goo blog サービス終了のお知らせ 

コンサルタントバンク コンサルタント(プロ・挑戦者)+ 士業の異業種交流会

コンサルタントバンクは、コンサルタントや士業の先生方の異業種交流会で、無料で登録できる組織です。関連情報をお届けします。

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記<再掲> 1ー2 アメリカ駐在所長の人選

2025-06-06 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記<再掲> 1ー2 アメリカ駐在所長の人選 

 「経営士ブログ」では、コンサルタント・士業として新たに独立起業しようとしている方々の応援もしています。

 その一貫として、経営コンサルタントとして新たに独立起業した竹根好助の起業体験記を小説化しお届けしています。
 新たに開設されたブログもあり、また、読者からの要望もあり、再編集して、はじめからお届けすることになりました。
 
 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業体験記 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆1 人選2 アメリカ駐在所長の人選

 母親の教えである「鶏口牛後」を実践して、一流商社に合格したにもかかわらず、中堅商社「福田商事」に入社した竹根好助である。1ドル360円の時代、商社マン2年目に入った竹根は、ビジネスパーソンとしては、まだまだよちよち歩きである。
 福田商事内に、「アメリカに駐在所を設立する」という噂が流れた。竹根は他人事のように、あれこれと思いを馳せた。

◆1-6 人事推薦本命を確実にする資料作り
 角菊事業部長は、自分の机に戻ると秘書代わりに使っている相本にさきほど社長から言われたデータ整理の指示をした。角菊は指示を出したとたん、先ほどの社長の不可解な行動についてはもう忘れてしまって、佐藤をどのように推薦するかに思いを巡らせた。
 事務処理の速さで角菊が買っている相本が、いつの間にか自分の目の前に資料を出しながら、「これでよろしいでしょうか?」と言っている声を遠くに聞いて、我に返った。
 書類をろくに見ないで、相本を辞去させ、佐藤がいる当たりに視線を投げかけた。佐藤は、タイプライターに向かってコレポンを打っている。海外営業部の主業務は、顧客に手紙を書くことで、コレスポンデンスを短縮してコレポンという。原稿を手書きしたりしないで、直接手紙を書くために海外営業担当者には、一人一台タイプライターが与えられている。さしずめ、欧米なら秘書がやる仕事であろうが、日本では欧米のように口述筆記の能力を持つ秘書がいないことまあって、この方法を伝統的に採っている。

◆1-7 有益資料へのお褒めの言葉
 福田は、相本が作成した資料を山之下に手渡しながら口を開いた。角菊は、なぜこんなにドキドキするのかと自分がわからなかった。何か、試されているような気もした。
 「よくできた資料だね。さすが、角菊事業部長だけある」
 褒められた角菊は、思っても見なかった言葉が出てきて、何かホッとした。実際には相本の機転でできた資料であるが、過去にもそうしたように、そのことは伏せておいて、自分の手柄にした。
 「ありがとうございます」
 「この資料によると、佐藤君の新規開拓はゼロだね。しかも、過去三年間ゼロ行進が続いている」
 「それは、昨日もお話しましたように、東南アジアに・・・」
 昨日と同じように福田の次の言葉で遮られた。
 「小川君は、佐藤君の一年先輩だったね。彼はどうかね?」
 「彼は、二番手候補です。英語を書くのはよいのですが、ブロークンイングリッシュといってよいような話し方です」
 「うん、そうじゃなくて・・・」

◆1-8 福田社長の突っ込み
 福田が期待した答えが角菊事業部長から返ってこないので、苛つきながら質問の仕方を変えた。
 「小川君は、電子機器の輸出を担当しているが、苦戦しているようで、売上が低迷しているね。なんで、彼を推薦したのかね?」
 「小川君は、わが事業部ただ一人の電子工学科の卒業で、その分野に明るく、これからアメリカ市場にがんがんと輸出するようになるとすれば有望な人材かと考えています」
 「今のうちの商品が、電子工学の分野で我が国より先進的なアメリカに輸出できるのかね」
 「是非、やりたいと考えています」
 「アメリカ市場に向いた商品としてはどんなものがあるのかね」
 「今のところ、紙テープリーダーなんかがどうかと考えています」
 「アメリカ製品と比べて、品質や価格はどうかね」
 「残念ながら品質はまだ不十分です。不十分というか、見劣りします」
 「価格は?競争力あるのかね」
 「いえ、まだ十分な調査ができていません」
 「それなのに、小川君はテープリーダーの輸出を試みているのかね」

◆1-9 竹根が俎上に上がる
 角菊貿易事業部長の対応を見て、社長の福田は、自分の人を見る目のなさを感じ始めた。山之下から先ほどの資料が戻されると、次に進んだ。リスト三番目は竹根である。
 「竹根君はどうかな」
 「竹根を推薦した理由は、かれが最新のマーケティングという学問を学んできていることによるモノです。これからアメリカで市場開拓をしたり、販売促進をしたりするには、その知識が役に立つと思います。しかし、マーケティングという新しい学問をちょこっとかじっただけで、実務に通用するとは思えません」
 「彼は、新規開拓を今年はすでに十二社もやっているのだね。その前も十一社と結構な実績を上げているではないか」
 「でも、あいつは少々生意気で、私の考えになんだかんだとけちをつけるのです。口数も少なく、暗い人間ですので、アメリカではやってゆけないと考えています」
 「売上高も百八十%に近い伸びを示す実績だし、その前も百三十六%だね」
 「ベース売上が小さいので、たまたまフロックで売上に結びついているだけです」

◆1-10 部下を持ち上げることも忘れない
 福田は、角菊の言葉を意に介していない。
 「売上高が伸びている理由は何かね」
 「彼の担当は中南米で、たまたま彼が新規開拓メールを出しているのにヒットしてきて、それが売上に結びついただけです。彼は、仕事は熱心ですが、残業をすることもなく、社員の中で一人浮き上がってしまっています。それに彼は線が細くて、頼りないです。そのような人間がアメリカで成功するわけはありません」
 「では、なんで、推薦したのかね」
 「エー、それは、先ほどもお話したように彼のマーケティング力です」
 「さすが、事業部長だね。私も、彼のマーケティング力は評価したいね。それと・・・」
 角菊は、社長が何を言い出すのか、思わず山之下とうなずきあってしまった。

