経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】 サザエさんのお父さんの毛は何本? c29

2023-12-29 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言12

 

  【経営コンサルタントの独り言】 サザエさんのお父さんの毛は何本? c29

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ サザエさんのお父さんの毛は何本? c29

 

 長寿アニメ「サザエさん」に登場する磯野波平さんは毛がなんぼんでしょうか?

 サザエさんを見ている人の多くは「一本!!」と自信を持って答えるでしょう。

 ブッブー ブッブー ブッブー

 たしかに波平さんの頭には、毛が一本、上に向かって立っています。

 しかし、顰や後頭部には黒々とした髪があります。

 従って、何本なのかは、ご本人ですらわかりません。

 

 私達は、見ているようで見ていないことが多々あるのです。

 それに気がついている方は、きっと観察眼や、思考力が高い方でしょう。

 

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

2023-12-29 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりです。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス

■■ 2 思いは叶うか

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆2-6 急ごしらえの出張準備が始まる
 竹根は、重点商品の工場訪問の日程を決めたが、相手があることで、それを調整しながら日程変更をして決めていくことにした。出張が多くなり、連絡をどのようにするのかを長池に相談したら、事業部長に掛け合ってくれ、アメリカに駐在してからも連絡係は相本が担当することになった。
 出張の合間には、それ以外の商品について、国内営業で同期の社員を中心に時間を取ってもらい、いろいろと教えてもらった。このときほど、仲間の必要性を痛感したのだ。竹根は事業部内でこの一年半、あまりにも仕事の効率ばかりを考え、事業部員とのコミュニケーションを取っていなかったことを反省した。
 それが如実に出たのは、渡米が近くなっても、部員から歓送会を開くという声を誰一人として上げる者がなかったことである。これではアメリカに行ってからの支援も得られないのではないかと心配になった。しかし、それを懸念した長池が、何人かの部員を動員して、出発の二日前にささやかな会を開いてくれた。長池の計らいであろう、相本も参加をした。
 下戸の竹根を相本が隣の席でかいがいしく料理を皿に取ったりしてサポートしてくれた。時々相本とふれあう肩がかゆいような、心地よさを、「これが幸せ感なのか」と思った。女性には疎い竹根には、今まで感じたことのない思いであった。下戸の竹根であるが、何とか雰囲気を壊さずに散会となった。このまま相本と別れたくなく感じる自分を第三者的に見ていた。しかし、相本は横浜方面、竹根は、中央線で立川の方向のため、東京駅で別れることになった。
 別れ際に、相本が竹根の前に立った。握手の手をさしのべてきたが、その手を掴んでよいのか、判断が付かない――そのままでは、彼女に恥をかかせることになる――と思い手を差し出した。柔らかい掌が竹根の掌と一つになった。その瞬間、自分の身体がフワッと浮いた。竹根はそう感じた。「身体が浮くようだ」という表現を小説で読んだことがあったが、本当にそう感じることがあるとは信じていなかった。それが、自分のこの身に、現実に起こったのだ。
 周囲の人から見ると、別れを惜しむ恋人同士に見えるかもしれない。
 十二月二日、家族とともに羽田に向かった。空港には、事業部を代表して長田係長が見送りに来てくれた。平日で業務があるので、来られるはずもないことはわかっているが、ひょっとしたら相本も来てくれるかと姿を求めた。やはり、いなかった。

  <続く>

■ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950

 


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【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

2023-12-29 12:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

  【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりです。

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 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い

