ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

NHKの番組「日本縦断・こころ旅」は心に染み入る番組です。

2011-09-30 17:37:18 | 犬たち

 

NHKの番組「日本縦断・こころ旅」は心に染み入るすばらしい番組です。(「日本縦断・こころ旅」NHK BSプレミアム 月~金 よる19:00~19:29)

その上この番組の主旨は、私の目指す風景画・特にHPで展開する最新企画「写実の、その先。」のコンセプトと深く重なっており、2つの共通する部分を解き明かすことにより、風景画の魅力をご理解いただけるものと思います。

 

番組内容は、俳優・火野正平さんが、視聴者の方からのお手紙での日本の忘れられない風景を、自転車に乗って訪れる企画です。

その風景は有名な観光地やすばらしい絶景となどではなく、むしろ日本のどこにでもありそうな風景、・・・具体的には田んぼ道から見る風景であったり、橋の上から見る風景であったり、廃校の草むらの風景であったり、そんなごく当たり前の風景なのです。

しかし手紙では、その風景は人生を変えた風景であったり、夢と希望を育んだ風景であったり、ずっとそのまま残したい故郷の風景であったりと、人生そのものが込められているのです。

まさにその風景の中で、手紙を火野さんの独特の低音で読み進めるうちに、その風景は実に美しくそしていとおしく再現されるのです。

まさに心に染みる風景とはこのことを言うのでしょう。

 

風景は不思議な力を持っています。

風景を器とすれば、その器の中に「こころ=思い入れ」を入れるか否かで、その風景の魅力がまったく違ってくる、そんな不思議な力を持っているのです。 

風景画、特に企画「写実の、その先。」の真髄はそこにあります。

画家の思い入れを絵の中に込められるか否かが、風景の魅力を決定づけてしまうのです。

 

上の絵は美濃街道沿いの古い旅籠を描いたものです。

私はかねてから日本各地を一人旅したい、それもホテルなどではなく絵に描いたような古い旅籠に泊まり、日本の映り行く景色を堪能したいと思っていました。

その思いを注入し、旅した気分で描いたのが「街道沿いの古い旅籠」の絵です。

 

この「日本縦断・こころ旅」の番組のもうひとつの魅力は、主役である旅人の俳優・火野正平さんそのものにあります。

彼は62歳でわれらの中高年世代ですが、特別カッコイイわけでもなく、抜きんでる能力を持っているわけでもないのに、人を引きつける魅力を感じるのはどうしてでしょう。

それは驚くほどの「素直さ」と「軽さ」にあるのではいかと私は思っています。

その性格は番組だから演出されたものではなく、彼の生き方そのものであり、彼の強い信念であるような気がします。

私もとても火野さんのようにはいかないものの、これまでの重い衣を脱ぎ捨てて、「素直」にそして「軽く」人生後半を生きようと思っています。

 


農業に広告的ノウハウを取り入れることに農業の打開策がある

2011-09-22 17:18:00 | 犬たち

 

食欲の秋ともなれば“新米”が最高においしい季節となりました。

わが家では新米といっても、量販店などにならぶ並の新米ではなく“とっておきの新米”を食しています。

購入方法はインターネット販売での 加賀百万石の肥沃な土で育んだ「ばんば」の米 で、あなたもだまされたと思って購入すれば、「今までの米は何だったのだ~!(叫び)」ということになるはずです。

 

私の生まれは、上の絵のように北陸・石川県の白山を仰ぐ田園地帯に生まれました。

この地はまさに「加賀百万石」の中心となる加賀平野のど真ん中の地で、「ばんばのお米」もその地で産出されたものです。

江戸時代の各藩はお米の生産高=石高によってその威光が証明されるわけで、今でいえばGDP(国民総生産)というところで、「百万石」とは将軍家に次ぐ石高だったわけで、産業は時代とともに変化しましたが、その誇りがおいしい米を育んだのかもしれません。

 

江戸~昭和初期まで日本の花形産業であったお米づくりは、西欧の産業革命に端を発し、世の中は農業から工業そして近代産業へ、地方分散型産業から都市型産業へと大転換していったのです。

つまり農業はどんな人里離れた僻地でも、土地と水さえあれば都市近郊とほぼ同一の収益が確保されるのですが、都市型産業は都心のオフィスに毎日通勤できなければ、お話にならないのです。

だから都市の近郊が開発されて住宅地になることの代りとして、僻地の過疎化が進行していくのは当然だったのです。

 

私は田舎の大学を卒業し、東京都心の広告代理店に就職したのですが、それはもう大変なカルチャーショックでした。

私の入社の期と歩調をあわせるかのように、情報産業がスポットライトを浴び、花形産業の道を歩みはじめたわけで、農業と広告は低迷と急成長の別の2つの展開を体験したのです。

そんな私が田舎に帰るたびに、時代から取り残されつつある農業の苦しみを垣間見ることになるわけで、その対策のひとつとして、密かに以下のことに打開策があると確信していました。

 

2つの職種の融合、平たくいえば農業に広告的ノウハウを取り入れることに農業の打開策がある。

 

広告ノウハウとはコミュニケーションはもとよりマーケティング的な手法を活用することを言いますが、マーケティング手法の最も大切なことは、買ってくれる人=ユーザーのことを考えるとからすべてを出発せることが大前提となります。

 

私が若かりし頃考え、あれから長い時を経て、まったく偶然にも「ばんば」がしっかり具現化していました。

HPをもう一度よく見ると、しっかり広告的ノウハウを取り入れていることにより、消費者ニーズにあった新しい農業の姿が垣間見えるとは思いませんか? 

