ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

絵を描くことは生きること  そんな生き方をしたい

2008-12-31 20:21:33 | 犬たち
あけましておめでとうございます。初笑いになるかどうか?一句ご紹介します。

        中高年 毛がない歯がない 先もない

これは今をときめく漫談家・綾小路きみまろさんの漫談の中からピックアップしたものですが、腹を抱えて笑い転げました。
長い歴史を誇る落語なんかよりよほど面白いきみまろ劇場が大ブレイクしているのは、中高年世代のドキッとする「本音」をしっかり捉えているからです。
それだけではなくきみまろさん自身も同じ中高年であり、同年代としての「実感」がにじみ出ているからこそ皮肉や毒舌におわらず、腹の底から笑うことができるのではないかと思います。
しかし実を言えばきみまろさん自身は決して「先がない」わけではないのです。
彼の第一の人生はパッとしない「先がない」司会業でしたが、中高年になった第二の人生で大輪の花を咲かせたわけで、彼にとっては「先は末広がり」ではないでしょうか。

私は絵画教室の講師をしていますが、生徒さんの最高齢はSさんで85歳になります。入室当初は絵画初心者ということもあり、どこから教えたらいいか途方にくれるほどでしたが、通うほどにメキメキ腕を上げ、昨年11月に立派な個展を開くまでになりました。
これまで数多くの人生の荒波を乗り越えてきたのでしょう。本質を捉える力やまとめあげる能力が高く、80代にして伸び盛りの少年のように上達してきました。
これまで無趣味とのことでしたが、絵を描くことが生きがいとなり、今後2年ごとに個展を開くそうです。
Sさんは絵を描く趣味を見つけ、それは「先がある」ことを実感したとのことでした。

年頭にあたり私のこれからの生き方といいますか抱負を川柳にしました。

         中高年 毛がある歯がある 先もある

65歳ともなると確かに髪の毛は相当薄くなりましたがまだ残っています。
歯もずいぶん抜けましたが半分以上はしっかりがんばっています。
きみまろさんのように「先は末広がり」とはいかないまでも、Sさんのように「先がある」ことを実感した人生にしたいのです。
私は画家ですから、なんといっても意欲と喜びを持って好きな絵を描き続けていたいのです。
評価されなくてもいい、ましてや収入にならなくてもいい、Sさんは85歳ですから、私はこれから先最低20年間 ずっとずっと絵を描き続けていたいのです。
絵を描くことは生きること(われながらカッコいいナ~)と実感できるような生き方をしたいのです。




写真を超えたところって何ですか?の答です

2008-12-26 17:25:13 | 犬たち

当ブログの11月22日の「描きたい世界は写真を超えたところにある」の中で「上級者は写真を超えたところで勝負しなければなりません」と書いたところ、「写真を超えたところって具体的に何ですか?」という質問がありましたので、今回はそのことについて考えていきたいと思います。

通常の絵では人間の肉眼で見て描きますが、トレース水彩画は撮った写真を素にトレースして描きます。
その「人間の目」と「写真の目」の違いを比較するところからはじめたいと思います。
最近のカメラは高性能なので肉眼より解像力が高いのですが、それだけでなく以下のところに決定的な相違があります。

たとえば何年ぶりかで古い友人と渋谷駅のハチ公の前で合う約束をしたとします。
約束の時間になっても友人が現れず、「もしや・・・」と不安がよぎった瞬間、人ごみをかき分けて走ってくる友人の顔を捉えました。そのときの彼の目には周りの風景はすっ飛んで、昔とちっとも変わらない笑顔だけが感動とともに眼に焼きつくこととなります。それが人間の目が写した情景です。
もし、その瞬間をそのまま写真で写したとしたら、ビル群が写り、おびただしい電柱や看板が写り、雑踏が写り、その雑踏の中に小さく友人の顔が写っています。味も素っ気もない平凡で冷たい写真でしかありません。

そうなんです。写真の目はあくまでも冷静で客観的なのです。事実を真っ正直にしか写すことができないのです。
それに対して人間の目は主観的で感情的、言い方を変えれば自分勝手で、たとえ事実と違っても脳の命令に従って都合よく映るんです。

絵は感動を表現するメディアです。
となれば絵は冷静で客観的なカメラの目ではなく、主観的で感覚的な人間の目で表現されるのが正しいのです。
それでは写真を素に描くトレース水彩画は邪道なのでしょうか。
否、これだけ生活の中に普及し、驚くほど高性能になったカメラという道具の使い方や活用の仕方にあるのです。それにより絵を描くための大変便利な道具となり武器となるのです。

