経営コンサルタントへの道

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◆【経営コンサルタントの独り言】 伝通院は家康の生母の墓がある寺 108

2024-01-08 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言01

【経営コンサルタントの独り言】 伝通院は家康の生母の墓がある寺 108

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 伝通院は家康の生母の墓がある寺 108

 

 伝通院は、東京都文京区にあり、家康の生母の墓がある寺です。秀忠の娘、千姫の墓もあります。

 このお寺は、臨済宗です。

 臨済宗は、曹洞宗、日本達磨宗、黄檗宗、普化宗とともに日本の禅宗の一つです。

 歴史的にみますと、臨済宗は鎌倉幕府や室町幕府との結び付きが強く、室町文化は臨済宗の文化と言っても良いほど大きな影響を与えました。

 京都五山も鎌倉五山も、全て臨済宗の寺院で占められていることからも臨済宗が強かったことがわかります。

 戦国時代に入りますと衰退気味となりましたが、江戸時代に白隠禅師によって再建されました。

 臨済宗の特徴の一つが、法嗣という師匠から弟子へと悟りを伝達することで今日にまで受け継がれてきています。

 

【きょうの人】

 

■ 上杉景勝

 うえすぎ かげかつ  1556年1月8日 - 1623年3月20日

  戦国時代から江戸時代前期にかけての大名で、豊臣政権の五大老の一人です。米沢藩の初代藩主となり、上杉宗家(山内上杉家)17代目で、同家16代目上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目となります。

  初名は長尾顕景で、同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めました。

  実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となりました。

  会津藩120万石を領し、秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け、景勝は、石田三成ら西軍に付き敗北しました。

 戦後、徳川家康から上杉氏の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となりました。(【Wikipedia】を基に作成)  

 

■ 明恵

 みょうえ  承安3年1月8日(1173年2月21日) - 寛喜4年1月19日(1232年2月11日)  幼名:薬師丸、号:明恵房(房号) 諱:成弁→高弁 尊称:明恵上人、栂尾(とがのお)上人 宗旨:華厳宗

 鎌倉時代前期の華厳宗の僧

 紀伊国有田郡(現:和歌山県有田川町)に生まれ、幼くして高雄山に登り、華厳、倶舎などを学びました。

 その後、諸寺に遊学し、密禅の諸教に通じるようになりました。

 華厳宗第十七世の法脈を嗣ぎ、後鳥羽上皇の勅により、栂尾山を賜りました。鳥獣戯画で有名な高山寺に晩年を過ごし、そこで歿し、廟は高山寺禅堂院にあります。

 代表的な著作として「摧邪輪」がありますが、その他多数をちょしています。

 栄西請来の茶の種子を栂尾にまき、茶の普及の契機をなしたことは有名です。高山寺には、日本で最初の茶畑があります。

【Wikipedia】 明恵

 承安3年(1173年)1月8日、高倉上皇の武者所に伺候した平重国と紀伊国の有力者であった湯浅宗重四女の子として紀伊国有田郡石垣庄吉原村(現:和歌山県有田川町歓喜寺中越)で生まれた。幼名は薬師丸。

 治承4年(1180年)、9歳(数え年。以下同様)にして両親を失い、翌年、高雄山神護寺に文覚の弟子で叔父の上覚に師事(のち、文覚にも師事)、華厳五教章・倶舎頌を読んだ[1]。16歳で出家し、文治4年(1188年)、東大寺で具足戒を受けた。法諱は成弁(のちに高弁に改名)。仁和寺で真言密教を実尊や興然に、東大寺の尊勝院で華厳宗・倶舎宗の教学を景雅や聖詮に、悉曇を尊印に、禅を栄西に学び、将来を嘱望された。20歳前後の明恵は入門書の類を数多く筆写している。  

 

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 1月7日 そばと技術革新 11

2024-01-08 08:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 1月7日 そばと技術革新 11

 

 明けましておめでとうございます。

 昨夏より開始しました「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」ですが、お陰様で概ね好評です。

 それに甘んずることなく、このシリーズを、今年も継続して参ります。

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 スマホが突然不具合を発した問題をまだ解決できずにいて、通信業者のサービスセンターに電話で問い合わせました。

 症状を説明すると、「○○画面を開いてください」から始まり、ステップを踏んで、数分で解決!

