ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

「写実の、その先。」の模索の中で、突破する一枚が描けたようです

2012-06-12 06:24:09 | 犬たち

新しい絵のイメージを追い求めて、これまで長い間試行錯誤を繰り返してきたのですが、最新作(上の絵)は、これまでの模索から霧が晴れるように新しい私の出発の一枚が描けたように思っています。
絵画の流れの中で次の転機となる絵を模索するシリーズとして、1年ほど前から「写実の、その先。」をキーワードとして展開してきたのですが、その主旨をお話します。 

絵は100人100様の表現となりますが、そんな絵の世界でもその原点となれば、対象を出来るだけ正確に描く写実画から出発することは衆目の一致するところです。
私の開発した「トレース水彩画」は写真をトレースして描くため、日本一カンタンに写実画の領域に近づくことができ、現に私はどんな絵でもほぼ写真通りにといいますか、写実的に描くことが出来ます。
しかしそれは絵の成長過程の一里塚に過ぎず、絵の難しさと面白さといいますか、絵の真髄はまさに「写実の、その先。」にあります。 

絵は「感動」を表現するメディアです。
つまりいくら上手に描いても、いくら正確な写実的に描いても、その中に「感動」を表現できなければ、それは絵に描いた餅にしか過ぎません。
つまり「トレース水彩画」はその写実力を生かしながら、その中に「感動」を注入する・・・。それが「写実の、その先。」の主旨とするところなのです。 

それでは絵に「感動」を注入するには、どういたらいいのでしょう?
答はカンタン、描き手が「感動」したものを描くことに尽きるのです。
絵を描く技術やテクニックも表現のためには重要な要素となりますが、それよりも何よりも「何を描くか?」を決めることが「感動」を表現するための決定的な要因となります。
私の絵画歴を辿ってみると、画家を目指した当初は犬と猫などのペットばかり描いていました。
それから故郷をイメージした田舎の風景、ヨーロッパの風景、私の住む湘南の風景・・・と私は私なりに「感動=描きたいもの」を正直に心に問いながら描いてきたのですが、数年前よりそんな絵に疑問を感じ始め、その解決策としてシリーズ「写実の、その先。」を開始したのでした。
その疑問とは、「感動」とは心の中に生じる情感ですが、これまでモノや風景の視覚的な形ばかりにこだわって描いてきたのではないか、もっと素直に心の中に生じる情感を前面に出して表現できないだろうか。
写実画ですから視覚的なモノの形を描くことになるのですが、情感がストレートに出るモノの形や風景を探し出せないだろうか、ということでした。

 上の絵は早朝の伊根の港を描いたものです。
日本海の沿岸を何泊かでドライブしたのですが、暗い中を出発し丹後半島の美しい漁村に差しかかると白々と夜が明けてきました。
実は恥ずかしながら舟屋で知られる伊根の漁村をそれまで知りませんでした。
それもあってかこの村落のあまりの美しさに圧倒され、夢か幻かと思いながらの情景を写真に撮り、そのまま絵にしたのです。
私も歳を重ねる中で、あのときの伊根の情景こそ私の捜し求める何かがあると感じたのです。

 


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