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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-03 博引旁証 フィリップ・コトラーの功績 ~ 多くの事例を紹介し、証拠を示して説明する ~

2025-05-10 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-03 博引旁証    フィリップ・コトラーの功績 ~ 多くの事例を紹介し、証拠を示して説明する ~   

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-03 博引旁証    フィリップ・コトラーの功績
     ~ 多くの事例を紹介し、証拠を示して説明する ~



「博引」は、「ひろく例を引用すること(広辞苑)」という意味で、「旁証」は「傍証」に同じで「証拠となるべき傍系の資料。間接の証拠。(広辞苑)」です。このことから「博引旁証(はくいんぼうしょう)」とは、「広範囲に多くの例を引き、証拠を示して説明すること(広辞苑)」という意味となります。
 例えば、テレビに出て来る解説者とか評論家という方々は、ご自身の専門分野のことを中心に調査をしているだけではなく、熟知した内容を素人にもわかりやすく解説してくれます。
 マーケティングをかじったことがある人は、フィリップ・コトラー(Philip Kotler、1931年 - )をご存知でしょう。アメリカの経営学者で、現在は、ノースウェスタン大学ケロッグ・スクールで教授を歴任したりしていて、現代マーケティングの第一人者の一人です。
 コトラーは、自分独自の学説・理論はもちろん持っていますが、それにも増してむしろこれまでいろいろな学者や実務者のマーケティング理論を体系化したという点で、その功績の大きさが高く評価されています。コトラーこそは、博引旁証という言葉にふさわしい人のひとりであるといえます。
 広く書物を読んだり、物事を見聞したりして、広い知識を持つことは、企業経営でも、経営コンサルタント業でも不可欠です。ところが、それを取り違えて、経営者との知識や情報の格差を利用して、偉そうに、得々として“教えてやる”という態度のコンサルタントを時々見受けます。経営コンサルタントの仕事というのは、「書物などから多くの例を集め、証拠としてあげながら説明する」ということが「博引旁証」だと思い込んでいるとしたら、大きな過ちと考えます。
 日本を代表するような商工業団体や業界の組合、あるいは大手社員研修企業などから講師依頼を受けますと、必ずと言っても過言ではないほど、「成功事例をたくさん紹介してください」というリクエストを受けます。
 そのリクエストは、聴講者であります、経営者から出ていると思われます。経営者は、ライバル企業が自社とは異なることをやっていますと、それをまねすれば自分の会社も良くなると考えている人がいます。それでは自社の特質を活かすことにはなりません。企業は各々異なった体験や土壌を持っています。他の成功事例をそのまま導入しても、自社の体質に合うかどうかわかりません。すなわち他社では成功しても自社でも成功するという保証はないのです。むしろ、条件が異なりますので、そのままの導入は失敗する可能性があるのです。
「百聞は一見にしかず」といいますので、成功事例を知ることはそれなりのヒントとなるでしょう。しかし、それを自社の状況に合わせて、工夫を凝らすことは簡単ではありません。むしろ、成功事例に引っ張られて、自社には合わないやり方を導入してしまって、消化不良を起こしてしまう失敗事例を多数見てきています。
 何ごとにも「ノウハウ」があると考えた方がよろしいでしょう。そのノウハウを見出すには相当なるエネルギーが必要です。多忙な経営者が、そのことばかりを考えている訳には行きません。「餅は餅屋」その道のプロにお願いするのも一つの方法でしょう。経営者が、腹をくくって、社内に特別なプロジェクト・チームを作って、その課題に取り組ませるなど、何らかの形で本腰を入れないと成功しないと言えます。
 博引旁証と言うことは、使い方を間違えると必ずしも良い結果を生み出すわけではないことも知っておくべきでしょう。
 朱子は「先知後行学」の中で「先ず知識を蓄え、それを基にして行動を起こすべきである」と説いています。何か問題に遭遇しても、知識を持たないよりは、知識を持っていれば、一般的には好ましい判断ができることを推測できます。
 それに対して、王陽明は陽明学の一環として「伝習録」の中で「知行合一(ちこうごういつ)」を説いています。知識と実践は同一でなければならないという考え方です。
 知識と行動がバラバラの例として「言行不一致」ということが挙げられます。いくら良いことを言っていても、自分自身はそれを実践できていなければ、折角良いことを伝えようとしても、聞く側は、聴く耳を持ちません。
 例えば、経営者・管理職が部下を叱咤激励しても、自分は海外でギャンブルにうつつを抜かしていては、社員のモラールは上がりません。
 同じことは、私の職業である経営コンサルタント業においてもいえます。5S運動を実践し、整理整頓をいくら主張しても、経営コンサルタント自身が自分の整理整頓ができていなければ、折角の5S運動も成功しないでしょう。
 経済のグローバル化が進むにつれて、大企業から始まったISO導入は、その大企業との取引上、中小企業でもISO取得が義務づけられたかのような状態になってきます。ところが多くの中小企業では、準備や推進法、持続等に戸惑いをもっての対応となり、なかなか定着できません。
 ところが中小企業でも製造業は3Sや5Sといった整理、整頓、清掃、清潔、躾が徹底されている企業が多く、その様な企業はISOの導入もスムーズにいくところが多いようです。
 5SもISOも、企業の理想像を宣言し、それに近づけ、持続することがポイントです。始めは「先知後行」であっても、理想像に近づこうと努力をしてゆけば、「知行合一」の状態になってきます。結果として企業経営は従来より一層レベルが高まってくることを体験してきています。その過程においては経営者・管理職や社員との双方向コミュニケーションが行われないで、一方通行なコミュニケーションだけでは企業は良くなりません。
 同様に机上の空論的な知識や理論だけでは結果に結びつかず、口先で言うだけではなく、行動することが重要なのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-02 鶏口牛後 先手必勝か、二番手商法か ~ 大きな組織のしっぽより、小さくても頭を選ぶ ~

2025-05-03 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】7-02 鶏口牛後    先手必勝か、二番手商法か ~ 大きな組織のしっぽより、小さくても頭を選ぶ ~       

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-02 鶏口牛後    先手必勝か、二番手商法か
     ~ 大きな組織のしっぽより、小さくても頭を選ぶ ~


