物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

問題意識と疑問

2012-05-18 12:46:07 | 学問

いま、このブログの内容にあたることをさっき入力をしたのだが、何かの理由で消えてしまった。さっき書いたブログではあるが、完全に再生はできない。思い出して話の要点を再生できるかやってみよう。

このブログの特徴は問題意識とか自分のもっている疑問点を率直に述べている点であろうと思う。

世の中の皆さんはみな秀才ぞろいであり、私のような愚問を発する人はあまりいない。それでも一日大体100人の人がなんらかの知識を求めてかこのブログを訪れるが、その内の幾人かは私の愚問を聞きたいという方々もおられるだろうか。

ブログではないが、先日もこのブログで取り上げた病理学者の「いくろう」さんはアマチュアの数学者という肩書きを先日の朝日新聞でもらった優れた方である。彼のサイトは彼の博識と勉強振りがとてもうかがえて興味深いサイトである。だが、私にはもう一つ欲求不満を起こしそうになるところもある。

私の方はブログであり、インターネットのサイトではないので、数学とか物理の話題をとりあげても、それをここで議論することはまったくできない。だからその補助として「数学・物理通信」等を参照してほしい。

だが、実は私のすでに出版した書籍である、「数学散歩」とか「物理数学散歩」(いずれも国土社刊)以外にもブログで取り上げた話題をエッセイとして書いているものも多い。しかし、これらは一般の人の目にはあまり触れる機会がない。

それらのエッセイがどこに掲載されているかを、参考のために書いておくと「研究と実践」(愛媛県数学教育協議会の機関誌)にすでに書いているあることもある。その後、個人的に発行しているサーキュラー「数学・物理通信」に発表したものもあるが、その数はまだそれほど多くはない。

それらの媒体では私の愚問の一部をすでに突っ込んで考察したものもあるが、まだ大部分の私の疑問はまだ未解決、または未発表である。自分でインターネットのサイトをもてばいいのだが、サイトをつくる能力とその時間が欠けているので、ブログとかそれ以外の媒体でお茶を濁している。

人の能力は限られている。いろいろな人の能力を集めることをPull of Powersというそうだが、そういう能力があれば、解決をする問題だろうが、いましばらくは同じような状態が続くと思われる。それでかどうか、いつも自分自身にフラストレートしている。


いじわる

2012-05-18 12:14:48 | デジタル・インターネット

このブログはNTTコミュニケーションのOCN上のブログである。いまも折角ブログを書いてセーブをしたつもりだったのにシステムの方から要求が出てうまくセーブできなかった。折角書いたブログをまた入れなおさなくてはならない。

意地悪という意識はないのだろうが、私には意地悪にしか思えない。だから、ここにわざと一つのブログとして記録にとどめておく。


いつもの夢

2012-05-17 11:30:45 | 日記・エッセイ・コラム

いつもの夢をまた見た。これは私はどこかへ行こうとするのだが、その乗り物の切符をうまく買えず、乗り物がどこに行くのかということがわからない。また切符を買おうとしてもどこで買ったらいいのかわからないとか、その乗り物に乗れないとか、切符の代金をうまく払えないとかという、お決まりの夢である。

いつもどこかへ行こうとしてうまくいけないというところが、いつも内容的に同じである。もちろん、細かな内容とかはちがっているのだが、いつももどかしい。

ユング派の精神分析とか夢判断なら、なんとかもっともらしい、判断を下すのであろうが、そのことは私にはどうでもいいことである。なにか自分にとって未解決のことがあり、それに鬱々としていることをこの夢は表しているのであろう。だから、それをいつも夢にみるのだろう。

昨日、用意した数学・物理通信2巻2号用の原稿がよくないことをこの夢は暗示しているようでもあるので、昨日までに書いた内容を棚上げして、また別の内容を書こうと心に夢の中で決めた。

実際には新しい原稿をこれから用意するには少し思い切りがいるのだが、仕方があるまい。


体の復調?

