ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

地産地消の農業は、凋落する農業に歯止めをかけるかもしれません

2012-04-26 12:12:47 | 犬たち

緑薫る季節ともなり、今年も新鮮な筍を求めて伊豆の産直所に行ってきました。
採れた場所で買う=地産地消を実践したわけですが、帰宅していそいで食べたそのおいしさは、「スーパーとは違う!」としみじみ実感したのです。
その理由をトマトを例にとると、直売所では熟れ時の赤いトマトを朝採りしてそのまま産直所に並べるのですが、スーパーのトマトはまだ青いトマトを3.4日前に収穫し、複雑な流通経路を経て店に並ぶ頃にはようやく赤くなるという寸法で、そのどちらがおいしいかおわかりだと思います。
ドライブ好きのわが家は地産地消探しの旅が大好きで、一年を通して季節の旬を探し求める旅をしており、80キロ圏内の産直所はだいたい行ったと思っています。
そのように地産地消はマスコミを賑わせていますが、それはブームというよりこれからの日本農業の大きなうねりとなるというのは大げさでもないようです。 

日本農業の大きなうねりといいましたが、その日本農業について考えてみたいと思います。
日本の農業従事者の平均年齢は65.8歳で、35歳未満の方は5%との数字が示すように後継者不足もあって、埼玉県と同じ面積の耕作放棄地が広がり、拡大しています。
さらに農家1戸あたりの耕地面積はアメリカの1/100、ECの1/10と、極端な面積の狭さが国際競争力では太刀打ちできない状態となっています。
そのためGDP(国内総生産)にしめる農業の生産性は1960年は9%だったものの、現在は1%を切り農業での経済貢献は著しく低下していることを示しています。
日本の主要産業であった「農業」はこれほどまでに凋落し、再起不能とまでに落ちてしまったのですが、そんな中で光明が見出せるのでしょうか? 

その光明のひとつとして経済学者で京都大学名誉教授・伊東光晴氏の論が注目されておりその発言を要約すると・・・ 

「まず日本の農業関係者は、日本の政治家には期待できないことを覚悟し、自分たちで自らを守る体制を作らねばならないことです。
その体制とは、生産者と消費者を縦につなぐ組織の構築に他なりません。」
生産者と消費者を縦につなぐ・・・それはまさに産直であり地産地消そのものなのです。

 どんな仕事も2つの条件さえそろえば、人は働く喜びを感じ、若者も含め働きたい人が集まります。
そのひとつは、収入なり儲けなりの金銭的な収入を得ることです。
そしてもうひとつは、働く楽しさや働き甲斐があることです。 

産直や地産地消野魅力は、生産者にとっては消費者の顔が見え、消費者にとっては生産者の顔が見えることにあります。
生産者は消費者の嗜好と競合状況を吟味しながら生産し、自分で値段をつけ、自分で店に持ち込み、そして売れ行きに従って収入を得るのです。
普通に売れたとしも、生産者と消費者のシンプルな構造のため、中間マージンが削減され生産者への収入がしっかり確保できるのです。
しかし売れ行きが思わしくなければ、他の誰でもない自分に責任があり、計画のどこかに甘さがあることを発見し、そんな中で知恵と工夫が生まれ、消費者のニーズや品質へのあくなき追求が始まるのであり、それが本当の意味での働く喜びなのです。 

わが家の近くに産直所・鎌倉市農協連直売所があり、日常的に利用しているのですが、近年「鎌倉野菜」として話題になり、観光コースにもなり始めました。
疑い深い私は「この地は都会化され農地さえも少ないのに、本当に真面目に作っているのかしら?」と生産地に出かけてみたら、鎌倉市の奥にかなりの農地があり、しっかり農業をしていました。
上の絵はそこで働いていたおじいさんを描いたものですが、そのおじいさんの言うには「ここの農業は東京や横浜の有名レストランのシェフの注文から始めたわけで、そのシェフたちの品質の強いこだわりから鍛えられた農業なんじゃ、エヘン!」というわけでした。

 


第二の人生のキーワードは「自然回帰・人間回帰」

2012-04-19 04:50:13 | 犬たち

振り返れば神奈川県の逗子市を住いとして30年以上と、人生の半分近くを逗子に住んできたことになります。
北陸の田舎で生まれ育ち、東京や千葉と住いを変遷してようやく逗子にたどり着き、そしてこれからもこの町に住み続け、たぶんこの町で一生を終えることになるでしょう。 