「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」という四字熟語は、「むしろ鶏口となるも牛後となる勿(なか)れ」と訓読みされます。「鶏口」とは、文字通り「鶏の口」のことです。このことから、「小さな団体のかしらのたとえ(三省堂国語辞典第七版)」という意味でも使われます。「牛後」は、「牛のしりえ」、すなわち牛の最後尾についているしっぽのことです。「鶏口」の対語として「強大なものの後について使われる者のたとえ(広辞苑第六版)」という意味を持ちます。
 すなわち「鶏口牛後」は、牛の尾、すなわち強大なものの後について使われる者になるより、鶏のくちばし、すなわち小さな団体のかしらになる道を選べという教えです。このことから「鶏口」が「鶏頭」に、「牛後」が「牛尾」に誤用され「鶏頭牛尾(けいとうぎゅうび)」という誤用が定着してきている傾向もあります。
 誤用と言うよりは、中国から口伝されたために、その意味が中心となって日本に伝えられたこともあり、「鶏頭牛尾」という形で日本で使われるようになったのかもしれません。時々「鶏口牛尾」とか「鶏頭牛後」というような形で、クロスしてしまった表記を見ることがありますが、これらは誤用といっても過言ではないでしょう。
「鶏口牛後」の出典は、中国の戦国時代を記した史記の中に出てきます蘇秦伝です。その中に既述されています洛陽にある遊説家の一人、蘇秦の言葉に基づいています。戦国時代ですので、「群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)」している中で、当時の大国でありました秦と燕・韓・魏・斉・楚・趙という六つの小国が覇権争いをしていました。
「群雄」は、実力者が群れをなすことで、「割拠」は、拠点を分割することです。すなわち、「群雄割拠」とは、たくさんの英雄や豪族、実力者が各地でにらみ合い、抗立する様子を言います。
 蘇秦は、平和を確立するために大国秦に行き、六国と和解するように説得しましたが受け入れられませんでした。そこで蘇秦は、燕に赴き、「六国従合(りっこくしょうごう}」、すなわち六国が一つにまとまれば、大国秦に負けない国になると説得を始めました。
 その時に「寧為鶏口、無為牛後」と言って、秦に吸収されるのと(牛後になる)、小国なりにリーダーシップを発揮して先頭を切るのとどちらが良いのかと問い詰めたそうです。このときの言葉から「鶏口牛後」という四字熟語が生まれたのですS。
「鶏口牛後」という言葉は、私が十三歳になったときに、母から教えられました。これが、わたくしの生き方に大変大きな影響を与えることになったように思えます。まず、大学受験の折に、受験指導の先生から進められた日本を代表する国立大学への進学をやめ、その下のランクと当時目されていた大学に進学しました。アメリカで勉強する機会が与えられたときも、ビジネスパーソンなら誰もが憧れるビジネススクール(大学院)ではなく、日本ではあまり知られていないところで勉強しました。
 当時、「経営の神様」という人ががトップにいて日本を代表する企業が、「まねした電器」と揶揄される時代でした。二番手商法で、顧客志向をじっくりと研究してから新製品を発表するという慎重なやり方をしていました。私は、その商法を、人々がなぜ見下すような言い方をするのか解りませんでしたが、最先端を切り拓く、すなわち鶏口になることに血眼になるよりは、成功確率が高い二番手商法と揶揄されるやり方を好みました。
 就職するときも、当時学生のあこがれでした商社を選ぶことは諦めませんで、三井・三菱・住友というような財閥系の商社ではなく、人気はそれほど高くない商社に入社しました。私は、まだ誕生間もないマーケティングをアメリカで学んでいました。日本では、あまり見向きもされない分野でしたので、毛色の変わった知識を持ち合わせていることになります。現代で言いますと「差異化(差別化)」ができていたと言えます。
 入社して、一年強で、アメリカ駐在所長を命じられました。当時、一ドルが三百六十円の時代でしたが、一年あまりしかビジネス経験のない若造に対しては、無謀とも言える人選のように思いました。もし、私が「鶏口牛後」という母の教えを無視して、超一流企業に入社していましたら、ドングリの背比べの中、このような幸運な機会は巡ってこなかったでしょう。
 十年のサラリーマン生活で、自分の生き方に進路変更をすることにしました。当時、経営コンサルタントという職業は、知名度も低く、そちらに職種転換をしようとした時に、周囲の人から強く反対されました。当時、中小企業診断士は、試験もやさしく、資格としてはあまり魅力を感じませんでした。知名度としては二番手でしたが、難関と言われる、日本で最初に誕生した「経営士」という経営コンサルタント資格に挑戦しました。資格試験の受験では、当時某一流大学のマーケティングの教授とトップ争いをすることになりました。残念ながらトップ合格には至りませんでしたが、経営コンサルタントとして、新しい人生を送り始めました。
 昨今でも、経営コンサルタント資格として、経営士の知名度は、中小企業診断士には及びませんが、中小企業診断士が「中小企業」という冠を付けているのにために、大企業からは敬遠されがちな中、経営士という資格から、中小企業から大企業まで幅広くクライアントを持ち、仕事をすることができました。中小企業診断士は、資格保有者が多数いる中(鶏口)、経営士は、厳選されたコンサルタントの先生の集まりですので、ちょっとしたことでも目立つことになりました。その結果、多くのベテランの先生を差し置き、この団体の理事長に推挙されることになりました。お陰さまで、若手経営コンサルタントの育成という、私のライフワークを見出すことになり、今日に至っています。
「鶏口牛後」、私の人生は悪くなかったと言えます。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】■7-01 自育共育 仲間と共に自己研鑽 ~ 自己研鑽で成長するだけではなく、仲間と共に育つ ~

2025-04-26 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】■7-01 自育共育    仲間と共に自己研鑽 ~ 自己研鑽で成長するだけではなく、仲間と共に育つ ~    

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。
 
第7章 自育共育でプロフェッショナルに
 世の中の変化、とりわけICT(IT)分野では「秒進分歩」といわれるほど技術革新のスピードが速くなっています。ビジネスの世界では、時代の変化に取り残されることは、死を意味するほどで、ビジネス関係者は必死で努力をしています。
 自己研鑽という言葉がありますが、一人の力には限界があります。毎日どこかで開催されているといいましても過言ではないほど、セミナーが各処で開催されていますので、足繁く通っている人もいるでしょう。同じような志を持った仲間達が、例えば「朝会」と称して勉強しているところもあります。仲間とグループを作り、勉強会を開いているかもしれません。
 「共育」は「教育」の誤変換ではなく、「共に育み合う」時代になってきているのです。自育共育のあり方を四字熟語から感じ取っていきましょう。

■7-01 自育共育    仲間と共に自己研鑽
      ~ 自己研鑽で成長するだけではなく、仲間と共に育つ ~

 中国西晋の文学者である左思(さし、生没年不明、一説に252年 - 307年頃<Wikipedia>)の作品に「三都の賦」という書物があります。「賦(ふ)」とは「土地または人口に割りあてたみつぎもの。租税。年貢<広辞苑>」という意味で、「三都賦」は三国時代の社会生活を幅広く紹介した本です。当時の皇帝から庶民まで、それだけではなく後世にも、その内容である、国の統一などの問題等に言及したこともあり、評判となりました。
 因みに「好評嘖嘖(こうひょうさくさく)」という「評判が非常に良い」という意味でも散られる四字熟語があります。「嘖嘖」は「人が口々に噂する」という意味です。
 三国志で有名な三国時代は、中国の魏、蜀、呉の三国が鼎立した222年から263年を刺すことが多いですが、中国の時代区分としては、黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から、西晋による中国再統一(280年)までを指すようです。(【Wikipedia】)このことから「三者鼎立(さんしゃていりつ)」という四字熟語があります。「三人の人や二二や組織などの勢力が三つどもえ」である状態を指します。「鼎」は、祭祀などに用いられる三本脚の器を指し、三本脚がバランス良いことからこの四字熟語が生まれたようです。
「三都賦」の話を戻しますが、その序文に、当時著名であった皇甫謐が書いたり、張載が注釈を加えたりしたこともあり、こぞってこの書物を読みました。貴族や富豪が争ってこの作品を模写したことから洛陽に紙品不足問題が発生し、値段も高騰しました。このことから「洛陽の紙、価をたからしむ」ということが言われ、「洛陽紙価(らくようのしか)」という言葉が生まれました。
 すなわち、「洛陽紙価」というのは「著作物が人気を博し、盛んに読まれること」という意味です。すなわちベストセラーと言えます。
 昨今、出版不況と言うことがしばしば言われますが、書籍に対する需要減退がその原因であると言われています。ところが、タブレット型電子端末機器の普及とともに、電子書籍の流通が増え、実際には需要は減退しているどころか、増えていると思います。いわゆる「紙媒体」に「印刷」された書籍が売れないということでしょう。
 その一因は、電子書籍化という時代の流れですが、書籍出版業界の閉鎖性に起因している部分が大きいようです。自分達の権益を侵されないように大手出版社や印刷会社が力にモノを言わせた横暴さがあると聞いています。
「自育共育(じいくきょういく)」の「自育」は、「自分を育む」ということで「自己研鑽(じこけんさん)」という意味です。「研鑽」というのは「学問などを深くきわめること。研究(広辞苑第六版)」ということで、個人の努力で学問などを深く極めることです。
「共育」というのは、あまり使われない言葉ですが、訓読みしますと「共に育つ」という意味で、「共生」などと多少通じる意味合いを持っています。すなわち、「自育共育」というのは「個人で努力して成長するだけではなく、仲間と共に育つ」という意味の四字熟語です。
 私たちが、「自己研鑽」をする時に、印刷された物であり、電子媒体であれ、書物と言われるものだけではなく、いろいろな情報が不可欠です。これらを基に自分自身を充電することにより、知識も豊富になり、人間性も豊になる物です。とりわけ洛陽紙価、すなわちベストセラーと呼ばれる、書店店頭に平積みされている本というのは、多くの人が読んで、考えている訳ですから、書いている人の意図だけではなく、読者がどの様な思いで読んでいるのかを推測することも必要です。各地で読書会というグループ活動がありますが、指定された本を参加者が読んだ上で出席し、意見や情報交換をしたり、異なった見方やとらえ方を語り合ったりして、理解を深め、記憶を定かなモノしています。
 一日は二十四時間しかありません。残念ながら、一人の人間では習得できる物も限界があります。睡眠時間を削るという安易な方法もありますが、その悪影響も懸念されます。限られた時間内に、たくさんの知識や智慧を蓄え、養うためには、質を高めることです。
 その方法の一つが、他人の力を借りることです。その一つとして、私は、永年セミナーと言われるような勉強会にしばしば足を運にできました。セミナーは、講師が長い時間をかけて知識や情報を収集し、整理し、わかりやすいようにまとめて受講者に提供してくれるのです。受講者は、短時間に、凝集された知識や情報を入手できます。私は、同じ人のセミナーを複数回受講することがあります。例えテーマが同じであっても、話を聞く度に、新しい発見があります。前回理解できなかったことでも二回目には理解できたり、理解度が高まったりすることがあるのです。自分と異なる考えであっても、いろいろな意見や考え方があるということを散るだけでも大いなる学びの一つといえます。
 私が所属しています組織では、「知修塾」と称する勉強会があります。そこでは、上述の読書会の変形といってよいのでしょうか、定められた書籍をもとに塾員がそれを深く理解してから参加します。当番の塾員が、パワーポイントを使って、研究成果を発表します。他の塾員は、それを基に理解度を深めると共に、解釈が異なったり、重要度のウェイト付けが違っていたりした場合に、後で討議をします。経営コンサルタントの勉強会である知修塾では、単に「知識を修める」だけではなく、発表の場で講師力養成の体験ができます。また、討論を通じて、人を納得させる話術を学ぶこともできます。ベテランのコンサルタントもいれば、これから経営コンサルタント資格を取ろうという人もいます。さながら塾長を中心にした松下村塾です。
 松下村塾といいますと、幕末の時代変革時の独特なやり方をする教育者でした。幕末には必ず登場するします高杉晋作や久坂玄瑞、明治時代を率いる伊藤博文やなどを育てて来ましたので、知らない人がいないほどの人物です。
 松蔭は後の世に残るいろいろな言葉を発してきましたが、なかでも「草莽崛起」(そうもうくっき)」は、代表的なひとつと考えます。「草莽(そうもう)」というのは、「名もない雑草のような在野の人」を指します。「崛起(くっき)」は、「山などの高くそびえ立つこと。にわかに起こり立つこと(広辞苑第六版)」という意味です。すなわち、このことから「草莽崛起」というのは「在野の志士よ、一斉に立ち上がれ」という意味で、列強各国の外圧に対する攘夷を掲げる強烈な檄です。
 自分が国のために何ができるのかを考えさせるという考えを強く訴えてきました。それは、故ケネディー大統領の就任演説の一端に通じるものを私は感じ取ります。一人ではできないことも、同じ志を持った人達が団結をすると大きな力を発揮します。群衆に埋もれることなく、きらりと光る人達を育てて来たところに松蔭の存在価値があるのでしょう。
 松蔭の教えの中で、自己流に解釈しますと「志を立てよ。自分よりもすぐれた人と交われ。書物を読んで勉強しろ」ということを、二年余に短い松下村塾の教えとしてきたと言えます。その教育法は、ユニークで、十代半ばの少年を相手に激論を交わすなど、「熱く燃えるが、人間味のある人」という印象を受ける人だと考えています。そこに「自育共育」の魂を見る気がします。
【 注 】下記URLにて紹介されています。
  「三都賦」http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter16/chapter160411.htm
  「吉田松陰」http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/soumoukukki.html
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-09 堅白同異 多元論的発想でトラブル回避 ~ 二つのことが同時に成立することはない?