 


「死ぬときに後悔すること25」という本を紹介します。

2011-09-17 04:44:04 | 犬たち

 

終末期の緩和医療にかかわる大津秀一医師は、1000人以上の患者と深く寄り添い、そしてあの世にお見送りした実体験を踏まえて、「死ぬときに後悔すること25」という本を著作しました。

その内容は多くの患者の生きてきた最後の悔恨の25の声であり、人生への悲痛な25の叫びそのものでした。

 

1 自分の体を大切にしなかったこと

2 遺産をどうするか決めなかったこと

3 夢を叶えられなかったこと

4 故郷に帰らなかったこと

5 行きたい場所に旅行しなかったこと

6 美味しいものを食べなかったこと

7 趣味に時間を割かなかったこと

8 会いたい人に会わなかったこと

9 自分の葬儀を考えなかったこと

10  やりたいことをやらなかったこと

11  人に優しくなかったこと

12  心に残る恋愛をしなかったこと

13  結婚をしなかったこと

14  子供を生み、育てなかったこと

15  子供を結婚させなかったこと

16  悪事に手を染めてしまったこと

17   タバコを止めなかったこと

18   感情に振り回された一生を過ごしたこと

19   自分を一番だと信じて疑わず生きてしまったこと

20   死を不幸だと思ってしまったこと

21   神仏の教えを知らなかったこと

22   生前の意志を示さなかったこと

23   残された時間を大切に過ごさなかったこと

24   自分の生きた証を残さなかったこと

25   愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

 

上記の人生最後の声からどのような感想をお持ちになったでしょうか。

それぞれの人はそれぞれの感慨があると思いますが、私はこのように思いました。

 

人生一回きり、やりたいことをトコトンやるのが、

一番悔いのない生き方かもしれない。

 

私は「死」についてはほとんど関心がなく、それよりも今やるべき「生」が身近であり、「充実した生」を生きれば、それが「後悔しない死」につながると思っています。

たとえば人生を2つに分けるとすれば、前半戦は家族のため・会社のために必死に働いたとすれば、後半戦は自分のために充実した人生を送ろうと思っています。

それは自分のやりたいことをトコトンやることに尽きるのではないでしょうか。

 

 

 


手抜きして描く方法で、描く前にイメージする習慣を身につける

2011-09-11 16:19:37 | 犬たち

 

絵の上達の必殺技として、手抜きして描く方法があります。

手抜きと言えば、「手抜きなら私も得意かも!」と手を上げる方もいると思いますが、あることさえ守れば、そんなに難しい描き方ではありませんから、ぜひチャレンジすることをお勧めします。

 

上の絵は「江ノ電日記・江ノ島駅界隈」の1枚ですが、電車はこの区間だけ一般道を走るのですが、その様を描いたものです。

この絵の主役となる電車はしっかり彩色しているものの、それ以外の自動車や建物・看板等の線画は描いたものの、ほとんど彩色せず手抜きしています。

だからこそ電車と街の賑わいのバランスがいい・・・、それだけでなくおしゃれでスマートな絵になったと思いませんか。

もし画面全体を隅から隅までぎっしり彩色したとすれば、電車が街の喧騒の中に埋没してしまい、重くて泥臭い絵になったと思います。

つまり手抜きにより主役が生き、それにより絵にとって最も重要な「何を描きたいのか?」が明快になり、だからちょっとおしゃれな絵になったと思います。

 

そんなかっこいい絵が描ける「手抜きする描き方」には、2つのことを守ってください。

 

その1 絵を描く前に、主役・脇役・邪魔者を明確化し、何を手抜きするかを決める。

 

主役とは絵のテーマであり、「何を描きたいのか?」の答となるもので、絵は主役をしっかり描くことが大切で、決して手抜きしてはいけません。

脇役は主役を引き立てることや、状況や雰囲気を盛り立てる役割で、上の絵では主役が電車なのに対し、脇役は車や街並みということになり、出すぎた脇役は手抜きします。

邪魔者とは風景画では電柱や看板などがあり、絵の雰囲気を壊すものをいい、手抜きしてください。

 

その2 絵を描く前に、手抜きした絵の完成作品をイメージする。

 