■■ 2 思いは叶うか

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆2-6 急ごしらえの出張準備が始まる
 竹根は、重点商品の工場訪問の日程を決めたが、相手があることで、それを調整しながら日程変更をして決めていくことにした。出張が多くなり、連絡をどのようにするのかを長池に相談したら、事業部長に掛け合ってくれ、アメリカに駐在してからも連絡係は相本が担当することになった。
 出張の合間には、それ以外の商品について、国内営業で同期の社員を中心に時間を取ってもらい、いろいろと教えてもらった。このときほど、仲間の必要性を痛感したのだ。竹根は事業部内でこの一年半、あまりにも仕事の効率ばかりを考え、事業部員とのコミュニケーションを取っていなかったことを反省した。
 それが如実に出たのは、渡米が近くなっても、部員から歓送会を開くという声を誰一人として上げる者がなかったことである。これではアメリカに行ってからの支援も得られないのではないかと心配になった。しかし、それを懸念した長池が、何人かの部員を動員して、出発の二日前にささやかな会を開いてくれた。長池の計らいであろう、相本も参加をした。
 下戸の竹根を相本が隣の席でかいがいしく料理を皿に取ったりしてサポートしてくれた。時々相本とふれあう肩がかゆいような、心地よさを、「これが幸せ感なのか」と思った。女性には疎い竹根には、今まで感じたことのない思いであった。下戸の竹根であるが、何とか雰囲気を壊さずに散会となった。このまま相本と別れたくなく感じる自分を第三者的に見ていた。しかし、相本は横浜方面、竹根は、中央線で立川の方向のため、東京駅で別れることになった。
 別れ際に、相本が竹根の前に立った。握手の手をさしのべてきたが、その手を掴んでよいのか、判断が付かない――そのままでは、彼女に恥をかかせることになる――と思い手を差し出した。柔らかい掌が竹根の掌と一つになった。その瞬間、自分の身体がフワッと浮いた。竹根はそう感じた。「身体が浮くようだ」という表現を小説で読んだことがあったが、本当にそう感じることがあるとは信じていなかった。それが、自分のこの身に、現実に起こったのだ。
 周囲の人から見ると、別れを惜しむ恋人同士に見えるかもしれない。
 十二月二日、家族とともに羽田に向かった。空港には、事業部を代表して長田係長が見送りに来てくれた。平日で業務があるので、来られるはずもないことはわかっているが、ひょっとしたら相本も来てくれるかと姿を求めた。やはり、いなかった。

  <続く>

■ バックナンバー

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月28日 元気な会社 ハードルが下がる?流れ星に願い事 2511-3c17

2023-12-29 08:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 12月28日 元気な会社 ハードルが下がる?流れ星に願い事 2511-3c17

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 ダイハツ自動車の不正問題、ちょっと前の三菱自動車にしても、日本の製造業は、どうなっているのでしょうか。

 表面を見ただけで判断をする、われわれ国民が、真の見る目をもっていない結果なのでしょうか。

 寂しいですね。

 

 私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。

 暮れの押し詰まったこの時期ですが、突然のアポイントにも快く応じてくれましたので、竹根の部下と共に訪問しました。

 

◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 ハードルが下がる?流れ星に願い事 2511-3c17

 「流れ星に願い事を3回唱えると願いがかなう」。このロマンティックな言い伝えを多くの人がご存じだろう。米国の学者、ジョン・G・バーク氏の書籍「Cosmic Debris: Meteorites in History」に次のような記述がある。《いくつかのローマカトリック教会のコミュニティでは、流れ星は霊魂であるとされ、煉獄(れんごく)で罪を償っているか、この世をさまよっていると考えられている。フランスやドイツでは、流れ星が消える前に3回「Rest in peace(安らかにお眠りください)」と唱えると、霊魂が煉獄から抜け出すことができると信じられた》

 「煉獄」とは、天国と地獄の間にある中間的な清めの期間のこと。願い事ではないが、こうした信仰が「流れ星に願い事」のルーツとも考えられている (諸説あり)。一方で、「言い伝えは、願い事はかなわないという意味」といった、現実的で無粋な見方もある。流れ星を実際に見た人はお分かりだろうが、大抵の流れ星は突如として夜空に現れ、1秒足らずで消えていく。その間に願い事を3回も唱えるのはまず無理。つまり、願い事はかなわないもの、というのだ。

 この言い伝えに大きな影響を与えかねない事業が今、着々と進んでいる。宇宙ベンチャー、A社(東京都港区)が「宇宙エンターテインメント事業」として手掛けている人工流れ星だ。流れ星の素となる「流星源」という直径1cmほどの金属の粒を自社開発の人工衛星に載せて宇宙から放つと、粒が大気圏突入の際に燃え尽き、その様子が地上からは流れ星に見えるというものだ。

 同社の創業者で代表取締役/CEOをつとめるO氏は、東京大学で天文学を専攻していた2001年、「しし座流星群」を目にした際に人工流れ星を思いついたという。その10年後に同社を設立。ベンチャーキャピタルなどからの出資を募り、これまで2回、人工衛星を打ち上げた。肝心の人工流れ星は一度、失敗に終わったが、再チャレンジする予定で、「100%近い成功の自信がある」(O氏)という。