2025-04-19 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-09 堅白同異    多元論的発想でトラブル回避 ~ 二つのことが同時に成立することはない?   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-09 堅白同異    多元論的発想でトラブル回避
    ~ 二つのことが同時に成立することはない? ~


 部下を叱るときには「ピグマリオン効果」を使うと成功することが多いです。「ピグマリオン効果」というのは、教育心理学における心理的行動の1つです。教師が期待すると生徒はそれに応えようと努力し、その結果教育効果が上がるというのです。
「君は、このようなミスをするような人ではないはずです。君らしくないですね」と相手への期待や信頼が伝わるように、誠意を込めて話します。人間というのは、期待されるとその期待通りに成長しようとするという、「ピグマリオン効果」を上手に使いましょう。ただし、相手によっては、「何を偉そうに」という反発があるかもしれませんので、本当に期待している相手に限定して、私は使うようにしています。
 十分信頼しきれない部下の場合には、自分が冷静になって相手を納得させるようにすることが必要です。理屈や権力で相手をねじ伏せては、説得はできても、相手の納得は得られないでしょう。
 一方、最近は「モンスターペアレント」などと言われる理不尽な要求をする人が増えてきています。
 こじつけや詭弁のたとえとして「堅白同異(けんぱくどうい)」という四字熟語があります。中国の戦国時代の趙の国にいた公孫竜が「堅白同異之論」というのがあります。堅くて白い石を目で見れば白いことは解りますが、堅いかどうかは解りません。手で触ると堅いと言うことはわかりますが、それが白か他の色香までは解りません。このことから、「堅いことと白いことは同時には成立することはない」というこじつけをいうことを「堅白同異」と言います。詭弁を弄するという意味では「三百代言(さんびゃくだいげん)」もあります。「詭弁を弄する人」という意味ですが、「三百文というわずかなお金で、悪人の代言をする」とうことからもともとは弁護士を罵倒するときに用いる表現でした。
「小人閑居(しょうじんかんきょ)」は、大悪人ではありませんが、「小人」すなわち「得のない人」、「器量の小さい人」は悪いことをするということから「小人物は、暇があると良くないことを考える」という意味です。「小人」は、多くの場合「小心翼翼(しょうしんよくよく)」であることが多いです。「翼翼」は「恭しく、慎み深い」ことをいい、本来は「慎み深い」ことを指しました。昨今では「気が小さく、びくびくしている」様子をいいます。


 真実に反したことでも、自分の都合の良いように解釈し、強引な理屈をこじつけることを、別の類似四字熟語で「牽強付会(けんきょうふかい)」といいます。「牽強」は強引なこじつけという意味ですし、「付会」も同じような意味です。夏目漱石の名前の由来でもあります「漱石枕流(そうせきちんりゅ)」も同じような意味です。「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す」と訓読みできます。
 広辞苑第六版では、晋書(孫楚伝)として、晋の孫楚が、「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤り、「石に漱ぐ」とは歯を磨くこと、「流れに枕す」とは耳を洗うことと強弁した故事から)こじつけて言いのがれること。まけおしみの強いこととあります。
 意見が合わない場合の多くが価値観の違いがあり、必ずしも「話せばわかる」とは限らないことがあります。対立している相手とは、価値観の共有はなく発想は異なり主張が通らないことが多いです。
 価値観が異なる場合には、自分もそれをわきまえた上で、「相手の言い分もわかる」という点を探れば、相手の理解を得られる可能性が高まります。「私はあなたの言うようには考えませんが、あなたのような考え方も理解できます」というように持って行きますと、相手もこちらの言うことを受け入れられないまでも、価値観とか文化の違いとかを理解し、敵対的な感情のもつれを回避することができるでしょう。
 養老孟司著の「バカの壁」という書籍の中で「話せばわかると思ってはダメ、人と人の間には高く分厚い理解力の壁や思い込みの壁がある」と言っています。「真理は一つ」ではなく、いろいろな発想があってしかるべきという、多元論的な発想が重要と考えます。それにより相手を尊重し、合意点を見出す努力を続けるべきでしょう。
 私事になりますが、私は喘息を永年患っています。たばこの煙や仏壇の線香の煙ですら、喘息の発作を起こしてしまいます。ある日、道を歩いていますと、前方からたばこを吸いながらアラフォーの男性が歩いてきました。
「なぜ、俺の顔をジッとみるんだ」
「・・・・・」
「なぜ、俺を睨むのかって言ってんだヨ」
「睨まれているように感ずるのは、あなたが何かやましいことをしているからではありませんか」
「なにを~」
「・・・・・」
―― 条例で歩行喫煙を禁じられていることを知っていながら、照れ隠しですごんでいるようでした。
「私は、あなたを睨んでいたのではなく、あなたがはき出した煙の行方を追っていたのです」
「何で、そんなことをするんだ」
「日本だけで、喘息で二千人以上の人が亡くなっています。多い時には五千人を超えています。たばこをお吸いの方は、嗜好品として愛煙権を振りかざしていればよろしいのかもしれませんが、私はその煙で命を落とすかもしれません。煙の流れる方角を見定めて、歩く経路を模索していたのです。もし、あなたを睨んでいるようにお感じになったのでしたら謝ります」
「わかりゃ、いいんだ」
「ご理解くださり、御協力くださると、同じように睨んでいるような誤解をされて不快な思いをさせることがなくなります」
「解ったよ」
 納得は、相手が気づくといとも簡単にしてもらえます。しかし、気づきがありませんと、益々こじれてしまいます。上述の会話例では「愛煙権を振りかざして」という挑発的なことを言っていながら「五千人の死」というような厳しい事実を突きつけられ、その後で「謝ります」と下出に出た、その落差と、こちらが堂々と持論をぶつけたことにより、次第に気持ちが落ち着いてきたのでしょう。喘息患者というのは、常に死と向き併せにいるのだという事実を知り、歩行喫煙は条例違反で制裁金も科されるという事実を思い出された、問題の本質を理解できたことにより、納得したのでしょう。
 ビジネスでは、利害が絡むことが多く、難しい面も多いのですが、原点回帰を心がけてみてはどうでしょうか。何ごとにおきましても、実行する目的があるはずです。その目的は、さらに上位概念、例えば経営理念などに基づいているかどうか、という観点で話を進めます。その結果、相手は「なるほど、部長のおっしゃるとおりですね」と自分の非を認めることになるでしょう。
 世の中、いつ、何が起こるか解りません。人は見かけによらず、何かすぐれている面を持っていることもあります。それが開花して立場が逆転することもあるでしょう。自分が、失敗して「冠履倒易」が怒ることもあります。私は、相手が年齢や地位の上下に関係なく、「さん」づけで相手を呼ぶようにしています。「さん」づけをすることにより、自分自身に、相手を尊重するように注意を促すことに繋がるのです。平素の接し方において、配慮をすることにより、相手を尊重することに繋がるように思えます。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-08 冠履倒易 立場逆転はいつ起こるか解らない ~ 立場や価値が逆転する