 「一年半前の入社式のことを君は覚えているかい?」
 「入社式のことですか?いや、全然記憶にありません」
 「彼が新入社員を代表して、謝辞を述べたんだよ。思い出したかね」
 角菊は、思い出そうとするが、社長が何を言いたいのか思い当たらないでいる。
 「例によって、入社式の席で、会長がいつも言うだろう」
 「ああ、『知識と知恵』の話ですね。それがどうかしましたか?」
 角菊には知識と知恵という会長の口癖と入社式の謝辞とが結びつかない。
 「彼は、謝辞を読み上げる中に『知識と知恵』の話を盛り込んだのだよ。事前に彼が会長の口癖のことを聞いているはずもなく、あれは彼の機転でアドリブ的に入れたのだと思う。書かれた謝辞の直前に聞いた会長の言葉を盛り込む、その度胸にも恐れ入った。君は、先ほど彼は線が細いと言っていたが、私の目には、そうは見えない。芯はしっかりしていると思うよ」

◆1-11 福田社長の腹は決まっていた
 さすがに、角菊はそれ以上言えなくなってしまった。どちらかというと阿附(あふ)迎合(げいごう)の気がある角菊が、本件についてこれだけ抵抗したことはかつてなかった。それだけ、この人事については竹根ではだめだという思いが強いのであろう。
 「事業部長の考えもよくわかった。どうだろう、本件は私に一任してくれないか?一任と言っても、専務とも相談の上決めるつもりだ」
 福田の断定的な言い方に角菊は従わざるを得ず、「よろしくお願いします」と二人に頭を垂げてから社長室を下がった。(次回より「2章 思いは叶うか」が始まります)

【阿附迎合 あふ-げいごう】 goo辞典
 相手の機嫌をとり、気に入られようとしてへつらいおもねること。▽「阿附」は人の機嫌をとり、おもねり従うこと。「迎合」は人の言動をなんでも受け入れ合わせること。「附」は「付」とも書く。

  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記<再掲> 1 人選1 1ドル360円時代

2025-05-30 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記<再掲> 1 人選1 1ドル360円時代 

 「経営士ブログ」では、コンサルタント・士業として新たに独立起業しようとしている方々の応援もしています。

 その一貫として、経営コンサルタントとして新たに独立起業した竹根好助の起業体験記を小説化しお届けしています。
 新たに開設されたブログもあり、また、読者からの要望もあり、再編集して、はじめからお届けすることになりました。
 
 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業体験記 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆1 人選1 

 いまや、経営コンサルタントとして、押しも押されぬ大ベテランの竹根好助でる。その竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めた。思わず乗り出してしまうほどで、それを小説風に、自分を第三者の立場に置いた彼の話としてご紹介しよう。

◆1-1 1ドル360円時代
 「竹根のやつ、『ニューヨークに駐在員事務所を開設するためにアメリカへ行ってくれないか?』って言ったら、『ハイ、わかりました。』と言って、二つ返事ですぐに引き受けたよ」
「そうですか、普通なら遠慮するとか、『自分でよろしいのでしょうか?』位のことを言うのが常識だよね」
 上場している商社、福田商事の海外営業部長の角菊と竹根の上司である島村課長の会話である。一ドルが三六〇円の時代で、まだまだ日本製品は「安かろう、悪かろう」と品質は低く、粗悪品の代名詞のように言われていた時代である。高速道路でテスト走行中の日本自動車製のアメリカ輸出向けのホープとして開発された自動車が火を噴いたという真偽不明の噂が最もらしく騒がれ、日本製品の評判は芳しくなかった。

「何でまた、事業部長は、あんな竹根のような若造をこのように重要な任務に推薦したんです?」
「実は、社長からニューヨークの駐在員事務所の件で、誰を派遣するのか決めろという指示が来たんだ。条件付きで・・・」
 角菊は、島村の顔を見てから、言葉を継いだ。
「若手からベテランまで、三人ほどを推薦しろと言うので、仕方なく若手も含めたというわけさ」
「なるほど、それでですか」

 この二人は、大学の先輩と後輩である。事業部長の角菊は六年ほど島村の後輩であるが、冠履倒(かんりとう)易(えき)、先輩を追い抜いてしまった。福田商事の社長も先代の創業者社長の親戚筋からの娘婿で、三十代半ばで社長に就任した。社長が若いこともあり、角菊の抜擢人事に見るごとく、既存概念にあまりとらわれないところがある。
 一方、入社して一年半しかたっていない竹根は、父親が戦死し、母親と二人で育ったこともあり、サラリーマンとしての生き方について竹根に適切なアドバイスをしてくれる人がいなかった。そのこともあり、人生のあり方は、書籍などから仕入れたものが基本である。

 竹根が、本日の業務報告を終わると、竹根の商社マンとしてのサラリーマン時代の話の続きを始めました。日本製品が「安かろう、悪かろう」と悪口を言われる時代に、まだ社歴の浅い竹根がアメリカ駐在員の候補になったことに、ベテラン課長など、その情報を知っている人達では不満の声が上がってきました。

 竹根は、サラリーマンの処世術の一つとして、「上司の命令には素直に従う」と物の本に書いてあった。角菊事業部長から打診をされたときには、その教えに従って、とにかく『ハイ』と返事をしたまでのことである。
 『ハイ』と返事をしたことには、別の理由もある。竹根は、予感というのか、あたかも霊感を持っているかのように何かを感じ取ることがある。もちろん霊感とか言うような、超常的な優れた能力というのではなく、むしろ『予測力』といった方が正確である。周囲の状況を総合的に判断して、そこからひらめきを導き出す力を持っているようである。