とはいえ逗子居住18年目に同じ逗子市内ですが1度引越しをしており、それを前半と後半の区切りとすれば、前半はこれまでの生活の延長とすれば、後半はこれまでとまるで違う生活となりました。
前半の居住地はJR逗子の駅前の集合住宅でした。
職場は東京にありそれも相当多忙でしたから、逗子から東京への乗車時間の50分は読書の時間となり、私の逗子生活は寝に帰るためのベットタウンとして、ほとんど都会生活そのものの生活を送りました。 

定年退職が間近となり、これからの人生はどんな生き方をしようか?と茫漠と考えている時に、散歩の途中で赤い旗の不動産中古物件があったので、退屈しのぎに立ち寄りったときが現在の住いとの出合いでした。
これまでの住居に不満などなく、ましてや買い替えなど考えてもみなかったのですが、インスピレーションといいますか、神のお告げといいますか、出会ったその場で住宅購入のための手付金を支払いました。 

上の絵は私の部屋から見える風景ですが、逗子と鎌倉の境界近くの小高い山の上の一戸建てで、相模湾の水平線に伊豆大島が見え、手前の堤防は小坪漁港で、右の山の後に逗子マリーナがあるという立地となっています。
周囲は緑の木々に覆われ、リスやタヌキ、いろいろの小鳥たちと自然に囲まれた生活を始めたのですが、そんな中でまず妻が大きく変身しました。
これまで土などに触れたこともない妻は園芸や農業に夢中になり、ハーブをふんだんに取り入れたイングリッシュガーデンや、自給自足まではいかないけれど野菜栽培に励み、養蜂にも挑戦するなど、一日中庭仕事に精を出す生活となりました。
環境が変れば意識や考え方まで変るようで、私は豊かな自然と対話することに時間を費やすようになり、定年退職後は再就職としてのいくつかの話もありましたが、迷わず画家の道を歩むこととしました。

自然の息吹のように、第二の人生は自分に正直に生きようと思ったからです。 

テレビ朝日系列・毎週土曜日夜6時からの番組「人生の楽園」をいつも観ているのですが、この番組は第二の人生を充実しているご夫婦の生活を通しての新しい生きがいづくりを紹介する番組です。
毎週放送されるそれぞれの生きがいづくりに共通しているものがあり、私なりにまとめてみました。 

       ・     第一の人生の仕事と、第二の人生の仕事はまったく別の仕事であること
       ・     その仕事は収入よりも、趣味や楽しみなどの自己実現を目的としていること
       ・     夫婦仲がとてもよく、お互いに力をあわせ、補完しあっていること
       ・     地域活性化やコミュニティ作りなど、社会貢献となっていること
       ・     都会の喧騒を離れ、自然豊かな田舎がその舞台であること 

確かに第一の人生は社会や企業・人間関係を重視した生き方だったのに対し、第二の人生は「自然回帰・人間回帰」が生き方のキーワードかもしれません。

 ※注 誤解があるかもしれませんが、私の意図するところは、都会から自然豊かな場所に引越しすることを推奨しているのではなく、たとえ都会に住もうとそこには自然や季節が豊かにあるわけで、そんな意識改革を提案しているつもりです。 


北朝鮮問題は、それを操る影の黒幕にこそ注目すべきである

2012-04-12 17:21:01 | 犬たち

北朝鮮も金正恩体制となり少しは民主化の道を歩むのではないかという淡い期待もありましたが、それを見事に裏切って事実上のミサイルの発射や核実験の可能性と、いわゆる瀬戸際外交で実利を得るというおぞましい体質は変ってないようです。

ここで考えてみたいのですが、これは北朝鮮だけが単独で行っているのでしょうか?
私はもっと重要な問題がその裏にあり、その大きなうねりの中でこれらを考える必要があると思っています。 

話が代わって世界の大きな流れを大局的に見れば、過去にはいわゆる冷戦の時代といわれた米ソの二極化の時代もありましたが、その後はアメリカ一国の巨大な影響の下、良かれ悪しかれ世界の秩序がなんとか保たれてきました。
そんな中で中国の経済は飛躍的に成長し、GDPは日本を抜きアメリカに次ぐ代2位に躍り出、留まるところを知らない勢いが続いています。
世界の勢力図の長期予測では経済学者や未来学者の意見はほぼ一致しており、アメリカの威光にかげりが見える中、中国の飛躍がこれから先も顕著に伸び、世界は米中の二極化の時代を迎えるとのことであり、そして数十年後はアメリカを抜き去って中国が世界の最強国になるのは確実だといわれています。
それは経済だけでなく、軍事や政治についても、そして文化においてまでも中国を基点とした世界地図が描かれていくといわれています。

