青梅街道に戻り、荻窪駅の先でJR中央線を越えます。現在は天沼陸橋でショートカットされていますが、陸橋の完成は第二次大戦後の昭和30年(1955年)のことで、それまでは荻窪駅東側の大踏切を経由していました。→ 「東京近傍図」の右下隅で、新旧青梅街道にズレが生じているのはそのためです。七ヶ村分水ももちろん、旧道沿いを流れていました。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 天沼陸橋の着工は昭和17年(1942年)、同19年12月に米軍の爆撃で破壊されました。昭和23年に工事が再開され、車馬程度の通行は可能になったようです。その直前の写真です。
ところで、荻窪駅は青梅街道を新宿まで運行する都電杉並線の起終点でした。天沼陸橋完成後の昭和31年(1956年)以降、それまで南口にあった停留場を北口に移し、陸橋経由で運行していましたが、前年に荻窪まで延長された地下鉄丸ノ内線の影響で、昭和38年に廃止されます。こうして、西武軌道線時代からの52年間の歴史に幕を閉じましたが、これはその後に相次いだ都電廃止の第一号だったそうです。
- ・ 青梅街道 荻窪駅前歩道橋から荻窪駅方向です。左カーブの先が本線の天沼陸橋、右手のバスが出てきた方が旧街道で、間に交番が建っています。
- ・ 天沼陸橋 その上り口にあたる荻窪駅前入口交差点です。左手に向かうと昨日UPした八幡神社前に出る天沼八幡通り、右手は旧街道と連絡しています。