手抜きにもいろいろのaの削除から、cのちょっとした手抜きまで段階があります。

   a 線も色も完全に省略する方法で、前記の邪魔者がその対象となります。

   b 線は描くものの彩色をしない方法で、脇役が対象となります。

   c 彩色をするものの弱い彩色で留める方法で、これも脇役が対象となります。

ここでのポイントは、描く前に手抜きの部分とその段階を決めて、絵の出来上がりをイメージし、そのイメージをもとに描き進めることです。

なんの計画もなく場当たり的に描くことでは、決して手抜きしての描き方では通用しません。

 

手抜きの描き方では何度も絵を描く前にイメージすることが大切だと言いましたが、実はイメージすることが、どんな絵を描く場合でも必要不可欠な行程なのです。

それは家を建てる場合の設計図に相当し、演劇や芝居の脚本に相当するように、絵は実際手を動かして描くことよりも、それ以前のイメージすることがとても大切で上達の決め手なのです。

だから手抜きの描き方から始めることにより、絵を描く前のイメージすることの大切さを身に付けることが出来るのです。

 

絵を描く前のイメージする行程がなくて絵の上達がありえなく、その最適な訓練方法が手抜きして描く方法です。

 

当然のことながら最初はイメージ通りの絵は描けません。描けるはずがありません。

しかし、ただ漫然と描くよりもしっかりイメージをしていれば、イメージが目標となり、何事も目標を持てば、上達が早いのです。

目標と現実の間の何処にズレや問題があったのか、何が計算違いだったのか、そもそもプランニングそのものが間違っていたのかはっきりわかることになります。

それが次の絵を描く場合にしっかり生かされ、数を重ねるうちにイメージと実際の出来上がりの巾が小さくなっていく=目標と実際とが近づいていく、それが確かな成長となるのです。

 

 


野田首相の後見人・元首相の細川護煕氏は次の時代を拓くキーパーソンかも

2011-09-06 11:55:26 | 犬たち

 

民主党代表戦での野田候補は、歴史にも残るスピーチを行い、それが得票数に大きく影響したとも言われています。

いわゆる“どじょう”発言のスピーチです。

そのスピーチを聞いた小沢派のある幹部は「あやうく落ちそうになった」と話していましたが、それほど誰もの心を打つものでした。

 

実はそのスピーチの指導を含め、後見役として影で動いたのは、1994年日本新党を率いて政権交代をした時の総理大臣・細川護煕氏だったのです。

野田氏は松下政経塾の第一期生ですが、そのときから細川氏とは師弟関係にあり、彼は事前に野田氏の代表戦でのスピーチ練習を聞き、「もっと人間性を強く出さなければ響かないゾ!」との意見から、“どじょう”発言が誕生したのです。

それだけでなく、野田氏は小沢さんとほとんど話合いをしたことがないということで、選挙前に小沢さんとの極秘会談を設け、それが野田首相への出発での挙党一致がとれたことに大きく影響をあたえたのです。

 

私はその細川護煕氏とは2つ、否3つののまったく違った顔を見ています。

 

ひとつは日本新党の旗揚げ直前のとき、細川氏はひとりでわが社を訪れたのです。

その当時私は小さな広告会社の経営の仕事をしていましたが、彼はその場で日本新党の立ち上げと、選挙でのすべての広告作業の依頼をしました。

それは小さなわが社にとっての大きな仕事であり、全力で取り組むことにより以降の日本新党から新進党、自由党、民主党までの流れを、細川氏の政界から去り小沢一郎氏に引き継いだ後も、担当させていただきました。

その仕事を通した細川氏の印象は、常人には見えない未来をしっかり見すめた大戦略家として映りました。

 

もうひとつは陶芸家としての出会いでした。

潔く政治家を引退した彼は、湯河原の山深く窯を設けて陶芸家として歩み始めたのですが、それは世間の煩わしさを嫌う世捨て人そのものに映りました。

あるとき氏の陶芸作品を拝見する機会があり、それを見た瞬間、作品の魅力に引き込まれていく自分を感じました。

おおらかな上に漂う品性は、世捨て人のお遊びでの仕事とは程遠く、芸術家としての人生そのものを作品に込めた凄さを感じました。

 

そして3度目の出会いは、TVを通しての野田新首相の後見人としての出会いでした。

なぜ野田氏の後見人になったかの質問に対し

氏は「今の日本は安定を求めており、それに応えられるのは西郷さんのような無口の野田君だけ・・・」と断言し、野田新首相の無限の可能性を確信していました。

 

 

もしかして、元首相・細川護煕氏はこれからの日本を拓く

“影のキーパーソン”になるかもしれない。

 

細川氏は現在73歳ですが、初めての出会いの政治家としての細川氏よりも、陶芸家としての細川氏よりも、今回の後見人としての細川氏は、「政治家としての展望」に、「芸術家としての感性」を併せ持つ巨大な人物になり、これから先の日本に大きなインパクトを与えていく力になるのでは・・・と私は密かに予感しました。