2025-04-12 12:05:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-08 冠履倒易    立場逆転はいつ起こるか解らない ~ 立場や価値が逆転する    


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-08 冠履倒易    立場逆転はいつ起こるか解らない
    ~ 立場や価値が逆転する ~


 日本型企業の特徴として「終身雇用(しゅうしんこよう)」という形がありました。「就職ではなく就社」というのが常識で、「転職するのはガマンがたりない」とか「転職で履歴書を汚すな」などということが言われて来ました。近年、労働力の流動化現象が一般的にありますと、むしろ転職して一歩上のポストに就く「キャリアアップ」という思想が一般的になってきました。
 このような時代になりますと、しばしば遭遇するのが後漢書に出てきます「冠履倒易(かんりとうえき)」です。「冠」は文字通り冠のことで、「履」は、音読みで靴などを「はく」という意味です。「倒」は「倒れる」という意味から、ここでは「逆さまになる」という意味で用いられています。「易」は、「入れ替わる」という意味ですので、「冠履倒易」というのは、頭にかぶるべき冠を足に着け、足に履くべき靴を頭にかぶって、逆さまに入れ替わることを指します。
 このことから「人の地位や立場の上下が入れ替わる」、また転じて、「物事の価値が上下逆さまで秩序が乱れる」ことを指します。「冠履転倒(かんりてんとう)」「主客転倒(しゅかくてんとう)」とも表現され、またニュアンスは異なりますが、関連する言葉に「本末転倒(ほんまつてんとう)」があります。前項いずれも「転」は「顛」と書くこともあります。
 若い人が、自分より年齢の上に立って、人を雇ったり、使ったりする光景は、珍しくなくなりました。上に立つ若い人は、冠履倒易を気にせず、自分が人を使う身ですので、上司として振る舞いますが、使われる年齢の上の人の心境は必ずしも穏やかではありません。それを意識せず、上から目線でばかりに見たり、言ったりしていては、本当の意味での信頼関係は築けないでしょう。
 そればかりではなく「因果応報(いんがおうほう)」という言葉もあります。上から目線でのみ相手を見ていますと、「江戸の仇を長崎で討つ」とう言葉がありますように、何処でしっぺ返しを受けるか解りません。
「因」は「因縁」とうことから「原因」という意味です。「果」は「果報」、訓読みしますと「報いを果たす」となり、原因によって生じた結果や報いがあることです。このことから「良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある(新明解四字熟語辞典)」ということになります。もともとは仏教用語で「過去における善悪の業(ごう)に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること(広辞苑第六版)」で前世の行いに応じて、因果があるという意味になります。
 行為の善悪に応じて、その報いがあるというのがもとの意味ですが、昨今では悪いニュアンスで、「悪行を行いますと、その罰を受ける」という意味で用いられることが多いようです。類義語として「悪因悪果(あくいんあっか)」「善因善果(ぜんいんぜんか)」という表現があります。「悪因悪果」は悪業には、必ず悪い報いがあるということで、「善因善果」は、よい行いをしていれば、いずれよいことが起こるという意味になります。
 話を「冠履倒易」に戻したいと思います。自分より、若い上司に仕えるときの心得も見て行きましょう。まず、重要なことは、自分自身を納得させることです。知識としては、「若いとはいえ、上司は上司である」ということは当然持っています。「組織で動く」ということを自分自身が心から、それが正しいことであると信ずることです。これを実践することは容易ではないですが、現実を直視していくうちに自然と受け入れられるようになると信ずることです。
 例え若いとは言え上司ですので、相手の顔を立てて、力を「お借りする」という気持ちを忘れず、自分の言葉遣いから配慮してゆきましょう。話を切り出すときに「お願いしたいことがあるのですが」というように始めます。当然、若い上司は、自分の気持ちをくすぐられます。こちらは、それにより「相手は上司」ということを自分自身に意識付けさせることになります。
「実は、先方が値引き攻勢を緩めてくれませんので、部長にマークアップ率をご検討頂き、できれば一緒に先方を訪問してくださいませんでしょうか」という質問をする形で投げかます。勘の良い上司であれば、「自分が同行するから、値引きも自分の権限でしてやれる」ということで、自分の株が上がると計算するかもしれません。
 当然のことながら、「部長がそうしてくだされば助かりますし、私も自信を持って折衝に当たることができます。お忙しいにもか変わりませず、お時間を取ってくださりありがとうございました」感謝の気持ちを伝えれば、上司だけではなく、自分も気持ちよく仕事に戻れるでしょう。「お客様を大切にする」ということを第一義として考えていれば、相手が年下の人間であれ、誰であれ、頭を下げることはできるはずです。
 上司を上手に使って、自分の成果を上げることは、「組織で動く」ということの大きなメリットのひとつではないでしょうか。逆に、自分が管理職の立場で、部下に接するときにも、相手の人間性を軽視してはならないと思います。あまり感心することではないですが、いつ「冠履倒易」という事態が自分の身に降りかかるか解りませんので、管理職だからと言ってふんぞり返っていないで、平素から言動に注意することも必要でしょう。
 部下を叱るときにも、感情的になって、怒鳴りつけますと、決して良い結果は生まれません。部下を叱るときには、場所選びも大切です。しかし、信頼している部下を心から育成していこうと思ったら、腹の底から怒ることが大切です。こちらの気持ちが相手に正しく伝わるでしょう。
 部下の管理や育成という観点では、「一張一弛(いっちょういっし)」という見方も重要です。中国の礼記に周の文応の逸話が掲載されています。弓を張ったり、緩めたりするように、人民に対しても緩急をもって接する政治を行ったとあります。すなわち、ケースバイケースで、あるときには締め、あるときには緩める、すなわち厳格にしたり、寛大に接したりすることを言っています。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-07 愚者一得 人の評価は難しい ~ 誰でも、たまには良いことを言ったり、思いついたりする

2025-04-05 08:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-07 愚者一得    人の評価は難しい ~ 誰でも、たまには良いことを言ったり、思いついたりする     


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-07 愚者一得    人の評価は難しい
~ 誰でも、たまには良いことを言ったり、思いついたりする ~