◆1-2 鶏口牛後

 竹根は、本日の報告を終わると、竹根の商社マンとしてのサラリーマン時代の話の続きを始めました。まだ社歴の浅い竹根がアメリカ駐在員の候補になっていることに不満の声も出てきていました。
 竹根は、サラリーマンとしての心得のひとつとして上司からの命令には逆らうなというビジネス書の教えをかたくなに守っていました。

 今回の駐在員を派遣するということは、すでに噂として事業部内では周知の事実である。三十代後半の第二課の伊田課長が最有力であるが、竹根と同じ課の長池係長も捨てきれないというのが下馬評である。

 福田商事に竹根が入社したときには、二部上場企業であった。竹根は、母親から『鶏口牛後』『鶏頭となるも牛尾となるなかれ』という教育を受けていたから、「おまえならどこの大学でも、たとえ超一流どころにも入学できる」と、高校の進学指導で合格印を押されたのにもかかわらず、それを避けて、東慶大学に入学した。就職の時も、当時三井菱商事が業界のトップ企業であったにもかかわらず、福田商事に入社した。超一流ドコロでは、上が閊(つか)えて、実力を発揮する場が少ないだろうし、歯車の一つに過ぎないような位置づけを好まない竹根である。

◆1-3 竹根の人事推理

 竹根は、今回の福田商事アメリカ駐在員選定人事をあたかも推理小説を読むかのごとく関心を持っていた。

 竹根も福田商事がアメリカに駐在員事務所を開設するという情報は知っていたし、駐在員として派遣される人は、下馬評が順当だろうと認めていた。下馬評に挙がっている二人とも三十~四十代であり、脂がのっている。
 一方で、竹根は、
 ――もし、自分が社長だったら、どのような人事をするだろうか。天下の三井菱商事ですらアメリカには日本人が十三人しか行っていないことから考えると、大手商社のまねをして、順当な人事方針で駐在員を選択しても駄目である。これからアメリカという新天地に進出しようという時には、むしろフットワークの軽い若手ががむしゃらに動く方が成功策ではないか。下馬評の二人のようなベテランは、日本にいて、ちょっと離れた視点で、アメリカで走り回っている若手をコントロールした方が結果に結びつくのではないか――と考えた。

 ――では、福田商事の場合にはどうであろうか。福田社長のこれまでの社員の使い方から推量するに、今回も斬新な人事起用をするのではないだろうか。もし、この推理が当たっていたとすると、若手を送るだろう。ただし、自分は、島村課長の人の目を見る目のなさに泣かされ、人事評価点は高くないし、まだ入社して一年半しか経っていないこともあり、当然対象外であろう。そうなると、二年先輩の佐藤氏が最右翼だ――

◆1-4 下馬評の外れと竹根の推理

 数日が経ったとき、新しい噂が流れてきた。角菊事業部長が推薦した三人は、いずれも社長が却下したというのである。

 ――こうなると、自分が考えていた若手起用という線が濃くなってきた。社長のことだから、複数の社員候補を再度もってこいと指示を出そう。そうなると、佐藤氏は当然リストに載るが、残るあと二人は誰だろう。三人とは限らないかもしれないな――

 そこまでは推理できたが、あとは誰が候補に挙がるか、見当がつかない竹根である。

 ――まてよ、自分は曲がりなりにも、まだ日本ではあまり一般的でないマーケティングを大学院で学んできているから、ひょっとするとあの福田社長のことだから自分を指名するという可能性がないわけではないな――

 自分の都合の良いように竹根は考えるようになった。すなわち、選ばれるのは竹根である。自分が社長なら、竹根を選ぶだろう。その思いが妄想のように広がってゆく。しかし、さりとて、竹根は仕事が手に付かないなどと言うことはない。複々線思考というのか、今何をするのかが決まると、他のことが雑念にならず、集中して目の前の業務を遂行できる。竹根自身も、自分の集中力の高さと、複々線思考ができることを誇りにさえ思っている。これが後に、経営コンサルタントとして大きな力になることを竹根が知るよしもない。

◆1-5 事業部長の推薦と社長の思惑

 竹根の妄想とは関係なく、一方では駐在員人事は進んでいる。
 角菊の人を見る目に疑問を持ち始めた福田社長は、「角菊事業部長の新規の三案についてはよくわかった。それで、あなたとしては誰を第一候補として今回は推薦するのかね」と、少々きつめの言葉を角菊に投げかけた。
 福田社長は、自分が抜擢したばかりの角菊をなんとしても一人前の事業部長にしようと必死である。
 「前回の三人のリストは、ベテラン順に記載しましたが、今回は推薦順位順に記載しました。前回、最若年として候補に挙げた佐藤君ですが、今回も彼を第一候補として推薦します」

 「佐藤君を推薦する理由は、前回も聞いたが、も一度説明してくれるかね」
 「佐藤君は、わが事業部の若手の中では稼ぎ頭であり、彼の英語力は抜群です。人間も如才なく、お客からの受けは結構よいのです。先日も、タイから来た・・・」
 「確か、彼の担当は東南アジア向けの輸出業務だよね。東南アジア向けは、うちは伝統的に強いし、すでに彼の先輩たちが築いてきた土台の上での彼の実績だよね」
 「彼の実力を見込んで、重要な東南アジアの輸出業務の任に当てています」
 「東南アジア市場全体のわが社の売上高の伸び率はどうかね?」
 「伸び率は把握していませんが、わが社の海外売上高の四十六%を占めています。その中の約半分は彼の売上ですから、わが社の輸出の約四分の一を彼一人で稼いでいることになります」
 「彼は、この一年で、何社くらいの新規顧客を開拓したかね?」
 「東南アジア市場は、代理店網がきちんとできているので、新規開拓は特にしていません」
 「そうか、わかった。ただ、今日は急な用件が入っているのでこの辺で終わりにしよう。次回は、明日の九時四十五分からにしたいが、予定はどうかね。それまでに、今回推薦している三人の年率の売上高伸長率と新規顧客開拓数を調べておいてくれたまえ」
 「スケジュールの件と、データの件は了解しました。明日の午前十時十五分まえですね。では、失礼します」
 ――今日は、結論を出したいので充分時間を取ってあると確か社長は言っていたのに、なんで急に仕事を入れてしまったのだろうか?――
 角菊には、社長の考えが不可解に思えた。

