緑薫る季節ともなり、今年も新鮮な筍を求めて伊豆の産直所に行ってきました。
採れた場所で買う=地産地消を実践したわけですが、帰宅していそいで食べたそのおいしさは、「スーパーとは違う!」としみじみ実感したのです。
その理由をトマトを例にとると、直売所では熟れ時の赤いトマトを朝採りしてそのまま産直所に並べるのですが、スーパーのトマトはまだ青いトマトを3.4日前に収穫し、複雑な流通経路を経て店に並ぶ頃にはようやく赤くなるという寸法で、そのどちらがおいしいかおわかりだと思います。
ドライブ好きのわが家は地産地消探しの旅が大好きで、一年を通して季節の旬を探し求める旅をしており、80キロ圏内の産直所はだいたい行ったと思っています。
そのように地産地消はマスコミを賑わせていますが、それはブームというよりこれからの日本農業の大きなうねりとなるというのは大げさでもないようです。
日本農業の大きなうねりといいましたが、その日本農業について考えてみたいと思います。
日本の農業従事者の平均年齢は65.8歳で、35歳未満の方は5%との数字が示すように後継者不足もあって、埼玉県と同じ面積の耕作放棄地が広がり、拡大しています。
さらに農家1戸あたりの耕地面積はアメリカの1/100、ECの1/10と、極端な面積の狭さが国際競争力では太刀打ちできない状態となっています。
そのためGDP(国内総生産)にしめる農業の生産性は1960年は9%だったものの、現在は1%を切り農業での経済貢献は著しく低下していることを示しています。
日本の主要産業であった「農業」はこれほどまでに凋落し、再起不能とまでに落ちてしまったのですが、そんな中で光明が見出せるのでしょうか?
その光明のひとつとして経済学者で京都大学名誉教授・伊東光晴氏の論が注目されておりその発言を要約すると・・・
「まず日本の農業関係者は、日本の政治家には期待できないことを覚悟し、自分たちで自らを守る体制を作らねばならないことです。
その体制とは、生産者と消費者を縦につなぐ組織の構築に他なりません。」
生産者と消費者を縦につなぐ・・・それはまさに産直であり地産地消そのものなのです。
どんな仕事も2つの条件さえそろえば、人は働く喜びを感じ、若者も含め働きたい人が集まります。
そのひとつは、収入なり儲けなりの金銭的な収入を得ることです。
そしてもうひとつは、働く楽しさや働き甲斐があることです。
産直や地産地消野魅力は、生産者にとっては消費者の顔が見え、消費者にとっては生産者の顔が見えることにあります。
生産者は消費者の嗜好と競合状況を吟味しながら生産し、自分で値段をつけ、自分で店に持ち込み、そして売れ行きに従って収入を得るのです。
普通に売れたとしも、生産者と消費者のシンプルな構造のため、中間マージンが削減され生産者への収入がしっかり確保できるのです。
しかし売れ行きが思わしくなければ、他の誰でもない自分に責任があり、計画のどこかに甘さがあることを発見し、そんな中で知恵と工夫が生まれ、消費者のニーズや品質へのあくなき追求が始まるのであり、それが本当の意味での働く喜びなのです。
わが家の近くに産直所・鎌倉市農協連直売所があり、日常的に利用しているのですが、近年「鎌倉野菜」として話題になり、観光コースにもなり始めました。
疑い深い私は「この地は都会化され農地さえも少ないのに、本当に真面目に作っているのかしら?」と生産地に出かけてみたら、鎌倉市の奥にかなりの農地があり、しっかり農業をしていました。
上の絵はそこで働いていたおじいさんを描いたものですが、そのおじいさんの言うには「ここの農業は東京や横浜の有名レストランのシェフの注文から始めたわけで、そのシェフたちの品質の強いこだわりから鍛えられた農業なんじゃ、エヘン!」というわけでした。