ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

三つ子のDNA 百までも

2011-01-27 09:19:42 | 犬たち

 

一通の手紙が届きました。

それは6年間1クラスだけの、田舎の小学校の同窓会の案内の手紙でした。

あふれ出る懐かしさと望郷の気持がよみがえり、一気に上の絵「薄暮の鎮守様」を描き上げました。

この絵は私の子供時代の印象を心象風景として描いたもので、実際のふるさとの今は都会化されていて、このような風景はありませんが・・・。

 

画家という職業は自己と対峙する職業で、これまでの経験から育まれた「心の中の印象」しか表現できません。

というわけで過去を振り返れば、20歳に田舎のふるさとを離れて金沢・東京へと住いが移り、通算すると田舎生活20年、都会生活46年と、人生の大半は都会生活となりました。

東京では長く情報企業の最前線を走りぬいてきたと自負している私は、田舎の存在も忘れるほど小さくなり、都会の刺激的な生活をそれなりに謳歌し、都会人になりきったと思っていました。

しかし絵を描き始めて気づいたのですが、体は東京にいるものの、尻尾はまだ田舎に繋がっていたことを発見しました。

私の探している絵のテーマは都会の中からほとんどイメージが浮かばず、はるか昔の田舎時代の中にテーマがあることを知らされたのです。

そして絵を描き続け枚数を重ねるにしたがって、少年時代の記憶が私の絵にドンドン大きな比重を占めてきたことを、しみじみと感じるようになりました。

たとえばシリーズ「水のある風景」はまさに私の子供時代の心象風景そのものを表現しているのです。

 

私のDNAは子供時代にあり、人生後半になってそれを追い求めていることに気づきました。

 

私の小学校時代は昭和24年から30年と、日本は戦後の復興の時代でしたが、都会から遠く離れたわが田舎の学校は、時代から取り残された田舎の学校そのものでした。

ほとんどの児童が農家なので、どういうわけか勉強の中に農作業が多く、冬ともなると割れたガラス窓から雪が吹き込む教室で、510枚と着膨れして寒さをしのぎました。

6年間1クラスなので、同窓のみんなはお互いを家族の一員のように、兄弟のように、協力したり遊んだりケンカして過ごしました。

そして遊びの舞台は豊な自然でした。

 

あれから50年以上経ち、各人がどんな人生を背負って同窓会に集まるのでしょう。

私は私のDNAとしての新たな発見があるかもしれないと、密かな期待をしています。


情報に頼らないからこそ、考えたり創ったりする力が育つ

2011-01-19 16:39:01 | 犬たち

 

最新のケイタイは高度に進化し、ゲームやメールだけでなく、インターネット機能もつく上に、驚くことに電話もかけられるとのことです。

そんな私もケイタイを持っていますが、外出時に携帯したことはほとんどなく、いつも自室の充電器の上に埃を被って鎮座しています。

使うのは電話だけで、それも月に12回程度の利用ですが、それでも利用することのために必要な電話番号はメモ用紙に細かく書き込み、ケイタイの裏にノリで貼り付けていたのですが、それを見た友人に腹を抱えて笑われて、そのときケイタイの中に電話帳という機能があることを知ったのです。

 

私のケイタイの使い方が幼稚なように、情報には入手する受信と、自ら情報を出す発信がありますが、私は発信に比較して受信が極端に少ない生活をしています。

発信といえば、このブログの更新だけでなく、継続的に描いた絵をHPでの発表しています。8冊の本・累計14万部も出版してきたのも情報発信といえます。

それに比較して受信と言えば、新聞の定期契約を止めてから8年経ちました。だから久しく新聞は読んでいません。

雑誌の購入は11冊を切っており、最近本など買ったことがありません。昔は活字中毒でしたが・・・。

そういえばここ数年映画鑑賞ともおさらば状態です。これは自慢できることではありませんが。

情報入手としてのインターネットも面倒なので、ほとんど利用しません。90%はゲームかも。

最大のメディアがTVということになりますが、そのほとんどがNHKの聞き流しということになります。

都会に出るのが億劫になったのも、流行や情報という喧騒にうんざりだからかもしれません。

私の生活は相当の情報過疎といいますか、情報での限界集落的生活なのです。

 