  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記<再掲> プロローグ

2025-05-23 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記<再掲> プロローグ 

【ご挨拶】

 「経営士ブログ」では、コンサルタント・士業として新たに独立起業しようとしている方々の応援もしています。
 その一貫として、経営コンサルタントとして新たに独立起業した竹根好助の起業体験記を小説化しお届けしています。
 新たに開設されたブログもあり、また、読者からの要望もあり、再編集して、はじめからお届けすることになりました。
 その第一弾を、ここにお届けします。
 
 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業体験記 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆プロローグ
「お母さん、お父さんは書斎にいるの?」
「そのはずよ。どうして?」
「久しぶりに濃茶でも入れてやろうかと思ってさ」
「それは喜ぶんじゃないかしら。もう、一ヶ月以上は茶会にも行っていないからね」
 経営コンサルタントを四十年近くもやってきた竹根は、最近は経営コンサルタント協会の理事長の仕事以外は、特段に仕事をするわけでもなく、書斎に閉じこもって原稿を書くことに余念がない。七十年近い人生の総まとめをしているようである。ビジネス書は何十冊も出版してきたが、最近は、ビジネス書の良い面である箇条書きを入れたり、図版を取り入れた小説を書いて、気軽に経営とは何かを伝えたいと考えている。
 小説を書く契機となったのは、竹根の腹心の部下の一人が、「コンサルティングというのは、推理小説のように、企業がどのように変化していくのか、変化の先を推理するのが楽しみです」という一言であった。
 閑雲野鶴(かんうんやかく)、空に浮かぶ雲、野に遊ぶ鶴のように、何者にも拘束されず、自然を相手に悠々と生活を楽しむことをこの年になっても夢見ているが、それができない竹根でもある。
 若い頃から、お茶が好きで、経営コンサルタント業が忙しくなった三十代後半からは息抜きのために洗心会という会で、毎月茶会を開いている。お茶の会というと茶道の流儀に基づき、作法がうるさいが、竹根が会長を務める洗心会というのはお茶を介した交流会のようなものである。竹根は、下戸であるので、宴会やパーティなどの形式ではなく、経営者や企業幹部を集めるための口実として茶会を催している。
 最近は、若い人もメンバーに加わり、大企業から零細企業までの経営者や管理職たちとの交流が盛んになってきた。
「ツッくん、おじいちゃんにお茶が入りましたって言ってきてちょうだい」
 ツッくんこと、田澤翼は、竹根の娘である由紗里の長男である。まだ、小学校に上がったばかりであるが、父親の田澤充雄に似たのか、慎重だが闊達な子供である。父親の充雄は、日本国際航空のパイロットをしているので、飛行機をイメージして翼と名付けられた。
 由紗里は、自分の父親を男性の理想像のように思って今日まで育ってきたこともあり、翼には自分の父親の話を良くするようである。そのために、小さい頃から翼は竹根のことを「ジージ」と言っては、あとを追ってまつわりついたりして育った。翼の父親は、仕事で数日から、長いときには十日くらい家を空けることがある。そのために、竹根のうちに母親に連れられて来ることが多かったこともある。
 翼に手を引かれて、仕事を無理矢理中断させられて竹根がリビングにやってきた。指定席の籐いすのアームチェアは、還暦の祝いに妻のかほりと由紗里が買ってやったものである。以前より、リクライニング付きのアームチェアをほしがっていたので、これが届いてからは座って読書をすることが多い。竹根の手油で、アーム部分を中心にぴかぴかしている。翼が、竹根にお世辞を言って何かをせがむときに、アームチェアの手入れをすることも貫禄をつけるのに一役をかっている。
 アームチェアの背を垂直に近く立てて、座面の高さを調節すると、由紗里が点てたお茶に手を伸ばす。いつも手順が決まっている。両手のひらに茶碗を抱くようにして、茶碗を観る。もう、何千回と見ているだろうに、何も言わずに繰り返す。一すすりすると目を閉じて、茶を味わうようである。
 たとえ、由紗里の茶の入れ方がうまくいかないときでも、決して文句を言わない。時々、「うまいな!」と言うことがあるが、多分その時には茶が上手に入った時であろう。目を開けると、茶を飲むのではなく、茶碗に見入るのである。
「おじいちゃんはまた茶碗を観ているね」と母親に声をかける。これも、竹根が茶を飲むときの定例になっている。
「そのうちに、茶碗に穴が開いてしまうよ」と妻のかほりが言うと、翼は不思議そうな顔をして「何で茶碗を観ていると穴が開いてしまうの?」と疑問に持つ。小さい頃から、竹根に「なんでー」と聞きながら知識や知恵をつけてきた翼である。
 五歳の子供にわかるわけではないのに、その言葉の意味をかほりが説明するが、翼は一向に納得しない。そのうちに、竹根に質問を向ける。
「おじいちゃん、じっと茶碗を観ていると穴が開くなんて、そんなことないよね」
 その言い方も二、三歳の頃と変わらない。竹根は、ただ笑って翼の頭を撫でるだけである。翼は、竹根にそうされると自分の主張が認められたと思って、黙ってしまう。
「お父さんは、なんで経営コンサルタントになったの?」
 かねてから、父親に聞いてみたいと思っていた由紗里の疑問である。
 お茶を飲むときには、口数の少ない竹根だが、由紗里に向かって、45年ほど前の昔を振り返りながら思い出をポツリポツリと語り始めた。

  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章5 腹をくくる

2025-05-16 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章5 腹をくくる  

【ご挨拶】
 当ブログの前身であるブログで連載していました【小説風】の、コンサルタント起業体験記を毎週金曜日にお届けしています。
 
 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆9章 半歩から一歩の踏み出しへ
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころの立場にいる竹根です。
 周囲の人は、アメリカで揉まれてきた竹根が、どのように仕事をするのか、興味津々の中で、竹根がいろいろと見せ場を作りながら、前8章での「半歩の踏み出し」から、一歩への踏み出しで、勤務を続けています。
 