 ここから先が私の独断と偏見で描いたシナリオです。
中国の政治姿勢を見れば、世界の勢力地図を視点において、最強国となるべく次ぎの一手を打ち続けているとしか思えず、北朝鮮の問題もその中で考えることが必要だと思います。

世界の責任ある大国となった中国は、国際的に悪評となる行動は慎まなければならない立場になり、その悪の部分・汚れ役を北朝鮮にさせているのではないだろうか。
具体的には今回のミサイルの発射も核開発の問題も六カ国協議問題も、中国の極秘での指示のもとに北朝鮮は動いているということです。

これは対極にあるアメリカのみならず日本や韓国を疲弊させるだけでなく、アメリカ軍部はイラン対策に集中したいにもかかわらず、対北朝鮮にも兵力を割く必要が出てきたのです。
そして最も重要なことは、中国は北朝鮮の核兵器を含むこれらの問題のキーを握っており、アメリカはその穏便な解決のために中国に大きなポイントを与えたことになるのです。 

一方中国から北朝鮮へのご褒美として、中国からの輸入は激増し、一時の飢餓状態が緩和され、首都平壌は建設ラッシュに沸いていることは何よりもそれを証明しています。
それ以上に重要なことは、いかなることがあろうとも中国は国連や国際社会から北朝鮮を守るという安全保障が確約されていることで、それは吹けば飛ぶような金正恩体制にとって何よりもありがたいことなのです。 

日本人と中国人の考え方にはいろいろな違いがありますが、大きく違うのは歴史観の違いです。
中国と比較すれば、日本の歴史は短くそして穏やかな流れといえるのですが、中国は四千年の歴史の中で何度も他民族に制圧され、そして他民族に攻め入り激しい栄枯盛衰が繰り返されてきた中から、“強かな歴史観”を持つようになったのではないでしょうか。
中国の現在の覇権者たちは中国共産党の幹部になるわけですが、彼らの歴史観は私たちの常識の範囲を大きく逸脱し、秦の始皇帝やジンギスカンが世界制覇を夢見たように、もしかして真剣に世界制覇の道を歩んでいるのではないでしょうか。

 


レクサスSCと出会って、車に乗るってカッコイイと知りました。

2012-04-08 16:46:23 | 犬たち

上の写真の車は、愛車の「レクサスSC430」です。 

それまでいろいろな車の変遷の末にトヨタのプリウスにたどり着き、一生乗り続ける車かもしれないと思っていたのですが、ある日のドライブで助手席の妻が「あの車に乗り換えた~い!」と突然叫びました。
反対車線のすれ違いで出会った車の美しさに引き付けられたようで、それ以降わが妻はその車の面影を捜し求めるドライブの日々がつづきました。
といっても妻には免許がないため運転といえば私の役目ですが、よほどその車の台数が少ないのかなかなか見つけられない中、あるとき「もしかしてあの車かもしれない!」と妻が指差した車に“L”の字が光っていました。
これはレクサスに違いないと近くのレクサス・ディラーに行ってみると、その店先にまさにこの車SC430が鎮座していました。
社会や家庭にそれぞれ決まりごとがあり、国には独裁国家があるように、我が家は独裁家庭としてこれまで平和が保たれてきましたが、プリウスを手放すことに躊躇した私ですが、独裁者である妻が断定的にレクサスを購入する決断をしてしまい、私はおろおろ従うばかりでした。 

というわけで購入以降毎日のようにレクサスSC430に乗っていますが、この車の良さも悪さもあるわけで、その欠点からお話します。
エコロジーが時代のトレンドの中、排気量4300ccと燃費効率が悪く、ガソリン代もさることながら、明らかに時代に逆行している車としてちょっと後ろめたいのです。
一応4人乗りとなっていますが、4人も乗れば後部座席の人はとても窮屈となり、原則2人乗りであることも大きなマイナスです。
ボタンひとつでオープンカーとなりますが、その場合後部のトランクは屋根がほとんどの面積を占め、極端に荷物スペースが小さくなることは困ってしまいます。 