そのように発信に比較して受信が少ない生活は、計画や意図してなったものではなく、「ものづくり」中心の生活を目指していたら、結果としてこのようになったのです。

つまり無意識に下記のような生き方が、よりベターだと感じていたのかもしれません。

 

情報に頼らないからこそ、考えたり創ったりする力が育つ

 

今の時代は膨大な情報に囲まれている時代ですが、もっと脅威なのはその膨大な情報の中から、各人が求める最適な情報を探し出し、的確に提供する技術が発達してきた時代になりました。

その中で情報に頼ることが多くなれば、考えたり創ったりすることよりも、情報を探し出すことを優先してしまうのではないでしょうか。

それは私たちに「知識」の充実を実現しますが、裏を返せば自分で考える「知恵」の後退にも繋がるのです。

 

高度な情報化社会が、人間としての最も大切な能力である「知恵=考える力・創る力」を弱くしなければいいのだが、と思っているのです。

 

 

 

 


若者よ、超・就職氷河期とガチンコ勝負を!

2011-01-12 10:46:49 | 犬たち

 

今は就職氷河期というより、超のつく氷河期といわれています。

たまたまこの時代に遭遇した若者は大変かもしれませんが、それをマイナスと思わず、チャンスとして捕らえてガチンコ勝負したほうが、貴重な経験となるに違いありません。その理由は・・・

                 

子供から大人になるのは、年齢の問題ではなく、試練を乗り越えることにあるからです。

 

ぬるま湯の大学生活を謳歌していた学生も、3年生ともなると就活をはじめなければなりません。

ドブねずみ色の背広を着て、やる気満々風の顔での面接の練習を繰り返し、試行錯誤の将来の方針を見定め、就活する会社の候補を検討しなければなりません。

そしていざ会社訪問を繰り返すものの内定がもらえず、焦りと疲労の中で志望のランクがどんどん下がり、理不尽な社会に抵抗する術もなく、半分挫折気味になった頃、ようやく内定がとれ就活が終了となります。

この辛くて苦しい一連の活動で、いったい何が得られたのでしょう。

ひとつは就職という形での安定収入と、仕事という社会的役割。・・・そしてその試練を通してようやく子供を卒業し、大人の人間として大きく成長するほどの貴重な経験をしたのです。

もし何の苦労もなく希望の会社に就職できたとしたら、子供のままで社会の一員となるわけですから、社会に出てから倍返しの試練という災いで本当に挫折するかもしれません。社会はそんなに甘くないのです。

 

スタジオ・ジブリの宮崎駿監督は、少女が大人へと成長する試練をテーマとする映画の構想に没頭していました。

そこに鈴木プロデューサーが現れ、次のような話をしました。

最近の女子高校生の一部は、卒業してすぐ一般企業に就職せず、社会勉強として12年ほどキャバクラ嬢として勤めるのが流行っているそうで、その夜の仕事を通じて人を知り社会を知り、それから一般企業に就職するとのことでした。

それを聞いた宮崎監督は、ポンッと膝を打ち「千と千尋の神かくし」の台本の構想が、一瞬のうちにできたそうです。

 

「千と千尋・・・」では、キャバレーは不思議な銭湯という舞台に変わり、キャバレー嬢は住み込みの銭湯の従業員となり、キャバレーにくる客は、いろいろなおばけに変わりました。

ろくに男性を知らない少女にとって、男を気味悪いおばけに描く宮崎監督の才能はすごいですね!

その中で社会の縮図のように、守銭奴のようなババアもいじわるなライバルもいて、はじめての恋もあり、それを通してひ弱な少女が、たくましい大人として羽ばたいていくというストーリーでした。

 

人生には節目があり、その節目を大切な試練として乗り越えていくことで、人生が天と地のように大きく変るような気がします。

 


人生20年説・人は一生に4回生まれ変わる

2011-01-05 16:54:09 | 犬たち

 

        人生20説・人は一生に4回生まれ変わる

 

これは本のタイトルで、すでに故人となられた京都大学名誉教授で数学者の森敦先生の著作です。

平均寿命が80年を越えた今、ひとつだけの筋書きだけで生きるのは長すぎて飽きてしまうため、人生を20年一区切りとすれば、80年では4回の人生を生きることができ、それぞれのステージを区切って生きることにより、新鮮で充実した人生を得ることができるという説です。

