認知症は本人にはどうってことはない病気だが、まわりの人には場合によってはパニックを与えたりする。亡くなった私の叔母がやはり死の直前には認知症にかかっていたので、私にもそんなに遠い病気ではない。
叔母は私の母の妹だったが、人生の大半を住んでいたところから遠く離れたところに晩年に移り住んだ。そのために認知症が進んだのかもしれないが、子どもが一人しかいなくてそれも遠くに住んでいたので、子どもと同居するしかなかった。
認知症の人はその現在の時点のことは分かるが、すぐ以前のことを忘れてしまう。小川洋子さんの小説「博士の愛した数式」の博士のように30分だけ記憶があるのなら、まだましで数分前のことを忘れてしまう。
これは私自身がそうで、毎朝食後に血圧を下げるための薬を飲むことにしているのだが、よく注意していないと薬を飲んだのか飲まなかったのか分からなくなる。
これには妻は薬に飲む日を記入するとかして、その記憶の衰えから来る、弊害を防ぐような方法もある。しかし、私はそういうことはしていない。
さらに妻は手帳に毎日の予定を書き込んで行くという方法をとっている。彼女は日に午前、午後、夜と3つくらい予定があることは稀ではないので、当然であろう。
が、私は大学在職中に就職担当となった年度に会社の求人担当者との会う予定を記録するのに手帳をつかったくらいでそれ以外では使ったことがない。これは手帳を使うほどいろいろな予定が入らないというのが一番の理由であるが、要するに手帳を使いこなせないのである。
だから、ときどき日に2つ以上予定があったりすると、その内の一つを忘れたりして不義理をすることになる。しかし、そういうことは幸いなことに限られている。
このブログのテーマとして書こうと思っていたことをパソコンの前に座るとまったく思い出さないという現象もしばしば起こる。これも認知症の初期段階なのであろうか。