【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺 260205
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺
https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html
大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。
ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。
関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。
当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。
平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。
開園日 昭和5年(1930年)9月1日
開園面積 19,579.53m2
■ アクセス
JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208
慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります
東京都慰霊堂には、
空襲による都内犠牲者10万人
関東大震災遭難者約5万8千人の遺骨が祀られています
正門
正面は慰霊堂
慰霊堂に付帯する建物などを紹介します。
関東大震災の供養のために
中国仏教徒の寄贈による鐘楼・梵鐘
銀杏並木
復興記念館横の並木
右:復興記念館 左:日本庭園
慰霊堂前に立つ石灯籠
奥は「平和を記念する碑と花飾り」
「平和を記念する碑と花飾り」
季節の花でデザインも変化します
慰霊堂正面玄関前に立つ狛犬
鐘楼横の石灯籠
ちょっと変わった灯籠ですね
公園管理棟
■東京都墨田区 都立横網町公園