物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

mistaken objectivity

2012-05-15 14:34:01 | 学問

mistaken objectivity(誤れる客観主義)という概念について、鶴見俊輔さんが書いている。

USAという国は、いまの日本にとって政治上の宗主国でしょう。USAの歴史をたどってみて、こういう別の可能性があったとか、いろんなことを考えるのが社会科学者の役割だと思っている。しかし、そういう問題の立て方は、ふつうの哲学から離れちゃってるんですよ。

これがアカデミズムの性癖なんです。では、まったく違う問題の出し方をした人がいなかったというと、少数ながらいた。たとえば、私が交換船で帰ってきてから羽仁五郎を一所懸命読んでいて、「あっ、ここに人がいる」と思った。戦時中にもかかわらず、権力を恐れずちゃんと書いている。こういう人に会いたいと思って、つてを頼って消息を聞いたら、そのときにはすでにすでに牢屋に入っていた。それで、戦後になって、羽仁五郎と対談する機会があったときに、羽仁さんに、「八月十五日に友達がぼくの入れられていた牢屋の扉をあけて、ぼくを出してくれるんだ、と思って、一日まっていたよ。(略) 君でさえ、かけつけてきて鍵をはずしてくれなかったのだからな」といわれた。「おっ」と思った。彼はそういう形で私の責任を追及してきたんです(引用終わり)。「いいのこしておくこと」(作品社)より

もう一つは武谷三男についてのエピソードだが、引用がながくなるので、割愛する。

この「mistaken objectivity(誤れる客観主義)」とは何なのか、もっと詳しく知りたい。


ルーチンワーク

2012-05-15 13:06:31 | 日記・エッセイ・コラム

最近はブログを書くことが単なるルーチンワークになっていて、多分読者の方にも以前ほどおもしろくはないだろうと思っている。しかし、自分ではいまのところどうすることもできない。一番おもしろくないのは自分自身なのだから。

なんとか毎日ブログを書いてはいるが、どうもおざなりに過ぎるであろう。これは主観的な話であるから、外からみたら、どう感じられているかはわからない。どうしてこういう事態に陥ったのかは自分でも分からない。

自分のあり方が変ったわけではないし、いろいろな探求も自分なりに続けている。「四元数と回転」の関係も最終的な自分の疑問の解決にはまだ到っていないが、大分いろいろな本を読んで、かつ、その計算ノートを少しづつではあるが、つくっている。ただ、そのノートは十分に整理がされてはいない。

どうも新しい進境が得られたという気がしない。うつうつとして気分が晴れない。まるで今日の天気のような曇り空である。体は肩の痛みが少しづつ減ってきてはいるが、まだなくなったわけではない。

それに「四元数と回転」の課題が解決したとしても、どうも本当はそこから、まだ「四元数から線形代数へ」という課題が新たに出てきており、そこはまだまったく取り掛かれてはいない。

もっともその課題はいま取り組んでいる課題の後に来るもう一つの課題であり、なんでもすべて一時に解決できるものではない。