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆9-5 腹をくくる
 竹根にコンサルティング・ファームからのヘッドハンティングの話が出て、二度目の会談の終盤である。ざっくばらんに竹之下経営の実状を話してくれた小田川副社長に好感した竹根である。
「先生のおかげで、経営コンサルタントという仕事のことがよくわかりました。華やかそうに見えても、一方で経営コンサルタント会社といえどもいろいろと抱える問題があるということもよくわかりました。何よりも、先生がストレートに、歯に衣を着せずに話してくださったことは大変うれしく思いました。お世話になるようでしたら、できるだけ早期にご連絡いたします」
「長時間、おつきあいをありがとうございました。私も忌憚のないことを言わせていただいたのは、竹根さんが信頼できるお人だと思ったからです。勝手なことを申し上げますが、できれが当月中にお返事をいただけると助かります」
 小田川は竹根にやんわりと守秘義務を確認させ、返事も期日を切るなどして確実にさせるように仕向けていることを感じ取った。
――ポイントを押さえるところは押さえて、やはり、経営コンサルタントは違うな――
 小田川との話で、竹根はいろいろなことを学べた。人に耳を貸すことの大切さを無言のうちに教えられた気がする。

 その晩は、小田川との会話報告に始まり、かほりとまたいろいろと話し合った。
 竹根には、表面上は穏やかな日々が続いたが、頭の中は、毎日の仕事のことと商社・メーカー問題とが同居していた。商社・メーカー問題というより、今や竹之下経営でやるか独立起業して経営コンサルタントをやるか、次第に二つに一つと絞られてきた。
 自分の強みと弱みを分析し直した。その中で、竹根がかねてから気になっていることがある。それは、経営コンサルタントというのは具体的には何をするのだろう、という初歩的な問題である。経営コンサルタントになろうという人間が、今更ながらこの問題に悩み始めた。
――小田川先生には申し訳ないが、竹之下経営で、コンサルティングのやり方を盗ませてもらおう――
 そう、腹が決まると、まずかほりに話した。
 かほりは、「わかりました」の一言を言うと、黙って竹根の言うことに耳を傾け、時々相槌を打つだけだった。竹根には、かほりの気持ちがわかるので、話題を由紗里の教育のことにそらした。
 竹根がもっとも心配していることは、竹之下経営に入れば時間が不規則になることである。そこで一番影響を受けるのはかほりであり、娘の由紗里も被害を受けるだろうと気になる。

  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章4 コンサルティング・ファームからの再びのオファー

2025-05-09 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章4 コンサルティング・ファームからの再びのオファー  

【ご挨拶】
 当ブログの前身であるブログで連載していました【小説風】の、コンサルタント起業体験記を毎週金曜日にお届けしています。
 
 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆9章 半歩から一歩の踏み出しへ
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころの立場にいる竹根です。
 周囲の人は、アメリカで揉まれてきた竹根が、どのように仕事をするのか、興味津々の中で、竹根がいろいろと見せ場を作りながら、前8章での「半歩の踏み出し」から、一歩への踏み出しで、勤務を続けています。
 
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆9-4 コンサルティング・ファームからの再びのオファー
 福田商事をやめて経営コンサルタントになろうと決心した竹根である。
 竹根には、もう一つ大きな決断が待っていた。経営コンサルタントになるといっても、経営コンサルタント会社の坂之下経営の世話になるのか、独立起業して、自分で経営コンサルタントをやるのか、それが問題である。
 そんなある日、コンサルティング・ファームの坂之下経営の小田川から電話があって、また会いたいと言ってきた。小田川からはヘッドハンティングの話が出ていたので、前回と同じところで会うことになった。
「実は、福田商事の新聞情報を見ましてね、竹根さんのご意見をお伺いしたいと思いまして・・・」
「先生、私のような下っ端は、上の言うとおりに動くだけです。そのようなことは、先生がよくご存知ですよね」
「竹根さんのように、エリートコースに乗っている人が、ご意見をお持ちでないとは考えられないですからね」
 竹根の方をちらりと見てから、おもむろに本論に入ってきた。
「単刀直入に言いましょう。今回の福田商事と扶桑通信工業との提携は、非常な危険をはらんでいることは、竹根さんにも容易にわかるはずです。竹根さんのお人柄から、大切な一生を福田商事の賭に何も手を打たないとは考えていません。現に北野原さんにしばしば会っていると言うではありません」
「北野原社長は、仕事の関係で会っているだけです。もちろん、北野原社長の問題も知っており、そのことでは意見交換をすることもあります」
 竹根は、北野原がどこまでケント光学の状況を話しているかがわからないので、うっかり後継者問題という言葉を出さずに「問題」という表現にとどめた。問題を抱えていない会社はないので、決して嘘をついたわけではない。
 このような判断力と表現力は、後に経営コンサルタントとしての守秘義務などとあわせて竹根の活動にそれからも活きてくる。
 小田川は、前回よりもさらに具体的に竹根に話をしてきた。竹之下経営の現状を、そこまで話しても良いのかと思われることまでも含まれていた。例えば、社員研修等の売上は伸びているが、売上が安定する顧問先を持ったコンサルティング売上が伸び悩んでいるという。竹根は、経営コンサルタントというのは顧問先を支援することが中心と考えていたのが、その比率が低いということに驚きを覚えた。
 その理由の一つが、中小企業診断士の試験にあるように、経営に関する知識は充分に持っているものの、経営の実務指導ができないという。頭でっかちになっていて、経営を理屈で考えてしまうので、経営者とのズレが出てくる。小田川は、経営というのは人間が絡むので、理屈だけではやれないと考えている。
 経営者と話ができないコンサルタントもいるという。経営者から、何を聞き出して良いのか、経営者の質問になんと答えたらよいのか、相手の会社を訪問して何をしたらよいのか、挙げればきりがないといくつか事例を紹介してくれた。
 竹根は、小田川がそこまで腹を割ってくれたことを好感した。一方で、北野原の気持ちを考えると、その場で返事をすることが躊躇(ためら)われた。

