【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 1月4日 元気な会社 天才に依存せず、価値ある発明を安定的・大量に生みだしたい 2525-4104
平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。
この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。
日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。
紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。
【 注 】
日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。
■【小説風 傘寿の日記】
私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。
私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。
私は、創業まもなくの頃、ベンチャー企業に重点をおいて顧問先開拓をしてきました。「日経ベンチャー」誌が創刊間もない頃でしたので、広告掲載料も私の手の届く範囲だったこともあり、隔月で広告を掲載し続けました。
ベンチャー企業の大半が、コンサルタントを雇うための経済的ゆとりはありません。無理をしてでも、コンサルタントの力を借りたいという経営者もいましたので、その心意気に感じて、彼等の支援をしました。
竹根の部下が紹介してくれたのが、都内のベンチャー企業なので、早速飛んで行きました。
◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 天才に依存せず、価値ある発明を安定的・大量に生みだしたい 2525-4104
天才とは1%のひらめきと99%の努力である―。いわずと知れた「発明王」トーマス・エジソン氏の名言である。どんな発明にも多大な努力が必要であるとして、地道な努力の大切さを指摘したものと流布している。しかし、これは誤解であり、「99%の努力」ではなく「1%のひらめき」の方を強調したものだと本人が語っているという。
さまざまな資料で明らかにされていることだが、エジソン氏は晩年、くだんの名言についてこう述べている。「私は、1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言った。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」。どんなに努力しても、ひらめきがなければ天才的な発明は生まれてこなかった、というのが真意のようだ。
いずれにしても、エジソン氏が稀代の天才発明家であることに違いはない。そして、エジソン氏を含め、数少ない天才たちが世に送り出した画期的な発明により人類の文明は発展してきた。ただ、こうした天才が常に登場するわけではなく、人類は天才による発明をいつの時代にも享受できるものでもない。ならば天才に依存せず、AI(人工知能)によって価値ある発明を安定的かつ大量に生みだそうと取り組んでいるのがS社(東京都新宿区)である。
その第一歩として同社が手掛けているのが創薬。2018年の創業からまだ間もないが、すでに製薬会社と新型コロナ治療薬の創出で提携しているほか、炎症・中枢神経疾患に対するキナーゼ阻害薬の共同研究契約を医療ベンチャー企業と結ぶなど、早くも実績を上げつつある。同社の取り組みは高く評価され、代表取締役CEOのS氏は、中小機構主催の「第21回Japan Venture Awards」で中小企業庁長官賞を受賞した。
AIによる創薬は費用の大幅削減も可能とした。新薬開発の1プロセスだが、前臨床候補化合物として有望な化合物を作り出すのに通常20億円もの費用がかかるが、同社のシステムにより、費用を50分の1~100分の1に圧縮できるという。「今ある難病の中には、莫大な開発費用のため薬を創ることがネグレクトされているものもある。AIの力で費用を抑え、薬を創出できれば、そうした難病に苦しむ人々にとって助けとなりうる」とS氏。天才の出現を待たずして多くの人々の命を救える日が訪れそうである。
出典: e-中小企業ネットマガジン
■【今日は何の日】
当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。
■【今日は何の日】 1月5日 囲碁の日 【今日の写真】伝通院
■【経営コンサルタントの独り言】
その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。
◆ 江戸っ子は甘口の酒を飲んでいた? 104
江戸時代といいますと、上方からの物資がたくさん流入していました。
お酒はどうかと言いますと、「灘の生一本」と灘のお酒が好まれていました。
辛口のはずの灘のお酒が、江戸では甘口の酒として売られていたのです。
なぜ、江戸の灘は甘口なのでしょうか?
灘の清酒メーカーが江戸でマーケティング・リサーチをした結果、江戸っ子は甘口の酒が好まれるとわかって、江戸向けの酒は甘口にして出荷していたのでしょうか?
どうも、そうではなさそうです。
正解は?
http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/79d115beb93bdc8a7b0a558c22127d61
■【老いぼれコンサルタントのブログ】
ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。
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