「愚者一得」というのは、史記の中に記述されていて「どのような愚かな人(愚者)であっても、たまには良いことを言ったり、思いついたりするもの」という意味です。「千慮一得(せんりょいっとく)」という言葉もありますが、ほぼ同意と言われています。
 似たような四字熟語として「千慮一失(せんりょいっしつ)」という言葉があります。どのように賢い人でも、数多いアイディアの中には一つ二つの陳腐な提案もあるという意味です。熟慮の末でも、失敗をすることもあります。
 われわれ経営コンサルタントも、自分の提案がうまくいったときには一人でほくそ笑んだり、乾杯したりします。一方で失敗することもあり、その時には相当落ち込みます。その代わり、大金を出してくださったクライアント・顧問先に対して申し訳けありませんので、次の機会があればさらに妙案を提供するように努力をします。私の失敗を見て、クライアントの中には、「千慮一失さ」と私の将来を見てくださったこともあり、そのようなクライアントとは長いおつきあいをさせていただいています。
 別項でも触れましたが、いろいろな経営者・管理職にお会いしていますと、「うちの社員は無能揃い」「うちの役員と来たら全く役に立たん」と自分の会社の社員や部下を悪く言う経営者・管理職にお会いします。
 しかし、本当にそうでしょうか?「愚者一得」というと失礼ですが、社員や部下が何も良い提案やアイディアを出さないとは思えません。むしろ、そういう経営者・管理職の方が部下の提案を正しく評価できていませんから、愚者と思えるのではないでしょうか。
 このことからおわかりのように「愚者一得(ぐしゃいっとく)」というのは、愚者であっても、たまには良いことを言うという意味から、愚者と思える人であっても必ず長所はあり、自分より優れている面を持っていたり、しばしば自分が知らないことに詳しかったりします。
 一方、どのように賢い人でも、それがたとえ熟慮の末のことであっても、失敗をすることもあります。数多いアイディアの中には一つ二つは陳腐であったり、効果がなかったりする提案もあるという意味です。
「愚者一得」には、「例え愚かと思える人でも、何か良い面を持っている」という意味でも使われます。幕末の賢者、吉田松陰の言葉に「人賢愚(ひとけんぐ)ありと雖(いえど)も、各々一、二の才能無きはなし」という件があります。まさに愚者一得に繋がる名言と言えます。
 部下や他の人達が愚かに思えたときは、自分の驕りではないかと振り返ってみることが必要と考えます。
「一得一失(いっとくいっしつ)」という言葉があります。もともとは、「一方に益があれば、他方に損がある」という意味でした。これが転じて「良いこともあれば、悪いこともある」「長所もあれば短所もある」という意味でも用いられます。類語として「一長一短(いっちょういったん)」「一利一害(いちりいちがい)」という四字熟語もあります。
「乳母日傘(おんばひがさ)」な人だからと言って軽視することはできません。「雲蒸竜変(うんじょうりゅうへん)」という言葉がありますように、人間というのは、あることを契機として、急に成長することがあります。「雲蒸」は、雲がむくむくと湧き上がる様を言います。その雲が龍に変身して、天高く登るということから、人の急成長を表す表現でもあります。しばしば、英雄が時宜に応じた判断をして急に世の中に出現するというようなたとえで、人の成長を表現します。
 人の内面がわかりにくいというのは「燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく)」という四字熟語にも表れています。「燕雀」というのは、燕や雀のような小さな鳥、「鴻鵠」の「鴻」は、「鳳」や「鵬」とも通じ、「大鵬」という元名横綱の名前になるような「大きな鳥」という意味です。このことから「鴻鵠」すなわち、大人物の志を、「燕雀」すなわち小人物には理解できないという、人の評価の難しさを謳っています。
 世の中には、自分は人を見る目があると自負する方を時々見受けます。そのような人の中には、占い師であるがごとく、相手を的確に見抜ける人がいます。しかし、大半は、自分でそう思い込んでいるように思えます。「街談巷説(がいだんこうせつ)」という四字熟語があります。「街談」は、「街中の話」、「巷説」は「巷に聞く話」ということで、いずれも世間話とか噂ということです。
 我々、経営コンサルタントも時として、ある情報を入手しますと、それが正しいこと、あるいは事実であるというとらえ方をして、失敗することがあります。別項でも触れていますが、「刑事は現場百遍」「ウラを取る」という言葉がありますが、これはわれわれ経営コンサルタントにも通ずることと考えています。われわれ経営コンサルタントは、情報は必ずウラを取ることを忘れてはいけないと考えています。
 史記に登場します「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」はしたくないものです。「鶏鳴」は、鶏の鳴き声、「狗盗」は、犬のようにこそこそと食べ物を漁り、盗むことから、そのようなことをする卑しい人を指します。
 中国・戦国時代の斉国の孟嘗君(もうしょうくん)が、鶏の鳴き真似ができる食客と、こそ泥を利用して難を逃れたという故事から来ています。このことからもとの意味から転じて「くだらないことや人でも、何かの役に立つことがある」というたとえにも使われます。
「愚者一得」神様は、公平にわれわれに天分を与えてくれているのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-06 羽化登仙 マズローの欲求五段階説 ~ 俗世間の煩わしさを忘れ、仙人のような心地よい境地

2025-03-29 00:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】6-06 羽化登仙    マズローの欲求五段階説 ~ 俗世間の煩わしさを忘れ、仙人のような心地よい境地   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第6章 仕事上手になる法
 論理思考で現状分析をキチンとし、方向性を明確にしてからPDCAサイクルを回し始めても、実際に行動に移したときに旨くいかないことがあります。やりたいという気持ちはあっても、いざ行動に移そうとしたときに、動けないこともあります。
相手の人を説得したり、納得させたりしても、必ずしも相手は期待通りに動いてくれないことがあります。日常生活においてだけではなく、経営者・管理職にとっては、社員や部下が動いてくれないというのは深刻な問題です。
 人の価値観というのは、多様性に富んでいます。論理思考で相手を説得したからといって、相手は納得したわけではありません。一つの価値観だけでは、相手は納得してくれません。人は、理屈だけで動いているわけでもなく、感情もあります。
 うまくいかない原因として、やろうとしていることにコツやカンというものがあったり、それを行うための技術が必要であったりして、その習得ができていないことでうまく行かないことがあります。コツの飲み込み方が上手な人もいれば、そうでない人もいます。
 このような時に、役立つ四字熟語がありますので、ご紹介します。ここでは、四字熟語の中から、相手を理解し、一方、相手にその気になってもらうには、どうしたらよいのか、心に訴えるヒントを感じ取っていただきたいです。

■6-06 羽化登仙    マズローの欲求五段階説
    ~ 俗世間の煩わしさを忘れ、仙人のような心地よい境地 ~

 「羽化登仙(うかとうせん)」の「羽化」は「羽が生える」、「仙」は「仙人」ですから「羽化登仙」は、直訳的には「羽が生えて、仙人となり、天に昇る」ということです。
 酒に酔うと良い心地になります。それはあたかも天に昇るような良い気持ちです。仙人しか登れない天の心地と言ってもよい状態です。
 私は下戸ですので、お酒のみにいわせれば、羽化登仙の本当の意味は体感的にはわからない不孝な人間なのかもしれません。
「仙人」というのは、「採薪吸水(さいしんきゅうすい)」の人、すなわち「世捨て人」でもあり、広辞苑によりますと下記のような説明があります。ちなみに「採薪吸水」は「山野で薪を集めたり、川の水を汲んだりする」ことで「自然の中で簡素な生活をする」人のことから転じて「日常生活」という意味で用いられることもあります。
1)道家の理想的人物。人間界を離れて山中に住み、穀食を避けて、不老・不死の法を修め、神変自在の法術を有するという人。
2)〔仏〕世俗を離れて山や森林などに住み、神変自在の術を有する修行者。多く外道を指すが、仏を仙人のなかの最高の者の意で大仙、あるいは金仙(こんせん)ということもある。
3)浮世離れした人のたとえ
 このことから、「羽化登仙」は、「俗世間の煩わしいことを一切忘れて、仙人のように自由で気ままな心地よい境地」になるたとえと言えます。
 仏教では108の煩悩を人間は持つと言われています。煩悩から脱却することは難しいので、仏教が存在するのでしょうが、我々は色々な欲望の渦巻く中で生活しています。
 しばしば「悠悠自適(ゆうゆうじてき)」という言葉を聞きます。「悠々」は「優遊」とも書きますし、自信たっぷりなときに「ゆうゆうとして」というような表現を用います。「自適」は、「自らに適する」ということからも想像ができますように「自分の心のまま」という意味です。このことから「世の中の煩わしさから解放されて、自由自在に、思うがままに、ゆったりと過ごす」ことを刺します。
 類語として「一竿風月(いっかんふうげつ)」というのがあります。「一竿」は一本の釣り竿、「風月」は、自然を表しますので、太公望のように、とりわけ欲も持たず、のんびりと釣りを嗜むように、人生を楽しむという意味です。「雲心月性(うんしんげっせい)」は、「雲や月のように清らかな心」という意味の四字熟語です。名声や富などの欲を持たず超然としている人を形容します。宮沢賢治の「雨にも負けず」を連想します。
 さらに類語としまして、「のどかに浮かぶ雲や、のに遊ぶ鶴のように、何かに梗塞されずに悠々と自然の中で生きる」とう意味の「閑雲野鶴(かんうんやかく)」や「孤雲野鶴(こうんやかく)」という四字熟語もあります。
 荘子に「曳尾塗中(えいびとちゅう)」が出てきます。莊氏に仕官の話があった折に、「亀が死んで、占いに使われ、利用価値が認められるのと、尾を引きずりながら泥の中で生き延びるのと、どちらを選ぶだろうか」と言って、婉曲的にやんわりと仕官をこだわったと言います。このことから「曳尾塗中」というのは、高貴な身分になって束縛されるよりも、貧しくても「自由奔放(じゆうほんぽう)」に生きる方が良いというたとえをする時に用いられます。
「自由奔放」の「奔放」は「勢いある」ことを指し、「他の人の思惑を気にせず、自分の思うままに生きるというやりたいように振る舞うこと」を言います。類語として「不羈奔放(ふきほんぽう)」「奔放不羈(ほんぽうふき)」があります。「羈」は繋がれるということですので、「不羈」は、繋がれていない状態を指し、「自由奔放」と同じような意味となります。
 中には社長は何をしても良いものと勘違いして「酒池肉林(しゅちにくりん)」「肉山脯林(にくざんほりん)」の贅を我が物顔に尽くす人もいます。前者は、「酒を満たした池や肉で飾った林」という意味で、「贅沢で豪華な酒宴をしたり、おごり高ぶった遊興をしたりする」ことを指します。
 出典は、史記で、殷の暴君で名高い紂王(ちゅうおう)が、「池に酒を満たし、木々に肉を掛け、男女を裸にして、その間を追いかけ回らせ、昼夜を分かたず酒宴を張った(新明解四字熟語辞典)」という故事からきています。
 後者では、「肉」は生の肉のことで、「脯」は干した肉で、「山」「林」はともに量がたくさんあることから前者と同じような意味で用いられます。
 多少意味合いは異なりますが、「天衣無縫(てんいむほう)」という四字熟語があります。「天衣無縫」は「天女の衣には縫い目がない」という意味で、自然で巧みな詩文を指したり、純真で無邪気な人柄を表していったりします。「天真爛漫(てんしんらんまん)」も同じような意味で用いられます。