それではレクサスSC430の魅力をお話します。それは何といっても・・・
この車に乗ると、なぜか心がワクワクしてくるのです。 

美人は見られてより美しくなるといわれています。
私の人生で“カッコイイ”とか“イケメン”とか言われた経験がなく、そのようなことを期待したこともありませんでした。
しかしこの車にそれもオープンカーとして乗ると、道行く人やドライバーからの視線をしっかり感じるのです。
しげしげと見られる視線やチラッと見られる視線、少なくともそのような視線は実に刺激的で、心をワクワクさせるのです。
人は加齢とともに注目されなくなりつつある中で、しっかり注目されることはなんとも痛快ではありませんか。 

季節は春で緑が最も美しく映える季節になりました。
その緑の中を、銀色の車体と真っ赤なシートのオープンカーのレクサスが疾走するなんで、一見の価値があると思いませんか。


消費税の増税は日本の財政破綻回避のために避けて通れないのです

2012-04-02 15:52:12 | 犬たち

消費税の値上げが世間を騒がせていますが、今回はそれらを含む政治のあり方について考えてみたいと思います。 

ユーロ危機はギリシャの財政破綻からイタリアに飛び火し、女性問題も含めなにかと話題になったベルルスコーニ内閣は総辞職し、それに変わってマリオ・モンティ首相率いる新内閣が財政建て直しを推し進めることとなりました。
ここでイタリアは日本の常識では信じられない選択をしました。
新内閣の組閣メンバーには国会議員などの政治家は一人もいなく、経済に精通した有識者(学者)だけで固めたことで、そのわけは政治家は選挙があるため、必然的に国民に好まれる甘い政策を推し進めることとなり、そのツケが国家の危機を招いたのであって、今回のように国民に厳しい負担を強いらなければならない状況では、政治家には不向きであると結論づけられたのです。
その後の新内閣は徹底的な税の取立てと厳しい財政引締めを行い、たとえばイタリア警察のパトカーヘのガソリン供給は限度量を超えると警察官の自腹でガソリンを購入せざるをえないとなどと、これまでの政治の常識を超えた厳しい財政健全化を実施しているのです。 

そんなイタリアの政治家のドタバタ劇とまったく同じ道を歩んでいるのが日本なのです。
本来の国家予算は税収をまかなうものですが、実際には自民党・民主党時代に共通して、だれもが喜びそうな甘い政策=より少ない負担(税金)で、より高い福祉(公共サービスや福祉)をうたって政権を維持してきたのです。
その結果として国家予算は税金では大幅不足となるため、湯水のように国債を発行して、世界でもダントツ(対GDP比較)の1000兆円弱の債務残高となる借金大国となり、その借金が増え続けているのです。
しかし膨らみすぎた風船がいつ爆発するともわからない状態に変わりなく、今も風船が膨らみ続けるように借金はどんどん膨らみ、いつかは爆発=デフォルト(債務不履行)国家の道をひたすら歩んでいるのです。 

そんな深刻な日本の財政ですが、イタリアのように財政破綻の恐れがある国として騒がれないのは、ひとつは借金の債権者の95%が身内の日本人や日本企業であるということと、もうひとつは現状の消費税は5%(先進国の消費税に相当する間接税は20%が普通)と低く、まだまだ増税の余裕があるということです。

繰り返すようですが日本のこれまでの政治は明らかに低負担・高福祉でした。
しかし借金を小さくは出来ないまでも、これ以上借金を大きくしないことが至上課題ですから、甘く見て中負担・中福祉、常識的には高負担・中福祉の政策変換は必須であり、その一歩として消費税の増税は避けて通れないのです。 

大げさに言えば、確かに私たちは政治家の甘い言葉にのせられ、その結果として雪だるま式に国債額が増大してきたのです。
しかし真面目にコツコツ働いてきた一市民としての経験から、借金で謳歌した豊かさはその何倍かの借金返済の苦しみを味わうことになるのではと危惧しているのです。
「消費税増税に反対」という政治家諸君にぜひ答えて欲しいのです。
借金は必ず返済しなければならないのですが、いつどのような方法で返済するのですか?と。

日本が永遠に右肩上がりに発展し、無限にGDPが拡大し続ければ、なんとかなるかもしれません。
しかし日本の未来は少子化が示すように、人口が減少するとともにGDPや経済も伸び悩み、そして萎んでいくのです。
そんな中で信じられないほどの額の借金だけが残る・・・それは悲劇の国への地獄の歩みそのもののなのではないでしょうか。