2012-05-16 10:53:03 | 健康・病気

ようやく体の一部の機能がもどってきた。昨夜、テニスに行ったが、右肩がまだ完全によくなってはいないのでまだ上からのサーブはできないが、普通にストロークが打てるようになってきた。これは3週ぶりか4週ぶりである。

もう肩の痛みがとれなくてこのままテニスをできなくなるかと一時は心配したが、なんとかもとに戻りそうな気がしてきた。今朝起きたら、昨夜少し走ることができたからか、膝に久しぶりに少し負荷がかかっていたらしいことがわかった。しかし、肩の調子もそれほど悪くはない。

なんだか、ここ数日気が重くなっていたのもこのスポーツの動きができなかったせいかと思われる。テニス仲間の人たちが無理をしないようにと、労ってくれたお陰でなんとかもとに戻りそうである。

お昼時間のラジオ体操でも右肩が痛くて首が右側に曲げられないとか、右腕を頭の上を通して体を左に曲げることもできなかったが、それらの動作がほど痛みを感じなくなってきた。まだ完全に右側に首を曲げられるほどにはなっていないが、それでもようやくラジオ体操の真似事ができるようになってきた。

私みたいにスポーツ音痴でも体が動かした方が精神的にもいいことは確からしい。


mistaken objectivity

2012-05-15 14:34:01 | 学問

mistaken objectivity(誤れる客観主義)という概念について、鶴見俊輔さんが書いている。

USAという国は、いまの日本にとって政治上の宗主国でしょう。USAの歴史をたどってみて、こういう別の可能性があったとか、いろんなことを考えるのが社会科学者の役割だと思っている。しかし、そういう問題の立て方は、ふつうの哲学から離れちゃってるんですよ。

これがアカデミズムの性癖なんです。では、まったく違う問題の出し方をした人がいなかったというと、少数ながらいた。たとえば、私が交換船で帰ってきてから羽仁五郎を一所懸命読んでいて、「あっ、ここに人がいる」と思った。戦時中にもかかわらず、権力を恐れずちゃんと書いている。こういう人に会いたいと思って、つてを頼って消息を聞いたら、そのときにはすでにすでに牢屋に入っていた。それで、戦後になって、羽仁五郎と対談する機会があったときに、羽仁さんに、「八月十五日に友達がぼくの入れられていた牢屋の扉をあけて、ぼくを出してくれるんだ、と思って、一日まっていたよ。(略) 君でさえ、かけつけてきて鍵をはずしてくれなかったのだからな」といわれた。「おっ」と思った。彼はそういう形で私の責任を追及してきたんです(引用終わり)。「いいのこしておくこと」(作品社)より

もう一つは武谷三男についてのエピソードだが、引用がながくなるので、割愛する。

この「mistaken objectivity(誤れる客観主義)」とは何なのか、もっと詳しく知りたい。


ルーチンワーク

2012-05-15 13:06:31 | 日記・エッセイ・コラム

最近はブログを書くことが単なるルーチンワークになっていて、多分読者の方にも以前ほどおもしろくはないだろうと思っている。しかし、自分ではいまのところどうすることもできない。一番おもしろくないのは自分自身なのだから。

なんとか毎日ブログを書いてはいるが、どうもおざなりに過ぎるであろう。これは主観的な話であるから、外からみたら、どう感じられているかはわからない。どうしてこういう事態に陥ったのかは自分でも分からない。

自分のあり方が変ったわけではないし、いろいろな探求も自分なりに続けている。「四元数と回転」の関係も最終的な自分の疑問の解決にはまだ到っていないが、大分いろいろな本を読んで、かつ、その計算ノートを少しづつではあるが、つくっている。ただ、そのノートは十分に整理がされてはいない。

どうも新しい進境が得られたという気がしない。うつうつとして気分が晴れない。まるで今日の天気のような曇り空である。体は肩の痛みが少しづつ減ってきてはいるが、まだなくなったわけではない。

それに「四元数と回転」の課題が解決したとしても、どうも本当はそこから、まだ「四元数から線形代数へ」という課題が新たに出てきており、そこはまだまったく取り掛かれてはいない。