  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章4 コンサルティング・ファームからの再びのオファー

2025-05-06 07:07:06 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章4 コンサルティング・ファームからの再びのオファー  

【ご挨拶】
 当ブログの前身であるブログで連載していました【小説風】の、コンサルタント起業体験記を毎週金曜日にお届けしています。
 
 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆9章 半歩から一歩の踏み出しへ
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころの立場にいる竹根です。
 周囲の人は、アメリカで揉まれてきた竹根が、どのように仕事をするのか、興味津々の中で、竹根がいろいろと見せ場を作りながら、前8章での「半歩の踏み出し」から、一歩への踏み出しで、勤務を続けています。
 
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆9-4 コンサルティング・ファームからの再びのオファー
 福田商事をやめて経営コンサルタントになろうと決心した竹根である。
 竹根には、もう一つ大きな決断が待っていた。経営コンサルタントになるといっても、経営コンサルタント会社の坂之下経営の世話になるのか、独立起業して、自分で経営コンサルタントをやるのか、それが問題である。
 そんなある日、コンサルティング・ファームの坂之下経営の小田川から電話があって、また会いたいと言ってきた。小田川からはヘッドハンティングの話が出ていたので、前回と同じところで会うことになった。
「実は、福田商事の新聞情報を見ましてね、竹根さんのご意見をお伺いしたいと思いまして・・・」
「先生、私のような下っ端は、上の言うとおりに動くだけです。そのようなことは、先生がよくご存知ですよね」
「竹根さんのように、エリートコースに乗っている人が、ご意見をお持ちでないとは考えられないですからね」
 竹根の方をちらりと見てから、おもむろに本論に入ってきた。
「単刀直入に言いましょう。今回の福田商事と扶桑通信工業との提携は、非常な危険をはらんでいることは、竹根さんにも容易にわかるはずです。竹根さんのお人柄から、大切な一生を福田商事の賭に何も手を打たないとは考えていません。現に北野原さんにしばしば会っていると言うではありません」
「北野原社長は、仕事の関係で会っているだけです。もちろん、北野原社長の問題も知っており、そのことでは意見交換をすることもあります」
 竹根は、北野原がどこまでケント光学の状況を話しているかがわからないので、うっかり後継者問題という言葉を出さずに「問題」という表現にとどめた。問題を抱えていない会社はないので、決して嘘をついたわけではない。
 このような判断力と表現力は、後に経営コンサルタントとしての守秘義務などとあわせて竹根の活動にそれからも活きてくる。
 小田川は、前回よりもさらに具体的に竹根に話をしてきた。竹之下経営の現状を、そこまで話しても良いのかと思われることまでも含まれていた。例えば、社員研修等の売上は伸びているが、売上が安定する顧問先を持ったコンサルティング売上が伸び悩んでいるという。竹根は、経営コンサルタントというのは顧問先を支援することが中心と考えていたのが、その比率が低いということに驚きを覚えた。
 その理由の一つが、中小企業診断士の試験にあるように、経営に関する知識は充分に持っているものの、経営の実務指導ができないという。頭でっかちになっていて、経営を理屈で考えてしまうので、経営者とのズレが出てくる。小田川は、経営というのは人間が絡むので、理屈だけではやれないと考えている。
 経営者と話ができないコンサルタントもいるという。経営者から、何を聞き出して良いのか、経営者の質問になんと答えたらよいのか、相手の会社を訪問して何をしたらよいのか、挙げればきりがないといくつか事例を紹介してくれた。
 竹根は、小田川がそこまで腹を割ってくれたことを好感した。一方で、北野原の気持ちを考えると、その場で返事をすることが躊躇(ためら)われた。

  <続く>
 
■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章 2 北野原からの新たな提案と竹根の逆提案

2025-04-25 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業9章 2 北野原からの新たな提案と竹根の逆提案 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆9章 半歩から一歩の踏み出しへ
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころの立場にいる竹根です。
 周囲の人は、アメリカで揉まれてきた竹根が、どのように仕事をするのか、興味津々の中で、竹根がいろいろと見せ場を作りながら、前8章での「半歩の踏み出し」から、一歩への踏み出しで、勤務を続けています。

  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆9-2 北野原からの新たな提案と竹根の逆提案
 竹根が懇意にしている顕微鏡メーカーのケント光学の北野原社長と、酒の場での会話が続いている。