 欲望という言葉で連想することは多種多様でしょうが、私はマズローの欲求五段階説を先ず思い浮かべました。
 人間は、「生理的欲求」が満たされるようになりますと、自分の身を守るという「安全の欲求」を意識します。
 欲求五段階説のレベルの低い間については、ロビンソン・クルーソー(イギリスの小説家ダニエル・デフォーの書いた小説)を思い浮かべながら、マズローの欲求五段階説を考えます。安全の欲求を満たすために、クルーソーは家を作ります。家ができ、安全の欲求が満たされると一人でいる孤独の寂しさを覚えます。奴隷や犬と共に生活を始めます。それは第三レベルの「帰属と愛情の欲求」に相当します。
 奴隷や犬との主従関係は、第四レベルの「尊敬の欲求」までを充分満たし得るとは思えませんが、人間社会では人から馬鹿にされることは誰しも嫌います。クルーソーは、母国に戻って第五レベルの自己実現として何をやりたかったのでしょう。
【ウィキペディア】 ロビンソン・クルーソー
 経済学的な視点からも注目を集めてきた。カール・マルクスは『資本論』の中でロビンソンを引き合いに出して論じており、シルビオ・ゲゼルは主要著書『自然的経済秩序』の中で独自のロビンソン・クルーソー物語を紡ぎ出している。
 また、マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でロビンソン物語を取上げ、主人公の中に合理主義的なプロテスタントの倫理観を読み取っている。
 同時代の文人ジョナサン・スウィフトが代表作『ガリヴァー旅行記』を執筆したのも、本作の影響が大きいと言われている。


 クルーソーから目を転じてみます。少しでも良い大学を出て、良い会社に入るというのがかつての大学生やその親の考え方でした。東日本大震災以降それが少し変化をして来ているようですが、人から尊敬されたいという気持ちは誰しも持っていると思います。名誉欲はその典型かも知れません。
 尊敬の欲求を持たすために、人は自分の夢の実現を願います。「自己実現の欲求」です。「経営コンサルタントになって、困っている社長さんの手助けをしたい」というのもこの段階の欲求です。
 この欲求があればこそ、人はがんばれるのです。裏を返しますと、「自己実現の欲求」を失うと人間の成長は止まってしまうのかも知れません。「自己実現」で重要なことは、「夢を持つ」その夢実現のために「計画性」ということを忘れてはなりません。
 俗に「P・D・C・Aサイクル」というデミングサイクルを回し続けることが重要です。
 マズローの欲求五段階説という言葉を見ますと、私は「意馬心猿(いばしんえん)」という四字熟語を思い浮かべます。
 人間というのは、欲望・欲情から逃れることがなく、仏教では108の煩悩を持つと言われています。この煩悩を押さえがたいというのが、意馬心猿です。「意」も「心」という字も、われわれの「心」を指します。野生馬が野を駆け巡ることも、猿が騒いでいるのも、本能的な行動の成せる業です。私たち人間も、自分の心の乱れを押さえることができず、その欲望に打ち負かされてしまいがちですね。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける~自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い~

2025-02-22 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける~自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー09 我田引水 自分の考えに固執し、周囲に迷惑をかける
   ~ 自分の都合ばかりの身勝手な振る舞い ~