もっともその課題はいま取り組んでいる課題の後に来るもう一つの課題であり、なんでもすべて一時に解決できるものではない。


五月の天気

2012-05-14 10:27:36 | 日記・エッセイ・コラム

今年の五月の天候はおかしい。ゴールデンウイークの天候がさんざんだったことはもう周知の事実だが、先日はつくば市でたつまきが起こった。

もちろん、たつまきが起ころうとこれは自然現象なのだから、文句をいう筋は人間の方にはない。せいぜい、気象庁からの予報ができるだけ早くしてほしいというくらいである。ところが、気象庁や気象台にしてみれば、なかなかその予報をすることは難しいのだろう。

アメリカでのつまきの被害はよく知られていて、たつまきが来ると避難のために地下室を備えている家庭まであるという。さすがにまだ日本ではそういう風な家庭は少ないと思う。だが、これからはそういうことまでも考慮をしなくてはいけないのだろうか。

また、アメリカでは日本に比べて、たつまきの予報もすばやくされるとかいう。たつまきの生成の原因の解明や予報に取り組む人のドラマまである。

たつまきはかなり局所的な地域に限られているので、なかなかそのその気象予報は難しいらしいが、それでも被害がときどきにしろ大きいということになれば、これからの気象台の大きな課題となってくるのだろう。

5月は一年で一番いい季節というのは70年以上生きてきた、私のもっていた感覚だったが、これからはそういう風な先入観は捨てなければならない時代になっているのだろうか。


教育を考える

2012-05-12 15:59:17 | 受験・学校

昨夜の深夜、NHKで教育を考える番組をやっていた。途中から見たのだが、深夜の1時30分まで見て、それから就寝した。論者はすべてなかなかな立派な意見の方々であり、それらの方々に別に私は特に異論はなかった。

異論がないなどと言うと話が発展しないが、それぞれさすがにNHKが選んできた方だけあって、なるほどと思わされた。教育について語りたくないと言ったのは、いつも引き合いに出して悪いが、武谷三男である。彼は教育をあまり好きではなかった。彼は教育をそれぞれの個人の独創性を蝕むと考えていたのだろうか。

私などは教育にそれほどのアレルギーはないが、そういう教育をおぞましいと思う方が居られても不思議ではない。東浩紀さんなどは「教育は何をしたいか」が若いときに分からない人たちのためにあると言い切っていた。それも一つの考えであろう。

協同教育を推進する人とか独創性を発揮させる土台となる事を目指して、子どもためにワークショップをしている方とか、ITの会社を経営している人とか参加者はいろいろではあったが、議論が発散するようでいて、それほど発散はしなかったと思う。

教育学者のある方によると、教育は個人のためか社会のためかとかいうテーマがあるそうだが、どちらか一方に偏るべきではなかろうとか、教育の将来性も語られていた。

しかし、全体的にこれからの社会では確かなことはなにもなく、自分で自分のぶつかった危機とか障碍を乗り越えていくしかない。そのために教育が役立てばよいというような論調であったろうか。なかなか一言で要約するのは難しい。


城山の新緑

2012-05-11 12:01:42 | 日記・エッセイ・コラム

毎年、この季節になると松山城のある城山の緑が黄緑色に変る。松山というが、この城山は今では松の木は少なくて、松山ではなくて、むしろ椎の木が多くて椎山だそうである。このことはいつだったかラジオの放送かテレビの放送で聞いた覚えがあるからまちがいがないだろう。

E大学に勤務していた頃の最後の5年間は10階建ての9階に研究室をもらっていたので、毎日この研究室から城山の緑を見ることができた。もっとも天守閣はちらっとその上部が見えるくらいであって、その全貌を見ることができなかったと思う。しかし、それももう7年以上も前のことになるので今では記憶が定かではない。

今日、仕事場の窓を開けて匂いをかいでみたが、この城山から例年匂ってくることがある、あの「たけのこ」のような匂いはもうしなかった。特にこの若々しい新緑の木々の匂いは本当に「たけのこ」のような匂いがする。その匂いは私には必ずしも好ましいものではないが、それも自然の一時期の匂いなのであろう。

温泉のある、道後の方の山はそれほど新緑が目立たないので、これは単に城山が近くにあるということだけではなくて、多分に城山にはそういう広葉樹が多いのであろう。大抵、城山は年中いつも濃い緑に覆われているので、この4月末から5月始めの季節に松山を訪れる人しか、旅行者はこの城山の変貌を知らないであろう。