 岡島氏によると、人工流れ星は「おおいぬ座」で最も明るいシリウス並みで、都会でも肉眼で見える程度の明るさ。また、天然の流れ星より速度が遅く、数秒ほどは眺められるという。「短い単語であれば、流れ星に願い事を3回唱えられそう」とO氏。うれしい話のようだが、あまりにハードルが下がると、言い伝えのありがたみが薄れそうで、複雑な気持ちでもある。
 

   出典: e-中小企業ネットマガジン

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

◆ 「まねぶ」が成長の原動力、されど要注意!! C28

 

「まねる」と「まなぶ(学ぶ)」との二つの言葉からの合成語で「まねぶ」という言葉があります。

 だれが最初にこの言葉を使ったのか、存じ上げませんが、素晴らしい言葉でもあり、勝手な解釈をされてしまう懸念もあるように思えます。

 徒弟制度というのがあります。

 親方に弟子入りして、見よう見まねで身につけてゆきます。

 門前の小僧習わぬ経を読む

 これもまた、繰り返し聞いているうちに、自分もそれができるようになるということを教えてくれています。

 まずは、先輩諸氏のやっていることをつぶさに観察し、自分に取り入れられることは取り入れていきながら、人間というのは成長できるのではないでしょうか。

 

 残念ながら、世の中には、「パクリ」を平気でやる人が結構います。

 著作権は守らなければなりません。

 

 私は、先輩の方々の講演会や研修会にはしばしば足を運びました。

 それを自分が講師を担当したときに紹介させてもらうことが多くありました。

 紹介ですので、自分の考えではないことをキチンと伝えます。

 しかし、それを繰り返しているうちに、先輩が言ったこととは異なる表現に次第に昇華してくることが多々出てきました。

 明らかに先輩が言っていることとは本質的にことなるものに変質してきたものがあります。

 それは、自分のオリジナルとして、自分のものとして、自分の言葉で伝えられるようになってきました。

 経験というのは、成長の原動力なのですね。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る

■バックナンバー   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db  


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【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

2023-12-29 07:07:04 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

  【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業2 思いは叶うか 2-6 急ごしらえの出張準備が始まる

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりです。

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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い

■■ 2 思いは叶うか

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆2-6 急ごしらえの出張準備が始まる
 竹根は、重点商品の工場訪問の日程を決めたが、相手があることで、それを調整しながら日程変更をして決めていくことにした。出張が多くなり、連絡をどのようにするのかを長池に相談したら、事業部長に掛け合ってくれ、アメリカに駐在してからも連絡係は相本が担当することになった。
 出張の合間には、それ以外の商品について、国内営業で同期の社員を中心に時間を取ってもらい、いろいろと教えてもらった。このときほど、仲間の必要性を痛感したのだ。竹根は事業部内でこの一年半、あまりにも仕事の効率ばかりを考え、事業部員とのコミュニケーションを取っていなかったことを反省した。
 それが如実に出たのは、渡米が近くなっても、部員から歓送会を開くという声を誰一人として上げる者がなかったことである。これではアメリカに行ってからの支援も得られないのではないかと心配になった。しかし、それを懸念した長池が、何人かの部員を動員して、出発の二日前にささやかな会を開いてくれた。長池の計らいであろう、相本も参加をした。
 下戸の竹根を相本が隣の席でかいがいしく料理を皿に取ったりしてサポートしてくれた。時々相本とふれあう肩がかゆいような、心地よさを、「これが幸せ感なのか」と思った。女性には疎い竹根には、今まで感じたことのない思いであった。下戸の竹根であるが、何とか雰囲気を壊さずに散会となった。このまま相本と別れたくなく感じる自分を第三者的に見ていた。しかし、相本は横浜方面、竹根は、中央線で立川の方向のため、東京駅で別れることになった。
 別れ際に、相本が竹根の前に立った。握手の手をさしのべてきたが、その手を掴んでよいのか、判断が付かない――そのままでは、彼女に恥をかかせることになる――と思い手を差し出した。柔らかい掌が竹根の掌と一つになった。その瞬間、自分の身体がフワッと浮いた。竹根はそう感じた。「身体が浮くようだ」という表現を小説で読んだことがあったが、本当にそう感じることがあるとは信じていなかった。それが、自分のこの身に、現実に起こったのだ。
 周囲の人から見ると、別れを惜しむ恋人同士に見えるかもしれない。
 十二月二日、家族とともに羽田に向かった。空港には、事業部を代表して長田係長が見送りに来てくれた。平日で業務があるので、来られるはずもないことはわかっているが、ひょっとしたら相本も来てくれるかと姿を求めた。やはり、いなかった。