たとえば上記の出会いの感動をトレース水彩画で描くとすれば、冷静で客観的な写真を、ホットで主観的な絵に置き換える必要があります。
それにはまずカメラのレンズは広角ではなく望遠レンズが適しているでしょうね。
その上描く段になると、ビル群を省略し、おびただしい電柱や看板も省略し、雑踏は雰囲気を出すために描くものの大幅に手抜きして描き、その代わり古い友人の顔だけはしっかり描く・・・。

「写真を超えたところで勝負しなければなりません」の意味はもうお分かりでしょうが、描き手を料理人とすれば写真は素材です。素材をそのまま手を加えないで出す場合もあれば、素材を切り刻み、使わない部分を捨て、素材とは別の新しい味を創り出す、その自由で奔放な使い方こそがトレース水彩画のの勝負どころであり醍醐味なのです。


 


不況の時こそ「モノから心」への価値観の変更の時

2008-12-19 16:05:53 | 犬たち
世界は底なしの不況に突入していますが、この時期個々人の考え方の違いで大きく生き方が違ってくるような気がします。
不況の嵐の中を生きるには、いやおうなくお金を使わない・モノを買わないことになりますが、それを不幸で憂鬱なこととして捕らえるのではなく、またとないチャンスとして積極的に捕らえることこそ豊かな人生が拓かれるのではないでしょうか。

そもそも不況の原因は人間の「強欲」から出発しています。つまり強い金権主義、モノへの固執、過剰な競争心などの人間の醜い部分が露呈したことが不況の原因であり、その逆の美徳や礼節・謙遜などの人としての美しさを失ったことにあります。
となれば不況の時代こそ本来の人間性を取り戻す時と捕らえ、お金を使わない・モノを買わないことは、美徳や礼節を取り戻すための試練の場であり、時間は情操を豊かにする場ととらえることができないでしょうか。

もっといえば不況の時こそ「モノから心」への価値観の変更のチャンスの時ではないでしょうか。

私は第一の人生はビジネスマン、第二の人生は画家をやっていますが、職業も違えば取り組む相手も違ってきました。
第一の人生の取り組む相手は「社会」でした。
ストレスで痛む胃を抑えながら、仕事に駈けずり回る日々でした。たえず業績に追われていましたから、ひたすら業績という「モノ」を追求していたのでしょうね。
一方、第二の人生の取り組んでいる相手は「自然」のような気がします。
毎日自然の中に浸り、自然の声を聞き、自然の色を探り、自然の香りを感じる日々のような気がします。そしてその中で発見した自然の美を描くのですが、よく考えれば自然を通した「心」を描こうとしてきたような気がします。

私はひたすら絵を描く日々にとても満足しています。ただその満足が深い分、深刻な後遺症も生じてきました。

たとえば  都会に行くことを避けるようになってきました。  情報や流行に無関心になってきました。  人間関係がとてもわずらわしくなってきました。 
そして・・・モノへの欲望が加速度的に弱くなってきた自分に気づいているこの頃なのです。

もし「モノから心」への価値観の変更に取り組むなら、そのきっかけとして絵を描くのもグッドアイディアかもしれませんよ。




「牛のイラスト」シリーズは、新しい分野を開拓する場です

2008-12-12 17:44:31 | 犬たち

上のバラをくわえ気取っている牛君の絵は「牛のイラスト」シリーズ12枚目の作品です。
強い・かわいい・たくましい・お茶目な12匹の牛の中でお気に入りの牛君がいたでしょうか?

ここで突然問題を出します。
その12点の作品の中で作品ナンバー1.4.5.7.8.12、合計6点に他の作品と違う共通の特徴があります。その特徴とはいったいなんでしょう?「牛のイラスト」をクリックして探し出してください。
ヒント:絵の内容よりも、描き方にご注目ください。