このブログは写真とかがない、とても制約されたブログであるので、この実景をお見せできないのが残念である。


私のフランス語修業17

2012-05-10 11:31:07 | 外国語

「私のフランス語修業17」のサブタイトルを

ー不規則動詞と水道方式ー

とする。はじめはこのブログのサブタイトルをタイトルとしたが、「シリーズ」の中に入れた方が人の眼につく、可能性が高いから、タイトルを変えた。

「不規則変化動詞と水道方式とどんな関係があるの?」と聞かれそうだ。ここで不規則変化動詞というのはヨーロッパ語の動詞のつもりである。

水道方式のことを知っていない人もいると思うが、算数の計算の仕方を小学校で教える方式である。

この水道方式は特殊な0とか1を一般の数2~9と区別する。そして、20とか30とか、また400とかは大人の感覚とは違って却って、326というような一般の数と違って難しいのだという。

それで、特殊な数の型の足し算や掛け算は一般の数の足し算や掛け算を教えた後で教えるという方法を水道方式ではとる。標語的に言うと、「一般から特殊へ」というのが水道方式のモットーである。

もちろん、いつでもこの一般から特殊への原則が守られているわけではないだろうが、だが、一般的には「一般から特殊への原則」が支配しているのである。

これは普通の大人の感覚とは違っているが、教育的にはこのことの有効性は実証されている。

それで、私の疑問はつぎのようなことである。たとえば、フランス語では4つの不規則変化動詞avoir,etre, faire, allerがあるが、それらはとても頻繁に使われる動詞であり、これらはそれぞれ英語の「もつ(have)」、「ある(be)」、「する(do)」、「行く(go)」という意味である。

これらの動詞は不規則な変化をする。たとえば、allerをとれば、je vais, tu vas, il va, nous allons, vous allez, ils vontと変化する。

ここで私に理解できないのはje vais, tu vas, il va,ils vontと単数の場合と複数の3人称でvで始まる語で動詞が変化しているのに、突然nous allons, vous allezとaで始まる語形で動詞で変化するのか。

もともとの原形というか不定詞はaller(アレー)であるから、多分nous allons, vous allezの方が不定詞に近く、jeとかtuとかil, ilsとかの方がvで始まる方がむしろ不規則変化たる所以なのであろう。

その理由を知るには言語学の歴史の知識が必要なので、普通に外国語を学ぶ立場からは知る必要はないが、そういうことに疑問を感じ始めるときりがない。

それはともかく、いつもこの不規則動詞は日常生活でよく使うからという理由でこれらの外国語の学習には最初に教えられる。

これは水道方式の考え方のようにこれらの不規則変化動詞を一般の規則動詞から教えて、不規則動詞へと進んで行く方式は考えられないのだろうか。

教え方の一つとして考えるだけではなく、その方が教え方として従来の方法よりも有効ということはないのだろうか。それが私のもっている疑問である。

私などはフランス語にしてもドイツ語にしても初歩ばかり何十年も学んでいるので、こういった疑問もあまりもたないし、不規則動詞が難しいという感覚はもうない。

だが、上のように考えてみるとか、そういう教育法を考える人がフランス語とかドイツ語の専門家にいなかったのだろうか。

もし、いたとすれば、そのような水道方式風の教え方はあまりよくないということを実証されているのだろうか。

できるだけ、不規則変化動詞の数を減らそうという考えは、昨年の後期にラジオとかテレビでフランス語講座を担当しておられた清岡智比古先生(明治大学)の教え方に現れている。

彼はフランス語の動詞を規則動詞、共通変化語尾動詞、不規則変化動詞の3つに分類しており、不規則変化動詞はたった4つだという。彼の考え方にはできるだけ不規則変化動詞を少なくしたいという意思があると思われる。

ちなみにいうと、いま問題にしたのは直説法の現在形の動詞の人称変化であり、フランス語の動詞には時制とか法がたくさんある。法としては直説法の他に条件法や接続法もある。この動詞のいろいろな法と時制がフランス語の難所とされている。