 さすが、プロですね。

 しかし、考えてみますと、ネットで調べた情報にヒントがあり、私自身が、そのヒントを見たときに、「こんなことは今回は当てはまらない」と思い込んだのがいけなかったのです。

 思い込み、決めつけはいけませんね。 反省・・・

 ただ、気になるのは、そのような特殊なトラブルになぜ陥ってしまったのか、思い当たりません。

 原因がわからないというのは、気持ちが悪いですね。

 

 気分転換に、かねてから興味を持っていた江戸庶民の生活、江戸から学ぶことが多く、時々、江戸に関する書籍を手に取ります。

 

◆そばと技術革新 11

 江戸のそばの歴史を見ますと、今日のようなそばになるまでは長い道のりを経てきたようです。

 その過程で、最も貢献したのが小麦粉で、画期的な技術革新と言えます。

 つなぎがないとブツブツと切れてしまい、麺状にはなかなかなりにくいのです。

「十割そば」というのが今日ありますが、小麦粉の代わりに卵をつなぎに使うという話を聞いたことがあります。

 因みに、麺状のそばは「そば切り」と言って、当時主流のそばがきとは区別していました。

 時代劇で「そばを食べた」と言った場合は、そばの入った雑炊かそばがきのことで、そうでないと時代考証に引っかかります。

 やがて、もりやざるという形で食べるようになります。

 当時から、「もり」と「ざる」の区別はあったようですが、今日とはちょっと違っていたようです。

 「もり」というのは、皿に盛った冷たいそばのことです。

 せいろに盛ったそばは「せいろ」と言われ、ざるに盛ったのが「ざる」でした。

 今日のように、海苔がかかっているのは「海苔かけ」と言って区別していました。

 海苔は「江戸前」です。浅草寺門前仲見世で売られていたことから「浅草海苔」とも言われています。

 江戸の前にある海でとれる海苔なので「江戸前」を言われました。

 因みに江戸前とは大森当たりまでを言ったようで、江戸土産として浅草海苔が定着したのは江戸時代も後期になってからです。

 そばの話しに戻りますが、温かい汁そばは、「かけ」と言われましたし、冷たいままやぬるい状態のそばを「ぶっかけ」と言いました。

 分量は、やや少なめで、ゆであがり状態で70~80gといいますから、セット物のランチについてくる小鉢よりも少ない量だったのです。

 だからといって何杯も食べるのは江戸っ子の風上に置けない野暮な行為なのです。「腹が減ったから、そばでも満腹になるまで喰ってみようか」などということは江戸っ子は言わなかったのです。

 そば屋というのは、パブでちびちびとやりながら時間を過ごすような場所です。

 ちょっと時間があるから「そばでも食おうか」という雰囲気だったのです。

  杉浦日向子の江戸塾バックナンバー  ←クリック

 

■ 「杉浦日向子の江戸塾」バックナンバー ←クリック

 杉浦日向子女史の江戸塾は、江戸時代のエコ生活から飽食時代を迎えている我々に大きな示唆を与えてくれます。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

  ■【今日は何の日】 1月8日 鳥越神社のどんど焼き 外国郵便の日 初薬師

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 意外と知らない「五節句」とは 107

 

 1月7日は、人日(じんじつ)ですね。

 七草粥をお食べになった方も多いでしょう。

 スーパーの店頭に、七草粥セットが置いてありました。

 昔はどの家庭でも風習に従って食べていた七草粥も、昨今では少なくなっているのではないでしょうか。

 でも、なぜ、七草粥を食べるのでしょうか?