「経営コンサルタントの資格を取ったと言うことは、いよいよ竹根さんも経営コンサルタントとして独立するということでしょ?」
「そんなことはまだ決めていませんが・・・」
「坂之下経営に行くのなら、そんなことはやめて、独立起業し、うちに顧問先の第一号の栄誉を授けてください」
「ちょっと、待ってください、社長。社長のお言葉は本当にありがたいです。でも、本当に私は独立するために経営コンサルタントの資格を取ったわけではありません。もちろん、将来、経営コンサルタントになることがあるかもしれませんが、今は、福田商事の中で、経営コンサルタント的な見方でいろいろな提言ができればよいと考えています」
「どこまで、竹根さんは人がいいの・・・福田商事のやり方はいただけないことは、一番よく知っているではないですか」
「私は、福田商事が好きですし、私のような若造をアメリカに送って、よい経験をさせてくれた角菊事業部長や福田社長に対して、本当にありがたいと思っています。感謝をしています」
 竹根がニューヨークで活躍し、福田商事の収益に大いに貢献したことを北野原は良く知っている。
「それは、確かにあるだろう。でも、竹根さんをアメリカに送って一番得をしたのは角菊さんではないか?あの人の手柄でもないのに、まわりはあの人の力だと思っているんだから、頭に来ちゃうよ。ぜ~ぶ、竹根さんの功績じゃないか」
「社長がそう言ってくださると涙が出るほどうれしいです。でも、お世話になっている福田商事に後ろ足でドロをかけるように、独立をして、しかも子会社であるケント光学が顧問先の第一号なんて、あまりにも品性に欠けた行為としか私には思えません」
 北野原は、苦虫を噛みしめたような顔をしてから、杯を空けた。竹根がお酌をしようとすると「大先生に、お酌なんかしてもらえません」と少々気分を害して、自分でしゃくをして、また杯を干した。
「社長、ご機嫌を直して、ちょっと私の話も聞いてもらえませんか」
 エッ、という風で、北野原は一瞬フリーズした。
「ケント光学は、いま、株主構成はどうなっているのです?」
「藪から棒にまた・・・福田商事が八十%、残りが俺だ」
「どうでしょう、五十一%まで、社長の持ち株比率を上げられませんか」
「経営権を握れというのかね?」
「そうです。そうすれば、福田商事の言いなりにならなくても済みます」
「それはそうだが、そうすんなりは行くまい。それにたとえ五十一%を持ったからといって、すべてこちらの思うように会社を動かすことはできないだろう」
「確かに法律的には、経営権があるのだから、ケント光学の方が強いけれど、現実には、いろいろなしがらみもあり、そうはできないでしょう」
 口とは裏腹に、北野原は、竹根の提案をまんざらとは思っていないようだ。
「福田社長は、電算機をこれからの重要商品と考えているのは、経営方針からも解ります。でも、それには莫大な資金がないと、大手六社の電算機メーカーと互していけないでしょう。ということは、そのための資金が必要です。資金をさらにつぎ込むか、電算機事業から撤退をするか、二者択一的な選択を迫られてきていると考えてます」
「なるほど、難しい戦略問題で、俺にはよくわからないが、竹根さんの推測が当たっているかもしれないな。そうすると、ケント光学の株式を手放す可能性はあるわけだ」
 北野原は、考え込んでしまった。
  <続く>

■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 5 コンサルタント資格に挑戦

2025-03-28 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 5 コンサルタント資格に挑戦 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆8-5 コンサルタント資格に挑戦
 竹根は、高校の時に母親がポツンと言ったことを思い出した。
「最近は、計理士より上の資格があるんだってね」
 竹根は、そろばんは商工会議所の一級を持っている。母親は、それがあるので、将来を考える時には、その資格を取ることも視野に入れろと暗に示唆したのだろうと考え、担任の先生に、その資格のことを尋ねてみた。
 担任は、それがどのような資格かは解らなかったが、隣席に座っている隣のクラスの担任が教えてくれた。その先生は、大学への進路指導を担当しているだけあって、結構ビジネス関連の資格についても詳しかった。
「君が言っているのは、多分公認会計士の事ではないのかい」
 その一言で、母の中途半端な知識が、竹根を目覚めさせたのである。
 昭和二四年に、昭和二年に制定された計理士法に代わって、公認会計士法が制定され、その法律に準拠する資格が公認会計士であると教えてくれた。公認会計士制度を導入するためにアメリカに派遣された黒沢清先生や、その先輩である太田哲三先生などが中心になって視察をした結果、日本にも公認会計士制度が導入されたという。
 この制度が導入される時に、計理士から公認会計士への移行団体として、日本計理協会が設立され、公認会計士協会はそこから分離独立したような形となった。黒沢先生たちがアメリカ視察をした際に、アメリカの経営コンサルタントという職業についても関心を持ち、戦後日本の廃墟からの復興には、この制度も欠かせないことが切に訴えられた。その結果、太田哲三先生は、日本公認会計士協会の会長をする傍(かたわ)ら、日本にも経営コンサルタントの国家資格制度の制定に奔走された。それが、昭和二六年八月のことである。太田哲三先生を中心に、日本経営士協会の設立準備が開始され、正式には昭和二八年九月十日に日本で最初の経営コンサルタントの団体と資格ができあがったというのである。
 竹根は、経営コンサルタントの資格というのは、それから十年後にできた中小企業診断士だけかと思っていたのが、それより十年も先行して、中小企業診断士より歴史の長い経営コンサルタント資格があることを知ったのはそのときである。しかも、その経営コンサルタント協会の先生方は、中小企業診断士(当初は中小企業診断員といった)育成に多大な貢献をしたそうである。
 そのような経緯を知っていたので、経営コンサルタント資格を取得するということについては、竹根は躊躇することなくその協会の資格を選ぶことにした。その資格を選んだ理由が他にもある。
 中小企業診断士は、中小企業振興法に基づいて、中小企業の育成をするための業務を遂行するために、その法律に基づく書類を企業に代行して作成することができる資格であるという。
 それに対して、経営コンサルタント協会の資格は「現に事業を営んでいる者、将来事業を営もうとする者及び事業に関心を有する者に対して、経営に係る相談・診断・指導・調査・企画・能力開発訓練並びに経営管理等に関する事業を行い、活力ある経済産業社会の育成に寄与することを目的とする」(同協会Webサイトより)と範囲が広い。
 早速、資格取得に関する資料を取り寄せたところ、六月に第一次審査があることを知り、早速申込をした。それと同時に、資格取得のにわか勉強を始めることにした。中小企業診断士の場合には、結構細かい部分まで、範囲の広い基礎知識を試験で試されるために、暗記力がモノを言う。それに対して、こちらの資格の場合には、経営に関する実務的な知識をもとにした、表現力に評価のウェイトが置かれている。そのために、丸暗記では、二次試験は通らない。
  <続く>

■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 4 糟糠之妻

2025-03-21 08:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 4 糟糠之妻 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
 一方で、竹根の仕事ぶりは、常人とはかけ離れた発想での仕事ぶりでした。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆8-4 糟糠之妻
 このような、地味な取り組みが、すべて成功するわけではなく、見込み違いの方が多いが、次第に海外営業部の売上増加という結果となって出てくるようになった。また、それが営業担当の成果に繋がるため、竹根の縁の下の力持ちに対する営業担当の評価は高まる。
「竹根先輩、ありがとうございます。おかげで、今期は受注も売上も目標を達成することになりました」
 そう言われることに竹根は快感を覚えるようになった。
 そんなときに、ヘッドハンティングの声をかけてくれた竹之下経営の副社長である小田川の「経営コンサルタントとは、クライアントに『ありがとう』と言われることを楽しみにできる仕事です」という言葉が頭をもたげてきた。
 その言葉が、竹根の頭の中を駆け巡ってくると、「商社の限界」という言葉が連想的にそれに加わってきた。