オイラーの贈物

2012-05-09 12:38:33 | 数学

大学の理数系の出身の方々なら、吉田 武著「オイラーの贈物」という書を読んだことはないまでも存在くらいは知っているであろう。

この書は海鳴社から以前出版されていたが、いつか絶版となり、その後はちくま学芸文庫から出ていた。

だが、文庫版ではなく、「大きな版の書籍を欲する読者がいるらしい」ことはアマゾンコムの書評等からも、うかがい知ることができた。そのうちに最近になって東海大学出版会から大判の同書が出版された。

私は元の海鳴社の版とちくま学芸文庫の版をもっているが、東海大学の版を買うかどうか、先週の土曜日にジュンク堂に行ったときに手にとってみたが、どうも海鳴社の版ほど魅力がないと感じて買わなかった。(ちなみにこの書籍の東海大学版の価格はとてもお手ごろである。もしお持ちでない方はぜひ購入されて、一読されることをお勧めする)。

どうしてなのだろうか。本の内容が変った訳ではない。だが、本の装丁等も含めて雰囲気が違う。なんというか「アカデミックさ」というのか、その本のもつ「落ち着き」というのか何かが違う。

もちろん、私が海鳴社の版をもっているのだから、さらに新しい版を買い求めるということは普通の人にしたら、おかしいことであろう。

だが、この「オイラーの贈物」ほどの名著はそうあるものではない。この書は海鳴社版でも3万部が出たと聞く。理数系の書で1万を越えた部数の書を出すことなどそんなにあることではない。ましてや3万部だなどとはまさに法外であろう。だが、海鳴社版にはそのような雰囲気があった。

吉田 武氏の著書にはこれ以外にも数冊の著書があるが、その書の装丁とか雰囲気において、その内容において、また、その書き方においてこの「オイラーの贈物」に勝るものはないと思う。彼の著書を私が全部もっているわけではないが、多分これが彼の最良の著書だと言って間違いないであろう。

いつかも書いたが、この1冊を著しただけでも、吉田 武という人は日本の書籍界でいつまでも記憶に残るであろう。しかもこの書の海鳴社版に関しては、出版社とのコラボレーションがうまく行った結果かとも思われる。

以上は他人が外から見たらという話であり、あくまで著者の考えとは違ってもそれは致し方がない。


私のフランス語修業16

2012-05-08 11:32:08 | 外国語

どうも所有形容詞のson, sa, sesをまだ習得していないみたいである。これはsonとかsaはson pereとかsa mereとかいう風に使うのだが、sonとかsaは「彼の」と共に「彼女の」を前後関係によっては意味する。

ところが、英語ではhis(彼の)とher(彼女の)とを区別するし、ドイツ語でもsein Vater(彼の父)とihr Vater(彼女の父)というように「彼の」と「彼女の」とを区別する。

ところがson pereは「彼の父」でもあるかもしれないし、「彼女の父」かもしれない。そこをそれこそ何十回も繰り返して毎年ラジオやテレビの講座で聞いているのだが、私に十分わかっているかはあやしい。私のフランス語もまだまだである。

特にこのごろはフランス語など口から出てこない。ただ、簡単な会話とかなら聞いてわかると思うのだが。

いつだったかいつもドイツ語コースで打ち上げ会をする、松山市南堀端のレストラン・アミティエで私たちのクラスの最年長のメンバーである、医師の I さんがフランス人シェフと簡単な会話をされていたが、これなどは決まりきった文句の会話であったので、もちろんわかった。

それにしても、I さんは京都大学で、オシュコーヌ先生にフランス語を教えてもらったと言っていたが、だからかどうかは分からないが、発音もきれいでなかなかのものである。

英語はテキストから学校で学んだものであり、話す言語としては私にはフランス語が第一外国語なのである。

しかたなく、英語を会話に使うことはあるが、それを話す言語としては学んだことはない。


TEDカンファランス2

2012-05-08 11:02:52 | デジタル・インターネット

昨日、月曜日であったので、またTEDカンファランスのプレゼンをNHKで二つ見た。その内の一つにALSのグラフィックデザイナーに絵を書かせたある企業家のプレゼンがあった。

このデザイナーはALSで、もう今では眼の視線しか自分の思うがままにならない。だが、その残っている、視線を動かす力を用いて絵を書かせたのみならず、チームで開発した装置でメールをそのALSのデザイナーからもらったという。

そのデザイナー曰く、「水の底に深く沈んでいたのに、そこから救い出してくれて、有難う」というような内容であった。7人の専門家を自宅に世界から呼んで、家族は裏庭のガレージに住みながら、その7人のメンバーに家を明け渡して、デザイナーを救う、方策を考えてもらったという。

その企業家の名前は記憶していないが、すごいことをする人が世界にはいるものだ。

彼のプレゼンの最後の言葉、

If not now, then when ?  いまでないなら、それはいつ?