  <続く>

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■【きょうの人】 1229 ■ 夏目漱石 日本を代表する小説家、英文学者

2023-12-29 06:33:00 | 【話材】 きょうの人12月

 

  【きょうの人】 1229 ■ 夏目漱石 日本を代表する小説家、英文学者

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 夏目漱石 日本を代表する小説家、英文学者

 

 なつめ そうせき

 1867年2月9日(慶応3年1月5日)- 1916年(大正5年)12月9日)

 日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏

 江戸時代末期、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)の出身で、大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びました。

 帝国大学(現在の東京大学)英文科を卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めました。

 イギリスへの留学はその後のことです。精神的な病気にかかったといわれますが、研究に没頭している様を見た人が、その生活態度を見て、「夏目発狂」という噂を流したとも言われています。

 帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』など、次々と傑作を書いて行きます。

 その後、朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載したりしています。晩年は、胃潰瘍に悩まされ、『明暗』が絶筆となりました。

。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。

 新宿の生まれた場所と言われるところには、現在でも「漱石公園」など、ゆかりの地があります。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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■【今日は何の日】 12月29日 シャンソンの日 山田耕筰忌日 【きょうの人】紹明

2023-12-29 00:03:00 | 【今日は何の日12月】

 

  【今日は何の日】 12月29日 シャンソンの日 山田耕筰忌日 【きょうの人】紹明

 

 一年365日、毎日が何かの日です。  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

 山田耕筰忌日 

 

 1965(昭和40)年12月29日に日本を代表する作曲家であり指揮者の山田耕筰(1886(明治19年~1965(昭和40年))がなくなりました。

 日本人の心に訴えるメロディーを多く残しただけではなく、日本の管弦楽団の発展にも尽力しました。ニューヨークのカーネギー・ホールで自分が作曲した管弦楽曲の指揮を執りました。

 戸籍上の名前は「耕作」ですが、「耕筰」と改名するエピソードがあります。

 当時日本に100人を超える「山田耕作」という同姓同名の人がいたそうです。そのためにトラブルが多かったそうです。そこで文字を変えることを検討していました。

 指揮をしていたあるとき、髪の毛のことでいちゃもんがつき、丸坊主にしましたが気に入りませんでした。

 竹という字は、分解するとカタカナの「ケ」が二つ並ぶことを発見しました。「ケケ」すなわち「毛毛」から耕作の「さく」の頭に「ケ」を2本立てて「耕筰」としたそうです。

 

 シャンソンの日

 

 1990(平成2)年12月29日に、銀座のシャンソン喫茶の老舗である「銀巴里」が閉店しました。これを淋しく思った人達の間から「シャンソンの日」の声が上がったようです。

  シャンソン(chanson)というのは、フランス語で「歌」を意味します。したがって、フランス語で歌われる歌全般を意味するのです。日本では、特定ジャンルの楽曲を指します。

  日本人が好む代表的な曲の一つがイブ・モンタンが歌う「枯葉」でしょうか。エディット・ピアフの「愛の賛歌」やサルヴァトール・アダモの「雪が降る」も良いですね。

 

 

【きょうの人】

 紹明(円通大応国師)

 

 嘉禎元年(1235年)-- 延慶元年12月29日(1309年2月9日)

 南浦紹明(なんぽしょうみょう)

 

 鎌倉時代の臨済宗の僧で、出自については不詳ですが、駿河国安倍郡井宮村(静岡県静岡市葵区井宮町)の出身であることはわかっています。諱は、紹明(「しょうみょう」とも「じょうみん」とも読まれます。道号は南浦、勅諡号は円通大応国師です。

 幼くして故郷駿河国の建穂寺に学び、1249年(建長元年)鎌倉建長寺の蘭渓道隆に参禅しました。

 1259年(正元元年)宋に渡って、虚堂智愚の法を継いで、1267年(文永4年)日本に帰国して建長寺に戻りました。後に、博多崇福寺の住持をつとめたりしています。

 1307年(徳治2年)鎌倉に戻り建長寺の住持となり、1309年(延慶元年)に75歳で死去しました。

 門下には、宗峰妙超(大燈国師)、恭翁運良などがいます。

 没後の延慶2年(1309年)、後宇多上皇から「円通大応」の国師号が贈られました。これは日本における禅僧に対する国師号の最初です。南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属しています。

 

(ドアノブ)

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