物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

久野収

2012-05-29 14:16:22 | 日記・エッセイ・コラム

以前に購入して、読んだことがあったはずの久野さんの伝記を読んだ。

「人間 久野収」である。以前に買ったときにはなんだかおもしろくなかったという気がしている。それが今度はなんとかすべて読むことができた。

まったくの積読であったのが、はじめから最後まで曲りなりに読んだ。佐高信さんの書いた久野さんの伝記も読んだと思うが、覚えていない。今回読んだのは村上義雄さんの著書である。

久野さんは武谷三男の僚友であり、武谷が自分単独の名前で出した論説にも久野収と議論したと終わりに書いてあるものも少なくない。

私はこのころすぐに物忘れするので、久野「おさむ」とか「しゅう」とか名前を音では思い出したが、その「しゅう」の字を思い出せなかったが、「おさむ」と入力したら、「収」と出てきたので「ああそうだった」とようやく思い出した。

村上さんが書いていないことで一つ思ったことは、「科学者京都会議」のことである。

これは湯川、朝永、坂田の三博士が世界のパグウォシュ会議に対応した国内の原水爆戦争を防止するための会議である。そこに久野さんは招待されたメンバーとして議論に加わっていた。

久野さんのことははじめ「ひさの」と読むのかと思っていたら、「くの」と読むのだと知ったのも大学院の学生のころで、そのころ(1960年代前半)には私の物理の先生方のある人たちは、京都科学者会議の事務局員として働かれていたと思う。

久野さんはそのころすでに私たちの先生方からも尊敬をされていた、哲学者だったと思う。

しかし、武谷はこの会議には加わっていない。武谷が書いたものの中にはそれについて触れたものはないと思う。

坂田昌一は武谷にととても近い物理学者だし、また久野も武谷にとても近い哲学者だから、武谷がそこに入る必要はないとも思えるが、しかし武谷にまったく声をかけなかったのだろうか。

武谷はそういう会議は生ぬるいと思っていたのかもしれないが、その辺の事情などのこぼれ話はないのだろうか。役割分担という考えは彼らの頭にはあったと思うが。

亡くなった物理学者の牧さんの見解では、武谷と坂田とで役割分担をしていたという。世間的にはだから武谷が憎まれ役をしていた。これはそれぞれの役割をしっかり認識しているということであろうが、結構複雑なものである。


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