 なぜ、人日と言うのでしょうか?

 それが、なぜ五節句なのでしょうか?

 五節句とは、下記を言います。

 

 1月7日 人日(じんじつ)七草

 3月3日 上巳(じょうし/じょうみ)桃の節句、雛祭り

  5月5日 端午(たんご)菖蒲の節句

 7月7日 七夕(しちせき/たなばた)たなばた、星祭り

  9月9日 重陽(ちょうよう)菊の節句

 

 「節句」の日には、日本の宮廷において「節会(せちえ)」と呼ばれる宴会が開かます。五節句は、公式行事として江戸時代に定められました。

 因みに、新暦では3月3日、5月5日、7月7日は同じ曜日となるということをご存知ですか?

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る

 

■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【今日は何の日】 1月8日 鳥越神社のどんど焼き 外国郵便の日 初薬師

2024-01-08 00:03:00 | 【今日は何の日01月

【今日は何の日】 1月8日 鳥越神社のどんど焼き 外国郵便の日 初薬師

 一年365日、毎日が何かの日です。

 季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

 これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

 独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 鳥越神社どんど焼き

 どんど焼きは、左義長(さぎちょう、三毬杖)と呼ばれる、小正月に行われる火祭りの行事のことです。地方によって呼び方が異なりますが、日本全国で広く見られる習俗です。

 一般的には、1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに、長い竹を3、4本組んで立てて、そこにその年飾った門松や書き初めなどを持ち寄って焼きます。

 その火で焼いた餅を食べます。三色団子などを、ヤマボウシの枝に刺して焼いたりしますが、地方により異なります。

 道祖神の祭りとされる地域が多いですが、民俗学的な見地からは、門松などによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送るという意味があるとされています。お盆の迎え火、送り火などとも共通した慣習なのかも知れません。

 東京の鳥越神社のどんど焼きは、例年1月8日に開催されます。地方によっては、このように異なった日に開催されるところがあるようです。

 初薬師

 毎月の八日と十二日には、薬師様では縁日が立ちます。正月八日は初薬師と呼ばれ、多くの参拝者が訪れます。

 昨秋、久しぶりに法隆寺や薬師寺を訪れ、薬師観音を拝んできました。子供の頃、お祭りの時に近所の「薬師様」に御輿が結集したことを思い出します。それほど、薬師如来は身近な存在で、われわれ衆生を病苦から救ってくださると言われています。

 ちなみに、元日に薬師様詣でをすると、その効能は三千日持続すると言われます。正月の初詣で薬師様を訪問した方は、九年分の先取りをされたことになりますね。 ■ 平成元年

 1989(昭和64)年1月7日に昭和天皇が崩御されました。7日午後に臨時閣議が開かれ、新しい元号として「平成」が決定去れ、翌8日から新しい元号の年が始まりました。後に総理大臣になった小渕官房長官が平成の文字を掲げてテレビ会見したことは多くの人の記憶にあるのではないでしょうか。

 因みに、「平成」というのは元号が始まった最初「大化」から数えて247番目の元号となるそうです。

 外国郵便の日

 1月7日は「外国郵便の日」です。

 1875(明治8)年1月7日に、外国人の多かった横浜の郵便局で、外国郵便の開業式が行われました。それまでは、外国郵便を日本政府は取り扱っていなかったのです。外国人居留地にあったアメリカの郵便局が行っていたのを、日本政府が業務を行うことになったのです。

 私が中学生の頃、切手収集がブームで、見返り美人や月に雁などの切手が欲しくてたまりませんでした。

 友達同士で切手の交換をしながら、自分の切手のジャンルを固めていきました。記念切手は皆が集めていましたが、それに加え、エリザベス女王の切手に焦点を当てて集めました。

■ その他

◇ 東京鳥越神社とんど焼き

◇ 初薬師

(ドアノブ)

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