 帰宅すると相変わらず、かほりと由紗里の笑顔が迎えてくれる。昼間、「ありがとう」「商社の限界」という言葉の渦に巻き込まれそうになって、それに耐えようとする疲れが、一挙に吹き飛んだ。
 しかし、潜在的な疲れは解消できていないのか、夜中にうなされて、かほりに起こされる日々が続いた。
 ある晩のことである。
「あなた、何か悩んでいるのではないですか?私でよかったら、話してみません」
 竹根は逡巡することなく、人生のベターハーフであるかほりに自分の悩みを話し始めた。
 かほりは、また相槌を打ちながら、竹根の言葉を次々と引き出す。竹根は、催眠術にかかったかのように、しゃべり続ける。
「あなたは、福田商事で、やるべきことはやってきたのでしょ」
「すべて、完璧にやったわけではないが、たとえ完璧にやっても、商社は商社、やはりメーカーとは相容れないというか、基本的に体質が異なるので、私が福田商事でできることには限界がある」
「そこまで解ったのであれば、次にあなたがすべきことは、もう考えているのでしょ」
 完全に竹根の気持ちをかほりは見抜いているのである。
「できるかどうかは解らないが、経営コンサルタントの資格に挑戦してみようと思うんだ。それがだめなら、また足元固めからやってみようかと思う」
「私は、努力家のあなたなら、あなたがやりたいことは実現できると信じています。すでに経営コンサルタントをやっている人がいるのですから、他の人にできることを、あなたにできないことはないわ」
「それは、あまりにも俺を買いかぶりすぎているよ。手前味噌というか、身内贔屓というか、俺の実力はそれほど高くはないよ」
「イイエ、私が太鼓判を押します。私が愛した人です。私が信じてついてきた人です」
 竹根はうれしいけど、大きなプレッシャーをかけられたような気がする。でも、背中を押されたことで、――まず半歩進んでみよう。とりあえず、資格取得に挑戦することで、それからまた考えよう。当面は、福田商事海外営業部企画課の仕事と、経営コンサルタント資格取得の二兎を追ってみよう。――
  <続く>

■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 2 東京での実務に着手

2025-03-07 12:21:00 | 【連載小説】竹根好助のコンサルタント起業

  ■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業8章 2 東京での実務に着手 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。慣れないニューヨークを中心としたアメリカでのビジネスですが、時として折れそうになってしまいます。そのようなときに、若い竹根の支えとなってくれたのが、本社で竹根をフォローしてくれるかほりでした。彼女の父親は地元の名士ということから、竹根などに娘をやるわけにはいかないと厳しかったのです。かほりと竹根の努力で、結局、父親は折れざるをえず、晴れて結婚が認められました。
 たった一人でニューヨークで苦闘してきた、若者、竹根好助(たけねよしすけ)も5年の任期を終え、東京に戻り、本社勤務に戻りました。5年という歳月で自分の置かれている立場が急激に変化してきたことを実感している竹根です。その最大の変化が、まさか自分の身に降りかかると思ってもみなかったヘッドハンティングです。

◆8章 半歩の踏み込み
 ニューヨークでの5年の任期を終え、東京に戻り、商社マンとして中堅どころに足を踏み入れた竹根です。東京本社勤務が始まったばかりというのに、ヘッドハンティングという、想定だにしなかった話が舞い込みました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆8-2 東京での実務に着手
 5年ぶりに東京に戻った竹根である。
 竹根は、海外営業部企画課の仕事にとりかかった。課長代理と言っても部下がいるわけではなく、自分ですべてのことをやらなければならない。
 まずは、自分の顕微鏡ビジネスの体験をヨーロッパに活かせないかと取り組み始めた。ヨーロッパの顕微鏡を扱っている、教材関連業者、理化学機器関連業者、医療機器関連業者などの、売り込み先リスト作りに取りかかった。JETROは、それらの情報の宝庫である。国立図書館にも行ってみた。東京タワー近くの機会振興会館も海外誌を含む最新の雑誌をそろえている。日比谷図書館を始め、各地の図書館もいろいろな情報が集まるので莫迦にできない。意外と資料が揃っていないのが、顕微鏡工業会とか理化学機器関連の協会などである。
 アメリカで広大な土地を飛び回り、走り回っていたので外回りは、苦にならなくなっていた竹根である。あちこちで資料を集め、整理しているうちに、情報収集のコツをつかめた。それが後に経営コンサルタントになってから、竹根の武器になることをそのときは知らない。
 それらの資料のコピー代は莫迦にならないが、領収書をもらえないことが多く、結局自腹を切ることになる。
 その資料の山を自宅で整理を始めた。いつかの晩のように、かほりがそばに来て「何から手伝ったらいいのかしら?」と手伝う姿勢である。一日の家事を終わって、ホッとするひとときだろうに、竹根の仕事を無視できないようである。人が何かをやっていると、自分だけのほほんと過ごしていられない性格でもある。
 竹根は、それが何の資料なのかを説明した。
「国別、業種別、規模別などの項目を基本にして、一つのリストにしてはどうかしら」
 さすが、由紗里が生まれるまで竹根の秘書をニューヨークでやってきただけあり、竹根が何を求めているのか、理解が早い。横罫の入った用紙に先ほどの項目を記入して、一覧表を作り始めた。それにデータを転記してゆく。二人で、黙々と続く作業は毎夜のように行われた。
 竹根は、できたリストから活動をはじめた。相手が、興味を持つかどうか、流通チャネルをどの段階にしているのか、知りたいことが全然解っていない。できたリストをもとにアンケートを採ってみようと考えたが、その送付先のリストはかほりの夜なべ仕事に使われている。
  <続く>

■ バックナンバー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする