えてもらう気持ちで描くことにしました。謙虚で素直、無心で描くことのひたむきさが、ようやくそれなりの魅力ある花の絵を描くことができるようになりました。

 トレース水彩画で花を描くための3つのポイント

1、あなたの好きな花を素直な気持ちで描くこと
好きな花、思い出の深い花、思い入れの強い花を描きましょう。好きなものは絵で気持ちが伝わります。
そして上記のように素直で謙虚な気持ちで描く姿勢が大切です。

 2、美しさを引き出すため、枝や葉・花を思いっきり整理して写真に収めること
トレース水彩画は写真を素に描きます。そのためその花の最高の美しさを写真に収めることが条件となりますが、その美しさを阻害しているムダな枝や葉・花が以外と多いのです。それらを生け花の要領で思いっきり整理すれば、その美しさがグッと引き立ちます。
その中での最高の一枚を写真に撮りましょう。フラッシュは厳禁、アップする場合は接写モードにしましょう。

3、描きはじめたら実物の花を見ないこと
写真に撮った瞬間に、花の魅力のすべてが写真に移行し、実物の花はもぬけの殻たと思ってください。写真をトレースして線画を描き、写真を模写するように彩色していきます。それ以降実物の花を見ないことが上達のポイントです。
絵を描くのに必要なものは、その花の感動のイメージと、一枚の写真で必要充分です。絵の目的は、花のイメージ、描く手段は写真の模写。ムダを省いたシンプルな描き方こそ上達の近道なのです。
実物は立体ですが写真や絵は平面です。立体を平面化するより、平面を平面化するほうが圧倒的にカンタンだからです。

 上のホタルブクロの絵は、「初心者のためのトレース水彩画教室・実践偏15」です。久しぶりに花の絵を描きながら、花の絵を描く幸せをしみじみ感じました。
花の絵は初心者の方も取り組みやすい課題です。あなたの好きな花でチャレンジしてはいかがでしょうか。

 

 

 


人間の目もカメラの目も利用した「トレース水彩画」

2008-06-17 05:32:18 | 犬たち
旅先などで素晴らしい景色と出会い、その感動を写真に残します。後日あの時の感動に浸ろうと写真を取り出しても、写真には平凡な風景しか写っていなく、ガッカリした経験がおありのことと思います。
それはカメラの性能が悪いのでも、あなたの写真の腕が悪い(多少はありますが)のでもありません。人間の目とカメラの目の性質が違うことが原因なのです。
人間の目とカメラの目、物理的な観点からの性能比較では、人間の目はカメラの精度には及びません。ましてや瞬間を切り取る能力はカメラの独壇場となります。
しかし人間の目には特別の機能があります。それは「都合よく見える」能力です。

久しぶりに銀座の交差点で友人と待ち合わせをするとします。
約束の時間になっても姿が見えず不安になっている矢先、人ごみの中からこちらに向かって駆けてくる友人の笑顔を発見しました。その瞬間・・・
人間の目は、夕日に光る忘れもしない顔を鮮明に捉えることが出来ます。
一方カメラの目は、ビルや広告看板、電柱や車、そして人ごみが写り、その人ごみの中を丹念に探さなければ、点のような小さく写った友人の顔を発見できないでしょう。
そうなんです。カメラの目は正確無比、感情のない描写ロポットなのに対し、人間の目は感情によって拡大縮小自由自在、心を反映して色彩まで変わり、見たくないものは消えてしまうように「都合よく見える」能力をもっているのです。

絵は感動を表現するメディアです。
トレース水彩画は写真をトレースして描きます。となればトレース水彩画で描かれた絵は、カメラの目から見たような感情のないロボットが描いたような絵になるのでしょうか?
違います!トレース水彩画は、正確に対象物を捉えるカメラの特色をちゃっかり利用するものの、基本は人間の目のように感動を表現するように描かなければなりません。
HP「初心者のためのトレース水彩画教室」内で、写真をベースにしながら感動を表現する描き方、別の言い方をすれば「都合よく見える」描き方をたっぷり伝授します。この行程が絵を描く醍醐味が味わえる最も楽しい行程であることも付け加えておきます。

デフォルメされた絵や抽象化された絵は、画家の感情をストレートに表現しているのが多いのですが、私はこのような感情を直接表現する絵にはどうしても好きになれません。
その反対に、写実的な絵やリアリティ溢れる絵が大好きで、そんな絵の虜になったことから絵の世界に入りました。
私の求める具象画は対象物を正確に描くため、自己の感情を抑える必要があります。そのようにリアリティに徹して描けば、不思議なことに逆にその奥に隠された感情、その背景にある人柄がにじみ出てくる・・・トレース水彩画を通してこそそんな絵が描けるのです。

・・・たとえば上の絵、猫大好き画家が描いた絵だとすぐわかるように・・・




地球温暖化ストップのための最大の壁、それは人口問題

2008-06-13 15:09:23 | 犬たち
地球上に生命体が誕生してから、生命絶滅の危機が5度あったとのことです。
恐竜が絶滅したのもそのひとつで、火山の大噴火や隕石の衝突が主たる原因で、地球の温暖化や冷却化により多くの生命が絶滅し、かろうじて生き残った生命の子孫が自然豊かな現在のこの地球を作り上げました。
しかし、第6番目の地球温暖化による生命滅亡の危機に進んでいます。それは火山の噴火や隕石ではなく、地球上の無数の生命体の中のひとつ・人間という生物の傲慢さが起こしたものです。そしてより深刻なことは、その人間たちは現在においても危機への道を加速させているのです。

この地球温暖化の危機を回避する道は2つあります。

ひとつはCO2の削減です。
CO2の削減については私たちは耳にタコが出来るくらい知っており、いわゆるエコ活動として社会も個人も具体的な行動を起こさなければならない段階に来ています。しかし、現状の対応では抜本的な削減には程遠く、実効となるとたとえば昭和30年代に戻るほどの質素な生活を覚悟する必要があるようです。

もうひとつは人口問題です。
1人の人がごく当たり前に生きるには、食事をし、電気を使い、乗り物に乗り・・・ごく当たり前にCO2が排出されます。10人になるとCO2も10倍となります。つまり人員数の多さがCO2の排出量に直結するのです。だから人口問題は地球温暖化問題そのものなのです。

20世紀は人口爆発の世紀で、21世紀も人口爆発が続いています。
世界の人口は1900年は20億人 1960年・30億人 1999年・60億人、そして現在は67億人となり、2050年は91億人と予測されています。
ひとりひとりの小さなエコ活動など、人口爆発の前では焼け石に水だというのが実情なのです。

それではどうしたら人口増にストップがかけられるのか。
この問題は地球温暖化阻止の一点からみた結論であり、その上あまりにも大きな問題を持ち、波及する問題点が底なし沼のように広がる恐れがあるため、私はこの話を今回はここで終えさせていただきます。

・・・ですが、ひとつだけ気になることがあります。それは日本の少子化問題です。
少子化に歯止めをかけ、人口増に転換しなければならないと政府やマスコミがいっているのですが、確かに生命が誕生するのはうれしいし、人が亡くなるのは悲しい、若者がいる地域には活力がある・・・だからといってその道が正しいといえるのでしょうか。
少子化を推進し人口減の社会を迎えることも、立派な将来へのビジヨンだと思います。

ひとりひとりが人口問題について真剣に考える時に来ていると思うのです。