「我田引水(がでんいんすい)」とは、「我田」は、自分が所有したり耕作したりする田んぼのことで、そこに「引水」すなわち水を引くという意味です。このことから、自分の田に水を引き入れることばかりを考えて、他の田のことは考えないことから、「自分の都合ばかりを考えて、身勝手で他の人のことを考えない」ことをいいます。「手前勝手(てまえがって)」という言葉と同じです。
 自分の利益ばかりを考える利己主義者でも困りますが、自分の理屈でものごとを判断し、他の人の意見や条件等を勘案しないのも困ります。世の中には、「頑固一徹(がんこいってつ)」な人がいます。意志が強く、それを貫き通すといいますと、非常に魅力ある表現となりますが、自分の考えだけで、あるいは自分の流儀だけをかたくなに守り、ひたすらそれを相手に押しつけたり、自分の考えを押し通したりすると組織活動を渋滞させたり、時には破壊したりしかねません。
 私の身近に、身障者がいます。その人は、遠慮深く、また大変人に対する思いやりのある人です。人には迷惑をかけないように、できるだけ自分で何でもやってしまう人です。自分で無理をしてやるために、痛い思いをしたり、筋肉痛になってしまったりと、その弊害が出てきます。それが一因となって頭痛や肩こりで悩み、本人は明るく接しているつもりですが、暗い顔をしていることがしばしばあります。
 そばにいる者としては、そのような状態を見るのが辛いですので、できる限り、その人が何をしたいのか、何をしてあげたらその人が楽をできるのか、終始注意を払っていなければなりません。その人は、何方の人にしてもらうのは悪いと思って遠慮をしているのですが、反って周囲の人に余計な気を遣わせてしまっているのです。
 例え、自分は良いことをしているつもりでも、それが我田引水で、時には人に対して失礼であったり、迷惑をかけていたりすることもあるということを知っておくべきでしょう。
 人間は人と接するときに、四種類に大別されるといわれています。攻撃性という軸と表出性という軸でポートフォリオを作成します。攻撃性というのは、人との付き合いの中で、相手を打ちのめす傾向が強いか、弱いかという観点です。一方の表出性というのは、その言動が表に明確に出る人と、そうでない人とがあります。
 攻撃性も表出性も、いずれの指標も高い人のことを「攻撃型」と分類します。相手の意図を斟酌せず、自分の考えや気持ちをそのまま相手に押しつけるタイプです。我田引水型の人に多いと思います。このような人は、フェース・ツー・フェースでありましょうが、会話の中に攻撃相手がいないこともありましょうが、自分のことを棚に上げて、相手を攻撃します。自分が、相手を傷つけているという意識はなく、人のことを悪くいいます。いじめという問題では、いじめる側の人です。
「陰湿型」というのがあります。攻撃型とよく似ているのは、攻撃性が高い面ですが、相手への攻撃が表立ってはあまり見えない人です。陰口をたたく人がその代表です。近年は、メールやSNSなどを使うとさらに高揚して、攻撃性が強くなります。
 攻撃性も表出性も、いずれの因子も弱いのが「受身型」人間です。どちらかといいますと口数の少ない人に多く、相手の人のことを考えすぎて、自分の気持ちを表に表さない人です。何かを言われますと、自分は弱い人間だ、ダメな人間だと、気持ちが内に向いてしまいます。そのことに固執しすぎて、時には何日も悩んでしまうのです。
 攻撃性はあまり高くないのですが、表出性の高い人を「八方美人型」といいます。誰とでも仲良くできるのですが、意外と信頼されていないタイプの人です。ぶりっこであったり、優等生タイプであったりする人が多く、このような人は他の人から嫌われないように、自分の気持ちを殺してしまったり、感情を隠したりしてしまいがちです。責任感が強い人ですと、鬱病にかかってしまうこともありますので、感情のコントロールを本人も、周囲の人も配慮が必要です。
 これらの分類は、もちろん、明確に分類できるわけではないのですが、攻撃性が強いと人間関係がギスギスしてしまいます。攻撃性が弱いと主体性のない人生を送りがちです。相手の立場を常に意識して、自分の気持ちや考え方、要望やニーズを率直に伝えることがコミュニケーションの基本です。誠意を持って接すれば、多くの場合に相手に通じますので、受身型の人でも、中庸性が次第に出てきて、人間関係が改善されて行くでしょう。
 私が会社勤務をしている頃、部下に我田引水型の人がいました。その人とは、そりの合う人の方が少ないくらいで、仲間から敬遠されがちでしたが、仕事は熱心でした。あるとき、事前に彼とは仕事の進め方でぶつかっていたのですが、彼が自分の主張に基づいて仕事を進めることになりました。「失敗させて人を育てる」ということを信条としていましたので、彼のやり方で進めることを容認したのです。
 彼が徹夜や残業が続いたときに「○○さん、頑張っていますね。あと少しでこの仕事も終わりますから、がんばってください」と励ましたつもりでした。ところが、彼にしてみれば、自分は徹夜までして頑張っているのに、その上、さらに頑張れといいますことは、彼の方法論に異を唱えていた私が、彼に当てつけに言ったと解釈したのでしょう。その後、口も利こうとしなくなってしまいました。
 そこで、日を改めて、仕事のやり方で、彼から中間報告を聞くことにしました。業務報告ですから彼も口をきかざるを得ません。「君の頑張りは、他の課員にいい刺激になっているよ。でも、たまには息抜きをしたらどうかね。ても、手抜きはダメだよ」と軽口をたたきました。それで軟化したのか、彼が、自分の方法では解決できそうにないので、私のやり方でやってみたいと思うという提案をしてきました。ただ、説明するだけではなく、私も彼と一緒にやり、その日のうちに問題を解決することに成功しました。
 我田引水の部下でしたが、こちらが敬遠するのではなく、積極的にアプローチをかけ、また相手の仕事ぶりを高く評価することにより、二人の気持ちの距離感が縮まったように思えました。また、一方的に命令口調で言うのではなく、自分がして欲しいことをキチンと伝えるとともに、相手の状況についてもキチンと把握した上で、業務を進めることが大切です。たとえ我田引水の人であっても、共感し、共鳴しますと、こちらの気持ちにも寄り添ってくれることを実感したのです。
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■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー07 瓜田李下 コミュニケーションの難しさを克服~ 誤解されそうな行為はやめる ~

2025-02-08 12:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  ■【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー07 瓜田李下    コミュニケーションの難しさを克服~ 誤解されそうな行為はやめる ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー07 瓜田李下    コミュニケーションの難しさを克服
     ~ 誤解されそうな行為はやめる ~



「瓜田(かでん)」の「瓜」は、畑になる瓜(うり)のことで、瓜畑で靴をはき直したり、靴紐を締め直したりしますと、他の人から見ればあたかも瓜を盗もうとしているように見えるかもしれません。そのことから、「誤解されそうな行為は止めた方が良いですよ」という戒めを表しています。このことから同じ意味で「瓜田之靴(かでんのくつ)」という四字熟語もあります。
 「李下(りか)」の「李」は、スモモのことです。「李下」はスモモの木の下という意味です。すなわち、スモモの木の下で冠の紐を締め直したり、帽子をかぶり直したりする行為は、遠目には、あたかもスモモを盗んでいるようにも見えてしまい兼ねません。瓜田之靴と同様に、紛らわしい行為は止めた方が良いと教えてくれています。これに関連して「李下之冠(りかのかんむり)」という同じ意味の四字熟語があります。
 これらのことから「瓜田李下(かでんりか)」は、「人に疑われるような、紛らわしい行為はしないほうがよい」という教えとなります。日本では訓読みして「瓜田に履(くつ)を納(い)れず、李下に冠を正さず」とも言います。
「人間は感情の動物」ということも良く聞きます。ちょっとした表現で、気持ちが傷ついたり、誤解を呼んだりしがちです。昨今では、メールが不可欠と言われる時代になりましたが、フェース・ツー・フェースとは異なり、相手の表情や態度の変化を読み取れず、人間関係をこじらせてしまうこともあります。
 部下などに苦言を言わざるを得ない場合には、フェース・ツー・フェースで行うのが良いでしょう。しかし、フェース・ツー・フェースだと、イントロから始め、事細かに説明せざるを得なくなりますが、メールですと相手から直截的な質問を受けることなく、こちらの考えを済ますことができるような場合があります。そのようなときには、自分の失敗談をベースに記述し、相手に感じ取らせるという手法をとることがあります。
「メールというのは、表現力を問われる、難しいコミュニケーション・ツールである」ということを常に認識して書くことをお薦めします。それだけに、相手の立場を理解し、わかりやすいメールを書くことが求められます。では、どの様なメールが”良いメール”なのでしょうか。この問題を考えるときに、「どの様なメールが”悪いメール”なのか」という視点で考えてみますとわかりやすいです。
「瓜田李下」を心がけましょう。すなわち、紛らわしい表現を避けて、できるだけ固有名詞や数値、裏付けのとれている情報などを下に内容が正確に伝わるようにします。
 また、一つの文章を短くし、一つの内容的な括りで段落を区切ることにより、メリハリを付けます。
 メールは、相手の顔が見えないために、詰問的に厳しい表現になってしまいがちです。フェース・ツー・フェースで、言葉で伝える時のことを想定して、一旦書いた文章を見直します。もし、時間的な猶予があるのであれば、配信を翌日にし、時間をおくようにします。自分の気持ちも落ち着き、読み直してみますと、少々言い過ぎである、というような気づきを覚えることがしばしばあります。厳しい表現では相手の気分を害してしまいかねず、その状態で読んでもらっても、こちらの意図が正しく伝わりません。軟らかい表現でも、「このような厳しいことでも、やさしく書いてくれる○○さんに敬意を表したい」と逆に感謝される方が、良い結果に繋がるでしょう。
 人間関係を悪化させるのは、メールを書くときの姿勢に影響されます。上述の例は、「自己主張型」と言いますか、相手が見えないので表現がきつくなってしい、時には攻撃的になってしまうケースです。
 それに対して「受動型」は、自己主張型が相手の気持ちなどに対する新釈がないのですが、逆に相手のことを考えすぎて自分の気持ちを正確に伝えられないタイプです。一見するとトラブルにならないように見えますが、どうしても「八方美人」的な言動をとりがちで、その結果、信用を失って人間関係がこじれてしまうことがあるのです。
 三番目は「暗示型」と命名していますが、自分の言いたいことを直截的には言わないで、遠回しな言い方でありながらトゲのある表現の人です。少々陰湿的なやり方のように思えます。あるいは、自分が言いたいことを「第三者が言っている」ように表現して、自分が嫌われないようにする人です。しかし、それらはいずれ化けの皮がはげてしまいます。
 相手に気持ちよくメールを読んでいただくためには、三部構成にすると良いといわれています。
 ① 本件に繋がる導入部で何を言いたいかを伝えます
 ② 本文は、簡潔な表現で、導入部を受けて説明を記述し、要件の本質を伝えます
 ③ 締めは、お願いなのか、指示なのか、連絡などかなどがわかるように、」目的を意識して記述します
 書き終わったら、まずは、誤変換やテニオハなど、文書としてキチンとできているかどうかを確認します。その過程で、内容に問題がないかどうかを確認しながら読み、訂正します。その上で、再度読み直しをしますが、一度文書として確認していますので、内容に集中して推敲します。最後に全体的に見直しますが、その時に、5W1Hを強く意識するとよいでしょう。
 コミュニケーションは、相手にこちらの意図を正確にかつ確実に伝えることが重要ですので、瓜田李下のような誤解を生まないようにしたいですね。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー06 格物致知 原点に戻りコンセプトを明確に ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~