If not me, then who ?   私でないなら、それは誰?

重く響く言葉である。

なんでも、いまから、人任せにしないで自分で始めようという意味だろうか。


四元数と線形代数

2012-05-07 12:52:15 | 数学

Hamiltonが考えだした、四元数は線形代数の源をつくった。

ところがHamiltonが自分の見出した非交換の代数系の発見をあまりに重要と考えすぎたために四元数にこだわりすぎて、細かな発見はあったが、大きな線形代数という流れをつくることができなかった。

これはたとえば、森毅氏の「数学の歴史」にも書かれている。そのどこが線形代数に受け継がれ、非交換であることよりも重要であったことは何かを書いたものはないかと探していた。

先週の土曜日に市中のジュンク堂書店に行って、カッツの「数学の歴史」を立ち読みしたら、四元数の積から出てきたスカラー積とベクトル積がむしろ重要なのであり、その他のことはあまり有用ではないということを後の数学者は悟って、それでいわゆるベクトル解析がギッブスとかヘビサイドによってつくられたのだとあった。

Croweの書いた、A History of Vector Analysis (Dover)という書もあるので、それを読めばいろいろなことがわかるのであろうが、どうもやはり英語を読むのは日本語を読むほどには早く読めないので、難渋している。

Stillwellの「数学の歴史」(朝倉書店)の多元数の章は四元数のことを書いてあり、私も読んではじめて知ったこともあったが、これには四元数はテンソル解析にその思想が受け継がれたと書いてあった。

どの数学の歴史の書物にもHamiltonが非交換の代数系をあまりに過大に評価して、彼の後半生をその発展に尽くしたことには批判的である。

それは後世から見るとそういうことが言えるのだろうが、その渦中におり、人類の歴史上ではじめて非交換の代数系を発見したHamiltonにそのことを要求することはかなり過酷な要求でもあろう。

そのいきさつを詳しく知ることとか、線形代数の出てきたいきさつとか、そのどこがキーポイントであったかということを知りたいと思っている。私には出来上がった線形代数そのものよりもそういういきさつの方が関心がある。

いまの数学のテキストはあまりに天下りでその理論の形成過程をダイナミックに伝えるという風ではないことが不満である。

しかし、これは詳細な数学史の研究に私が関心があるということを意味してはいないから、なかなか他人からは理解してもらえないだろう。


病気の見舞い

2012-05-07 12:00:40 | 日記・エッセイ・コラム

T市に住んでいる妹が昨年10月に脳出血になったが、お見舞いに行ってなかった。昨日、妻がお見舞いに行こうと言い出したので、行くことができた。

私が思っていたよりははるかに病後はよかったので、兄としてはほっと胸をなでおろした。というのはもっと日常生活に支障を来たしていると思っていたからである。

少なくともトイレに行くことは自分で杖に頼りながらではあるが、行くことができる。食事の支度は右手がきかないためにできないが、話も普通にできる。

特に話が普通にできることは私をとても安心させた。妹の夫君にいろいろ重荷がかかっていることは間違いがないが、それでも彼もその負荷をある意味で楽しんでいるようにも思えたので、ほっとした。

妹夫婦には子どもがいなかったので、そういう意味では心配をしてくれる息子や娘がいるわけではないが、それはそれでよいのではないかと思っている。

しかし、再発の脳出血があるかもしれないので、血圧を下げる薬の服用は欠かせないらしい。脳出血は特に予兆があるわけではないらしいので、血圧をコントロールする以外に方法がないらしい。それと脳にたまった血をとり除く治療は運びこまれた病院で行われたらしいが、それ以外の治療というのはあまりなかったらしい。そういうものなのであろうか。