神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

清水口

2015-05-02 07:00:37 | 千川用水2

 四面道交差点の北東角に白っぽい三角形の建物があり、都第三建設事務所四面道排水場とあります。その建物の裏側に回り込むと、水路の痕跡を留める路地を見つけることができます。「清水口」、寛政6年の→ 「星野家文書」では「清水田養水口」にかかわる水路の痕跡です。途中清水森公園先で杓屋口からの流れを併せ、妙正寺川に合流するまで、およそ1400mをほとんど迷わずたどることができます。車止め付の遊歩道や、水路を含んで一区画だけ広くなった道路、自然の谷筋を思わせる微妙な起伏など、耕地整理のあと暗渠となった水路をたどる、絶好の教材がぎっしり詰まったコースです。

 

0502a

    ・ 四面道交差点  交差点の北東角に向かってのショットで、正面の白っぽい建物が四面道排水場です。環八通りは谷筋にある上、青梅街道とJR線を潜って越えており、地下水の排出が欠かせないのでしょう。

0502b

    ・ 水路跡の路地  四面道排水場の裏の水路跡の路地です。この先100m弱で左に折れ、そのまま200mほど北上、あとは右折、左折を繰り返しながら、全体としては北東に向かいます。

 <清水>  清水口の清水ですが、下井草村字沓掛内の通称で、文字通り湧水地だったところです。昭和7年(1932年)の杉並区の発足に伴い、正式な行政区分名に格上げされ、現在の住居表示にも引き継がれました。大震災後に売り出された新興住宅街としては、イメージに合っていると考えられたのでしょう。たびたび御世話になっている「荻窪風土記」の井伏鱒二も、昭和の初めに清水に居を構えた一人です。

 

0502c

    ・ 清水頭付近  清水1丁目24~28には、このような窪地が散見されます。ちなみに井伏宅は撮影地点の左手後方、ツーブロック離れているだけのお隣です。

 以下はその「荻窪風土記」の一節です。「私のうちの近所の曾我医院のそばに、昔から清水と言われていた大型の四角い古井戸がある。(そのため、この土地を清水と言ったり、清水町と言ったりした)」 古い写真で見ると湧水の周囲に玉石を積み上げた、井戸というより小さな池のようなものです。四面道排水場の北側3~400m付近には、この古井戸を含めた湧水群があり、付近は清水頭と通称されていました。→ 「段彩陰影図」に見るように、そこから妙正寺川に向かう自然の谷筋を清水口用水は利用していたわけです。