2025-02-01 00:21:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】5ー06 格物致知    原点に戻りコンセプトを明確に ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~   


 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

第5章 表現上手で説得力を向上
 世の中には、作家でなくても美しい文章を書いて、読者を魅了できる人がいます。アナウンサーでなくても、話し上手な人もいます。プロのナレーターでありませんのに、聞いているだけでほれぼれするような声や話方の人もいます。パワーポイントを使って、難しいことをわかりやすく説明してくれる人もいます。
 「話し上手は、聞き上手」という言葉を良く聞きます。「一を聞いて十を知る」という理解力の高い人もたくさんいらっしゃいます。一方、相手の言うことを充分に理解できなかったり、誤解したり、時には曲解したりして人間関係をこじらせてしまう人もいます。
 情報提供側として、上手な文章を書いたり、話したり、パワーポイントなどの作図技術など表現力を豊にしたいと願う一方、それとは別の立場で聴取する側におかれたときに、傾聴力をフルに活用し、相手の言いたいことを正確に聞き取れることは、私たちの日常に不可欠です。コミュニケーション上達法を四字熟語から感じ取りましょう。
 5ー06 格物致知    原点に戻りコンセプトを明確に
      ~ 道理をきわめて知識豊かな人 ~

 中国古典の一つに「大学」があります。その中の有名な一文として、下記がしばしば例示されます。
少(わか)くして学べば
則(すなわ)ち壮(そう)にして為すことあり
壮にして学べば
則ち老いて衰えず
老にして学べば
則ち死して朽ちず
 若いうちに学んだことは、成長してからそれがいかされ、壮年になってから学ぶことは、それ以前に学んだことが活かされて、一人前の人物として認められるようになるということを言っています。年を重ねてから学ぶことは、それまでの経験が年輪として蓄積されていますので、死後もそれが残り、後進の育成に繋がるという教えです。
 この「大学」の中に「格物致知(かくぶつちち)」という四字熟語があります。「知を致すは、物に格(いた)る」と音読みします。「知」は「道理の源泉」を示しますので、「ものごとの道理を極めて、学問をなし、知識を習得することにより、大成する」ということです。このことから、道理を極めて知識豊かな人を指します。
 このことから、ものごとを思考しましたり、行動するときには、「原点に戻る」ということに繋がることをこのことから感じ取れたりします。何かを行おうとするときに、そのことはなぜ行わなければならないのか、そのことの背景には何があるのだろうか、等々を意識することにより、その本質から外れないPDCAが行われるべきです。換言しますと、コンセプトを明確にしますと、判断に迷ったり、困ったり、あるいは自分または一緒に仕事をしている人や部下の言動が間違えていないかどうかを判定したりする時に、「原点に戻る=コンセプトに照らし合わせる」という行動がとれるようになります。それにより判断するようになりますので、物事の途中で誤りに気づいて、失敗という結果に至ることが少なくなります。
 中国唐の時代の文学者・自然詩人としてまた政治家としても知られています柳宗元の著「陸文通先生墓表」に「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」とい四字熟語があります。「汗牛」とは、車に蔵書を積んで、牛に引かせますと、あまりにも重くて牛が汗をかくほどであるという状況です。「充棟」というのは、家の中で蔵書を積み上げますと、棟にまで届くほどであるということで、前後で同じことを別な表現を使って強調し、書物がたくさんあるということを表現しています。このことから「蔵書が多い、読書家」という意味でつかわれます。本だけ多くても「つんどく」では、知識として血となり肉となりはしませんが、私を含め、そのような人は結構いらっしゃるのではないでしょうか。
 道理を究めるには、「眼光紙背(がんこうしはい)」という四字熟語の含蓄を味わうことも必要です。この四字熟語は、「鋭い目の光が紙の裏まで貫く」ということで、しばしば「眼光紙背に徹す」という形で用いられます。「読解力が鋭いこと」の例えで、「行間を読む」などという言葉にも通じます。「熟読玩味(じゅくどくがんみ)」も同じような意味で、書かれている文章や言葉、字句の奥に潜んでいる深い意味まで読み取ることができることにより、道理を知ることに繋がります。あるいは、他者の言いたいことを正しく理解することができるようになります。
「韋編三絶(いへんさんぜつ)」という四字熟語があります。「韋編」は、中国の古書のひとつで、「三絶」は、書籍の綴りが何度も切れるという意味です。孔子が「易経」を綴じている紐が何度も切れてしまうほど、繰り返し読んだという史記に記述されています故事から来ています。このことから、先人の教えを理解するためには、何度も繰り返し書物を読み、行間を理解できるように、熱心に学ぶという意味で用いられます。
「意味深長(いみしんちょう)」という四字熟語は、表面上の意味だけではなく、深い身が含まれているという意味で、やはり行間を読む大切さを説いています。もともとは詩文などで、内容が深く趣があったり、含蓄が豊かであったりするという処から来ています。
 自分の言葉を相手に正しく受け止めていただくために「月下推敲(げっかすいこう)」という言葉を思い出すようにしています。もともとは「詩を作るときに、字句を工夫し、表現を練り上げる」という意味です。「門を押す(推す)」「月の光の下で思案する」という意味です。自分自身が用いる文章や言葉を、それがもともと持つ意味から考えて、用いるようにします。
 例えば「きく」という言葉も、「どこからともなくきこえてくる」というときには「聞く」、「耳を傾けて相手の言うことをきく」というときには「聴く」という字を充てるようにしています。また、誰かにものを尋ねると言うときには「訊く」という字を充てます。
 近年、プロと言われる人が、ホンモノのプロでないことが多々あります。そのような状況に遭遇したときに「眼高手低(がんこうしゅてい)」という四字熟語を想定して下さい。これは、文章や絵画など、真贋力はあるのですが、一方で、それを他の人に伝える表現力が伴っていないという時に用いられます。このことから、「理想は高いが、実行が伴わない」、すなわち、口だけは達者ですが、自分のことはそっちのけで、人の批判をするだけな人のことをさします。
 史記の中には「曲学阿世(きょくがくあせい)」という四字熟語があり、真理を曲げて世の人に迎合して、人気を得ようとすることやそのようなことをする人を指します。「曲学」は真理を自分の都合の良いように曲げた学問であり、「阿」は「おもねる」という意味です。
 また「狂言綺語(きょうげんきご)」という類似四字熟語があり、「きょうげんきぎょ」とも読みます。道理に合わない言葉や、うわべだけを飾った言葉という意味から、転じて、小説や戯曲などのことを揶揄的に指すこともあります。
 例えば営業管理職が、営業パーソンの報告を狂言綺語として、作文を読まされることが時々あります。それを見抜く眼光紙背に徹する力が管理職には不可欠です。部下の報告を聞いて、何もコメントをしませんでしたり、適切なアドバイスができなかったりでは、管理職として失格です。自分の経験に格物致知で得た道理に基づいてリーダーシップを発揮しなければなりません。その時に、コンセプトを意識すると管理職として、適切な指示や命令、アドバイスができます。
 管理職は、経験的に部下の報告から「何かおかしい」と感ずることがあると思います。その時に「何か」が何を表しているのか、その正体がわからないことがあるでしょう。その時には、私の体験では「この業務の原点・コンセプトは何だったか?」と考えることを習慣にしますと、何らかのヒントが浮かび上がってくるように思えます。問題の核心が何か、企業として、組織としての価値基準をどうとらえれば問題がつかみやすくなるか、それらを前提にしながら本質を追求して行きますと良いようです。
 では、コンセプトはどの様に構築したら良いのでしょうか?
「コンセプト」とは、ものごとの背景にある情報をもとに、論理的に事象の構造を整理し、構造の再組立をしてから、思考を展開しますと、創造的で、新規性ある考え方として「コンセプト」を作り上げることができます。
 ビジネスの世界では、例えば差異化(差別化)戦略を立案したり、企業文化を見直し、変革する時に目標や基本方針などを中長期的に立案したりする時に、コンセプトが重要になります。自社独自のコアコンピタンス(核となるビジネス)が明確になってきたりします。そこには他社と同じような、物まねでは自社らしさが失われ、生き残りは愚か、勝ち残りも困難となります。
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