今回の「牛のイラスト」シリーズも、年賀はがきのデザインにお悩みの方のヒントとなり、時にはそのままご利用していただくために企画したものですが、私にとってはもうひとつ重要な目的があります。
絵を描き続けていると、絵が上達するといいますか手馴れていき、要領も覚えていきます。そのうちに得意分野しか描かなくなります。マンネリ化の道を歩む・・・それは画家として危険信号なのです。
そんなときこそ未知の世界に挑戦する勇気といいますか気概が必要なのですが、それがけっこうシンドイのです。
しかし、干支を描く企画は通常時のアクセス数の比ではない数のアクセスがあり、この企画はいわばスポットライトを浴びたスターのような気分で描くことができる企画なのです。
注目されると俄然張り切る私で、なんとか12枚描くことができました。

この「牛のイラスト」シリーズには「へぇ~、私もこんな絵も描けるんだ~!」という新領域に挑戦することだけ意識して描きました。そのチェックポイントは
     ① 1点1点別人が描いたようなまったく違う絵を描くこと
     ② キャラクターやマンガのように「まねた」絵は描かないこと
     ③ たえず新しい描き方、新しいテクニックに挑戦すること

さて、冒頭の質問の回答を発表します。6点の作品に共通する特色は絵の輪郭線が筆で描いてあることです。
「初心者のためのトレース水彩画教室」では線画はカーボン紙を敷いてボールペンでなぞるため、鉛筆の線のような細くて鋭い輪郭線となりますが、筆で描くと柔らかく生き生きとした線が描けると思いませんか。今回の挑戦で筆の線の魅力を発見したことが大きな収穫だったかもしれません。
線を筆で描く方法も今後の「初心者のためのトレース水彩画教室」の中で発表していく予定です。ご期待ください。

 

 


「何を描くか?」の答は、カメラが発見してくれる!

2008-12-05 06:23:14 | 犬たち

絵を描くには大きく2つの課題を解決する必要があります。
それは「何を描くか?」と「どう描くか?」の2つですが、「トレース水彩画」では「何を描くか?」の課題に、とても具体的な形でクリアできるのです。
「何を描くか?」の課題は眉間にシワを寄せてあれこれ考えても何も浮かばないかもしれません。それよりもカメラを持って外に出ることをお薦めしています。そしてこれは!と思う情景に出会ったらすかさず写真を撮り、撮った写真から1枚の写真を選ぶ・・・。それが必然的に「何を描くか?」の課題をあっさり解決しているのです。
そして「どう描くか?」は、その写真を素に絵を描く行程での課題ですが、私のHP「初心者のためのトレース水彩画教室」に詳細に掲載しています。
今回のブログでは「何を描くか?」の課題の解決策としての写真を撮る行程についてQ&A形式で考えていきたいと思います。

Q:どんな写真を撮ったらいいのですか?

A:感動した情景の写真を撮ってください。
絵は感動を表現するメディアですから、その素となる写真には感動を映像として捕らえることが大前提となります。
「美しい~!」「かわいい~!」「懐かしい~!」といった感嘆詞が出るようなそんな情景を探して撮ればいいわけです。
別の言い方をすれば、描きたいモノを撮ることです。描きたい!と思う気持ちの中に感動がインプットされているからです。
しかしなかなか感動する情景に出会うチャンスが少ないとお思いでしょうが、たとえば旅行をするとか、見知らぬ土地を歩いてみるとか、見慣れた風景でも別の角度から見てみるとか、努力しだいで思いがけない感動を発見できます。
そんな努力の積み重ねで、感動のセンサーがどんどん磨かれていくのです。

Q:撮影のための注意事項は?

A:写真そのものは最終作品ではありませんから、すべて自動でシャッターを押すだけにし、チャンスを見逃さないことを優先すべきです。
撮影のポイントは写真の狙いをしっかり決め、被写体にぐっと近づいて写すことでしょう。
後で削除することを前提に、惜しみなく数多くシャッターを押すことがコツのようです。

Q:どんなカメラがいいでしょう?

A:小型のデジタルカメラが一押しです。
高価な一眼レフよりも、出かけるときに気軽にポケットに入れ、気軽に写す習慣が大切です。
デジカメとパソコンを連動すれば、圧倒的な便利さとコストダウン、使い勝手が実現できます。
トレース水彩画は自分がこれまで写したストック写真が命ですが、私は何万枚の膨大なストック写真をパソコンに入れてあり、自由に取り出したり加工したりして絵の素材として利用しています。

「トレース水彩画」を開発した背景には、ケイタイも含めてカメラが生活の中に深く定着したことにあります。気軽に写真を撮る習慣を延長して、写真を使って気軽に絵を描く習慣がますます加速することを予測して開発しました。