もし人生を失敗しても、まだ次の人生が待っているということにもなるわけです。

 

私は40才前後に森先生と取材でお会いした折、先生は「人生20年説」をおっしゃったのですが、「そんなものかな~?」と思った記憶がありますが、それから20年以上経ちこれまでの半生を振り返ると、まるでその説をなぞるような道を歩んできた自分に驚かされました。

 

1(22) 学校時代

小・中・高校を経て、地元の美術大学を卒業したのですが、ろくに勉強もせずそれでいて劣等感が強く、世の中を否定的に見ていました。もっとも暗い時代を過ごしたかもしれません。

またこの期までは田舎暮らしで、2期以降は東京暮らしとなったこともそれ以降にとっても大きな転機となりました。

 

2(2240) クリエイターの時代

卒業と同時に㈱電通に入社し、広告制作のデザイナー・アートディレクター、その後広告企画のプランナーというすべて横文字の職業に付きました。

その当時は時代の先端を走っているという自負があったかもしれません。

 

3(4160) 会社経営の時代

電通の子会社㈱電通EYEの設立と同時に出向し、役員として会社経営に勤めることになりました。

2期の専門職に対し、会社経営は総合職ですから、苦労もしましたが貴重な勉強もしたことになります。

 

4(6067才現在) 画家の時代

定年退職を機に画家として出発し、現在(67才)に至っており、後13年間は画家を勤めるつもりです。

 

ご覧のように定規で計ったように20年毎に職業が変り、それも時系列的に何の関連もない職業に突然変異のごとく変遷してきました。

「仕事は人をつくる」と言いますが、職業の習得は技術やノウハウだけではなく、その仕事に合致した考え方や人格が形成され、それが人生の変遷のなかで積み上げられていくのを実感しました。

また20年説をより効果に推進する方法として、過去を振り向かず、むしろ過去を切り捨てる気持で新しい人生に立ち向かうことが大切だと思います。

そのように元来私の資質は“創る”ことが底流にあるようですが、第3期は全く逆の会社経営の職業を何とかこなしたことにより、自分で言うのもなんですが、人生の巾と深さ、そして生きることへの楽しさを身に付けたような気がします。

 

81才以降は第5期となりますが、その期はどんな人生の舞台に立つのか皆目検討もつきません。

 

 


今年は、絵を描いて幸せを掴もう

2011-01-01 02:34:53 | 犬たち

 

明けましておめでとうございます。お正月なので、絵を描くことが幸せを呼び込むというめでたい話をQ&A方式でお話します。

 

なぜ絵を描くのですか?

脳科学者の茂木健一郎さんの研究によると

人間は感動すると、その感動を人に伝えたくなる動物 とのことです。

なぜなら感動することは幸せを感じることであり、その感動を人に伝えることで感動を共有し、それが幸せを増幅することになるからでしょう。

 

何を描いたらいいのでしょうか?

絵は感動を描くメディアですから、絵のテーマは感動となるわけです。

上の絵は鎌倉の街で出会った風景を描いたのですが、何処にでもあるなにげない風景ですが、私はその風景に不思議な感動を覚え、絵にしました。

感動とは主観的なものであり、人それぞれがそれぞれの感動を持っており、あなたはあなたの感動を描けばいいのです。

 

絵を描けば、どうして豊かな感動を持てるのでしょうか?

加齢とともに体力が衰えるように感動の感受性も退化しますが、訓練することで感受性も磨かれます。

感動の訓練とは、感動を具体的な“形”に表現する、つまり感動という目にみえない内面的な情感を、第三者が見たり感じることができる“形”に置き換えることが大切なのです。

芸術がその領域となりますが、絵ももちろん、写真・俳句・詩や小説・音楽・芝居に踊りと多岐にわたり、最初は思うように表現できないかもしれませんが、積み重ねにより感動を表現する能力が向上するだけでなく、感動の感受性そのものも磨かれていくのです。

 

感動することは幸せを感じること、生きることの素晴らしさを実感することになります。

となれば、絵を描く=感動の感受性が磨かれる=幸せになる というめでたい図式が出来上がるのです。

 

絵描き三昧を実践している私のとして、そのめでたい図式は絵空事ではなく「本当です!」と実感を持って言えるのです。